玖頁目 戦う理由
~~六年前~~
屍肉の臭いで鼻が曲がる。
焦げ茶色に染まった空を泳ぐ雲の足は速く、
それを見上げる一輪の花は血に染まっていた。
此処は魔界の最前線。人界を睨む高地の城。
数多くの魔物たちが棲まう――人外の家だった。
「人間共の攻勢が始まり、早八ヶ月、か……」
「四天王からの命令は!? 上は何をしている!?」
「どうやら敵は魔王城にも進軍しているらしい」
「……負け戦、だな」
城の防衛を任されるような知性ある魔物たちは
既にこの戦いの先に未来が無い事を理解していた。
しかし彼らが人間に投降する選択肢は無い。
そんな発想自体そもそも魔物には無かったのだ。
故に残された道はたった一つ。玉砕覚悟の特攻だ。
「テメェらは、何のために戦う?」
ある魔物が周りに問うた。
己の愛用する肉切り包丁を磨きながら、
言語を発するには些か不便そうな口で語る。
そして同胞の魔物たちは次々と理由を述べると、
足元に咲く一輪の花を撫でてニヤリと笑った。
「全員準備出来たな! ――行くぞ!」
彼らが何を理由としたかは記憶に無い。
また魔物たちの心に『悲哀』も無い。
元よりそんな物は持ち合わせていなかった。
故に死への恐怖も、生への執着も希薄で、
彼らは嬉々として戦場で散る事を望む。
この特攻が少しでも人間の命を刈り取るならばと、
この死が魔王軍の劣勢を少しでも覆す物ならばと、
魔物たちは自ら人間たちの前へと打って出た。
そして――
「魔導機構、起動」
雁首揃えた物の怪を、無粋な焔が消し飛ばす。
――――――
――――
――
〜〜現在・南の廃城内部〜〜
「先刻は失礼仕った。竜の時は人魔の判別が出来ず、
……完全なる当方の落ち度で御座いました」
ベリルたちを襲撃した黒炎竜の正体は『煤霊』。
無機物に憑依し操る事の出来るゴーストだった。
彼は廃城の資材を寄せ集めて竜を形作ると
城に近付く者を手当たり次第攻撃していたらしい。
だがベリルらの事を完全に客として認めた後は、
彼は竜形態の時に見せた凶暴性を完全に消し去り、
むしろ理性ある態度で城の案内役を買って出る。
「まずは右が武器庫。残念ながら今は伽藍洞です
そして左は我が城自慢の巨大宝物庫
ご覧の通り、現在は部屋自体が九割消失しています」
(さ、更地ばっか……)
「ふむ? 改めて見るとクソつまらないですね?
失敬。なにぶん当方も他者との会話は始めてで、
えーっ……と? ぅわ何も無いなマジで……」
煤霊は壁をすり抜け周囲を飛び回る。
その間ギドたちの頭上には
黒い火の玉が散らす大量の煤が降り掛かり、
特に背の低かったベリルに至っては
その直撃に遭って不快感を示していた。
この煤を撒き散らす行動も煤霊の特徴らしい。
ギドが黒炎竜の正体に気付いた理由を理解しつつ、
ベリルは煤を振り払いながら質問をする。
「城の事は良いからもっと君の事を教えてよ?
ええっと……? 名前何だっけ?」
「当方に名前はありません。不要でしたので……
宜しければ貴方が名付けて下さいませんか?」
「え、面倒……」
「どうかそう言わずに、ベリル様でしたか?
そのような素敵な名をぜひ、当方にも!」
「仕方ないな……えっとじゃあ煤霊から取って――」
「あ、失敬。当方にもペツという名がありました」
「なんだコイツ」
珍しく語気を強めて
ベリルは巫山戯た霊魂に翼で何度も叩いた。
そしてベリルとペツがじゃれ合っているのを
しばし無感情な顔色で観察していたギドは、
ようやくその閉ざされた口を開く。
「ペツというのは、貴方の主人格の名前ですか?」
「?」
「ええ。……と言っても人格は混濁し切って、
既に当方という一個体に纏まっていますがね」
「???」
事情を知る大人たちの会話に付いて行けず、
幼き魔物は助けを求めるようにギドを見上げた。
すると彼はすぐにいつもの笑顔で応えると、
煤霊を指差しながら解説を始める。
曰く、煤霊の発生および成立条件はかなり特殊。
言わば彼らは、魔物の怨念の集合体だと言う。
それもただ殺された魔物の怨念では無い。
人間に対して強い『殺意』と『憎悪』を宿して、
その上で無残に焼け死んだ者たちの怨念だ。
「この『焼け死ぬ』という要素が地味に難しい
少なくとも自然発生するタイプじゃありません」
「へぇ……ペツはこの城で生まれたの?」
「はい。正にこの先の空間が当方の発生地です」
そう言うと霊魂は重たい扉をすり抜け消える。
ベリルとギドは互いに顔を見合わせると、
協力してその重厚な扉を押し開けた。
直後飛び込んで来たのは陽光と透き通るような風。
室内だと思って完全に油断していたベリルは
堪らずグッと瞼を閉じて顔を背けた。
が、その変化にも慣れて再び目を開けてみると
其処には天上から地下へとブチ抜かれた、
退廃的な『吹き抜け』があった。
「これは……砲撃の痕ですか」
「砲撃って、え!? 人間の攻撃でこうなったの!?」
「然り。当方の元となった魔物たちは、
かつて――此の地にて灼き尽くされました」
崩れた道を下りながら、
草が侵入して割れた壁面に手を添えながら、
ベリルは当時の状況を語る煤霊の話に
しばしの間、耳を傾けた。
それは遡る事、六年前。
当時の人類は勇者パーティの活躍もあり、
魔王軍にも強気に出られるほど勢い付いていた。
その究極形として人類は大連合軍を組織して、
各地の魔王軍拠点に一斉攻撃を仕掛けた。
南の廃城もその標的の一つとなる。
大挙として押し寄せて来た人間たちとの戦いは、
苛烈を極め、約八ヶ月もの間続く事となった。
その間に魔王城からの救援は無し。
躍進する勇者パーティの対応で手一杯だったのだ。
「魔物たちは敗北を確信し最期の攻勢に出ました
……まぁ言ってしまえば特攻ですね」
「どう、なったの?」
「……あくまで当方の脳裏にこびり付いた光景ですが、
無惨というより他に無い結果でした」
この時期の人類戦力は大半が自律駆動の魔導機構。
人型の機械が生身の兵の壁となって最前線に立つ。
その壁を、弾幕を越えなければ人は殺せない。
一人でも多く敵を道連れにしたくとも、
その叫びは感情無き砲撃の雨音に掻き消された。
「築かれるのは魔物の屍肉と歯車の残骸の山のみ
その結末は、さぞや悔しかった事でしょう……
そんな魔物たちの怨念の集合体が、当方なのです」
「そう、なんだ……」
「ま、ぶっちゃけほとんど記憶に無いんですけどね!
当方も他人の書いた記録を見ている感覚です!」
「なんだコイツ」
暗い感情の一つも見せる事無く、
ペツはそのまま奥の方へ飛んで行く。
彼の後を追ってみれば其処には、
差し込む陽光に照らされた一輪の花と、
それを取り囲むように設置された、
魔物の骨の山があった。
一所に安置されている様子から察するに、
恐らくペツが一個一個運んで来たのだろう。
やがて火の玉はそんな魔物たちの遺骨の上で
何度も輪を描くように跳び回ると、
その内の一つに憑依し、骨の魔物となった。
「さて、用向きは当方の勧誘でしたか?」
「ええ。『炎の魔物』――煤霊ペツ
君の力を私たちの未来のために使わせてください」
「無論喜んで! ……と言いたい所ですが」
「何か問題でも?」
「当方に与えられた命令は未だ撤回されていません
この城に居た魔物たちの集合体が当方である以上、
人間どもからこの城を守り抜く義務があります」
「「なっ!?」」
驚きのあまりベリルは勿論、普段冷静なギドですら
開いた口がふさがらないといった様子だった。
だが対する煤霊だけは「当然の事」と判断している。
既に魔王軍は崩壊しているのに、
とっくにこの城は戦略的価値を消失しているのに、
未だにペツは城を守る番人である事に固執していた。
「で、では命令です。その任から外れなさい」
「ハハ、お気遣い感謝しますギド様
ですが当方に動かせるのは魔王様か四天王のみです」
「むぅ……」
「それに魔王軍の現在だとか、世界情勢だとか、
そう言った変数は当方にとって最早無価値なのです
当方は何があっても城の防衛から外れません」
「なん……で……?」
圧倒されて震えた唇で、恐る恐るベリルは問うた。
すると煤霊は操っていた骨の体から抜け出すと、
その遺骨の上を漂いながら静かに答える。
「その命令こそが彼らの――戦う理由だったからです」
呟くように、黒い火の玉はそう告げた。
〜〜同時刻・とある道〜〜
高く登った太陽も
数時間後の夕刻に向けて下がり始めた昼下がり。
ギドたちも利用した南の廃城へと続く道を、
その何十倍もの頭数で進む者たちがいた。
それらのシルエットは十人十色。
きっと普段は別々に行動しているのであろう面々が
たった一つの、共通の目的のために集っていた。
彼らが狙う物が何なのかは明々白々。
その『集団』は明確な敵意を持って進軍していた。
「もうすぐだ、全員、気ぃ引き締めろ――」
~~~~
煤霊の事情を知ったギドとベリルは
一先ず勧誘の話を取りやめ休息を取っていた。
と言ってもギドの方はまだ諦めてはいないようで、
ペツの話し相手をベリルに一任すると
再び廃城内の調査をすると言って消えてしまう。
残された魔物の仔は膝を抱えて座りながら、
会話という行動そのものを楽しむように
八の字を描いて飛び回るペツの話を聞いていた。
そんな中でベリルは不意に口を開く。
「ねぇペツ?」
「何でしょう、ベリル様?」
「……さっき言ってた『戦う理由』ってさ?
当時特攻して逝った魔物たちがそう言ってたの?」
「いいえ」
「やっぱり……」
「ほう? やはり、と返しますか」
やや驚くペツに答えるように
ベリルは自分の推理を言葉に変える。
そもそもペツは記憶面に欠落のある魔物であり、
当時の状況にもまるで実感が無い様子だった。
そんな彼がハッキリと断言した事自体に、
ベリルは少なくない違和感を覚えていたのだ。
対して、少年の推測を聞いた煤霊は感心し、
再び魔物たちの遺骨の上へと移動すると、
その白骨化した顔を見つめながら答えを返す。
「当初、当方には戦う理由がありませんでした」
煤霊として成立した直後のペツは不完全。
彼の中には人間に対しての
燃え上がるような敵意と怨念があったというのに、
何故恨むのか、何故戦うのか、何故燃やすのか、
その動機だけが綺麗に欠けていた。
それではとても、収まりが悪い。
故にペツはその動機を後付けする事にした。
自分の人格の元となった魔物たちの信念を、
特攻を実行するに至ったその想いを、
炎の魔物――『煤霊ペツ』の戦う理由として
採用する事にしたのだ。
「そうして考察してみた答えが『命令だから』です
正直実感はありませんが、理解は出来ます」
ベリルは俯いたまま「そっか」と呟き、
同時に積み上げられた遺骨の一つを拾い上げた。
煤霊の元となった魔物たちの『戦った理由』。
そんな物、当時を知らないベリルに判る訳が無い。
それでも妙に胸に引っ掛かる物があり、
ベリルは我が事のように本気で悩んだ。
悩みに悩んで、やがて少年は
ある人物の顔を思い出していた。
(モルガナ――)
その時一つ、答えのような物を得た気がした。
と同時に少年は視線を僅かに横へとずらし、
魔物の骨に囲まれた一輪の花を見る。
まるで彼らの遺骨で護られるように咲く、
小さく、か弱い、そんな花を。
「ねぇ……ペツ?」
「一発芸『骨ランタン』」
「すごく真面目な話だからちゃんと聞いて?」
「失敬。如何しましたかな?」
「いやその……僕なら、僕ならさ?
上からの命令ってだけじゃ死ねないかなって……」
「――! ではどんな理由だとお考えで?」
「きっと、彼らは――」
刹那、血相を変えたギドが部屋に飛び込む。
彼はベリルの姿を確認するとすぐに
怒鳴るようにして状況を説明した。
「ベリル! すぐ離脱の準備を! 敵襲です!」
~~~~
時刻は夕刻。
城の外周に現れたのは
炎の魔物の討伐に来た人間の戦士が数十名。
腕に覚えのある冒険者やその仲間たち、
そして先頭には黒い軍服を来た男が数名居た。
その中の一人が、拡声器を取り出し言葉を放つ。
『聞こえているか!? 炎の魔物よ!
貴様の正体は昨夜の冒険者が見事に暴いたぞ!』
(……ペツ。昨夜の冒険者って?)
(きっと当方が丸焦げにしてやった人間の事ですね
えっ、彼あの状態で街まで帰還したのですか!?)
『その者は街に辿り着いてすぐ力尽きたが……
最期の力を振り絞って我々に情報をくれた!』
ズバリ、と言葉を繋げると、
先頭の男はコートと軍帽を脱ぎ捨てる。
そして明らかな戦闘モードに切り替えると
高らかに宣戦布告するかの如く言い放つ。
『貴様の正体は、黒き竜だな!』
「……大した情報は漏れていないようですね」
自信満々な不正解を聞きペツは安堵の声を漏らす。
――と同時に霊魂は崩れた壁面から外に出ると、
バラバラになった魔導機構に憑依し
再び廃城を守護する黒炎竜の姿となった。
そしてどこかぎごち無さそうな動きで振り向くと
彼は魔物の客人たちに向けて言葉を飛ばす。
「ここは当方が引き受けます
御二方は速やかにこの城から離脱してください」
端的にそれだけ言うと、
黒炎竜は翼を羽ばたかせて赤焼けの空に飛ぶ。
未だ人間たちに存在がバレていないベリルたちを
この場から逃がすための囮役を買って出たのだ。
その事を正しく理解していたからこそ
ギドもまた速やかにベリルを抱えて走り出す。
直後、二人の後方で複数の爆発音が連鎖する。
青色の光弾が空へと飛び散り、
業火を放つ咆吼の音が大気と共に鼓膜を揺らした。
やがてギドが城の外壁にまで辿り着くと、
其処からは焔魔が交戦する様がよく見えた。
「……? 動きが鈍い?」
「……煤霊は憑依した物同士を煤で結合出来ます
が、それをすればする程、運動性能は下がります」
「じゃあもしかして?」
「恐らく、ベリルとの戦闘で一度破壊された事で
連結に費やす労力が増えてしまったのでしょう」
「っ……!」
人間たちは武装型の魔導機構も導入していた。
その弾幕の前には動きの鈍い黒炎竜などただの的。
青白く発光する魔力の砲弾が何度も竜に直撃する。
(ぬぅっ……これは流石に……!)
無数の攻撃が借り物の体ごと思考を揺らす。
反撃しようにも完璧に組まれた敵の陣形は堅く、
破れかぶれの焔や火炎弾では簡単に弾かれた。
人間の知恵。文明の利器。数の暴力。
嫌な記憶の断片がフラッシュバックする。
(グゥッ!! 人、間ッ……!!)
憎悪に薪が焼べられる。
冷静な思考を真っ黒な煤が覆い隠す。
戦術行動を取る敵前でその状態は却って致命的。
例え両者の戦力差が十分に覆せる物だとしても、
その勝機を見極め、もぎ取る理性が其処には無い。
やがて――数発の弾丸が竜の胸を撃ち貫く。
竜に灯された焔は今にも潰えそうで、
霊魂は自身の敗北と消滅を予感していた。
(かくなる上は……この身を以て!)
窮地において奇しくも煤霊は
生前の魔物たちと同じ結論に辿り着く。
即ち、自身が持つ圧倒的質量による特攻だ。
炎の魔物はその狂気の引き金を引くために、
己が定義した『戦う理由』に問い掛けた。
が、その時僅かにペツの中で何かがズレた。
命令の遂行。所属組織への忠誠心。
平時ならばそれらは抵抗もなく受け入れられた。
しかし今は違う。今だけは違う。
命の危機が現実味を帯びて首筋に迫る時、
戦士の魂は理屈と感情との乖離に悲鳴を上げた。
直後、彼の翼が爆発する。
人間たちの放った攻撃が直撃したのだ。
その結果ペツは空中での制御を失い、
特攻する事も叶わず地上へと向かって行く。
霊魂は眠るようにその終焉を受け入れようとした、
が――
「ペツっ!」
「!? 待ちなさいベリル!」
その時、堪らず少年が保護者を振り払い、
人間たちに見つかるリスクも考えずに
自身の翼を広げて飛び込んで来た。
その姿はペツも竜のセンサーで認識しており、
大慌てで借り物の翼を気合いで連結し直した。
そして竜の巨躯が死角になったのも相まって、
二人は人間たちに気付かれる事無く合流する。
同時にペツは「何をしているんだ!?」と
問い質すかのような咆吼を上げるが、
煤の煙で覆われた彼の体に張り付くベリルは
その怒号もお構いなしに霊魂に語り掛けた。
「聞いてペツ! さっきの話の続き!」
再び飛翔した竜を狙って、
地上からの猛攻は更に激しさを増していく。
だがベリルは表面にしがみついたまま
叫ぶように竜の耳元に声を飛ばし続ける。
命を賭す者の戦う理由。
それは上からの命令だけでは断じて無い。
少なくともモルガナはそうでは無かったはずだ。
彼女は誰に命令された訳でも無いのに、
命懸けで人類の銃口から魔物の仔を庇おうとした。
その理由をベリルは心から理解する。
「『護りたかった』んだよ!
魔物たちは命令だから特攻したんじゃない!」
「――!」
「彼らは護りたかった! この城を、この家を、
この地に咲いた、あの何でも無い一輪の花を!」
かつて庇護対象だった少年の声は、
彼が示した『戦う理由』は、
恐ろしいほど滑らかに
煤霊の中へと溶け込んで行った。
それが本当に魔物たちの
戦う理由だったのかは分からない。
それを検証する術など何処にも無い。
だがそれでも、煤霊の魂は心から納得していた。
(嗚呼、それは何とも……燃える動機だ)
「それと! もう一つ!」
「?」
「僕は将来、もっともっと力を付けて魔王になる!
だから煤霊ペツ! 今日から君は僕の部下!」
「!」
「新たな魔王から命令! ――自由になれ!」
ベリルはペツに同情していた。
一箇所に囚われる不自由な彼の在り方を
過去の自分と重ねて苦しく思っていた。
故に彼は心から叫ぶ。解放を叫ぶ。
過去の命令に従い続ける亡霊の魂の解放を。
(……随分と優しい魔王が居たものだ)
直後、黒炎竜は体外へと大量の煤を放出する。
夕刻の世界を黒く染め上げる程の黒い塵が、
その場に居る全員の視界を数秒ほど覆い尽くす。
と同時に彼は反動を付けて身を捻り、
肌に張り付くベリルを外へと投げ飛ばした。
「え?」
それは狙って出力された行動だったのだろう。
ベリルは地上から駆け込んで来ていたギドに
キャッチされて無事に敵の射線から外れる。
またその直後ペツは再び雄叫びを上げて、
遥か上空へと炎を纏いながら急上昇していく。
「っ――!? 待って、待ってよペツ!!」
「ベリル! 今度こそ離脱しますよ!」
「止まってよギド! ペツは……!」
「分かってます! もう一度特攻するつもりですね!
しかも今度は――今度こそ貴方を逃がすために!」
ギドの発言を肯定するように、
燃え盛る竜は途端に高度を落とし始める。
今度の焔に、一切の躊躇は無かった。
「違うよペツ! そんなつもりじゃ……!
そんな事をして欲しくて伝えたんじゃない!」
業火の熱で天が染まる。
流星の如くソレは墜ちる。
「僕は――!」
慌てふためく人間たちの頭上から、
燃える怨恨は落着した。
直後その業火は地上全体へと広がりを見せ、
そして終には――南の廃城全てを焼き焦がす。
〜〜同日深夜・南の廃城跡地〜〜
炎の魔物が討伐された。
あの大爆発から生還した者が居たのだろう。
その一報がオラクロン大公国に伝わるのに
大した時間は必要とされなかった。
「……っ」
安全が確認されるとすぐに
ベリルは廃城跡地へと舞い戻った。
星々に照らされた夜はとても肌寒く、
辛そうな瞳の少年は思わず身を震わせる。
「ペツっ……!」
「はい。何で御座いますかな?」
「んん!?」
少年の寒さを黒い焔が吹き飛ばした。
「あ!? え!? ん!? え!? 何で!?」
「まさか当方、死んだと思われていましたかな?
あれは噂の炎の魔物が滅んだと思わせる行動
人間たちの目を騙くらかすための演技ですぞ?」
「あ、そうなの!?」
「当然です。これからは新たな主の下で
真の忠節を誓うのですから
身辺整理をするのは社会の常識かと」
「――!」
言葉の意味を理解して感極まったベリルの前で
火の玉はその輝きを増して礼を尽くす。
そして厳かな声色で改めて宣言した。
「憑依生命体、煤霊ペツ、通称『焔魔』!
当方の炎、存分にお使いください――我が君!」
少年は迎え入れるように手を伸ばす。
燦然と輝く星空の下、幼き魔物の手の中で、
炎の魔物の放つ暖光は玉響の舞が如く揺れていた。




