131.出発の朝
エルフの森に新しい朝がやってきた。
それは人間の住む世界では決して見られないほど穏やかで、澄んだ空気に満ち、小鳥たちのさえずりはまるで音楽のようだった。
クルドはその空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
心の底から、こう思った。
(――この大陸を、私は絶対に守ってみせる)
決意を胸に、彼女はティリスの家のドアをノックした。今度はすぐに扉が開いた。
中から現れたティリスも、クルドと同じく旅支度を整えていた。ロングマントに身を包み、腰には長剣が差されている。
それを見て、クルドは思わず尋ねた。
「あなた、剣が使えるの?」
思いがけない質問に、ティリスは目をぱちくりとさせ、少し照れたように笑った。
「んー、魔法じゃクルちゃんに敵わないからさ、僕は剣の道を選んだんだよ」
「そう……だったのね」
「ふふ、今じゃ結構強いよ?でもね……人間のキースって剣士がいてさ。あの人には敵わなかった」
ティリスは言葉こそ「敵わなかった」と言ったものの、どこか楽しそうだった。
「負けたって言ってるのに……なんだか嬉しそうね」
「うん、ライバルってやつかな。負けて悔しいっていうより、もっと強くなりたいって思わせてくれる相手だった」
そんな様子を見て、クルドは心のどこかがあたたかくなるのを感じた。
仲間がいるって、いいことだ――心からそう思った。
「さてと!」とティリスが気合いを入れた。
「海底神殿に向かいますか!」
「でも、どうやって行くの?」
クルドが首をかしげて問うと、ティリスはニヤリと笑って答えた。
「僕のファルコンで行こうと思うけど……クルちゃん、もしかしてまだ――高いところダメだったりする?」
その言葉に、クルドの表情がぴくりと動く。
強がりたかったが、ここから海底神殿までは半日以上。空を飛び続けるなど、到底耐えられそうにない。
クルドはしぶしぶ、そっと首を横に振った。
「……やっぱりねぇえええっ!」
ティリスは腹を抱えて爆笑し始めた。
「世界一の魔法使いが、高所恐怖症とは……っ、あははははははっ!」
「あんたっ……!」
どこからともなく現れたクルドの魔杖が、静かに、しかし見事な軌道でティリスの頭頂部に命中した。
ゴッ!
「――ぐふっ……!」
ティリスの目から星が飛び出す。
「笑うな!!」
プイっと横を向いて不貞腐れるクルド。
ティリスは頭をさすりながら、苦笑した。
「痛いって……もう、ごめんごめん。でもさ、クルちゃんはどうやって行こうとしてたの?」
「うーんとね……フェンリルのジールに乗って行こうかと」
「それだと何日かかるか分からないよ?しかも、道中に誰かに見つかったら大騒ぎになるし……」
ティリスは内心考えを巡らせた。
(高いところダメだし……うーん……寝てくれたらいいんだけど……よし、スリープで眠らせて運ぼう。効けばの話だけど)
ティリスが悪戯っぽく言った。
「ねぇねぇ、クルちゃん?」
「ん? なに?」
クルドが振り向いた瞬間、ティリスは素早く呪文を唱えた。
「スリープ!」
ふらりと体が揺れるクルド。しかし、数秒後――ピシッと目が冴えた。
「……なにをするのよ、ティリス?」
「いやぁ、寝てる間に空飛んで連れてこうと思って……」
「まったく……」
ため息まじりに呆れるクルド。
だが――
「すぅ……すぅ……」
数秒後、クルドがティリスの胸元で安らかに眠っていた。
「えっ……効いたの!? あ、かかった!」
ティリスは驚きつつも、満面の笑みで寝息を立てるクルドの頭をそっとなでた。
「おやすみ、クルちゃん。起きたらもう着いてるからね」
ティリスは手をかざして、召喚魔法を発動させた。
「来い、ファルコン」
風が渦巻き、銀翼の巨鳥が姿を現す。
ティリスは眠るクルドを抱きかかえ、その背に乗った。
「目的地は――ナヴィーク大陸最北端。海に沈んだ神殿……ドラゴンが眠る、海底神殿だ」
ファルコンが一鳴きし、空を舞う。
二人を乗せた銀の翼は、風を裂きながら遥か北へと飛び立っていった。