第一章
平成初期の淡い記憶が感情を掻き立てる。
確か十数年前の夏だったと思う。
僕は彼女に出会った。今はもう彼女について思い出せない、いや当時から思い出したくなかった記憶のような気もする。
彼女と初めて会ったのは、小学五年生の夏休みだったと思う。田舎に住んでいた当時の僕にとって、彼女はとても新鮮で、刺激的だった。真っ白なお白いにピンクの唇、今でも彼女の容姿だけは鮮明に覚えている。
でもなんで僕は彼女のことを覚えていないんだろう。
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「時間が経つのも早いよね、お母さんもお父さんももう還暦だもん。まあ、康太は彼女もいないし特に変わってないみたいだけど」
さきが皮肉っぽくからかう。
康太の実家は民宿を営んでいたが、両親が還暦を迎え、宿を畳むことにした。康太はその片付けをしに、実家に帰ってきていた。
「いいんだよ俺は。」
雑誌を束ねながら、きまり悪そうに康太は言う。
さきは康太の返事に呆れた顔をしていたが、ダンボールの中のファイルを見つけて
「ねえこれどうする、あのお客さんの宿泊書、ほら康太大事にしてたでしょ?」
と懐かしそうに尋ねる。
康太はちょっと間を開けて、
「誰だっけ?」
「嘘でしょ、あんた忘れたの?あんなに夢中になって追いかけてたじゃない」
「ほら、確か私が中三の時急に来て、うちに泊まってた、なんて名前だったっけ、すずか?すずこ?」
「すず姉」
康太はさきの言葉に被せて返事をした。いや、反射的にしてしまった。何か今まで大事にしまっていた箱が、こじ開けられたような気がした。
すず(仮)
回想
「さき学校遅れるわよ」お母さんの力強い声が台所に響き渡る。
「今行くって言ってるじゃん」さきは洗面所で鏡を見ながら、うんざりと返事した。
夏休みなのに、さきは今日も学校に行かないといけないらしい。
康太は朝ごはんを食べながら、さきが鏡を眺めてる様子を見て、「なんで見た目なんて気にしてるんだろう」と不思議に感じた。
「行ってきまーす」
さきが慌てた様子で家を出て行く。
康太は食べ終わった皿を流し台に持ってきながら、今日は何をしようか悩んでいた。
康太の最近の流行りは、砂鉄を集めたり、虫を取ることだった。中でも秘密基地作りは特別で、自分しか知らない場所を作れるという点で、康太は秘密基地が大好きだった。
しかしどういうわけか今日は秘密基地に行くことさえ、乗り気にならない。することもなくのんびりと窓から見慣れた景色を眺めた時だった。
「ねえ、君ってここの子?」
横から馴染みのない声が聞こえる。
振り向いて隣の窓をみると、そこには缶ビールを持っいてる長髪の女性が康太を見ていた。
整った顔立ちに、お化粧、よくテレビで見かけるタレントさんにも思える。康太はもう一度目を擦って見てみたが、やはりそこには三十代、いや二十代にも見える女性がいた。
「おーい」
記憶が朦朧とする
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昔の記憶が、沸々と湧き上がってくる。
頭がクラクラする。
「ねえ、あんた大丈夫?」
さきが康太の異変に気づき尋ねる。
「ごめん、思い出したよ、すず姉のこと…なんで忘れてたんだろう」
康太は調子が悪そうな声で、
「今日はもう休むよ、感情も整理したいし、まだ全部は思い出せないんだ、すず姉から教わったことも、なんですず姉のこと忘れてしまったのかも。」
康太は自分の部屋へ階段を登って行った。
どうして、もっと早く思い出そうとしなかったのだろう。大切な記憶だったはずなのに。思い出そうとしても、なぜか思い出せない。
康太は悩みながら、眠りについた。
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