133.フォースドラゴンの正体
氷の回廊は靴底のきしみさえ冴え返るほど滑らかだった。
吹き込む潮風が頬を切り、二人のマントの裾をぱたぱたとはためかせる。
「……やっぱり滑るわね、手を離さないで」
「了解、僕が転んだらクルちゃんも一緒に海の藻屑だ」
「不吉な冗談は後にして」
神殿は海面下数メートルでもはっきり形をとどめている。白大理石の列柱と彫像。まるで朽ちたパルテノンが水の檻に囚われているかのようだ。
誰がいつ、何のために作ったのか?
内部は意外にも迷路ではなかった。分かれ道ひとつなく一直線。長い廊を抜けた先に、深藍色の扉が鎮座している。
「開けるわよ」
扉を押すと、重々しい音と同時に冷たい空気が溢れ出した。
広間。円形の大空間。中央には瑠璃色の祭壇。
祭壇上で静かに横たわるのは、裸の――まだ幼さの残る少女だった。
淡く光る多層の魔法障壁が、無垢なる眠りを守っている。
「ちょ、ちょっと……なんでこんなところで寝てる!?」
「しかも子供? そして防壁は……五重?」
ティリスが顔を近づけると、障壁に触れた剣先がほの青い火花を散らした。
「——魔素の質が違う。人間や私たちのそれじゃない」
「クルちゃん、診られる?」
「試してみる。少し待って」
クルドは魔法袋から革装丁の古書を取り出し、ぱらぱらと捲った。
「ええと……索魂の式……霊素分離……あ、あった! サーチ」
杖の穂先が白く明滅し、結界を包む全ての層が一枚ずつ薄皮のようにはがれていく。
しだいに祭壇の光が沈み、やがて障壁は完全に消滅した。
「どう?」
「――この子、フォースドラゴンよ…………」
クルドは青ざめた声で短く答えた。
「――ドラゴン!? 見て、どう考えても人間の女の子だよ!?」
「私も混乱してるわ。ただ一つ確かなのは、この子自身が“自己封印”を選んでいたってこと」
「自分で自分を?」
「ええ。しかも私の魔力を半分、ごっそり持っていった……大した魔素量」
氷魔法の制限時間を思い出し、ティリスが腕時計型の魔導具を確認する。
「あと半刻で海が戻る。起こすなら早く判断しないと溺れる」
「起こせるわ。でも何が起きるか……」
「僕が守る。クルちゃんは魔法に集中して」
ティリスは長剣を肩に担ぎ、真剣な眼差しで祭壇を見守る。
「いくわね――《覚醒術式・黎明》!」
眩しい銀光が祭壇を包み、潮騒さえ一瞬途切れた。
クルドの膝がかくんと折れた。
「大丈夫!?」
「平気……ちょっと目が回るだけ」
そのとき、少女がまつげを震わせ、ゆっくりと身を起こした。透けるような肌に水滴が煌めき、琥珀色の瞳が二人を映し、長い銀髪が揺れる。
「あの……おはよう」
クルドが柔らかく声を掛ける。
「……おはようございます………」
囁きは波音よりもかすかだったが、言葉は確かに届いた。
二人は顔を見合わせ、同時に息を呑む。
「子供、だよね?」
「ええ、子供ね。だけど……この魔素密度は竜核そのもの」
言葉を探している間にも、海水が小さく噴き上がり始めた。氷魔法が崩壊しつつある。
「時間切れだ」
「抱えるわ、ティリス援護して!」
「了解!」
クルドは少女をマントで包み抱き上げる。その途端、少女は再び深い眠りに落ちた。
ティリスが背後を守りつつ、来た道を全力で駆け戻る。足元では氷が次々に割れ、海が怒涛のように押し寄せてくる。
滑り込むように氷の大地へ飛び出し、待機させていたファルコンへ飛び乗る。
羽ばたきと同時に背後で氷床が砕け散り、海底神殿は再び不可視の深みに沈んだ。
「間一髪!」
ティリスが安堵の息を吐く。
クルドは胸元の少女を見やり、静かに呟いた。
「……この子が、フォースドラゴンなのね。あなたの話を聞かせてね」