拾壱頁目 王位継承権
〜〜数時間前〜〜
「幼帝アルカイオス?」
まだ日も高かった頃、
ダンスの練習中だったベリルは
ふとその耳に入った名前を復唱した。
情報を与えたのは彼にとって唯一の
人間の部下であるブルーノ・カナリート。
差し入れという体で見物に来た野次馬との、
ほんの一時の雑談中の出来事だ。
「ふーん。十歳の皇帝ねぇ……」
「左様。本名はアルカイオス・仔空・
ドルスス・アルレリウス・楊・レオノール・
レオポルト・パーズ・フル・インペリアですな!」
「……なんて?」
「アルカイオス・仔空・
ドルスス・アルレリウス・楊・レオノール・
レオポルト・パーズ・フル・インペリア」
「長くない?」
「チョーカが築いた歴史のようですな!」
男は自慢の髭を愛でながら笑う。
確かにその名は歴代の皇帝や偉人に肖って
付けられた物だとの事だから、
長い歴史の体現という彼の評価は
中々に当を得ていたのだろう。
そのような事を考えつつも
ベリルが軽く流そうとしていると、
そんな彼の背中を凝視しブルーノは続けた。
少年が見落としている重大な事実を
突きつけるために。
「……とはいえ、これは皇帝陛下の御名
もし皆様の前で間違えるような事があれば……?」
「はっ……!」
「隊長代理殿にはぜひとも!
空で言えるよう完璧に覚えていただきたい!」
「っ……! えっーと……?
アルカイオス・仔空……――」
かくして覚えるべき事が一つ増えた。
自分よりも更に五歳も年下の皇帝陛下。
その仰々しい名前を復唱する度にベリルは、
気付けば彼への関心を高めていった。
〜〜現在・迎賓館内『前夜祭』会場〜〜
貴族たちの晩餐会。
そのワードのみを与えて絵画を依頼すれば
きっと画家はこの会場の絵を書くだろう。
そう言い切れるほどに典型的な世界が、
今まさに人々の眼前に広がっている。
並べられた豪華な食事。
自他の間合いを測る社交界の熟練者。
ここでも警備に駆り出された冒険者少々と
その全てを抱擁する会場のド派手な装飾。
これほどの規模を用意するとなると、
流石のオラクロンでも覚悟が要る。
「諸賢! ご静聴願います!」
そんな中で響いたのは帝国人の大声。
宰相らしき男の近くで、
同じく重鎮らしき男が声を張り上げた。
「只今より皇帝陛下より御言葉を賜ります!」
それは前夜祭の目覚めを告げる開会の儀礼。
国内外の至る所から権力者が集まるこの夜に、
口火を切るのはやはり皇帝こそが相応しい。
例えそれが、齢十歳のガキだとしても。
一段高いステージに、幼い子供が登壇する。
短髪の黒髪と前髪に入った金のメッシュ、
そして不愉快そうに輝く真っ赤な瞳。
赤、黒、金の配色は生まれながらに
バキッとした高貴な印象を与え、
それに合わせて仕立てられた衣装にも
皇帝としての威圧感が上乗せされていた。
だが惜しむらくはその御顔。
やはり皇帝というには若すぎる。
幼さを多分に残した丸い顔は可愛い過ぎて、
せっかく着飾った皇帝らしさと反発して
表現しようもない違和感を与えてきた。
同じく子供であるベリルの衣装に
幼さを残そうとしたセルスとは大違い。
きっと幼帝の衣装を仕立てた人物は
皇帝個人の事など見てはいないのだろう。
それよりもむしろ、
人々は宰相の顔色を伺っていた。
(ま、僕には関係ないか)
浮かび上がった思考を拭い、
ようやく位置に着いた幼帝の顔を
ベリルは改めて見上げながら観察した。
貴重な時間を割いて覚えた名前。
正しく覚えられているのかどうか、
本人の口から聞ける答え合わせの時間だ。
「ども……アルカイオス・インペリアです」
(端折ってるぅーー!?)
「ん? どうした小僧?」
「いえ……なんでも、ないです……」
無駄にしてしまった時間を嘆き、
彼は密かに用意していた紙を
口に運んで食べて消した。
~~~~
晩餐会が始まるとすぐに、
皇帝アルカイオスは退場してしまう。
貴婦人方が「可愛かった」と声を弾ませるが、
ベリルの脳裏には不愉快そうなあの顔が
ベッタリとこびり付いていた。
とはいえもう出会う予定も無い相手。
魔物の仔は興味を残った人々に移し変える。
現在ステージの上を独占しているのは
帝国歌劇団とかいう知らない連中。
聞けばオリベルト候が脚本を担当したらしく、
チョーカの歴史に刻まれた華々しい栄光を
心躍る演目として見事に表現していた。
だがそう思うのは人間のみ。
魔物たちにとってそれは
単なる背景音楽に過ぎなかった。
「楽しんでるか? ベリル殿?」
「ガネットさん……ええまぁ
人間の食事は口に合いませんけどね」
「ふん、そういうかと思って」
親衛隊長兼監督官のガネットは
片手で摘まんでいた二つの空グラスの内、
小さめな一方をベリルに渡すと、
小脇で抱えていた容器から
トクトクと無色透明の液体を注ぎ始めた。
ただの水では有り得ない泡を立てたを液体を。
「水……じゃなさそう。ジュースは飲めないよ?」
「知っている。だが前に酒は飲んでただろ?
つまりは味覚が『苦味』か『渋味』……
或いは『刺激』に寄ってる可能性が高い」
「でも僕はお酒飲んでないよ?
シェナがさ、『アンタにはまだ早い』ってさ」
「だろうな。俺も未成年に酒は飲ません
だからこその、これだ――」
「……これは?」
「キニーネ入り炭酸水。苦み強めの水だ
本来カクテルの割り材用だった物を拝借した
チョーカの薬剤は昔から苦いで有名だ」
「……!」
渡されたグラスを満たす水面を
ベリルはじっと見つめてみる。
酒は飲ませて貰えなかった以上、
彼にとってはこれが
血と水以外に飲む初めての飲み物。
どこか淡い期待を胸に飲料を口に運ぶ。
「ど、どうだ?」
「んべ……美味しくない。水で良い」
「そうかぁぁぁ……
まぁそう都合良くはいかないなぁ……」
「でも、今までみたいな拒絶反応は無い」
「!」
「飲もうと思えば飲めなくは無い、感じ?
うんまぁ普通に飲みたくないけど、
好き好んでは飲まないけどね?」
「グラスに残った分は飲め。俺も飲むから」
そう言うとガネットはもう一方のグラスにも
同じ量だけトニックウォーターを注ぐ。
そして少年のグラスと打ち付け音を鳴らすと
ぐいっと一気に飲み干した。
「うん! 俺も好かんなこの味!」
「……ところでガネットさん
大公陛下の護衛は良いの?」
「ああ。俺の部下がずっと付いているし、
俺自身もちゃんと気配で追ってるさ
……と、噂をすれば、何とやら、だな」
「え?」
気付けばベリルの背後には
血色と人相の悪い男が立っていた。
一瞬だけ敵かと思い警戒するが
勿論それは平常通りの大公である。
「楽しそうだな小僧」
「ぐっぅ! 失礼しました陛下……」
「ガネット、お前もだ」
「は? 私ですか?」
「前にも言ったが、気を抜き過ぎるなよ
……時に、他の連中はどうした?」
「ああ、それなら……」
大公の指す他の連中に心当たりがあり、
ベリルは会場全体を見回し目標を見つける。
この時大公が気にしていたのは当然身内。
問題を起こす側である魔物たちの事である。
まずはセルス。
勝負服をバッチリと決めた彼女は
流石こういった行事に場慣れしている。
既に何人かのファンを作ったようで、
彼女の周りには花に集る虫の如く
ちょっとした人集りが出来ていた。
次にヘリオ。問題児のヘリオ。
だが意外にも彼はこの会場に馴染んでいた。
服がセルスセレクションの上物である事に加え、
彼の擬態は顔だけ見ればかなりの男前。
何より意外と細かな所にも気付ける観察眼と
活発で屈託の無い笑顔から繰り出される
無垢なる賞賛が貴婦人方に大ウケしていた。
人数こそセルスには負けているが、
熱狂度合いで言えばヘリオの勝ちである。
「はぁ……馴染めているようで何よりだ」
そんな様子の魔物たちに大公は感想を述べた。
しかし長く付き合って来たベリルには
それが皮肉の類いであると理解出来た。
また同時に彼は、何やら大公が
いつも以上に気を張り詰めている気さえした。
「陛下は何を警戒されているのですか?」
気付けばベリルは質問していた。
自分が声に出していたと気付きハッとした。
だが時既に遅し。後悔先に立たず。
泥のように濁った大公の両目は既に、
ギロリとベリルに向けられていた。
そうして、彼は吐息を漏らし語り始める。
聞こえるか聞こえ無いかギリギリの声量で。
「この前夜祭は魔境だ。各勢力の思惑が混在している」
「……それはまぁ、当然なのでは?
これだけの国が集まればどこも利益を――」
「違う。国同士の睨み合いじゃない
国境が明確な連中の相手は苦労の内にならん」
「え? じゃあ何が?」
「私が警戒しているのは帝国内部の派閥争いだ」
「帝国、内部?」
「ああ、時に小僧――
貴様は陛下の姿を見てどう思った?」
ベリルはすぐに返答を思い浮かべる。
が、それより僅かに早く大公は遮った。
「口にはするな。その上で良く見ておけ」
グラスで口元を隠しながら、
大公は更に声を細めて言葉を連ねる。
「現在この場には、王位継承権を持つ者が三人いる」
王位継承権所有者。
即ち――幼帝が死ねば次期皇帝となれる者。
宰相の着せ替え人形と化している現皇帝の死で
利を得る者と言い換えても良いだろう。
当然それは皇族の血筋であり、該当者は三名。
一人はベリルがもう何度も顔を合わせた相手。
帝国随一の文化人にして帝国候爵、
ネーロ・才・パウロ・フル・オリベルト。
現在は国内の貴族たちと談笑していた。
「因みに候爵は陛下の従伯父に当たる御方だ」
「……えっと?」
「親のいとこです、ベリル殿」
「どうも」
次に大公が示したのは金髪の老人。
老人とは言うがその恵体は筋骨隆々で、
服の上からでも体の屈強さが窺える。
帝国の重鎮。古株の偉丈夫。
ソダラ・羅・ホーガン・フル・インペリア。
公爵の地位を以て諸国の客に対応していた。
「陛下にとって公は族伯祖父になるな」
「えー……と?」
「祖父母のいとこ」
「ありがとう……!」
「オリベルト候が文化人なら、ソダラ公は武人だ
宮廷剣術の第一人者で、公の指導を受けた貴族は
並の冒険者程度なら返り討ちに出来る」
「? 実戦経験豊富な冒険者よりも……
ちょっと鍛えた貴族の方が強いの?」
思わず口調を乱し、ベリルは問う。
その無礼で大公に睨まれてしまったが、
彼にとってはそれほどまでに意外だったのだ。
この十年で冒険者たちの実力は何度か見た。
聖騎士ほどでは無いが、やはり脅威。
そういった認識を持っていたからこそ、
すぐには大公の発言を飲み込めないでいた。
するとそんな彼の様子を見て大公は
警備の冒険者を一瞥しつつ補足し始める。
「冒険者は基本貧乏だ
魔王軍全盛ならともかく、今は特にな」
「? それがいったい?」
「カツカツな生活の中合間に鍛えている連中と、
豊富な栄養と時間を投入して訓練した者
どちらが成長するかなど明らかだろう?」
「あ! いやでも、やっぱり訓練ばかりで
実戦経験皆無な者が勝てるとは――」
「――なら実戦を想定した訓練をすれば良い
違うかぁ? ガキんちょ?」
「っ!?」
会話に割って入ったのは
つい先程まで話題の中心だったソダラ公。
何やら面白そうな話をしているなと
匂いを嗅ぎつけ寄ってきた。
「よぉオスカー! このガキは何だ?」
「今我が家で預かっている親戚の子です
せっかくの機会なので同行を許可しました
お久しぶりで御座います、ソダラ公」
「ハッ。よくもまぁぬけぬけと……」
嫌味たっぷりにそう言うと、
ソダラは突然腰を落し
ベリルの肩に腕を掛けた。
少年の体には些か重たいその肉塊。
注意していても思わず顔が歪む。
だがそんな事もお構いなしに
公爵は酒場で愚痴るように語り出す。
「少年よぉ聞いておくれぇ!
この男は俺が剣術を教えた者の中で
イッチバ~~~ン腕が悪い!」
「え? 大公陛下にもご教授を?」
「おうよ? コレがお前くらいの歳にな!
そもそも帝国貴族ってのは必ず思春期を
この帝都で過ごさにゃならんルールがある!
なんでだと思う~~~?」
「えっと……」
返答に、というよりも、
圧に押されて困っているベリルは
思わず助けを求めるように大公を見上げた。
するとそんな視線を利用するかの如く、
ソダラ公は直接オスカーに問い掛けた。
「お前は? オスカー・フル・ビクスバイト?」
「……」
「他人の腹芸は嫌いだ。別に本心でいいぜ?
今だけは聞かなかった事にしてやる」
「帰属意識を植え付けるため、でしょうか?
いずれ辺境を守る貴族たちの心中に、
ラクアが第二の故郷となるなら都合が良い」
「ハッ! ま、そんな所だろうよ!
相変わらず座学の方は優秀だなぁ~~?」
そう言うと公爵は少年から離れ、
今度は大公の方にまっすぐ詰め寄った。
その余りにも堂々とした急接近には
ガネットも思わず警戒心を向けてしまう。
が、大公の伸ばす手によって警備が解かれると
それを良い事にソダラは大公の腹に
ピタッと握り拳を押し当てた。
「てめぇのその頭脳……
帝国のためになると期待してたがな?」
「言動にはご注意を、ソダラ公
今の私はオラクロン大公。一国の長です」
「ハッ。そうかよ」
途端に身を翻し、
ソダラ公は背を見せその場を後にする。
そんな公の征く先を眺め続けると、
彼は何やら偉そうな集団と合流する。
帝国所属の、年配者が多い集団であった。
「『機学府』――龍脈の研究、管理を担う部署だ」
先回りした大公の解説に
ベリルは思わずギョッとする。
しかし彼はすぐに聞く体勢に入る。
せっかく大公がもたらしてくれる情報を
一つでも多く取り込むために。
「機学府は宰相府とも対抗出来る権力機関だ
どうやら公は帝国重鎮を味方にしたらしい」
「そして色んな貴族も育てた武人……なるほど
ではソダラ公が今一番……有力なんですね?」
社交界故にギリギリまで言葉を選び、
ベリルは至った結論を口にした。
が、少年の浅知恵を大公は否定する。
ベリルの結論とは真逆の言葉を添えて。
「いや。あの方の立場が一番弱い」
「え?」
「いや違うな。一番遠い、が正しいか?」
自らの言を即刻訂正したオスカー曰く、
ソダラには二つの理由で
王位継承順位が下げられているらしい。
一つは血筋。祖父のいとこでは遠すぎる。
直系なら文句なし。傍系でも及第点。
しかしソダラのそれは流石に遠縁。
現皇帝アルカイオスを基準に考えると
どうしても継承順位は下がるのだ。
そして彼を玉座から遠のける第二の理由。
それは彼がかつて――
己の継承権を放棄していた事だった。
もっと皇帝との血縁が近かった頃、
彼は一度王位継承権の放棄を宣言している。
一応それは法的拘束力のある物ではなかったが、
それでも宣言は宣言。人々は長年、
彼を王位継承権所有者とは見做していなかった。
「でも今になって表に出て来た? 何故?」
「さあな。そこまでは知らん
だがそれらの理由から彼の順位は低い
今この場にいる者のみに限定すれば、
ソダラ公は王位継承権第三位だ」
「ソダラ公が、第三位……」
「そうでしょう? オリベルト殿下?」
「え?」
「はは。気付かれてたか」
「!? いつの間に!?」
「公と会話しているのが見えたからね
ついつい気になって近付いちゃった」
(あ、これは……)
ベリルはオリベルトの真意を察知する。
これまでの継承権の話を踏まえると
彼とソダラは言わば政敵、ライバルだ。
そんな男が中立のオラクロン大公国と接触。
何が何でも即確認を取りたくなるだろう。
「でも大公、流石に今回は頂けないなぁ
そんな会話はこういった場所ですべきでない」
「失礼しました殿下」
「あ、あの! オリベルト候!」
「んー? どうしたのかなベリル君?」
「殿下は、第何位ですか?」
その発言には流石の候爵も目を丸くし、
呆れた様子で大公を睨む。
ほら子供が興味を持っちゃった、と
糾弾する意味合いを視線に乗せていた。
しかしベリルの真っ直ぐな瞳に負けると
彼は「一応の話だよ?」と念を押す。
「僕は第二位。一番半端だね」
「血筋や経歴で言えば殿下は安定している
宮廷官僚や保守派からは人気でしょうな」
「コラそこ捕捉しない
僕は別に王位なんて興味無いんだから」
「重ねて、失礼」
「本当に思ってるのかなこの人は……?」
「……殿下が第二位なら、一位は?」
続く質問に、候爵は停止した。
だがその目が話題の人物を捉えてしまい、
彼は諦めて少年に視線を合わせて耳打ちした。
「あそこの彼さ。ほらあの、赤いマントの男」
示された先に振り返る。
其処にいたのは赤いメッシュの入った銀髪に
赤い瞳が妖しく輝く威圧的な男。
その特徴だけでも十分特徴的であったが
彼の服装は更にそこに攻撃性を加えている。
襟と肩、そして靴には黄金に輝くトゲの装飾。
耳には大きなインダストリアルピアスがあり、
それを隠すどころか見せびらかすように
髪の毛はガッチリと固められていた。
一言で言うならパンクファッション。
とても王族のする格好とは思えない。
「名前はイオス・銀・パルメリオ伯爵
先代皇帝の妾の子で、皇帝陛下の腹違いの兄だ」
「え? なら――」
吐き出し掛けたその言葉を
ベリルは必死になって堰き止めた。
流石にこれを言うのはマズいと
魔物であっても理解し自制を働かせたのだ。
が、そんな彼の思惑も虚しく、
オスカーはいつもの平坦な声を発した。
「帝国では妾の子でも皇帝になれる。珍しくもな」
「――!?」
「ビクスバイト陛下。流石に酔い過ぎです」
「隠す意味も無い事実です、殿下
法の明記もあれば、その前例すらある」
「それは、そうですけど……」
オリベルトはかなりバツが悪そうにしていた。
だがベリルはそんな彼の事など視界に入らず、
帝国が定めた謎のルールに意味を探していた。
側室ならばまだしも妾の子。不貞の出生。
これは皇室の権威と正統性を揺るがす大問題だ。
事実、他国では妾の子に王位継承権は認めないと
しっかり明記されている所がほとんど。
チョーカの仕組みは王権国家として異質も異質だ。
では何故法で認められ前例まであったのか?
メリットがあったから? ではそれは何か?
無理矢理見繕えなくもないが、どれも足りない。
少なくとも皇室の正統性を揺るがしてまで
手に入れたいメリットは無い。
ならば、とベリルは逆に考える。
妾の子を皇帝にしても正統性を主張出来れば?
誰もが皇帝と認められる根拠があれば?
気付けば答えはすぐに見つかった。
少年は既に、その名称を知っていた。
「『天命理書』か!」
「「――!?」」
その発言は大人たちを驚かせるのに十分だった。
「大公?」
「いえ、私の教育ではありません
しかし……予習は行き届いているようだな?」
「は、はい!」
「はぁ……真に聡い子なら沈黙も覚えてください
まぁでも、ここまで賢い子なら問題無いか」
ようやく観念したようで、
オリベルトは持っている情報を決壊させた。
上位存在との対話記録『天命理書』。
そこに名が連なればそれは皇帝。
王権のスタート地点にあるこのルールを
王権を崇拝する者たちは否定出来ない。
あとは民衆に認められるだけの人望があれば
どんな人物であっても皇帝は成立する。
「そんなこんなでイオス伯が第一位
実はあれで結構、民衆人気も高いらしいよ」
「そ、そうなんですね……」
「まぁでも、彼が玉座に着くくらいなら
流石に僕が即位した方がマシだろうけどね」
「え?」
「イオス伯の母親はとある国の出身者でね
その血縁が、やっぱりちょっと問題なんだ」
そう言うと同時に、
前夜祭会場の扉が大きく開く。
この日一番の賓客を歓迎するためだ。
その者は美女や従者を大勢引き連れて、
まるで我が物顔のように会場を縦断する。
頭には白いターバン。僅かに見える髪色も白。
そして空色をしたサンバイザーのようなものを
従者共々顔に装着している異質な集団。
国旗に刻まれた紋章は、砂漠の熱砂を模していた。
「あ、あれは?」
「ナバール王。ボルダーオ・ナバール四世
今やチョーカと並ぶ大国『ナバール朝』の長です」
「ナバール王……!」
やがてナバール王は一人の人物を見つけると
ニタリと不敵な笑みを浮かべて近付いた。
その相手は継承権第一位、イオス伯爵。
対峙した瞬間、彼らは固い握手を交わす。
「来ないかと心配していましたよ、ナバール王」
「いや待たせたなぁ! 我が盟友イオス!」
その言葉と共に、
ナバール王はイオスの肩に手を添えた。
そのパフォーマンスがどんな意味を持つものか、
この場にいる者なら誰もが理解出来る事。
むしろ「ここまで直接やるのか」と戦慄していた。
「イオス君は英気盛んですが、まだ若い
対してナバール王は既に何十年も王位に在る」
「じゃ、じゃあ? 伯爵が皇帝になれば?」
「チョーカ帝国は実質ナバールの物となるでしょう」
(……これが人類の、権力争いか)
帝国重鎮と仲の良いソダラ公。
保守派に好まれるオリベルト侯。
そして民衆からの支持が厚いイオス伯。
前夜祭に来た三人の王位継承権所有者に
ベリルは思わず身震いしていた。
〜〜〜〜
前夜祭は恙無く進み、会場では予定通りに
貴族たちの社交ダンスが始まっていた。
だがベリルの心中に限っていえば
穏やかとは程遠い。
王位継承権所有者たちとナバール王。
警戒すべき情報の濁流で既に一杯一杯だった。
「相当に参ってるな。待ってろ。水を貰って来る」
「ありがとうガネットさん……
なんとかウォーターは止めてね?」
「トニックウォーターな。フッ、分かっているさ」
そう言ってガネットは立ち去った。
セルスとヘリオの姿は見えず、
大公もオリベルト侯も既に別々の場所に離れて、
この場に居るのはベリル少年ただ一人。
守ってくれる大人は居ないが、別に問題無い。
何故なら今は、皆がダンスに夢中だから。
(今は誰も僕に興味無し! 少し休も)
その時コツコツと音が鳴る。
会場の音楽に紛れて、迷いなく。
(目も閉じちゃお! あーこれ大分回復するぅ)
ヒールの付いた足音一人分。
それが一直線に少年へと近付いた。
(そもそも、僕を誘う人なんて居るわけ――)
やがてそれは少年の前で停止した。
そして足音の主はそっと滑らかに手を伸ばす。
「失礼、ムッシュ。この場で私と釣り合う男性は、
どうやら貴方しかいないようです――」
「んんっ!?」
慌てて両目を開いて見れば、
其処に居たのはかなり若い人間の女性。
短い黒髪の横側一部を綺麗に編み込み、
黄緑色のドレスに身を包む――
ベリルとほぼ同年代の女性であった。
「――良ければ一曲、踊りませんか?」




