捌頁目 凪の戦場
~~同時刻・とある高級飯店~~
一つ、必要なのは『格式』。
築年数や過去に開かれた催しなど、
店が何に使われてきたのかという記録は
そっくりそのまま重要行事成功の歴史となる。
他国の要人を呼ぶに足る。それが格式だ。
一つ、必要なのは『安全性』。
首都ラクアのど真ん中。権威と象徴の眼前。
ここでの死者は帝国の顔に泥を塗る物であり、
通りすがりの狂人など当然侵入不能な聖域。
本当に不運なだけの事故は排除出来る。
一つ、必要なのは『象徴性』。
ここは食事処であって食事処に非ず。
ただ「美味しかったね」では終われない。
空間そのものが国家からのメッセージ。
求められるのは、文化の尊重と国の顔色。
「や、遅かったですね大公陛下」
「ご無礼をお詫び申し上げます、オリベルト候
……して、そちらにお控えの方は?」
「お初にお目にかかりますビクスバイト様!
私、こういう者で御座います」
(……! 冒険者ギルドか)
相手からの名刺を軽く受け取り、
オスカーはそのまま用意された席につく。
そして親衛隊長ガネットが
素早く食器類の点検を済ませると同時に、
彼はいつもの平坦な声で冗談を吐いた。
「一国の主ともなれば、
懐かしの帝国料理もゆっくり愉しめませんな」
「あはは、僕は本当に歓迎してますよ」
それを証明するかの如く、
オリベルトが二回手を打つのを合図に
チョーカ帝国が誇る豪華料理の数々が運ばれた。
鹿の丸焼き。辛口豆腐。蒸し饅頭に魚介のスープ。
これは大公個人をもてなすための食事会。
そしてそれを名目とした、政治のやり取り。
「ただ、ここの警備はギルドからの派遣ですから
絡まれてしまっては僕としても断りずらい」
「ふん。魔王亡き世界の稼ぎ頭はみかじめ料か?」
「おやおや。お二方とも手厳しいですなぁ?
昨日、私どもの者が不手際をしたとの報を受け、
改めてお詫び申し上げたく参った次第
その節は誠に申し訳御座いませんでした」
(昨日の不手際。小僧との接触か)
魔物を養護している者としては、
冒険者ギルドとの繋がりは極力断ちたい。
そんな本心を奥底に宿らせつつも、
大公は久方振りの帝国料理を口に運ぶ。
幸い「素敵な調味料」は無かったようで、
この場の誰もが料理の出来に満足していた。
そうしてしばらくの時間が経った後、
最初に本題を切り出したのは、
食卓で最も地位の低い者だった。
「さてビクスバイト様。誠に僭越ながらぁ、
日々のご政務におかれましては
治安などもご憂慮の種かと存じます
貴国は近頃いかがでしょうか?」
(直接治安を聞きに来るか、豪胆な奴だ)
「貴国はご建国より日も浅く、
何かとご苦労も多いことと拝察いたします
もしご憂慮がございますようでしたら、
――我らギルドとして、
何かお役に立てる道があれば、と存じます」
「ほう? 例えば?」
答えはもう決まっている。
が、知的好奇心にも似た稚気の念から
大公は目の前のセールスマンが
どう戦おうとしているのかを聞き出した。
そうとも知らず、相手は自信満々に語り出す。
「我らギルドとしましては――」
要約すると、それは実務的な貢献の話。
魔王軍壊滅後のギルドは
単なる武装集団、戦闘集団の集まりから、
独自のネットワークを持つ多機能組織へと変わった。
既存業務にもあった警備、護衛の手配から、
旅人や商人のための宿泊施設の運営。
さらには不要となったギルド支部を再利用した
土地の管理や仲介業務、不動産業などなど。
先の治安の話と絡めた巧みな営業が
これでもかと繰り広げられた。そして――
「……これはまだあまり公にはしておりませんが、
我らギルドは各地に独自の物流網を築いております」
「「――!」」
「実現すれば、世界がより一層近付くかと」
これには大公だけでなく、
同席していたオリベルトすらも興味を抱いた。
世界各国にある冒険者ギルド。
其処を中継地点とした物流網の構築。
魔物無き世界においてそれは実現可能な大偉業。
仮にこの波に乗り遅れでもすれば、
国の発展は恐らく数年遅れる事を予見したからだ。
「確かにそれは賢い策ですな」
「! お褒めに預かり恐縮でございます!
であれば貴国の地におかれましても――」
「――いい加減ギルド支部を置かせてくれ、か?」
「ッ……!?」
その言葉は商談相手の肝を冷やし、
同時にこの場を用意した傍聴者のツボに入った。
だが隣で喧しい王族の笑い声にもめげず、
ギルドのセールスマンは引き攣った笑みを保つ。
「はは……お見通しでいらっしゃいましたか……
恐れ入ります。未だギルドの関与が皆無な国は、
貴国の他には……東と南の蛮族くらい」
「侮辱か?」
「め、滅相もない! ご指摘の通り
オラクロン大公国における支部設立は確かに
我々冒険者ギルドの願いだというだけの話!」
(肯定、そして……)
「ですが、これは単なる拠点の設置に非ず!
貴国の発展に資する仕組みを根付かせ、
物流の安定や護衛の即応体制、
果ては民の暮らしを支える柱になり得るものと、
我々ギルドに所属する者は考えております!」
(意義の提示。概ね予想通りだな)
大公はゆっくりグラスに手を伸ばすと、
しばらくその色付きの水面を揺らし、口に運ぶ。
そんな大公の様子で何かを察したギルドの者は
昂っていた気持ちを霧散させるかのような
深い溜め息を漏らし、空のグラスから手を離す。
「勿論、全ては陛下のご判断に委ねるもの……
風向きが変われば、改めてご挨拶に伺います」
「おや? もう帰るのかい?」
「ええ。この場を設けて頂き感謝致します侯爵様
……それではまた、帝国万博にて」
「ああ。自慢の護衛業。期待しているよ」
オリベルトが柔らかな笑みと共に
その言葉をギルドの者に送った直後、
オスカーもまた退席に向けての指示を出す。
するとそんな大公に囁くように、
今度はオリベルトが顔を近付け問い掛けた。
「公国にとって悪い話では無いと思いましたが?」
「確かに悪くは無いのでしょう。ですが……」
「そんなに気になりますか?
自国にギルドを入れる事が……いや――」
分かっていながら、否、分かっているからこそ、
オリベルトはあえて堂々と言葉で発した。
「――『あの国』の影響力を入れる事が」
「御人が悪い」
「あはは! 大公陛下こそ悪く考え過ぎですよ
あの国は神政法国とも近く仲が良い
大使館を置くような物と考えれば良いのでは?」
「……ご忠告痛み入ります」
口先だけで感謝しつつも、
大公はギルドへの拒否感をより一層強めていた。
(どのみち聖騎士団もギルドも魔物の敵)
今回同席したセールスマンが
馬車に乗り込もうとするその瞬間を、
大公は店内からその濁った瞳で注視する。
(小僧に近付ける訳にはいかないな)
やがて男を乗せた馬車が進む。
その操縦をしていたのは、
モルガナと良く似た容姿の女性だった。
〜〜帝国博覧館・第三層〜〜
非戦闘区域。結局それは、
各々の取り決めで成立しているだけの事。
ここで戦うのは止しましょうよと、
双方が納得しているからこそ成り立つ空間だ。
故にどちらか一方がそうでないと断じたならば、
その瞬間、非戦闘区域は戦地に変わる。
例えどれほど多くの民間人がいようとも、
そうせざる終えない状況では火種も爆ぜる。
「最悪の場合は……戦闘もある、か」
頬に冷や汗を垂らす魔物の仔は、
人混みの中に見つけた聖騎士を目で追いそう呟く。
標的の周囲には警備任務に当たる冒険者が数名。
恐らくは同じ意志を持って行動している。
即ち帝国博覧館ひいては『天命理書』の警備だ。
冒険者のみであれば、恐らく出し抜ける。
普通にしていれば怪しまれる事は無く、
自分たちが魔物であると気付かれる可能性は
極めて低いと見積もって良いだろう。
が、聖騎士は違う。彼らは対魔物のエキスパート。
接触回数はそのまま正体発覚機会に繋がる。
すれ違う事すら、可能な限り回避したい。
遥か遠方で大公が配慮してくれたのも虚しく、
ベリルはそんな魔物の敵と接触しかけていた。
だが短絡的な結論に至りかけた、その時――
「いいえ戦闘は絶対に無しです」
戦意を蓄える若者の熱を、
年長者の冷めた口調が鎮火させた。
ベリルの肩に手を置きそう語ったのはギド。
ヴェルデ・クラックとの戦闘からずっと、
魔力が使えず戦闘から外れている魔物である。
「やっぱ戦えない?」
「戦えたとしてもやりませんよ
ここで騒ぎを起こしても我々に何の得も無い」
「それもそっか……どうするの?」
「幸いすぐそこに階段があります
主目的は天命理書が展示される第七層の下見
残念ですがそれだけ果たして大人しく撤退です」
「むぅ……仕方ないね」
自分を納得させるようにベリルはそう呟いた。
そしてギドに導かれるまま、
彼はほとんどバックヤードのような
階段の方へと歩いて行った。
〜〜別館・警備室〜〜
「可怪しい、な」
青髪の男がぽつりと呟く。
モニターと化した魔法陣に映し出された
本館の地図と大量の赤い動点をジッと眺めて、
掠れたような声で、一言そう呟いた。
それに警備隊長を任された男が反応する。
なんだお前喋れたのか、とでも言いたげな、
嘲笑に近い吐息の音を奏でながら。
「何か見つけたかアクア?」
アクアと呼ばれた青髪の若輩者は
上席者の問いには一切答えず、
新しい瓶にストローを突き刺し飲み始める。
そんな彼の態度に警備隊長が苛立ちを見せると、
ようやくアクアは潤いを取り戻した声で語る。
「昇降機から降りて、すぐに階段使います?」
「は?」
「ほら、ここの点二つ
さっき昇降機で第三層に上がったばかりなのに
もう階段を使って上層を目指してるんですよ」
「……目的の層じゃ無かったのでは?
第三層かと思って昇降機を使ったけれども、
本当は別の層だった、みたいな?」
「ふぅむ。なるほど。目的地じゃ無かった、ね?」
なるほどなるほど、と、
アクアは警備隊長の意見を咀嚼する。
しかしその口振りには納得のような感情は
ただの一つも存在していなかった。
そして彼は己の下唇に押し付けた親指を弾き、
相手の考えを皮肉るように反論する。
「ならまずは、昇降機前の案内図を見ませんか?」
「え? あ!」
「こいつら、一目散に階段の方に行きましたよ?
まるで……そうですねぇ? 第三層で遭遇した、
都合の悪い何かから逃れるみたいに――」
「っ!? おいアクアッ! 何をする気だ!?」
警備隊長の権限も無視して、
少年は独断で目の前の機材を操作した。
「昇降機前階段の出入り口を全て封鎖します」
「なっ!? ちょっと疑っただけだろ!?
たったそれだけで……何もなければどうする!?」
「その時は僕と隊長で『ごめんなさい』です
あと――」
ソファの上でクルンと体勢を変える。
始めて彼は相手の目を見て話した。
「僕は『機構統監』。貴方の手下じゃない」
「っ……!?」
〜〜〜〜
「――! これは!?」
異変に気付きギドが声を荒げる。
彼が見上げる視線の先。
目的地である第七層から順に
扉がガシャン、ガシャンと音を立てて
閉まり始めたのだ。
否、上からだけでは無い。
封鎖は眼下の第一層からも始まり、
まるで挟み込むようにして二人を狙う。
堪らず魔物たちは間近の層へと避難した。
階層を確認してみれば其処は、
当初の目的地であった第七層の二つ下、
第五層であった。
「ギドっ……今のは?」
「分かりません。が、すぐ移動した方が良い!」
直感に突き動かされるままに、
二人は止まりかけた足を再び動かす。
素早く壁に張られた案内図を確認してみれば、
幸いにして階段はまだ存在している事が分かった。
「各階層を繋ぐ短い階段はあるみたいだね
けど……それぞれで位置がバラバラだ……」
「恐らく占拠されない事を意識した構造でしょう
先ほどのような仕掛けもあるみたいですしね」
「……まさか僕らの事がバレてる?」
「まだ、だと信じたいですねぇ。まぁとはいえ――」
チラリとギドは目線だけを余所へ向けた。
すると丁度その方角からは二名の冒険者が
こちらへ向かい接近する様子が伺えた。
故にギドはすぐさまベリルの手を引くと、
人混みの中へ飛び込み自分たちの姿を隠す。
「身体検査を受けるのだけは避けましょう」
現時点での手荷物は土産が数店とパンフレット。
そして先ほど入り口で渡された靴袋と、
そこに仕舞ってある各々の土足のみ。
武器や暗器の類は無い。その点で言えば問題無し。
だが彼らは根本的に調べられては困る存在。
公国の戦力と発覚するだけならまだしも、
魔物とバレてしまっては全てが終わる。
仮にそこまでいかなかったとしても、
要注意人物としてマークされてしまえばお終い。
万博の本開催期間中に動けなくなってしまう。
聖騎士が近くを徘徊している以上
戦闘という選択肢も存在していない。
即ち、魔物たちの敗北条件をまとめると、
――『警備員たちに呼び止められる事』だ。
「幸い冒険者たちはまだ階段前で調査中……
どうやら我々の人相までは掴めていないらしい」
「つまり、僕たちの勝利条件は?」
「『顔を見られる事無く撤退する事』ですかね
ただし交戦禁止の戦いです。やれますか?」
「難しいね……頑張るよ」
すれ違う者の顔は皆笑顔。
此処は決して血の流れる事無き凪の戦場。
帝国万博テストラン――博覧館での撤退戦。
ベリルとギドは、堂々と一歩を踏み出した。
〜〜〜〜
『現場にそれらしい人物は見当たりません』
刻印が輝く通信機器からの声を聞き、
警備室の者たちには安堵にも似た溜め息を吐く。
気を張る必要のある不審者は居なかった。
それが本開催を控えた警備の者たちにとって、
どれほどありがたい事かは言うまでも無い。
が、それでは納得しない者がここに一人。
機構統監アクアはまだ怪しい赤点を捉えていた。
(扉の閉鎖について、係の者へ確認もしない、か)
「おいアクア。もう気は済んだだろ?
早く昇降機前階段の閉鎖を解除して――」
「いいえ。警戒態勢を一段引き上げます」
「な!?」
「こちらから標的の追跡は続けています
館内の警備員は、全員私の指示に従ってください」
「っ……! ふざけるな!」
流石にそれはやり過ぎだと
警備隊長はアクアの肩を引っ張り胸倉を掴む。
あわや一触即発の緊迫が、
現場ではなく警備室に張り詰めた。
「貴様のそれは暴走だ! 恥を知れ!」
(ちっ、状況の読めないバカが……)
やがて警備隊長が拳を振り上げ、
同時にアクアが胸元に手を伸ばす。
が、正にその時、その瞬間の、
緊迫は乱入した第三者によって破られた。
「良いじゃねぇか警備隊長ぉ! やらせてやれ!」
乗り込んで来たのは金髪の偉丈夫。
濃いサングラスと豪胆に蓄えられた髭は
彼の荒々しさ、漢らしさを前に押し出すが、
同時に艶やかな後髪の一部を
三つ編みに束ねるその髪型からは
男の凡庸ならぬ品格の高さを物語っていた。
やがて真っ青なコートを靡かせるその大男は、
ダンッと机を踏みつけ笑みを見せる。
「急に扉が閉じて何事かと思えば……フフっ!
万博の雑務はオリベルトの仕事だが、まぁいい」
「誰だ爺さん?」
「口を慎めっ……! この方を何方と心得る!?
皇族の御一方にして公爵位を賜る尊貴なる御方
ソダラ・羅・ホーガン・フル・インペリア様だ!」
(皇族の一人か!)
「ソダラ公で良いぜ。アクアっつったか?
思うようにやれ、せっかくのテストランだァ!
お前らも本番と思って『真剣』で行け!」
「「しょ……承知っ!」」
鶴の一声はあらゆる理屈を凌駕する。
先程までアクアに非協力的だった隊長は
一転して全権を彼に委ねる対応をした。
チームの頭脳と定めたその少年に対し、
恥じらう事もせず策を聞く。
「まずはどう動く!?」
「……では、各員にこう指示してください」
~~~~
「可怪しい、ですねぇ」
帝国博覧館第五層。そこは武具の展示エリア。
タイトルは『剣と栄光のホール』。
帝国を支えた過去の英傑、偉人たちが
実際に使用した宝剣や神器が
検閲済みのエピソードと共に展示されている。
きっと時間を掛けて見て回れば
もっと愉しめるフロアであったのだろう。
だがしかし今のベリルたちにその余裕は無い。
「何かあったの?」
客ですよアピールのために立ち寄った売店にて
ベリルが品物を手に取るギドの隣で呟いた。
端から見れば完全に万博に訪れたただの親子。
疑われるような素振りは何一つ無いはずだ。
が――
(敵の動きに、ミスが無い……)
恐らく通信機器らしきアイテムを片手に、
追手の冒険者は確実に彼らに近付いていた。
その表情はどこか、指示に対しての
少なく無い不信感を醸し出していたが、
それでも彼らが最終的に選択するルートは
確実にギドたちの軌跡を辿っていた。
(指示役はこちらの行動を把握している?)
「ねぇ? ギドぉ?」
「移動します。歩きながら話しましょう」
「わっ、と!? 急に引っ張らないでよ……」
「それは失礼。時にベリル」
「なにさ?」
「生体反応をリアルタイムで捕捉する魔導機構……
現在の技術でそれは作れると思いますか?」
「うん? むーむむむ……」
ベリルが悩み出したのと同時に、
ギドは改めて脳内で自分の推理を整理する。
相手の位置情報を伝える技術は――ある。
他ならぬオラクロン大公国が使用した『刻印』だ。
今もベリルとヘリオの体に刻まれているそれは
専用の設備があれば常に相手を探知出来る。
がしかし、今の状況でそれは無い。
チョーカ帝国に来てからずっと、
刻印を刻まれるような隙は晒さなかったし、
何より万博に訪れた全員に刻印を付けるなど
到底現実的とは言えないからだ。
それに加えてギドは目聡く、物覚えが良い。
一度見た魔法ならば二度目以降は
事前に探知出来る自負があった。
けれども今はその類を感知出来ない。
ならばこれは彼が熟知している
技術系統では無いのだろう。
(つまり最有力は魔導機構!
歴史の浅いこれらは未だ私も勉強不足ですが――)
「うーん、無理なんじゃない?
要はこれだけいる客を個別に識別するんでしょ?
生体反応や魔力反応じゃ混ぜこぜになるよ、多分」
(やはり、そうですか)
ギドは心から納得したような、
それでいてどこか軽蔑するような瞳をしていた。
だがベリルがそれに気付いてゾッとしたのと同時に
再び彼の小柄な体は力強く引っ張られてしまう。
ギドが今までより更に歩調を速めたのだ。
そして口元に闘争心を浮かべて彼は宣言する。
「敵はこちらの動きを先読みする有能
ここからは、その前提で動きます!」
相手が引き上げた警戒レベルに合わせて、
ギドもまた、見えない敵の影を巨大化させた。
相手にとって不足無しとは正にこの事。
自然とその歩調も速まるというものだ。
が、その進路はベリルの予想から外れて、
二人は下層へ繋がる階段に背を向けた。
「あれギド? こっちは……」
「敵はこちらの存在に気付いています
そして、こちらも気付いていると気付いている」
「うん。うん?」
「撤退を目論む下手人なら下層を目指すでしょう?
この場合それが一番適切であり一番読まれやすい」
「――! つまり!」
「ええ。ここはセオリーの逆を突いてやりましょう
当初の予定通り、我々は最上層を目指します」
「そ、そんなに上手く行くかな?
僕なら両方の階段に見張りを付けるけど」
「確かに。なので対策は必須ですね」
刹那、ギドの瞳がギロリと動く。
それも左右それぞれの眼球が別の方向で、
わざわざ顔の向きを変える事も無く、
蛇の目は周囲百八十度を探査した。
そして一瞬にして見えている範囲内での
敵の配置を確認すると、次いで彼は
自分の眼前にパンフレットを寄せたかと思えば、
反対の手で商品棚にある土産頭巾を盗んだ。
「え。ちょ!? 何をやって?」
「顔を隠して。どうせ捕まればアウトです
私はこのパンフレットで顔を隠しますから」
「えぇ……てかそれだと前見えないんじゃ?」
渋々頭巾を被りながらそこまで言い切った時、
ベリルは近くまで迫る冒険者の影を見た。
恐らく相当に警戒されているようで
安易に声を掛けては来ないが、
明確に、此方を意識して歩いて来る。
「っ……! ギドっ!!」
「大丈夫です。地図は全て覚えました」
「そうじゃなくてっ! すぐそこまで!」
冒険者が、攻撃可能な間合いに入った。
その時――
「なのでここからは、ガンダッシュです!」
「「ッ!?」」
ベリルも、そして冒険者も驚かせ、
ギドは少年の手を引いて駆け出した。
当然それはあまりにも目立ってしまう愚行。
冒険者は血迷ったかと焦りつつも
通信機を取り出した。
「目標の姿確認! 白衣の男と、子供!?」
(まずい! 服装がバレた!)
此処から先の展開は一つ。
情報を共有された戦士たちの集結。
聖騎士を始めとした警備隊の物量作戦。
既にベリルは更にその果てにある、
不毛な戦いまでも覚悟する。
が、ギドはそれとは別の未来を見ていた。
そして彼は、自ら導火線に火を付ける。
「イルミネーションの時間でぇええす!!」
「「!?!?」」
「え!? イルミネーション?」
「そういえばやるらしいね、十分間だけ」
「ええ!? 先に言って! 窓どこ!?」
「ダメだ見えない! 第五層窓無い!」
「じゃあ上か? 階段どこだっけ?」
「俺たちは間近で見ようぜ!」
「とにかく急げ! すぐ終わっちまうぞ!」
時間制限付きの限定イベント。
それだけで人々の焦燥感は駆り立てられた。
万博の展示物が予想以上に
人々を愉しませていたのも功を奏し、
期待感に胸を躍らせる彼らは駆け出した。
より広い視点を求めて上層へ、
或いはより近い視点を求めて下層へ。
その人の波は、追撃者から標的を隠す。
まるでそれは肉の壁。氾濫した人の河。
「す、すごい人の流れッ!」
「離れないように、第五層を突破します」
「っ! でももう姿を見られてる!」
「ええ。司令塔には既に共有されているでしょう
が、残念。脳より優秀な手足は無い」
「え?」
~~警備室~~
「おいどうなっている貴様ら!?」
怒号が飛ぶ。罵声が飛ぶ。
背後で大柄な王族が呵々大笑する中、
焦り散らかした警備隊長の指示が飛ぶ。
「白衣の男! 白衣の男だ!
さっさと探さんかバカモノ!!」
『そ、そんな特徴の奴は大勢いますよ!』
『子供連れも多い! 何より流れが早い!』
『そもそもその子供は人質なのでは?』
『標的ロスト……! すみません!』
『指示を! 我々は誰を追えば良い!?』
「ッ……全層の警備員を総動員しろ!」
「おいおい。それじゃあ他がお留守になるぜ?
それでいいのかい警備隊長さんよぉ?」
「ソダラ公!? ッ、どうするアクア!?」
(……お相手さん上手いな)
どれほど的確な指示が警備室より届いても、
結局実働するのは現場の警備員たち。
それも統率された軍隊では無い。
大半が雇われた冒険者たち。
指揮系統は統一出来ても、所詮は寄せ集め。
「ハッハッハァ! してやられたな機構統監!
どうする? 諦めて交通整理でもするか?」
「まさか。敵は確かに優秀でした、が――」
アクアは機構に手を伸ばす。
黒い皮手袋で覆われたその指先は、
画面に未だ映る二つの赤点を追っていた。
「――想定の範囲内です」
~~第六層~~
「なんとか撒けたようですね!」
トイレで服を裏返しにして、
外見を「黒衣の男」に変えてしまうと、
ギドは満足げな笑みをベリルに向けた。
そんな彼の姿に頼もしさを覚えつつ、
少年もまた眉を歪めた笑みで返す。
だがそんな彼らの視界には、
再び脅威が入り込む。
「「!?」」
見つけたのは第三層にいた聖騎士。
それが遂に第六層にまで上がってきた。
明らかに、此処に居るという確信を以て。
(な……何故!?)




