105.ドラゴンの行方
温泉での一件を終えたカイは、宿舎街の一角にあるパブへと向かっていた。
対面に座るのは、つい先ほどまで老婆の姿で混浴していた――伝説の魔法使いクルド。
妙な空気が流れる中、クルドが先に口を開いた。
「……で、小僧。こんな大陸の端まで来て、何の用だ?」
カイは無言で出されたビールを一気に飲み干した。
体の隅々まで染みわたる冷たい苦味が、数ヶ月の旅と砂漠の疲れを癒してくれる。
「……あなたに会いに来ました」
クルドはグラスを指でくるくる回しながら、興味深そうにカイを見つめた。
「ふむ……私にね。で、ただ会いに来ただけではなかろう?」
カイは少し考え込んだ、それを見て不思議そうな顔をしたクルド。
「言いたくないです、こんなあっさり“私がクルドです”と言われても信じきれません。
なので……本当にあなたが“クルド”であるなら、それを証明してほしい」
にやりと笑うクルド。
「面白い。では問おう、小僧。お前にとって“魔法使いらしい証明”とは何だ?」
少し考えたカイが答えた。
「そうですね……周囲を驚かせるような、魔法使いにしかできないこと。
たとえば――この店の空気を変える、とか」
「ふふ……言ったな」
クルドは笑みを浮かべ、ゆっくりと指を鳴らした――その瞬間だった。
カイの鼓膜を包むような無音。
一瞬、パブ全体が**“止まった”**ように感じた。
空気が重い。
他の客たちはまるで時間を止められたかのように、静止している。
カイが動くと、その足音だけが奇妙に響いた。
「……なにこれ?」
動揺するカイに、クルドが立ち上がる。
彼女の手には光る魔法陣が浮かび、その周囲を古代文字が静かに回転している。
「これは時間認識隔絶結界。
簡単に言えば、我々以外の“時の流れ”を断ち切っている」
カイが目を見開く。
「すごい……詠唱もなかったのに……」
「当然。古代魔法だ。詠唱が必要なのは、未熟な魔法使いだけさ。
私はその限界を越えている」
カイは周囲の静寂に触れるように手を伸ばす。
空気がねっとりと重く、まるで水の中にいるような抵抗がある。
「この空間は、我々の会話と動きだけが“時間を進めている”状態だ。
出入りも不能、干渉も不可。わずか数秒で解除できるが、軍隊でも突破は不可能」
そして、クルドは指を鳴らす。
空間がほどけるように音を取り戻し、喧騒が再びカイの耳に届いた。
まるで何事もなかったかのように、客たちは食事や酒を楽しんでいる。
時間は、本当に“止まっていた”のだ。
クルドは静かに椅子へと腰かける。
「これでどうだ、小僧。これでもまだ信じぬか?」
しばらく沈黙したカイは、苦笑いしながら言った。
「……信じました。いや、もう信じるしかないです」
「よろしい。では、続けよう。お前の目的は?」
カイは静かに答える。
「――フォースドラゴンの居場所を知りたいんです。その情報を求めて、ここまで来ました」
クルドは少し驚いたように目を細めたあと、真剣な表情で語り出す。
「フォースドラゴン……それはかつてスタンハイム王国と教会が手を組み、
封印した存在。
その封印の場所は――ナヴィーク大陸の北、海の底。海底に沈んだ“神殿”だ」
「海底神殿……本当にそんな場所が?」
「確証はない。だが、私がスタンハイムの王立図書館に忍び込んだとき、機密文書に
その一文を見つけたのだ。
“厄災の魔竜の核を、深海の祭壇にて鎮めしこと”――そう記されていた」
カイはその言葉を、胸に深く刻んだ。
「その場所を探します。何があっても、フォースドラゴンの復活は止めなければならない」
クルドは、どこか寂しげに微笑んだ。
「……そうか。ならばお前が信じる道を行け、小僧。私は、見届けてやる」
乾杯の音が、ふたたび静かな誓いを刻んだ。
クルドが優しい目になり、カイに聞いた。
「ヒルダ、マルギレット、オルガ、マチルダは元気か?」