14.エントリー
俺はクロを連れて、森の道を駆け抜けていた。朝日が木々の間から差し込み、草の露をキラキラと光らせる。
ダ女神は最後まで付いてくるいくと駄々をこねていたが、ヒルダに止められていた。
「ふっ……速ぇな、俺……!」
走るたびに地面が遠ざかる感覚。全身の筋肉がしなやかに動き、風が頬を切る。
明らかに、異世界に来たばかりの頃とは段違いだった。自分でも分かる。
これは……世界新記録、出せるぞ俺。
隣を走るクロも楽しげに尻尾を振りながら、軽やかに地を蹴っていた。道中、数匹のブラッディウルフに遭遇したが、全員俺たちの速度についてこれず、森の奥に消えていった。
目的地は、エステン。
向かう前にヒルダから特製の木剣を受け取っていた。握力で木製の柄が砕けるようになっていた俺のために、取っ手だけ金属製に仕立てた特注品らしい。
――ちなみに、聖剣ポチは禁止された。
「大会に聖剣を持ち込むとか、ズルすぎるでしょ!」とヒルダに怒られたのだ。
まぁ、納得はしている。ちょっと寂しいけど。
数時間後――
俺たちは、ついにエステンの門前に立っていた。
「……前は数日かかったんだけどな」
小屋から数時間で到着してしまった。これはもう、パワーアップを認めざるを得ない。
町に入ると、かつて訪れた時よりも格段に人が多かった。通りは混雑し、活気があふれている。
――そうか、今は武術大会のシーズンだった。
「さて、まずは宿探しかな……」
クロの首筋をポンと叩きながら、俺は街をぶらつき始めた。
ほどなくして見つけたのが、「走る仔馬亭」と書かれた、可愛らしい看板の宿屋だった。
どうやら大会出場者には宿泊費が割引になるらしい。
「ラッキー。ここにしようか」
中へ入ると、受付の隣には酒臭い男たちが昼間からガヤガヤと酒を煽っていた。木製のテーブルにはステーキや煮込み料理が並び、どこか懐かしい雰囲気だ。
「すみません、武術大会中に宿泊したいんですけど」
声をかけると、受付にいたゴツい身体でチビの強面男がゆっくりと振り向いた。
……え、これがドワーフか?
「50ハイムだな」
ぶっきらぼうにそう告げられた俺は、一瞬で脳内計算を始めた。
――1ハイム=銅貨1枚
銀貨1枚=10ハイム、金貨1枚=100ハイム。
ヒルダの話だと、平均月収は銀貨10枚、つまり100ハイム。ってことは……
「たっか!!」
思わず叫んだ俺に、ドワーフ店主は冷たく言い放った。
「嫌なら、他所をあたりな」
(走る仔馬亭とか言いながら、顔は猛牛亭だろ……)
ブツブツ言いながらも、俺は泊まることにした。宿泊費は高いが、どこも満室だし、他を探すのも面倒だ。
部屋は、相変わらず質素。
木のベッドと、机、以上。だが清潔ではある。
「……まぁ、いいか。今日は寝よう」
クロがベッドに飛び乗り、くるりと丸まる。俺もその隣に転がり込んだ。心地よい疲労が身体を包む。
翌朝。
「おい、クロ、やめろって!顔バシバシすんな!」
目を開けると、クロの前足が俺の顔をリズムよく叩いていた。
「……そういや、昨日から何も食ってなかったな」
空腹を覚え、俺たちは下の食堂へ向かった。
テーブルに腰掛け、周囲を見渡すと、朝からステーキを食う豪快な男たちや、ビール片手に笑いあう人たちがいた。
そんな中、シチューとパンを食べている人が多かったので、俺はウェイトレスを呼び、指さして注文した。
「それ、同じのちょうだい。あと、こいつにはステーキを!」
ウェイトレスが微笑み、軽く会釈して去っていく。クロは「本当に!?」とでも言いたげに目を輝かせていた。
料理が来て、さっそく頬張る。
「……うまい!」
久々に、ちゃんと火の通った料理を食った気がする。パンが柔らかく、シチューはしっかり煮込まれていた。
クロも大満足の表情で、ステーキを貪っていた。
食後、俺たちは大会会場となるコロシアムの下見へと向かった。
……想像してたのより、半分くらいのスケールだった。
もっとこう、円形で観客が何千人も入って、天井から光が差し込んで……みたいなの想像してたんだけどな。
中央には大きな石造りのステージがあった。ここで戦うのか。
興味津々でキョロキョロしていたその時――
ガツン!
「おっと……」
誰かと肩がぶつかった。
振り向くと、全身青いフルアーマーに身を包んだ、明らかに強そうな剣士がこちらを睨みつけていた。
「前見て歩けよ、この田舎者が!」
……うわ、典型的な嫌な奴パターン来た。
鎧は異常に光沢があり、剣も長い。こいつ、見た目はガチ強そうだ。
「この庶民が!俺様のアーマーが汚れるだろうが!」
ヤベー、何このテンプレ王子様。
「すみませんでした……」
トラブル回避優先、謝罪選択。
しかし彼は、さらに煽ってきた。
「まさか、お前みたいなチビがこの大会に出るってのか?」
「はい……出場する予定です……」
「しかも、そんな木剣で?ハハッ、ママごとじゃねーか!ここは幼稚園か!?」
「いえ、コロシアムです……」
「分かってて言ってんだよ!この田舎者が!」
もはやツッコミすら疲れる。
(うるせぇな、通勤ラッシュの山手線に突っ込んでやろうか……)
俺は苦笑いしながら道を譲った。
「ごめんなさい、以後気をつけます。どーぞー」
通り過ぎた後も、後ろでブツブツ田舎者コールが続いていたが、完全無視。
トラブルを避けるのが俺の流儀だ。
コロシアムの奥に「大会出場者はこちらで受付」と書かれた立て看板を見つけた。
早速、受付へと向かう。
「すみません、大会に出場したいのですが……」
受付の女性が笑顔で対応する。
「はい、ありがとうございます。ではエントリー費として**100ハイム(=金貨1枚)**を頂きます」
「……は?金貨1枚!?そんな高いの!?」
さっきの宿も高かったが、これは桁が違う。
「ご安心ください。金貨がない場合は“予備予選”からの出場も可能です」
「予備予選?」
「予選の前に行われる予選です。出場者が多いため、予選枠を30名に絞るための戦いです。金貨を払った方は予選から出場できますので、予備予選はかなりの競争になるかと……」
なるほど、つまり――
「じゃあ、俺は予備予選からでお願いします」
「かしこまりました。今大会は過去最多の参加者が見込まれておりますので、どうぞお気をつけて。予備予選は本日、昼から開始予定です」
こうして、俺の大会エントリーは無事に完了した。
「さて……クロ、いよいよだな」
クロは「ワン!」と元気に返事をしてくれた。
この世界に来て初めての、“他者と競う場”――
やっと、明確な目標ができた気がした。