弐拾肆頁目 人間兵器
~~少し前・帝国博覧館正面~~
燃え広がった戦の焔は
じわり、じわりと終息へ向かい、
祭典のために設けられた円形の式典の場には
踏み躙られた飾りといくつかの死体が転がる。
ある者は引き千切られた機械の腕に胸を貫かれ、
またある者は無念そうな首のみを遺し、
そうしてある者は虚な瞳で空を見上げた。
戦火の喧騒は遥か遠く、静寂が統べる寒夜。
その刹那に剣戟を合わせるのは
ベリルと北限解放軍が雇った在野の剣豪。
「魔物滅殺ッ! キェエエエエエエ!!」
「う、る、さぁ!」
火花が散ると同時に天魔は翼を広げ、
くるりと回って返す手で再び黒刀を振るう。
上段から即座に下段。翻って後背への横薙ぎ。
それを剣豪は僅かな動きで的確に受け切り、
逆手で引き抜いた鞘をベリルの顎に当てた。
それは僅かに掠っただけだったが、
少年の脳を揺らすには十分。
ぐらりとバランス感覚を失った足は
力なく倒れて膝を突く。
「終いだッッ! キェエエエエエエ!」
「だから、うるさいよ」
剣を振り下ろそうとした正にその瞬間、
魔物の仔より放たれた突風が
剣豪の一太刀を事前に阻害する。
思わず目を閉じてしまったのが運の尽き。
雇われの剣豪が再び目を開けたのは、
胴に突き刺された刃の痛みに
体が反応してのものだった。
「我が祖国、チョーカに……栄光、あ……!」
「……ふぅ、結構手間取った……」
顔を拭い、汗を拭き、血を払拭する。
されど失った魔力は戻ってこない。
元よりこの帝国への旅路において
彼ら魔物はあまり多くの補給が無かった。
最低限行動できる程度の食料では
一戦か二戦ほど戦い抜くのがやっとで、
ここに至るまでにも決して
楽ではない連戦に見舞われたベリルは
遂に魔力の底が見え始めていた。
「ここまで来たけど……」
見上げるのは間近の帝国博覧館。
塔の如き威容を放つ七階層の最終ダンジョン。
挑むにはやはり、最後の補給が必要だ。
「ちょうどここには、いっぱい転がってる」
~~~~
同じく区画としては万博中央部。
されど帝国博覧館を挟んで反対側。
生い茂る木々を、青い焔が焼き払う。
爆心地は地上の一角。
その中心にて構えた刀を下すのは
赤い具足に身を包んだ異国の剣士。
明らかに機械な鎧を装備した、
波羅の国の蛮族、通称『侍炉流』。
彼は今、割れた仮面の隙間から
熱の籠った溜め息を漏らす。
(ここら一辺、丸ごと焼いた……)
斬撃と同化した炎の一閃。
燃え盛る火の粉が飛び散り大地を砕く。
この攻撃に耐えきれる物体は多くは無い。
並みの敵対者であればこの雑な範囲攻撃で
炭すら残さず消滅していただろう。
が――
(……既に六度は殺したはずだがなぁ)
――今対峙していた女は並みでは無かった。
当代の聖騎士団長ラルダ・クラック。
彼女は迫り来る業火も襲い掛かる斬撃も、
全てその『速さ』だけで避け切っていた。
気付けば彼女は侍炉流の背後を取る形で、
積み上がる瓦礫に剣先を刺して避難していた。
「あっぶなぁ! バカスカ燃やしすぎよ!」
『……拙者は未だその速さを見切れぬ、か
フン。未熟者め。鍛錬が足りんようだな』
(自分に言ってるし……)
『されど、攻めあぐねているのは汝も同じ
そうであろう? 異国の女剣士!』
「……」
侍炉流の指摘は概ね当たっていた。
ラルダの攻撃は速さこそあったが軽く、
焔の鉄騎を貫くに足る攻撃力は無かった。
彼女の突きは岩に風穴を開ける事も可能だが、
今の相手にそれではあまりにも足りない。
故に導き出される勝機は一つ。
鉄騎の仮面に走る、縦に開いた一筋の亀裂。
どこの誰が入れたのかを知る由もないが
その僅か十数センチの、生身の部分だ。
『さて、汝の糸は針に通せるかな?』
「挑発的ね。嫌いじゃないわ――」
次の瞬間、空気が揺れて少女が消える。
彼女の居た空間は一瞬歪んだようにも見え、
迸る鮮緑の魔力が余波だけで周囲の炎を消す。
次にラルダが現れたのは侍炉流の右側後方。
殺意に満ちた眼光がギロリと輝き、
それに反応した剣士が咄嗟に刃を振るう。
だが彼の刃が裂いたのは虚空。
気付けば少女は鉄騎の頭上に飛び上がり、
回転を付けてその脳天に斬撃を叩きこむ。
ガァアンと響くは金属同士の衝突音。
装甲の突破は叶わないが、頭部は揺れた。
波羅の剣士はよろめく体を
一歩踏む出した片足で踏ん張り支え、
周囲一帯を焼き払う業火を産み落とす。
しかしそれは先程のまでの行動の繰り返し。
同じ技は、人界の守護者に効きはしない。
「エルザディア聖剣術――」
(また上!? いや、なんだその高度!?)
気付けばラルダは敵の上空遥か彼方、
戦場全体が俯瞰できるほどの高さにいた。
そして捻った体を戻すと同時に、
自らの細い剣と腕に特大の魔力を込める。
「――『聖断のブレイブ・フォール』ッ!!」
『ヅっ!?』
落着せし妖星が桁違いの爆風を生む。
溜め込まれたラルダのエネルギーは
着弾と同時に四方八方に放出され、
爆心地を軸に同心円状に広がった。
さながらそれは鮮やかな閃光の激流。
解き放たれたエネルギー波は
侍炉流の体を容易く突き飛ばす。
(いかん! これは――!)
(体勢が崩れた! 今だ!)
出来上がったクレーターの真ん中から、
ラルダは一直線に標的の元に駆ける。
まるでそれは地表を征く一陣の流星。
緑の光星が切っ先を立てて刺し迫った。
が、彼女の刃が顔の傷跡へ
侵入しようとした、まさにその時、
波羅の剣士はその動きを見切って刀で防ぐ。
それと同時に、侍炉流の具足が変形した。
動いたのは胴を守る黒い胸部装甲。
その中心が僅かに開き、
内部からはスピーカーが出現した。
『――地獄八熱・叫喚ッ!』
轟くは大地も抉る音響攻撃。
スピーカーより放たれた音は衝撃波となって
ラルダと彼女の周囲一帯に負荷を与えた。
それは防御不能の貫通技。
聖騎士団長は咄嗟に両腕を交差させたが、
何一つ影響を与える事は無かった。
「ッ!? ぁああ!?」
そうして彼女は遂に吹き飛ばされて
背中から地面に倒れ伏す。
頭部を、ダラダラと滴る血で染めながら。
『汝が最後に狙うのは、この傷だ』
あまりにも露骨な弱点なら戦術に組み込める。
そこを狙っていると分かっているのなら、
例え彼女の速度に追いつけなくとも
波羅の剣豪はいくらでも対応が出来る。
何故ならトドメの一撃は、
必ず真正面から顔に向けて来るのだから。
『剣の動きで遅れを取る訳にはいかぬ故な
真に勝機を見たのは、拙者の方でござった』
剣士の声にラルダは反応を示さない。
それどころか背中から大の字で寝そべり、
口を半開きにしてピクリとも動かない。
――多分死んだかもしれない。
そんな思考が一瞬確かに脳裏を過ったが
波羅の蛮族は強者の首は取らねば気が済まない。
ラルダの横に転がる細剣にも警戒を向けながら、
紅蓮の鉄騎は彼女に一歩ずつ近づいた。
~~同時刻・公国博覧館~~
「ふむ。騎士にも犠牲者が出ましたか」
後遺症でセルスとの戦いを忘却しつつも、
蘇生を果たしたレオナルドから話を聞いて
枢機卿アメル・ディストは溜め息を吐く。
彼が耳にしたのは聖騎士の訃報。
ナバール王の暴走車からレオナルドを救うため
犠牲となってしまった仲間についてだった。
彼の隣では同じく聖騎士のアイリスが
目に涙を浮かべて唇を噛む。
そんな彼女の真横には、
会話を盗み聞きする大公の顔があった。
「ぬぅおあ!? おばけ!!」
「オラクロンの大公陛下ですよアイリス
ビクスバイト殿。若いのが失礼しました」
「聖騎士の死。一大事ですなぁ枢機卿」
どこかわざとらしいその言い回しに
最も肝を冷やしたのは意外にも公国側の面々。
特に公国の闇を知るガネットに至っては、
速やかに逃げ隠れるブルーノを横目にしつつ、
万が一を想定し警戒態勢でいた。
しかし、そんな彼らをまるで煽るかのように
大公オスカーは枢機卿に物申す。
「魔王軍壊滅以降、エルザディア聖騎士団が
弱体化したという噂は事実だったのですかな?」
「「……!」」
「ははは、不名誉な噂ですねぇ」
「口さがない輩はいつの時代にも大勢いるもの
特に、団長が小娘ではそうもなりましょう」
「「ッ――!」」
ピリつく周囲とは逆を走り、
枢機卿は困り眉の笑顔で受け答えを続ける。
「魔王健在時からの熟練騎士は減りましたね
それこそ、齢十六の『小娘』が形式上は
団長として振舞えてしまうほどにね」
笑みが零れる。
しかしそれは嘲笑でも自嘲でもない。
「でもね大公陛下。少なくとも次代は育ってます
特にラルダは出所不明の憶測が語るほど弱くない
しっかりと聖騎士団長に足る器ですよ」
彼の返答は肯定であり、否定であった。
過去の名誉を築き上げた騎士は去ったが、
それに代わるだけの存在は既に在る、と。
聖騎士団長ラルダの名を指し担保する。
その証明の一つとして、
彼は籠手に魔力を込めて術式を作動させる。
直後、彼の手にはハルバードが握られた。
「騎士団の技術、格納魔法はご存知ですか?」
「……籠手に刻まれている基本術式でしたか
確か、一定重量までの物品を仕舞えるとか」
「ええ、そうです
大体は武具一個程度で許容量となるますが」
「ラルダ・クラックは違う、と?」
「ふふ、台詞を盗られちゃいましたね」
~~~~
『ッ――!?』
鉄騎が気付いた時には既に、
ラルダは飛び掛かって
彼の腰回りに己の足を巻き付けていた。
そして彼女は籠手を光らせると、
人差し指に宝玉の付いた指輪が出現した。
彼女はその指で銃の形を作ると
侍炉流の亀裂にその銃口を向ける。
刹那、解き放たれたのは細いレーザービーム。
侍炉流は首が折れんばかりの速度で
辛くも回避し、そのままラルダを払いのける。
が、次の瞬間彼の首裏には強い負荷が掛かり、
ラルダの居る方向へグッと引き寄せられた。
よく見れば彼女の手には、
主刃の他に片刃が付いた槍が握られていた。
『ぬぅ……貴様!?』
「貴方、私を異国の女剣士って言ったわよね?
でも残念。剣の習熟度は普通くらいかな」
(これは……!)
引き寄せた果てに見舞われた鋭い蹴りが
鉄騎の体を大きく仰け反らせる。
勿論そんな物でダメージは入らないが、
心に受けた衝撃までは無視出来ない。
よろめく剣士が再び顔を上げた時、
彼女は槍で器用に細剣を拾い上げつつ、
一方の手に指輪と片手斧を携えていた。
~~~~
「我らが団長殿は、七つの武具を換装して戦います」
~~~~
彼女が操る七つの武具とは即ち、
細剣、鎌槍、長巻、大弓、小斧、刃盾、指輪。
これらは特注品ではあるが
特別何か伝説や異名を持つ物では無い。
しかし、父ヴェルデが討たれてからの十年間、
元勇者パーティの僧侶と彼の同僚たちによって
徹底的に鍛えられたラルダの手に掛かれば、
七つの武具はそのどれもが必滅の神具と化す。
槍に引っ掛けられた細剣が
数度の回転の後に射出されて先陣を切ると、
それを避けた侍炉流の顔を指輪のレーザーが狙い、
同時に真上から回転の付いた小斧が襲来した。
波羅の剣士はそれらを辛うじて刀で弾くが、
小斧は地面に落ちるより先に持ち主の手に掬われ、
細剣と小斧の二刀流で更なる猛攻が叩き込まれた。
(あぁヤバい、どうしよ……楽しくなってきた)
頭部から血を流すその顔に笑みを浮かべ、
聖騎士団長は胸の前で槍と剣とを交差させる。
直後その二つは振るわれると同時に斬撃波を生み、
防御する異国の鉄騎を吹き飛ばした。
(ッ! 不覚、不覚、不覚。見誤った……!)
元々ラルダは恐ろしいほど速い。
少しでも気を抜けば視界から外れてしまう。
面と向かって真正面に対峙していても、
上下左右に揺れ動く姿は偶にパッと消えた。
そして次に現れる時には、武器が変わる。
(剣、いや指輪か!? まずい槍! いや盾だ!)
最低二種類、最大四種類の並行使用。
対応法の違う七つの武具の絶え間ない換装。
次から次へと変わる武装を前に、
侍炉流は明らかな動揺を見せていた。
(拙者はこの者を剣士と思っていた……!
剣であれば、簡単に対応が出来ると!)
しかしそれは大間違い。
波羅人にとって見慣れない武具も含む猛攻は
全く見切れない彼女本体の速度も相まって
想像以上の脅威と化す。
例えるならばそれは――等身大の人間兵器。
加えて彼にとってもう一つ問題だったのは
他ならぬ仮面の損傷。海魔の付けた傷だ。
僅かに露出した生身の部分は、
度重なる業火の放出で異変を見せ始める。
彼が機械ではなく人間であるが故に、
全てを灰燼に帰す焔は
使用者にも容赦無く悪影響を与えたのだ。
精々大技を撃てるのはあと一回が限度。
極東の蛮族は此処が分水嶺と予見する。
(どの道、奴もこの傷を狙うより他に無い!)
「――遊び過ぎね。終わらせよっか」
(ここが正念場よなッ……!)
侍炉流は再び胸の機構を解放する。
先ほど放たれた音響攻撃用のスピーカーだ。
それに反応し、ラルダも慌てて飛び退いた。
がその瞬間、胸の機構は収容され
代わりに両肩の武装が大筒へと変形した。
『掛かったな! ――地獄八熱・大焦熱!!』
「ッ!」
世界が一瞬、白く染まる。
感光する世界はやがて焔を認識し、
遅れて爆音と衝撃波を叩き起こした。
戦場に転がる諸々の瓦礫は吹き飛び、消え去り、
その跡地には真っ直ぐ伸びる傷跡が遺る。
黒焦げの大地には、最早生者の姿は無かった。
『ッ! かハッ!? ……限界、か』
火も絶えた剣を大地に突き刺し支えとして、
侍炉流はオーバーヒートした武装を冷ます。
顔の傷口から飛び込む熱はやはり害悪で、
僅かに覗く生身の瞳は真っ赤に充血していた。
これはしばらく休む必要がありそうだ。
剣士がそう認識した、その時――
「エルザディア聖弓術」
――彼の背後に、それは居た。
また何度も容易く背後を取られて来たが、
今度の殺気はそれまでとは比較にならない。
周囲の光を吸収して輝く大弓は、
剣士が振り向くよりも早くその背を撃つ。
「『咎焔のジャスティス・レイ』!」
『ッ――!』
光を認識した時、波羅の剣士は同時に悟った。
ああ、この女は全く本気では無かったのだ、と。
自分の投げた挑発に乗って、
顔の傷跡を狙う的当てに付き合っていたのだと。
何よりもそれを確信を与えていたのは
彼女の放った光が彼の広背筋辺りに直撃した事。
其処は装甲の中でも十分に硬い部位で、
結局、大弓での一射でも貫通には至らない。
至らないが、威力を相殺する事も出来なかった。
受け流せなかった衝撃は全身に伝わり、
耐えきれなくなった両の足が容易く揺らぐ。
その後に待っていたのは横転と飛翔。
波羅の剣士は、極太な光の矢に吹き飛ばされた。
(いつでも倒せた! いつでも倒せたのか!?)
激流が如き光の中で、
彼は恨み節にも似た嗚咽を漏らす。
されどそれを面と向かって言う事は出来ない。
『不覚ぅぅううううッ――!!』
波羅の剣士は光の消失と共に姿を消した。
やがて静まり返った世界の中で、
若き聖騎士団長は吐息と共に
残心を終える。
「直さなきゃね。気分が乗っちゃう悪癖は」
異国の剣士対決、勝者、ラルダ。
他の者では攻略困難であろう難敵を
当代の聖騎士団長は打ち破った。
~~~~
一戦を終えたラルダは額の血を拭い一息つく。
彼女の経験上、このレベルの敵は基本ボス級。
倒せばその時点で戦闘は終了し、
後は部下に任せて休息を取って良かった。
だが今回ばかりはそうもいかない。
彼女は魔力残量が十分である事を確認すると
帝国博覧館の正門を目指して移動を再開した。
道中見える景色は昼に見たそれとは全くの別物で
視界の端に映る戦火と微かに聞こえる爆発音が
彼女に各地でも強者同士による大きな戦闘が
未だ続いている事を容易く予感させた。
(侍炉流くらいの敵がまだいるのかな?
……皆は無事? 誰も欠けてないわよね?)
じんわりと滲み出すのは不安の色。
仲間の実力を疑っている訳ではないが、
事実以上に過大評価もしていない。
自分では損傷を与えられなかった鉄騎。
そして恐らく彼の具足に傷を付けた何某。
強者はいる。偶発的に遭遇してしまう。
自分でも気は抜けない相手が大勢いる。
(――ベリル君は、大丈夫かな?)
ふと、雑念ともいうべき思いが紛れ込んだ。
湧き上がる仲間への不安にかこつけて、
出会って間もない少年への心配が現れた。
されどそれほどまでにあの夜の出会いは
彼女にとって輝かしく尊い経験で、
彼の顔を思い出すだけで
思わずその口元は緩んでしまう。
それを自覚し、彼女は焦る。
ここは戦場。気を引き締めなければと、
まるで鎮静剤でも打つかのように、
保存された黒い羽根を取り出した。
父の仇と思しき魔物の羽根を。
(……っと、もうすぐ着きそう)
羽根を再び懐に仕舞い、
彼女は目的の場所へと滑り込む。
帝国博覧館の真正面。
祭典のために設けられた円形の式典の場には
踏み躙られた飾りと無数の血痕が散らばるが、
どういう訳か、死体の姿は一つも無かった。
代わりにあるのは死人の物と思しき衣類や装備。
そして――肉を咀嚼する黒い翼。
「え――?」
血の気が引いた。目を疑った。
それはずっと想像していた仇の造形。
同時に、好感を抱いた少年の輪郭。
「ベリル……君……?」
「ッ!? ラルダ・クラック!?」
「なに、その、翼……?」
(まずいッ! ここで聖騎士団長は……!)
(逃げようとしてる。あ――そうなんだ)
騎士は鎌槍を出現させ、
倒れてしまいそうなほど前に屈む。
と同時に彼女の視界に映る景色は線画となり、
その集中線の果てにある標的のみを捉えた。
どれほど心が乱れようとも、
聖騎士団長という肩書の人間兵器は動作する。
そして速さは、言うまでもなくラルダの圧勝。
逃れようとする魔物の仔を捉え、
彼女の鎌槍が一直線に伸びていく。
ベリルは翼と黒刀と風操作でそれを受ける。
受けてはみるが、流せない。
「ッ!?」
彼を突き刺す衝撃は
一直線に伸びる傷跡となって飛び散った。
そしてその一撃によって、
ベリルは彼方へと吹き飛ばされる。
その胴体に致命的な風穴を開けながら。
「ぐ、ふっ!?」
魔物の少年より溢れた返り血が
人の少女に降りかかる。
だが彼女はそれを拭おうとはせず、
彼が落としたもう一つを必死に拾う。
彼女が手にしたのは、少年の黒翼。
散って落ちた羽根の一枚。
それを自身の保管するソレと比較し、
僅かに残った淡い期待を自ら砕く。
「魔物……だったんだ」
脱力した手から槍は転げ落ち、
少女は空を見上げて放心していた。
やがて頬を付着した返り血が、
その濃度を僅かに薄めて滴り落ちる。
「ぅ……あ、ぁあ……! ああ!!」
食い荒らされた死肉たちの真ん中で、
少女は声なき嗚咽を漏らしていた。
~~十数分後~~
場所は変わって、帝国博覧館、内部。
幼帝アルカイオスは未だ第五層で隠れていた。
どうにかして下層を目指したかったが、
宰相相手に結局それは叶えらず、
思いつく限りの妨害をして時間を稼ぐ。
(どうにか階段の近くまでは来れたけど
くそ、僕もアドルフを見失っちゃった!)
周囲を見回してみるが人の気配はない。
というより、幼帝に人の気配は分からない。
元軍人である宰相アドルフに
本気で隠れられてしまうと
素人にはどうあっても見つけられないのだ。
意を決して階段まで走ってみるか、
或いはこのまま息を押し殺すか、
十歳のアルカイオスには
まだ自分で判断を下す力は無かった。
がしかし、
そんな彼にチャンスを与えるかのように
階段から複数人の足音が響く。
(誰かが上がってきた? 今か!?)
それが味方かどうかも分からないが、
少なくとも宰相からは逃れられる。
そう断じた幼帝は意を決して飛び出した。
階段までの道のりはそう遠くない。
加えてこの階段は一層までの直通コース。
最悪飛び降りてしまえばいいと
幼過ぎる脳みそは決断する。
が、その時、
並み居る商品棚を飛び越えて
天井スレスレを飛翔する宰相が現れた。
幼帝の足音を聞いて、
遠方から文字通り飛んで来たのだ。
そのあまりにも人間離れした動きに
アルカイオスは度肝を抜かれる。
そして宰相の持つ毛布によって
彼はあまりにも容易く包まれてしまった。
「大人しくしていただこう。陛下」
宰相は毛布の端をギュッと縛り、
まるで袋のようにして背中に担ぐ。
そして階段から登ってくる複数人の足音に、
彼はギロリと睨みつけて言葉を漏らす。
「邪魔はしてくれるなよ、皇太后」
そうして彼は急ぎ最上層を目指す。
第七層に保管された、天命理書の元へ。
幼き皇帝を持っていくために。
月明かりが美しい夜深く。
呪われた運命の歯車が回り出す。




