拾参頁目 可惜夜の忘我
かくれんぼをしよう、と提案された。
当時は六歳だった少女はそれに応じると、
スタートから僅か六秒で父を見つける。
何故分かったと心底驚く彼に少女は告げた。
――お父さんの事は何でも知っている、と。
一家は西のとある小国で暮らしていた。
父の生まれた国で、父が守り抜いた国。
魔王を討伐した英雄は凱旋後、
人並みの暮らしを、幸福を手に入れた。
特に背後関係も無い普通の女性と結ばれ、
その者との間に一人の娘を作り、
一人前を目指す一匹の父親であり続けた。
絵本を読んだ。ボールを投げた。
娘を投げた。妻に怒られた。
釣りを教えた。かくれんぼをした。
娘は父と過ごす時間が
この上無いほど嬉しかった。
隣人から聞く父の名声を聞く度に
自慢のお父さんだとそれはもう喜んだ。
こんな時間がこれからもずっと続くのだと
無垢な心は疑わなかった。が――
「勇者が失踪したらしい」
「ギルドがまた人員削減だとよ」
「これからは魔導機構の時代だな」
両親の喧嘩が増えた。
それは痴話喧嘩とは明らかに違う罵り合い。
何故そうなったのか、幼い娘には分からない。
けれども父の瞳は日増しに鋭く尖っていった。
――どこへ行くの?
ある日、父の背に向けそう問うた。
父はへの字の口を逆に曲げ、
不敵な笑みを浮かべて答える。
また、かくれんぼをしよう、と。
娘は喜び、それに応じる。
隠れるまでの猶予は五十秒。
父に聞こえる声で時を刻む。
さぁ探索開始。探すのは大得意。
しかしどこを見回しても父はいない。
結局それが、今生の別れ。
後日届いたのは父の訃報。
国盗りを企み、罪人として散った、
堕ちた英雄の自分勝手で哀れな末路。
咎人の名はヴェルデ・クラック。
元勇者パーティ戦士。勇者の成り損ない。
〜〜数週間前〜〜
其処はチョーカ帝国から遥か西。
オラクロンも、セグルアすらも飛び越えて、
多くの国が乱立している地方の荒野。
その一角に佇む拠点が一望出来る高所にて、
緑の鎧を纏う軍団が列を成す。
組織の名は『エルザディア聖騎士団』。
人界において最強との呼び声高い戦闘集団。
今回与えられた任務はとある組織の殲滅。
長らく西側諸国の紛争を裏から操ってきた、
戦争仲介商会の殲滅である。
「うわっ、あの旗センス無いっすねー」
望遠鏡を覗き込み軽薄そうな声を上げたのは
尖った銀髪を携える若手の騎士。
緑と白の鎧は他の騎士と調和しているが、
それらを包むマントの色は奇抜な紫。
何より他の騎士が兜で顔を隠しているのに対し、
その若者だけが素顔を晒して笑っていた。
否、この場で素顔を晒しているのは
彼の他に、もう二人。
「そう思わない? リッシ―?」
「金貨と剣が交差したデザイン
欲と暴力まみれの彼らにはお似合いなのです」
「ハハッ辛辣ぅ! けど違いねぇ!
裏に書いてる文字は『セール実施中』かな?」
「『返品不可』かもなのです」
答えたのはサラサラとした金髪の少女。
全体的に短めな髪ではあるが、
前髪の片側は目に掛かるほどに長く、
ボソボソとしか喋らないその横顔からは
表情が読み取りにくかった。
だがリラックスしている事だけは分かる。
これから敵組織を殲滅しに行く場面で、
他の騎士たちとは違い二人は談笑していた。
「戦闘前に随分と余裕そうね」
故にそれを窘める声が一つ。
現れたのは兜を着けていない三人目。
代わりに装着していたのは赤い眼鏡。
ウルフカットの黒髪を風に靡かせて、
その少女が割って入る。
「お疲れ様っす。ラルダ団長」
「はいお疲れ様、レオナルド
見張りとしての成果を聞かせて貰おうかしら?」
「うす。敵拠点は古城を改装した即席の要塞
けれども流石金持ち、装備の質が良い
食いあぶれた冒険者も何人か雇っているようで
中々どうして、隙が無い配置も出来てる」
「冒険者? そう……」
眼鏡のレンズを光らせて、
ラルダは何やら物思いに耽る。
一体彼女が何を考えているのかは、
その血筋を思い出せばある程度想像出来る。
が、レオナルドと呼ばれた青年も、
もう一人の少女もあえて口には出さない。
やがてラルダ自身が
己で区切りを付けるのを見届けると、
待ってくれた両名に対して
彼女もまた団長としての顔で応えた。
「まず崩すべきは、四方を守る八つの櫓ね」
「うす。門を破るにも必ず邪魔になる関門
要塞の防御力を一段高めている所っす」
「了解。じゃあそこは私が潰します」
「え?」
ラルダは腰に携えた剣に手を伸ばす。
瞬間、背後では騎士団が臨戦態勢に入り、
彼女から与えられるであろう指示を待った。
あまりにも統率の取れたその様子に
ラルダもまた満足げに微笑んだ。
「総員。私からの指示は一つです」
そう言うと彼女はマントの下から両腕を晒す。
と同時に垣間見えた彼女の装備は酷く簡素。
彼女の装甲は腰回りにのみ装着され、
上半身は肉に張り付く黒のタンクトップ姿。
明らかに、速度重視の軽装備。
「着いて来なさい」
刹那、雷鳴の如き閃光が高台を立つ。
緑の稲妻となって高所から荒野に駆け込んだ。
かと思えば突然敵拠点の物見櫓が音を立て、
下から順に輪切りにされ始めた。
警備の者がそれに気付いた頃には既に
聖騎士団と最も近かった櫓二つが細切れとなり、
閃光は城壁の上を跳び越え、次を斬る。
気付けば既に二方の櫓が解体され、
閃光は三方目の櫓に飛び乗っている所だった。
「団長の指示、なんだっけ?」
「『着いて来い』、なのです」
「ははっ、無茶を言う……!」
ラルダの突撃から遅れること十数秒。
聖騎士団の本隊が一斉に高台から攻め降る。
ここでようやく相手の拠点からは
敵襲を告げる鐘が鳴り、
城壁に張り付く警備兵が矢を番えた。
しかしそれらの矢は放たれるのとほぼ同時に、
飛来した閃光によって尽く斬り刻まれた。
そこからの戦闘は、最早語るまでも無い。
そも戦闘と呼べるような攻防はほとんど無く、
乗り込んで来た聖騎士たちによる蹂躙が
ほんの十数分程度続いただけ。
長年西側諸国を裏から操っていた死の商人は
電光石火の如く制圧されたのだった。
「レオナルド、アイリス。引継は任せました」
「うす。お任せくださいラルダ団長」
「なのです!」
剣を鞘に収めて聖騎士団長は戦地を離れる。
そんな彼女の背中を見送り、
二人の若手騎士もまた緊張の糸を緩めていた。
「リッシーも、お疲れぃ!」
「レオ。まだ気を抜いちゃダメなのですよ!」
「……」
愛称で呼び合うそんな二人の姿を、
ラルダは横目で静かに見つめていた。
〜〜〜〜
神政法国エルザディア。
教皇によって統治されたその国では
聖騎士団が圧倒的な権力を有している。
否、それはエルザディア内に限った話ではない。
教皇の威光が轟く地域においては、
即ち、エルザディア教が信仰されている国では
彼らの一挙手一投足が神の言葉と同義となる。
故に、聖騎士たちは喋らない。
人前においては兜を外す事すらせず、
その素顔を晒す事すら固く禁じられている。
表情と声が許されているのは、
騎士団の代表として認められた数名のみ。
その数少ない数名の内の一人が、ラルダだ。
「「光の御名にて~、我ら剣を掲げん~」」
何処からか聞こえて来る
修道女たちの賛美歌に耳を傾けながら、
日差しを遮る大理石の柱の合間を彼女は進む。
ここは聖騎士団本部『オルデン=サンクト聖礼堡』。
エルザディアの中心、教皇庁の更に奥。
二重の聖門と白亜の城壁に護られた聖域だ。
儀礼的な施設は勿論、戦略および指令の発信所、
騎士たちの訓練施設、禁書や聖具の保管室。
果ては教皇が下す言葉を文書化し
各国に届けるような政治的な部署まである。
故に、というべきか、
この場所は静寂とはほど遠い。
荘厳であり、厳格であり、堅苦しい。
誰もが立派な騎士であらんとして、
規律と気品を重んじる。
「お疲れ様ですぅ〜我が愛しのラルダ団長〜!」
(うわ出た……)
そんな中で唯一軽薄そうな声がする。
ラルダは迫る笑顔に隠さぬ嫌悪で応えた。
今にも抱きつくかの勢いで
大理石の柱の陰から飛び出てきたのは
褐色肌に毒々しい紫色の髪をした片眼鏡の男。
抱擁を回避されるとそのまま床に伏し、
やがて不敵な笑みを浮かべて立ち上がる。
その地位を示す、黒の祭服の埃を払いながら。
「避けるなんてッ! 嗚呼酷いですねぇ団長
先の戦場でも八面六臂の大活躍だッたとか!」
「はぁ……礼装の調律
いつもありがとうございます――枢機卿」
「っ~~~!! その台詞が聞きたかッた!
君の高速構築は僕の作品の中でも最高傑作ッ!
君専用に隅から隅まで僕の温もりを込めて――」
「速度が物足りません。もう少し速くしてください」
「…………あのさぁ?
それってどういう意味か分かってる?
防御系の礼装を更に減らす事になるんだけど?」
「流石枢機卿。そう指示しました」
冷たくそう語る少女に、
枢機卿と呼ばれた男は溜め息を漏らす。
そして何やらグチグチと呟きながら頭を掻くと
細めた瞳を遥か年下の上司に向けた。
「極力ご希望に添える形にはしましょう……
それよりッ! 若手組の二人はどうでしたか?」
「レオナルドとアイリスですね。いい動きでした
言葉遣いはもう少し指導が必要ですけど」
「それは良かッた! どうにか間に合いそうだ」
「間に合う?」
「おや? 教皇猊下から聞いていませんか?」
枢機卿は微笑んだ。
今にも蕩け落ちそうなニンマリ笑顔で。
「帝国万博ッ! 我々も一緒に行きますよッ!」
~~帝都ラクア~~
規律と気品。それは騎士の本分。
ラルダであってもそれは変わらない。
というより、団長であるからこそ
彼女に課せられるそれはより一層厳しい。
旧魔界領域への遠征が減り、
魔物討伐の必要性も下がりつつある今日、
聖騎士団の役目もまた戦士のソレから
外交官のソレへと傾いていた。
つまるところラルダは組織の看板。
彼女の顔は、最早彼女の物では無い。
「おお、あれが『閃滅』のラルダ様」
「なんとお美しい……」
「賊人の父親とはもはや別物ですな」
公道を征く姿勢一つ、ミスは出来ない。
馬車の中から人々に振りまく笑顔の角度も、
手を振る方向も、頻度も、タイミングも
全てに完璧な正解がある以上、
その全てに応える必要があった。
そうであれと、彼女は求められていた。
「……」
――ラルダか、大きくなったな
――私は聖騎士団長……いや次期教皇
――君のお父さんの戦友だった者だ
(お父さんが死んで、もう十年……)
――君の立場は私が保証しよう
――奴の悪事は君に影響を与えない
――聖騎士団長になってしまえば、な
(少しは現教皇に恩返し出来たかな?)
父ヴェルデが討ち取られてすぐに、
ラルダの母親は心労が祟り、他界した。
そんな彼女を拾ってくれたのが
元勇者パーティ僧侶。即ち、現教皇。
多くの者がヴェルデを罪人と呼ぶ中で、
あくまで戦友と呼んでくれる彼の存在は
ラルダにとって心強い支えであった。
未だ父を憎めないでいる彼女にとって。
(私は、お父さんの事を何も知らない)
そう念じながら彼女は懐から箱を取り出す。
ほとんと何も入らないほど薄い縦長の木箱。
スライド式の蓋を開放するとそこには、
ラミネートの如き保護魔法でコーティングされた
一枚の『黒い刃根』が入っていた。
そも、ヴェルデの起こした事件、
通称『クラック兇変』には謎が多い。
彼の行動の真意を知る者は表の世界には無く、
また彼が拠点としていた秘密基地には
何やら魔物の影もあったという。
(あの時期のお父さんと、接触した魔物が居る
魔王が滅んでから五年以上後の人界で……!)
この刃根は当時ヴェルデの体に刺さっていた物。
居合わせた騎士が機転を利かせ、
その場で消えないように保存した物だ。
討伐報告も無い未知の魔物。
英雄が悪に染まった事件に関わった人外。
ラルダ目線の結論は一方向に定まった。
(黒い翼の魔物……必ず探して見つけ出す……!)
それは、復讐心に近い敵意。
英雄が罪人になった日に当人と接触した魔物。
十中八九、そいつが全ての黒幕。
そう考えるのが人間にとっての自然体。
何故なら魔物は存在そのものが悪なのだから。
「――ラルダ団長」
「っ……!? 枢機卿。何か?」
「顔が怖いですよ。ホラ、笑顔笑顔!」
促されるままにラルダは再び微笑んだ。
馬車の中から見える景色は
あくまで帝国の風景を切り取った一部。
落葉の帝国とはいえ、流石は帝都。
人々は裕福な暮らしに満足し
屈託のない笑顔を見せる。
特にラルダの目を引いたのは、
自分と同年代の少年少女。
帝国土着のものと思える詩遊びをしながら、
無邪気に踊り合っている姿だった。
「……」
~~迎賓館・前夜祭会場~~
帝国万博に赴いた聖騎士は総勢七名。
中でも顔を晒せる地位にあるのは四人。
聖騎士団長ラルダ・クラックと
若手騎士のアイリスとレオナルド。
そして教皇および聖騎士団長に次ぐ
エルザディアのナンバースリー、枢機卿。
他国に比べるとかなりの少数であるが、
エルザディアの影響力を思えばこれでも多い。
団長と枢機卿が同時に現れたともなれば
並大抵の国ならたったそれだけで
周辺国とのパワーバランスを崩壊させかねない。
その点でいえばチョーカ帝国は優秀な受け皿だ。
例えどれほど落ち目であろうとも
人類圏最大国家である事に未だ変わりはなく、
万博などという明確なイベントまであるのなら
エルザディアも普段より人員を送りやすい。
普段からラルダとは別行動の枢機卿に至っては、
この機を神からの贈り物とさえ考えていた。
「とッッッてもお似合いですラルダ団長〜〜ッ!」
気合いの入った彼の仕立てたドレスは
これ以上無いほどラルダの雰囲気と合っていた。
聖騎士団のシンボルカラーである緑を基調として
光沢と優しい雰囲気を纏うドレスは気品があり、
また腰に巻かれた白色のラップスカートや
首から垂らす黒いチョーカーネックレスなどが
差し色として完璧に調和している。
個人の趣味や欲求は完全に抑え、
ラルダが如何に美しく映えるかを意識したコーデ。
当人のセンスがこれを超えられない以上、
彼女は実に渋々ながら枢機卿の選んだ服を着る。
そしてそんな彼女の姿を眺め、
同じくドレスコードを守る部下たちが声を上げた。
「今日は眼鏡外すんすねー?」
「ええ。コンタクト入れてれば十分だしね」
「いや! 僕は苦渋の決断だッたよレオナルド君!
あの赤フレームの眼鏡は間違いなく
ラルダ団長のチャームポイントの一つだッた!」
「お、おぅ……そうっすか」
「そうだとも! 彼女の眼鏡問題は久遠の課題!
我らエルザディア聖騎士団内部でも長らく、
団長の眼鏡あり派、なし派で苛烈な抗争が――」
「聖騎士団は暇なのです」
「因みにッ! そう言う君たちはどッちなんだい?」
「そりゃあ無い方が――え?」
「勿論あった方が――は?」
「争いとはッ! かくも、容易く……!」
(くだらな……)
いつになくテンションの高い仲間たちに呆れ、
冷めた様子のラルダは近場のグラスに手を伸ばす。
だが社交の場に慣れているのはむしろ枢機卿。
彼は突然声のトーンを数段落として
団長の背中に語りかけた。
「ラルダ。舞踏会が始まったら君は必ず踊りなさい」
「――!」
稀にある呼び捨ての言葉は序列の超越。
枢機卿から団長に向けてでは無く、
年長者から被保護者に向けての助言。
従った方が良い、否、従うべき指導である。
「……善処します」
「もし必要なら僕が一緒に――」
「――遠慮します」
〜〜〜〜
やがて時間は流れ、舞踏会の演奏が始まった。
エルザディアの聖騎士団長としては
このような場で全く踊らないなどあり得ない。
また隅の方でせせこましく踊るのでも足りない。
社交界でのダンスは言わば身分の誇示なのだ。
世界の調停者を名乗り続けるのであれば、
彼女は最も目立つように踊らなければならない。
かと言って、適当な相手を選んではいけない。
聖騎士一人の来訪で国は容易く揺れ動く。
団長ともなれば尚更その影響力は絶大。
弱小国の王程度では耐え切れず、
帝国の一派閥に肩入れするのもまた危険過ぎる。
何より、ラルダはまだ十六歳の少女である。
(年齢差が大きすぎるのも違和感凄いのよね……)
白髪の剥げた老人と踊っても見栄えが悪い。
カイゼル髭のオジサマと踊っても違和感は残る。
最適解は若い王子様と踊る事だが、
先にも言ったように小国の王子では話にならない。
見える範囲で格が足りているのはイオス伯だが、
今度は権力抗争の観点からまたストップが掛かる。
(いっそ幼帝陛下と踊ろうかしら……五歳児)
絶対に無い選択肢に自ら呆れて笑ってみる。
年齢、背後関係、そして国の格。
ラルダと踊るに相応しい相手は見当たらない。
やはりここは枢機卿と踊るのが安牌だろう。
この結論を彼が予想していたかと思うと
些か業腹に思えたが、他に候補も居やしない。
「――え?」
そう思った矢先に飛び込んできたのは、
黒い服に身を包む黒髪の少年。
自分とほぼ同年代。もしかしたら年下だ。
年齢問題――クリア。
よく見れば彼の隣にいる人物にも見覚えがある。
オラクロン大公国の人間。武神ガネット。
大公オスカーの懐刀として知られるその男と、
少年は何やら仲良さそうに話していたかと思えば、
彼の持つ空のグラスをガネットが持って行った。
明らかにオラクロン内部の者だと伺える。
公国は国土こそ小さいが影響力は既に絶大。
エルザディアが多少関わった程度で、
その社会的地位が大きく変わる事は無いだろう。
背後関係、国の格――共にクリア。
「っ……」
ふと脳裏に帝都で見た少年少女の姿が過ぎる。
同年代の者が何も気にせず純粋に踊る姿。
自分もあんな風に踊れたらなと、
ラルダの心は揺れていた。
それを自覚してしまうと止まらない。
少年に向かうその足は、誰にも止められない。
「失礼、ムッシュ。この場で私と釣り合う男性は、
どうやら貴方しかいないようです――」
呼ばれると思っていなかった少年は
目を丸くして驚いていた。
ラルダの立場は知らなかった様だが、
その反応が可愛くて思わず少女の口元が緩む。
「――良ければ一曲、踊りませんか?」
ラルダはその男の子と踊った。
ドレスは回る度にフワリと優しく広がり、
彼女を一輪の華の如く彩り映えさせる。
きっとその姿も枢機卿の思惑通りなのだろうが、
今のラルダはその計算に感謝する。
「もっとお話しよ?」
ベリルと名乗るその少年に
ラルダは誰にも見せた事の無い笑顔を向けていた。
少年少女が踊る様は政治的な思惑から外れ
観衆たちに未来へ差し込む希望の光を魅せている。
エルザディアの聖騎士団長としてではなく、
今この瞬間は一人の少女ラルダとしての時間。
これまでに体験した事もない高揚感が、
腹の底から湧き上がる感覚に身震いしそうだ。
しかし、得てして楽しい時間ほど足が速い。
倒れかけたトラブルを完璧にカバーし
最後のポーズを決めたら最後、
ベリルとの時間はあっという間に終わってしまう。
まだ興奮冷めやまぬ体は
何故だか自分の物のようでは無くて、
ラルダは必死に呼吸を整えながら
逃げ込むように仲間たちの所へと戻った。
「くぅ! 団長と踊れるなんて羨ましい奴!」
「でも良かったっすね。あんな丁度いいのが居て」
「凄く幼かったのです! 大公のご子息?」
「いや、ボディガードって言ってたけどね」
どうにか平静を保とうと取り繕うが、
枢機卿はそんな彼女の顔をジッと覗き込む。
そして何やら顔を緩めて鼻を鳴らすと、
どこか嬉しそうに、こう問うた。
「楽しかった? ラルダ?」
「……うん」
少女は咄嗟に顔を逸らすが、
彼女の耳はほんのり赤く染まっていた。
〜〜〜〜
ダンスの熱も冷めやまぬ中、
ラルダは少し涼みに廊下へと出る。
迎賓館内はどこも過度に金ピカで眩しいが、
空気は透き通っていて歩くだけで気持ちが良い。
何より人の往来が少ないのが今の彼女には好都合。
(ベリル君かぁ……また会えるかな?)
気を抜けば緩む顔は赤の他人には見せられない。
聖騎士団長としての顔に戻るためにも、
今は閑散としたこの廊下を彷徨っていく。
が、やはり楽しい時間ほど足が速い。
「警報を鳴らせっ――! 誰も外に出すな!」
世界はすぐに顔色を変える。
今が政治的にも最も緊迫した瞬間であると、
浮かれる痴れ者に釘を刺す。
「皇帝陛下の暗殺未遂だーッ!」
「!?」
ラルダはすぐに声のする方へと駆け出した。
そこは前夜祭の会場よりも上層階。
幼帝のためだけに確保された館の一角。
そして幼帝の休む部屋に繋がる廊下へ辿り着くと
ラルダは己の目を疑って声を上げる。
「え? ベリル君?」
「っ!? ラルダさん!?」
幼帝の部屋の前。長い廊下のド真ん中。
其処には衛兵二人に取り押さえられたベリルと
――彼の前で血塗れで伏したメイドが居た。
「な、に……これ?」
帝国万博、前夜。




