123.魔王の正体
石屑が敷き詰められた回廊の角で、ふたりは足を止めた。
深く静かな空気が流れている。足音の余韻が、まるで耳の奥に染みこむようだった。
冷たい湿気が肌を撫でる。背後で魔法灯が、ぱち、と小さく瞬いた。
「ヒルダは“魔王は私たちが討伐した”と断言していた」
「……ああ」
「でも日記には、魔王は〈捏造〉されたって書かれてる」
言葉にわずかな迷いが混じる。
それは、崩れかけた石壁に反響し、重たく降り積もった。
「もしや――討伐された“魔王”もまた、人間族が用意した駒だったのか?」
「それは薄い。あのとき奴から放たれた魔素は、到底“人”の器に収まるものじゃなかった」
ふたりのあいだに、短い沈黙が落ちる。
灯りの魔法はほんのりと部屋を照らしていたが、隅にある彫刻や壁の装飾は、ゆらゆらと影を落としている。
(魔族なんて、この大陸には存在しないはずなのに……。だとすれば――)
胸の内で呟いた瞬間、背中をひやりと冷たいものが走った。
「転生者……?」
小さな声にならなかった言葉が、喉で止まる。
背をつたう冷気に、じわりと手が震えはじめる。
クルドは何も言わず、ゆっくりと背を向けて歩き出した。
靴音だけがやけに遠く感じられ、すぐに魔法灯の明かりの外へと消えた。
──落ち着け。順を追って整理しろ。
①転生者は、フォースドラゴン討伐の切り札として召喚される。
②アスマは誤召喚。討伐には関与していない。
③過去に“正規”の転生者が少なくとも一度召喚され、ドラゴン封印に失敗。
④その転生者の行方は記録が消えている。
⑤ヒルダたちが討った“魔王”――正体不明。
(――もし、討伐に失敗した勇者が、封印の代償として“魔王”と呼ばれたのなら?)
心の中で繰り返すたび、背筋がじんわり冷えていく。
それでも、何かが見えかけている――そんな感覚があった。
「……情報が足りない」
地下神殿には、まだ読み解かれていない巻物や文献が数多く眠っている。
全部を自分ひとりで調べるのは無理だ。
「持ち帰るしかないな。ヒルダやオリビアに手分けしてもらって……」
魔法袋に手を伸ばし、巻物や石板をひとつずつ収めていく。
あたたかな光が、ほんの少しだけ背中を押してくれたような気がした。
(真実は、きっと繋がる。俺が、それを繋いでみせる)
手の震えはまだ残っていた。
それでも胸の奥で、小さな決意の火がゆっくりと灯り始めていた。