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第10話 宵闇の星



 部屋を出たギルバルトは大きな息を吐いた。


 肩にずっしりと疲労がのしかかる。

 この後も公務が山積みだ。おまけに召喚式の時間が押したから、わずかな休憩予定時間も消えてしまった。頭を切り替えて執務を消化していかなければ、今夜も徹夜になってしまう。


「……この後の予定は?」


 ギルバルトの声に、壁際で待機していた秘書官たちが整然と一礼した。


「第六星時より第二会議室で帝国議会の特別招集会を行い、正式に聖女承認の予定です。その後は政策立案室の室長ならびに担当者より中部三州中期治水計画についてのご説明。終わり次第、メルキア大公夫妻の帝国内遊説における旅程確認と共同謁見の計画を承認していただきます。その後は新型魔術兵器開発計画書と予算案の概要説明、さらに明日の市街地視察についての計画書の最終確認がございます」


 滔々と述べる声だけでうんざりする。


「議会までの移動時間に署名できるものはあるか?」

「ここに」


 もう一人の秘書官がさっと台紙とペンを差し出す。

 

 手にした魔法杖と引き換えにそれを受け取り、ギルバルトは歩きながら次々に署名していった。すでに目を通した計画や申請の正式書類ばかりなので、さらりと確認し、ペンを走らせる。

 たったそれだけだが、国家単位だと一日に何十という数になってしまう。早めに仕事を終わらせ、できれば真夜中を過ぎる前に床につきたい。覚醒魔術で強制的に頭を起こしているが、この腰痛と肩こりで二徹はさすがに厳しそうだ。気を抜くとふらつきそうになる。


 廊下の向こうをふと、明るい声がよぎっていく。エイミとシスレーだろう。

 楽し気な声に少しだけホッとする。


 ゲンダイ世界の者にとって聖女召喚は半ば強制的なのだと聞く。帰してほしいと泣かれる場合も覚悟していたから、彼女のあっけらかんとした、それでいて覚悟のある受容はギルバルトと帝国にとって救いだった。


 ただまあ……それと性格の問題は全く別だ。

 まさか、あれほど自分と正反対だとは。


 それに幼い。外見も内面もまだ子供そのものだ。苛立ちも多く感じたが、くるくると良く動く表情はまぶしく明るかった。見たことのない生き物を扱うような感覚に、戸惑いと新鮮さを感じた。


 この新鮮さは、そう、あの頃の……。


「署名が必要な書類は以上でございます」


 筆頭秘書官が書類を受け取り、一礼して引き下がる。もう一人が預かっていた魔法杖をギルバルトに渡した。


「先に行って副議長に先触れを。議長たるシスレーは聖女関連の急務で欠席、私はすぐに向かうと。決議後、教院に提出するための書類も整えておけ」

「御意」


 秘書官が連れ立って去ると、ようやく張り詰めた空気が緩くなる。ギルバルトは大きく息をついた。彼らはすぐに戻ってくるだろうが、この一人の時間と言うのが案外息抜きになるのだ。杖をつきつつ、重い身体を引きずるように階段を登っていく。


 切り取られた窓の外はすでに宵の口だ。召喚式のせいで昼食を食べ損ねているが、この分では夕食も栄養固形食になるかもしれない。半ばあきらめの気持ちで最後の一段を上りきったとき。


「宮中とはいえ陛下がおひとりで……無防備すぎやしませんか」


 腰のあたりを軽く突かれ、思わずよろめいた。


「うおっ、そんなに強く当ててないけど!?」


 慌てたような声と共に、ぐらついた身体を支えてくれる。ギルバルトはその手にすがってようやく体制を立て直すと、声の主を睨んだ。


「……不意打ちはやめろと言っているだろう。腰が再起不能になったらどうするつもりだ……!」

「いや弱すぎでしょ!? なに、また徹夜した? 俺が夜通し飲んでいる間に? 真面目すぎますね」


 軽い口調で茶化しつつ、男は鳶色の目をこちらに向けた。 

 服装はだらしなく見えるが、着崩した漆黒の詰襟は帝国軍の制服だ。襟についた銀幽霊の記章は情報局の所属を示している。茶色の髪を短く一つに結び、無精ひげがバラつく顔には愛想のよい笑みが浮かんでいた。隙のある動作、親しみやすい表情、人なつこい雰囲気さえ彼が入念に作り上げたものだと知ったら、付き合いの深い女たちは全員驚くことだろう。


 レナード・ディクスン帝国情報局中佐は表情を収めると極めて緩い敬礼をして見せた。


「帝国初の聖女召喚おめでとうございます……しかも若い女の子」

「お前には絶対に近づかせない」

「えーっ、信用無いなあ! 俺、そんなに誰彼構わず手を出す男じゃないよ!?」


 砕けた口調で情けない声を出す。

 レナードはギルバルトが帝国高等学院に学んでいた頃の同級生だ。皇帝と中佐という身分の違いはあるが、それぞれに紆余曲折があり、こうして気軽に口を利く親友関係が長く続いている。

 そしてまた、彼は非常に優秀な情報局員でもあった。


「聖女、呼んだはいいけどスキルがないんだって?」 

「……さてはお前」

「俺のスキルは便利だからねえ。諜報活動と言ってよ」


 こちらを煙に巻くように微笑む。

 レナードは諸事情により様々な特殊スキルを持っているのだが、そのうちの一つに『早耳シュレッカ』というものがある。壁や障害物を隔てた場所の音を聞き取る能力だ。諜報活動にはすこぶる便利だが、それはこちらの私的な会話まですべて漏れてしまうことも意味する。むろん、重要な部屋には魔法防御を張っているが……。


「とりあえず、お小言の前に定例の報告をさせてくれよ。頼まれてた雪豹の過激派のことだけど」


 少しだけ顔を近づけて、レナードは目を細めた。


「ありゃ誰か軍師がいるな。先生というか。帝都に対するゲリラ攻撃は目くらましで、何か裏にある」


 雪豹の一族とは領地争いをしているが、帝国氏族としての同盟が破棄されたわけではない。一族の中も過激派と和平派に分かれており、その過激派が盛んに帝都へ強襲を仕掛けているので、こちらも仕方なく応じているだけ。

 不凍湖の占有にしても過激派が毒を入れるなどの行為があったゆえの、苦渋の選択だ。王子に言われるまでもなく、最優先で解決しなければならない問題ではあった。


 その過激派の動きがやけに組織立ってきたというので、レナードに調べさせていたのである。


「宮中ではないと思いたいけど、かなり的確に帝都の弱点を突いてくるからなあ。関係者か、よく知る人間のような気がする」


「確信は持てないのか」

「それはさすがに。切羽詰まった動きではないから、まだ全然猶予はあるし、もう少し探ってみるよ」


 そうそう、とレナードは真顔になる。


「こちらも子供が絡んでるかも、って報告があったんだ。とにかくまだ情報が未確定すぎるから聞き流してほしいけど」


 わずかに眉根を動かしたギルバルトにレナードはぬるい苦笑を向けた。


「ギルはさー、子供に弱いからさ。気を付けなよ。聖女も……ほら、召喚者と最適な者が呼ばれてくるっていうじゃん?」


 極星教院の教えでは、異世界より召喚される聖女や勇者は二つ星の神による贈り物なのだという。召喚者の心が清らかで、代償を払うほどの強い意志があれば、報酬として救い手を授けると。

 そしてその救い手は、召喚者と所属国に『最も必要な者』が派遣されてくるのだと言われていた。


「……何が言いたい」

「そんな目で睨むなよ。まずは聖女のスキルとか、どうすんのかなと思って。オレみたいに手術とか魔法で『強制的』にスキルを開けられるんだから、すぐやっちゃいなよ。そのへんちゃんと最適解で考えてる? シスレー補佐官ならすぐ提案してくると思うけど」


 ギルバルトが勢いよく顔を上げる。レナードはふふん、とタバコくさい息を吐いて肩をすくめた。


「まあギルは強引なことはやりたくないよね。女の子だし。ホント優しいね、外見とは大違い」


 そっと耳元でささやいた。


「……過去にこだわるのもほどほどにな。それで国ごとリュミエール王子に足元掬われるのだけは勘弁だ。帝国(うち)はいま危ういんだからな、かなり」

「分かっている」


 ギルバルトが重く頷き、顔を上げると……そこにレナードの姿はもうなかった。


 じゃあまたー、と軽い声だけが漂う。『無身モリオーロ』のスキルだ。見えなくても精命力は感知されるため完全な隠し身ではないが、諜報活動には便利なスキルとも言える。


 ギルバルトは息を吐いて窓を見た。いつになく迷いが多いのは分かっている。その理由も。

 宵闇の空には星が一つ、二つ。


「16歳の……聖女、か」


 冷えた夜の空気につぶやきが溶けていった。

 



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