拾弐頁目 翠緑のデビュタント
~~迎賓館上階~~
「やはりイオスか」
時はベリルが女性と出会う少し前。
一際大きな部屋の中で、
部下の報告を受けた宰相がポツリと呟いた。
彼が受け取ったのはナバール王の登場と
その直後にしたイオスとの握手。
そして彼らの『盟友』という発言の情報だった。
「ナバール王は陛下との面会を要求していますが」
「丁重にお断りしろ。陛下はご休息中だとな」
会場で人々が談笑を続ける中、
一足先に離脱した皇帝アルカイオスは
宰相を始めとする従者たちと共に
用意された自室に戻っていた。
そして戻ってくるなりすぐに、
彼は人の目も憚らず
ソファの上にダイブする。
そんな様子の彼を注意したのは
他ならぬ宰相その人であった。
「陛下。衣類が傷みます。お控えください」
「うるさい! もう僕の仕事は終わったんだろ!
もう疲れたんだ……休ませてよッ!」
「……皆、出るぞ」
残る仕事を片付けるために
宰相は従者の多くを引き連れ退出する。
部屋に残したのはメイドが一人。
そして部屋を出てすぐの廊下には、
帝国お抱えの冒険者が二人、
互いを監視し合う配置で警備していた。
「……宰相閣下、やはり少ないのでは?」
「何がだ?」
「陛下の護衛で御座います
迎賓館内とはいえ、もう倍は必要かと」
「確かにな、卿の認識は正しい」
が、と力強く宰相は続ける。
その目はどこか遠くを見つめるように
酷く冷え切っていた。
「これ以上は不要だ」
まるで護る気など無い。宰相の発言は
そう言っているようにしか聞こえなかった。
〜〜〜〜
砂漠の大国『ナバール』。
魔導機構で発展したセグルアとは違い、
彼の国は超古代文明遺跡の発掘で財を成す。
魔王軍健在期には諸外国との陸路が分断され、
また荒れ狂う海路も使えず陸の孤島と化していたが、
それでもチョーカ、セグルアと並ぶ三大強国として
現在までその名を轟かせ続けられたのも、
ひとえに超古代文明の力による物だ。
その武装は魔物の硬い肉を穿ち、
その防具は魔物の鋭い爪をも防ぐ。
また時代が現代に移ろうとも、
その圧倒的な軍事力は不変。
魔物にも効く武具なのだから、
当然、人間相手にも有効だ。
そんなナバールが誰かの後ろ盾となれば、
勢力図に与える影響など最早測るまでも無い。
正にキラーカード。国を奪う諸刃の剣。
王位継承権第一位イオス伯の『本気度』が、
その一手のみで十二分に伺えた。
「い、イオス伯! 先程はどうも……!」
「先日のお話……まだ間に合いますでしょうか?」
「お初にお目にかかります、イオス殿下!」
与えた影響が大きければ当然、
その反響もまた凄まじい。
伯とナバール王の繋がりが見えるや否や、
それまでふらついていた貴族の一部が
途端に彼に取り入ろうと列を成す。
その様子を最も滑稽に眺めていたのは
他ならぬナバール王その人であった。
「ハッ! 一夜にして人気者だねぇ伯爵?」
「全て陛下の御威光があってこそですよ」
「フン。よく弁えているじゃないか
母君も草葉の陰からさぞや
お喜びになっている事だろうよ」
「ええ。……あの世なんて物があるのなら」
その時、彼らに群がる貴族の内の一人が
えらく気弱そうな声を上げた。
「あ、あの~?」
「「なんだ?」」
「ひ! い、いえ……この場に至るまでの旅路、
何やらお時間が掛かっていた様子でしたが!
何かご不便でもございましたでしょうか?」
「あ? ああ少しな?
多少でも時間短縮をと思って
今回は海路から行かせてもらったんだが――」
「海路ですと!? しかしあそこは!」
「……」
「あ、いえ……お言葉を遮る形となり、
そのっ誠にし、失礼いたしました……」
「フン。まぁお前らが驚くのも無理はない
ご懸念の通り、我々は波羅の蛮族と遭遇した」
瞬間、集った貴族たちが一斉に騒ぎ出す。
極東の島国『波羅』の蛮族と言えば
誰もが知る大海の野盗。
帝国の大艦隊であっても壊滅は免れず、
ただ遭遇しない事を祈る事しか対策はない。
はずなのだが、ナバール王は今こうして
部下たちとともにこの場にいる。
波羅人との遭遇が事実なのだとすれば、
それはつまり――
「ナバールは海戦が弱い。それは過去の通説
ご想像の通り、我らの船団は波羅人を撃破した!」
「「っ――!」」
「今後とも、どうぞよしなにッ!!」
見せつけられたのは国力の差。
ガキが玉座に座る帝国には無い勢いそのもの。
ただの雑談を不意の演説に差し変えて
ナバール王は集う観衆たちに手を伸ばす。
傍らでは不敵な笑みを浮かべたイオス伯が
ぱちぱちぱちとゆっくり拍手を送り、
会場の中でも特にその一帯は
異様な雰囲気に包まれるのだった。
民衆人気の高いイオス伯と、
チョーカよりも実力のあるナバール王朝。
この歴史的にも類を見ないタッグが放つ光は
落ち目の帝国に住まう者にとって
些か眩しすぎたのかもしれない。
貴族たちはより一層激しく、
我先にと二人に取り入ろうとした。
「……あれ?」
「どうかなされましたか子爵?」
「あぁ……いえ男爵夫人
先ほどいた気弱そうな方はどちらに?」
~~男性用トイレ~~
(ふむ。かなり見えてきたのぉ)
気弱な貴族の仮面を脱ぎ捨て、
一通り社交界を楽しんだセルスは、
並行して集めていた情報を整理しほくそ笑む。
彼女の中では既に、人界の勢力図が
明確な相関図として脳内で確立されていた。
「まぁーた悪い顔してるっすねセルス様?」
「な!? おぉ!? ヘリオ!?
貴様っ! ここはトイレじゃぞ!?」
「男性用のね? やばいのはセルス様の方っす」
「ああそっか。それより見てたぞヘリオ
お主も意外とこの社交界を楽しんでおったの」
「いや自分でもビックリっすよ!
なんか女の子から代わる代わる誘われて
悪い気はしなかったっすけどね!」
「しっかり名字は控えたか?」
「あ、名前しか覚えてなかったっす……
なんか皆、長々と早口言葉みたいなので……
「勿体な! せっかくの貴族とのコネじゃぞ?」
「でも名前は全員バッチリ覚えてるっすよ!
ちゃん付けで呼んだら皆喜んでたっす!」
「……罪な男よ」
「で、セルス様はなぁーにしてたんすか?」
呆れて笑うように問うヘリオに対し、
セルスは「よく聞いた」と笑い返すと
手に入れた情報を共有し始める。
内容は今宵入手した王権所有者たちの詳細。
特にナバール王との繋がりを公表した
イオス伯についての物だった。
「イオスは現皇帝の父、先代皇帝の妾の子
幼帝の母を迎える前にこさえた子じゃ」
「隠し子、って奴っすね?」
「ああ。先帝は相当に欲深な人物だったらしい
黒い噂を引き連れ皇帝になったかと思えば
政よりも贅を極める事に集中したのだとか」
「なんかめっちゃ皇帝変わってた時期っすよね
あれ? そう思うと今の皇帝は息長いっすね」
「戴冠式が腹の中との事じゃから丁度十年じゃな
裏を返せばそれだけ長期の間、
あの宰相の独裁が続いておるという事じゃが、
……まぁそれは良い。今はイオスじゃ」
「良くない番いと産んじまった子供……
その母親が、ナバール王の関係者だったと」
「いや、少し違うな」
「お?」
「イオスには確かにナバールの血が流れておる
が、ナバール王朝との関わりはほとんど無い
それどころかむしろ、祖父の代から
チョーカ帝国で暮らしておった平民じゃ」
「じゃあ、何で?」
困惑するヘリオを余所に、
セルスは独り黙りこくって考える。
考えて、考えて、考えて、
やはりこれじゃなと答えを出した。
「理由なんて何でも良いのじゃろう
こうやって堂々と武器と兵士持ち込めればの」
「え?」
「気付かんかったか? 海路は公国ですら避けた道
そんな危険なルートをわざわざ選んだのは、
護衛として兵隊を動かすための方便じゃ
実際に襲われたのなら過剰とは言えんからの」
「――!」
「気を付けておけよヘリオ
ナバール王はイオスを援助するために来たが、
実際は、本気で帝国を奪いに来ておる」
「万博中に戦争が起きる、って事っすか?」
「今夜、という事もありえるぞ?」
丁度その時、会場から音楽が流れ始める。
この前夜祭の目玉でもある舞踏会が
始まったことを告げる演奏だ。
トイレの中にまでよく響くその旋律が、
魔物たちを再び会場へと呼び寄せる。
誰にも見られていない事を確認しながら、
セルスは元のドレス姿に擬態した。
「時にヘリオ、ステップは覚えておるな?」
「定番って言ってた奴ならバッチリっす!」
「なら良し。多分お主は何度も誘われるでな」
「結局大将は誰かと踊るんすかね?」
「んー……踊らんじゃろうなぁ……
本人も言っておったが相手がおらん」
「もったいないっすね。せっかく練習したのに」
「まぁその練習の時みたく、
妾が見合った相手に擬態すれば良いじゃろ」
そんな事を話しながら、
二人は会場の扉をゆっくり開けた。
途端に奏でられる演奏の音量が一段上がり、
中央の空間で踊る人々の姿が目に入る。
だが何よりも彼らの目を引いたのは、
一人の少女に手を引かれる少年の姿であった。
「「……はえ?」」
~~~~
選曲――『星詠と詩紡ぎの輪舞』。
作曲者および作曲年ともに失伝のため不明。
発祥地は『ヴァルシオン』。通称――奏の国。
詳細がほとんど不明であるにも関わらず
この曲が長年舞踏会の定番曲として
親しまれてきたのはひとえに、
演奏技術の敷居の低さが理由といえる。
旋律の軸はクラリネットとヴァイオリン。
穏やかな三拍子から始まる調べは親しみやすく、
初級から中級の楽団であっても演奏が可能。
さりとてチープな曲かと言えばそうでも無く、
奏の国で緻密に計算され尽くされたその旋律は
むしろ後世に続く理想的な手本となった。
特に終盤に向けて徐々に加速するメロディーは
聞く者全てに夜明けを思わす高揚感をくれる。
決して目先の技巧には走らず、
情緒と構成のバランスを保つ事に苦心した名曲。
それが今、二人を躍らすBGM。
「ふふっ、上手上手」
艶めかしい唇が動き、
眼前の少年を優しく囁くように褒め称えた。
しかしベリルはその顔を凝視できない。
照れている、訳ではもちろんなく、
純粋に、早いステップに苦戦していたのだ。
(右行って、回って、次は……!)
「この曲はね、西国では戴冠式でよく演奏されるの」
(うわ、また話しかけて来たっ……!)
「かく言う私もこれ聴くの何度目かなぁ……」
(今ちょっと無理! 相手できない!)
「あ、後半に向けてどんどんテンポがあがるよ」
(まーじでーすかー!?)
本当に最低限の相槌すら返せず、
ベリルは混乱の渦中で踊っていた。
しかしその焦燥と雑念は、
優しく触れあう掌から少女にも伝わった。
「ふーん、緊張してるんだ?」
「だ……ダンスは付け焼き刃で……」
「そっか、じゃあさ――」
少女はぐっと腕を引き、互いの顔を近づける。
あわや、鼻先が擦れ合いそうなほどの距離。
黒い前髪の下に覗く黄緑色の瞳が
真っ直ぐ少年を見定めていた。
「尚のとこ、もっとお話しよ?」
微笑む顔の後方で、世界が素早く回り出す。
曲は既に三分の一が終了し、
予告通りテンポが一段速まった。
それに伴い周囲の動きも素早くなるが、
二人の踊りはその中でも見劣りしないものだった。
(踊れてる? いや、僕がリードされてる……)
「動きばっかり考えるとまた固まっちゃうよ?
今はほら、私の顔を見て、ミスター……」
「……ベリル」
「そう。かっこいい名前。――私はラルダ」
そこからの会話はとてもスムーズで
まるで絹の服がスルリと脱げ堕ちるかの如く
少年の肩に乗っていた緊張は解れていった。
その間も彼はずっとラルダの顔を観察する。
首の下辺りまでの長さがある黒髪は艶やかで、
硝子のように輝く暖かな黄緑色の瞳は
目が合う度に優しい微笑みをくれる。
そして彼女を着飾る薄緑色のドレスは
回転する度に一輪の花の如くフワリと咲いた。
曲も折り返しとなった今になって
ベリルがそれらの事に気付けたのは、
それだけ彼の思考に余裕が生まれたから。
ラルダの所作と言葉はそれほどまでに
甘く、支配的なものだった。
「出身はどこなの?」
「セグルア……けど今はオラクロンにいる」
「そういえば大公陛下ともお話してたね?
てことはちっちゃいボディーガードさんだ!」
「う、うん。まぁそんな感じ」
いつもの『親戚』という設定も使い忘れ、
ベリルは肯定ばかりの相槌を打つ。
情報が抜かれているという自覚もあったが、
徐々に早まるダンスのリズムが、
その冷静な思考と調和しない。
むしろ昂ぶる脈拍と滑らかに合わさり、
汗ばむ体に力をくれる。
やがて会場全体も二人に注目しだし、
可愛げな少年少女ペアに空間を作った。
それに伴い人々の目も集まる。
途中まで踊っていた者の一部が動きを止め、
興味なさげに談笑を続けていた者の一部が
その流れに気付いて顔を向ける。
その中にはオラクロン大公の顔もあった。
「ん……? 小僧か? ――ッ!!!?」
大公は二人の姿を見留めると眉間に皺を寄せた。
そして彼はラルダの顔をもう一度確認すると、
見間違いでは無かったか、と念じ、
脂汗の染み出る額に手を当てた。
(よりにもよって、なんて相手と……!)
しかしその視線も所詮は外野。
二人のステップは曲が鳴り止むまで止まらない。
演奏は既に三分の二が終了し、残り三分の一。
ヴァルシオンの輪舞曲は最後の加速を見せる。
それに合わせて取り合う手が何度も離れて、
また何度も触れ合い互いの存在を確かめ合った。
最早ラルダにとってもその区間は喋る余裕が無く
熟練者としてベリルのフォローに専念している。
それでも笑顔だけは絶やさぬ所がやはりプロ。
少年を見るその瞳は今まで以上に優しかった。
それが最早、ベリルにとっては少し悔しい。
女性にリードされている現状が情けなく、
フォローを入れられていると自覚する度に
たかが一日程度の練習では埋められない
実力の差を感じずにはいられない。
が、決まったステップの中に逆転は無く、
背景曲はもうすぐラストスパートに差し掛かる。
故に焦りを覚えたベリルは意を決して、
ある一つのタイミングを伺った。
それは曲の一番最後。締めの決めポーズ。
足を上げて傾くパートナーを支え、
華麗なフィニッシュを決める『ディップ』だ。
せめて最後にそれを成功にさせようと
少年は己の自尊心に誓う。
(もうすぐ……もうすぐ……!)
曲の終わりを感じ取る。
同時にラルダの腰に手を添えた。
そして――
(ここだ!)
心の中でタイミングを見計らう。
が、ここまでの加速が彼の体内時計を狂わせた。
ほんの一拍、その一拍が僅かに早い。
そしてそれを自覚してしまったベリルは動揺し、
また足の位置が甘く重心をズラしてしまう。
瞬間、ベリルの脳裏は真っ白になった。
その目は焦点が合わずに空を泳ぐ。
そして思ったより深く沈み出す彼の体に、
引っ張られる形でラルダの体が一瞬浮いた。
(しまっ――!)
「大丈夫。任せて」
しかしラルダは迷わなかった。
ベリルが体勢を崩してしまったその刹那、
彼女は右足をすっと後ろに引くと、
その左腕を少年の肩に滑り込ませた。
一連の動きには閃光が走ったような残像が浮かび、
ベリルはその緑の光に目を奪われる。
そして気付けば彼は、
少女に支えられてポーズを決めていた。
まるで最初からそうする予定だったかのように。
「「ハァ……ハァ……ハァ……」」
近付ける顔の前で互いの吐息が混ざり合う。
曲は既に止み、周囲には拍手が生まれていたが
今のベリルにそのざわめきは届かない。
ただ互いの呼吸と、手を伝う温もりだけが、
舞踏の余韻と二人を繋いでいた。
〜〜〜〜
「じゃあねベリル君! 運が良かったらまた万博で」
「は、はい……ありがとうございました、ラルダさん」
正体不明の少女と別れ、
ベリルは歩き出しつつもまだその余韻に浸る。
彼女とのダンスは、正直言って楽しかった。
だがそれ故に「もっと練習しておけば」と
後悔の念が湧き始めている自分に困惑する。
前に人間の文化や発明に興奮した時も
ギドは「魔王になった後に楽しめばいい」と
アドバイスをくれてはいたが、
やはりこう気持ちが揺れるようでは格好が悪い。
ベリルはそんな事を考え、一人密かに照れていた。
(それにしてもラルダさんかぁ……
僕が魔王になった後、もしも可能なら――)
彼女とまたダンスをするのも良いかもしれない。
そんな事を考えて少年は少し笑った。
だがそんな彼を手招きする者の姿が一つ。
何やら興奮気味のセルスやヘリオを従えて、
その中で唯一怒りを露わにするオスカーがいた。
「小僧貴様……自分がした事を分かっているのか?」
「え?」
「いいか? 今お前と踊ったあの小娘はな――」
〜〜〜〜
一方でラルダもまた
自身の仲間たちが集う所に戻っていく。
其処に居たのは緑の甲冑を身に纏う騎士たち。
人々はその中心に向かう少女に頭を下げる。
最大限の畏怖と敬意を以て。
「見事な踊りでした、クラック様」
「その苗字は言わないで」
「これは失礼。では、我らが団長様」
それは人界の守護者。世界の調停者。
神政法国エルザディアが所有する最強戦力。
教皇直下『エルザディア聖騎士団』の現団長にして
元勇者パーティ、ヴェルデ・クラックの実の娘。
名をラルダ――ラルダ・クラック。
正真正銘、魔物の敵である。




