陸頁目 オリベルト
ネーロ・才・パウロ・フル・オリベルト。
帝国侯爵にして、皇帝血縁者の一人。
三十代前半だが立派に蓄えた顎髭からは
男らしさや頼もしさが演出されており、
同時に肌艶も良く整った甘いマスクからは
侯の底知れない親しみ易さが滲み出ている。
そんな彼がひとたび市街に繰り出せば、
聞こえてくるのは黄色い歓声。
年齢問わず、性別問わず、
尊敬も、好感も、町娘の秘めたる恋情も
全て候の笑顔に吸い込まれていった。
「相変わらずの人気ですな、殿下」
「あはは……こう人集りが出来てしまうと
移動が大変なので考え物ですがね」
「……馬車はどちらに?」
「すぐ近くで待機させています
まずはそこまで避難するとしましょうか」
「ですな。小僧、行くぞ」
大公は彼の中では比較的大きく声を張り上げ
ベリルの方へと目をやった。
しかし当の少年の方はというと、
オリベルト目当てで寄ってきた町娘たちに
好奇の目で可愛がられている所だった。
「何この子超可愛いんですけどー!?」
「ボクー? 侯爵様とどんな関係なのかな~?」
「隠し子って言ったら私たち皆死んじゃうよ~!」
「あ、ぐ、通りたい……です……」
魔物の全力を出せれば容易に突破可能でも、
それが叶わないのが潜伏者の辛い所。
もみくちゃにされる魔物の仔を眺めながら、
大公はそんな事を考えつつ声を送った。
「何をしているのだ貴様は?」
「大公!? これ僕のせいですか!?」
「はは、逸れ矢が当たっちゃいましたね
責任をもって僕が引き取りましょう」
そう言うとオリベルトは、
淑女たちを優しく押し退けベリルを拾う。
少年の目線まで上品に腰を落すと、
その小さな体を右肩に乗せるように抱いたのだ。
幼さの残るベリルを抱き上げるその姿は、
見た目だけならまるで育児に勤しむ若夫君。
少年と侯爵の顔が間近に並ぶその色香は、
群がる御姉様諸氏には些か刺激が強すぎた。
「「はぅッ!!!!」」
素直に脳を焼かれたか、あるいは
母親役に自分を当て嵌めてしまったのか、
とかくベリルの離脱を妨げていた者たちは
早業の剣豪に斬り捨てられた雑兵の如く
バッタバッタとその場に倒れ伏して行く。
そんな人間たちの姿にやや引きつつも、
ベリルは侯爵に抱きかかえられている現状に
すぐさま羞恥心を覚えて降りようとした。
だが侯爵は少年の背中に添えた左手を
決して退けようとはしなかった。
「あの……侯爵殿下? そろそろ~?」
呟くベリルの耳に鼻歌が聞こえる。
候は満面の笑みで少年の言葉を無視していた。
「殿下!?」
「諦めろ。殿下の子供好きは有名な話だ
フッ、ここなら貴様の痴態も良く見える」
「やだ……みないで……」
結局、馬車に乗り込むその時まで、
ベリルは侯爵の腕から離れられなかった。
そうして乗り込んだ侯爵の馬車は
皇族の所有物にしては意外にも手狭。
彼と大公とが対面に座ってみると、
膝と膝とが擦れる程度には狭かった。
大国であるはずの帝国よりも、
やはり今は公国の方が裕福なのだろう。
そんな感想を密かに抱きながら、
ベリルは人間二人の会話に耳だけ参加する。
「改めて陛下。ようこそチョーカ帝国へ
迎賓館の方には既に顔を出されましたか?」
「ええ。ベリル以外は皆そこで休息中です
やはり三十日弱の長旅は体に来る物がある」
「そうでしょうねぇ。それでも、流石大公陛下
予定よりも数日早く到着されてしまわれるとは!
お陰で呑気していた僕らはてんやわんやです」
「呑気、ですか」
何やら意味ありげに大公はそう呟いた。
だがそれに対してオリベルト候は
沈黙という形で返答する。
そして話題転換に利用するために、
柔らかな笑顔を今度はベリルに向けた。
「ベリル君、帝国は愉しめているかい?」
「到着したばかりですので、まだ何とも」
「ぷっ、ははは! 『まだ何とも』か!
やっぱり子供は正直でいいね!」
(無礼だったかな?)
オラクロンの王である大公が
あまりに身近な存在であったがために、
ベリルは皇族との距離感を見誤っていた。
しかし、今回はどうやらラッキーだったらしい。
オリベルトが『子供好き』だったがために、
少年の発言は可愛いものとして流してくれた。
(とはいえ、相手は皇族。気を付けなきゃ……)
人間の世界で潜伏していくためにも、
ベリルはこれ以上の無礼を働かぬように
今からは極力喋らない事を心掛ける。
だがどうやら、そんな大人し過ぎる少年の姿が
逆に候の親切心に火を付けてしまったらしい。
「大公陛下、この後のご予定は?」
「……早く到着した分、余裕は作れます」
「フッ、話が早くて助かります。では――」
そう言うとオリベルトは窓を開け、
馬車と並走していた従者にいくつか指示を出す。
そして従者の早馬が迎賓館に向けて駆け出すと、
次いで馬車を操縦する御者に命令し、
その進路をラクアの大通りへと変更させる。
「え?」
「せっかく来たんだ。愉しんで貰わなきゃ!」
「だそうだ小僧。本来有り得ぬ事だぞ?
殿下が直々に貴様を持て成して下さるそうだ
後生の宝と有り難がり、かつ無礼は働くな」
「は、わわ……!?」
突然ベリルに降りかかったのは特大の試練。
これから人間嫌いなこの魔物の仔は、
内に秘めたその刺々しい本音を隠しつつ
人間の持て成しに喜ばなければならない。
しかも相手は超大国の穏やかな皇族。
出会ったばかりでその感性はよく知らず、
無礼とそうで無いラインの線引きが難しい。
持て成されているはずなのに、
既にその心は重苦しさを覚えていた。
「それじゃあ出発進行!」
(行きたくない~~~~~ッ!!)
発声無き悲鳴も虚しく、
三人を乗せた馬車は迎賓館から距離を置く。
~~同時刻・帝国宰相府~~
白亜の広場と、これまた巨大な白亜の建物。
三角錐の中央からぱっくりと開いたような造型の、
デザイン性に富んだ建物が其処に在る。
景観維持のために周囲には緑も生えてはいるが、
それらは自然と呼ぶにはあまりにも
規則正しく、機械的に整えられていた。
まるで一つのミスも許さぬという気配の表れ。
美しくも堅苦しいこの施設こそ『帝国宰相府』。
皇帝に代わって執政を行う帝国の頭脳だ。
その内部構成は大きく分けて三種類。
第一宰相庁――所謂、教育や法を司る文政の要。
第二宰相庁――上記とは真逆の軍政機関。
神託庁――龍脈信仰を軸に各種儀礼を執り行う。
これら三種の庁が互いに連携、監視を行い、
帝国の行政は今日まで保たれてきた。
が、この三庁全てにおいて
最終的な決定権を所有する人物が二人いる。
一人は皇帝。絶対君主制なのだから当然だろう。
当代のソレが立派な名君であったのならば
チョーカ帝国もまだまだ勢いを保てたはずだ。
だが現在の皇帝にそんな力は備わっていない。
故に今の帝国でその最終決定権を有しているのは
実質的に、ただ一人――
「宰相閣下!」
呼ばれた男は振り返らない。歩調も緩めない。
自身を呼び止める声に気付いているのに、
自ら相手に合わせようなどという気持ちは無い。
そしてそれがすっかり日常の光景なのか、
呼び止めた方も気にせず傍らに駆け寄ると、
聞いているのかどうかも判断し難いその横顔に、
素早く持って来た情報のみを投げ掛ける。
「オラクロン大公国大公ビクスバイト様が
先程首都ラクアに入られました」
「誰だ?」
「は? いえですから、ビクスバイト様――」
「違う。対応したのは誰だ?」
「あ、あぁ失礼しました! えぇと……」
部下は資料をパラパラと捲り答えを探す。
その間も宰相は足を止める事は無く、
いやそれどころかむしろ、
準備の悪い部下を捨てるように速度を上げた。
そんな彼に頑張って追いついて、
部下は求められた答えを返す。
「オリベルト侯爵殿下ですね」
「で?」
「は?」
「で?」
「えと、あの……大変不躾ながら、
何をお求めかをお聞かせ願えますでしょうか?」
「大公陛下は侯爵殿下が対応。で、どうなった?」
「ああ、まだ接触したばかりで、特に何も――」
その瞬間、宰相はピタリと足を止めた。
どころかクルリと身を翻し、部下を睨む。
その瞳は鮮やかながらとても冷たい蒼色で、
顔立ちこそ男前であるのにも関わらず
それすら消し飛ばすほどの威圧感があった。
やがて宰相は、冷たい声で吐き捨てる。
「そのレベルの報告は要らん」
「え……?」
「見て判らんか? 私は忙しいのだ
貴様とのくだらん応答で何秒無駄にした?」
「あ! それは……」
「もういい下がれ、時間が惜しい」
あえて強調するようにそう言い残すと、
部下からの謝罪に今度は完全に耳も貸さず
宰相は今までよりずっと早く歩いていく。
(オスカーの行動など些事に等しい
ましてオリベルトならば下手は打つまい)
今の彼の脳裏にあるのは帝国万博。
そしてそこへと群がってくる諸国の重鎮。
特に――公国など比では無い大国の主。
(さて、どう出るナバール王?)
宰相は立ち止まる事なく進み続ける。
黒いマントと茶色い髪を靡かせて。
~~~~
帝国中枢に立ち籠める暗い影。
それとはまるで無縁な様子で走る馬車。
帝国内外の要人二人を乗せたその馬車は
自由気ままにラクア内を巡っていく。
「龍園のお話はもう聞いたかい?」
「は、はい……!
龍脈の上に築かれた文化圏、でしたよね?」
「正解。ふふ、そう堅くならなくて良いよ」
緊張で声が裏返るベリルとは対称的に、
オリベルトの声色は常に優しい。
彼は終始笑顔を絶やさすこと無く、
自分の左隣にベリルを座らせ、
帝国の知識を与える事で可愛がる。
まるで自分の息子であるかのように。
「龍脈は言わば帝国の心臓
これが無ければ国は今ほど発展しなかった」
「はぁ……」
「でも実はその中心はラクアじゃないんだ
龍脈の真の中心地はもっと山の奥なんだけど、
利便性を考慮してこの場所になったんだよ」
「へー」
「だからラクアは政治と文化の中心地!
帝国にとっては正に、心臓だね!」
「はーそうなんですねー」
「おい小僧」
「はッ! な、何か失礼を?」
「殿下は今、心臓を二回言ってボケられた
ここは『心臓二つありましたが』と応答しろ」
(難し!?)
「アイスブレイクになれば思ったんだけどね
あはは! 逆効果だったみたい! ごめんね!」
此処は素直に自分の落ち度として
オリベルト候はその身分に似合わず
簡単に謝罪の言葉を口にした。
だがそれが逆に根の真面目なベリルの、
今にも破裂寸前だった緊張感を更に高める。
これではまずい、と
早めに察知したのは大公オスカー。
彼は持参していた小瓶の液体で口を潤すと、
ラクアに到着したばかりのベリルが、
何に興味を持っていたかを想起させる。
そして、いつもの声色で助け船を出した。
「街の景観を気に入っていたな?」
「え?」
「殿下。この者は建物の意匠や造型、
果ては文化や歴史に興味があるようです」
「いや……そっちは別に――」
「おお! それは素晴らしいですね!
いや何を隠そう僕も歴史研究が趣味で!」
「ええ。存じておりますとも
殿下は帝国随一の文化人ですから」
「……」
ああこれは、とベリルは多くを察し閉口する。
彼の中にあった興味関心の強い事柄と、
オリベルト候の得意分野とを関連付けて、
大公は半ば強引に会話の種を用意したのだ。
加えてそこで生じる興奮気味な喋り出しを
彼は代わりに引き受けてもくれた。
ここまでされては無下にも出来ない。
そう判断したベリルは大公の与えた道を進む。
「首都の美しさには確かに驚かされました
特に多文化なのに整った街の雰囲気が好きです」
「あはは! 君にそう言って貰えたのなら
当時の建築家たちもあの世で喜んでいるさ!
よし。首都のデザインに絞って話そうか!」
(やった!)
興味も無い事を長々話される危険が無くなり、
ベリルは一先ずの安堵を得た。
そして、事実その後の話は
少年の底知れぬ知識欲を大いに刺激する。
まず話されたのはラクアの構造についてだった。
「知っての通りチョーカは多文化複合国家!
けど君が言ったようにそれらが乱れず
美しい調和を保てているのは、
ラクアが複数の環から成る環状都市構造だからさ」
「環状都市?」
そう言われると
ベリルは改めて窓の外に目をやった。
前から確かに円形だなとは思っていたが、
今一度都市全体を眺めてみれば、
その構造意図が手に取るように理解出来た。
確かに多くの文化が混在しているのだが、
よく見ればそれは区画毎に別れていたのだ。
「各環は国家成立時の異なる文化圏を象徴していて、
建築様式、色彩、街路の材質がそれぞれ違う」
(けど整理整頓出来てるから整って見える、と)
「因みに街路樹の植生も各環ごとに違うんだ
特に文化圏を跨ぐ道路は『香路』と言ってね、
植えられてる花の匂いによって、
エリアが変わった事を認識出来るんだ」
「へぇー面白い」
それまでの愛想が良いだけの返事とは違い、
ベリルの目には徐々に楽しさの色が滲み始めた。
しかし本人にその自覚は無く、
気付いていたのは彼を持て成す侯爵のみ。
「ふふ、気になった所はあるかな?」
「えっと、じゃあ――」
既にアイスブレイクは完了していた。
魔物の仔は、十五才の少年は、
尽きぬ好奇心と知識欲に押し負けて、
否、その事にすら気付かず問いを出す。
「首都の中心には何があるの?」
「区画の名称としては文化融合区『交界環』!
建物としては『宰相府』や『龍璇殿』かな?
あぁ、龍璇殿ってのは皇帝陛下の宮殿ね」
「綺麗ですか?」
「ものすっっっっごく綺麗。簡単には入れないけど」
未だ見ぬ美しい建築物に思いを馳せる。
まだまだ好奇心は尽きやしない。
「はっ! あの硝子張りで綺麗な建物は?」
「お! お目が高い。あれは『孤児院連盟』本部
何を隠そう、この僕も出資者の一人でね!
……外国からの支援金も受け付けてますよ?」
「一考しておきましょう」
(大公に飛び火しちゃった……)
侯爵と大公とが揃っている故に、
全ての会話が緩やかとはいかない。
だがやはり、まだまだ知識欲は尽きない。
「時折見かけるあのデザインは?」
「どれのことだい? ……ああ『賢字』だね
初代皇帝陛下の出身民族が扱ってた文字だけど、
今ではああしてデザインとして扱われている
名前に使えるのは今でも名門貴族だけだけどね」
(オスカー・フル・ビクスバイト……おや?)
「なんだ小僧?」
何やらあまり触れない方が
身のためとなりそうな事柄も見えてきたが、
それでもベリルはまだまだ、まだまだ
この見慣れぬ土地を謳歌したかった。
が、そこは残念、時間は有限。
気付けば陽光は地平線への帰路につき、
斜陽の空色は青から赤へと変わり始めた。
そして同行者二人はどちらも権力者。
あまり長い時間政務からは離れられない。
これほどまでに時間を取れた事すら
むしろ奇跡と呼べる事だったのだろう。
『侯爵様、そろそろ』
「あー残念! もっとお話ししたかった」
「こちらもです殿下。日々ご公務ご多端のところ、
我らの……いえ、この者のためにお時間を頂戴し、
心より御礼申し上げます」
「あはは! まだ早いですよ大公陛下
迎賓館までお送りします」
(そっかー、もう終わりかー)
どこ物寂しさを感じずにはいられない。
が、それ以上にこれからへの期待もあった。
チョーカ帝国で暮らす日々にはまだ余裕があり、
惜しくも今日だけでは行けなかった場所には
明日以降絶対に行ってみたい。
そんな思いを、魔物の仔は抱いていた。
――『ワシらはとっくに畜生と成り果てた』
同時に湧いて出たのは無関係の記憶。
風神を祀る村で見た外道たちの心の声。
きっと先に首都を見ていたのなら、
あの村の光景が信じられ無かっただろう。
しかしベリルは先に見た。
斬り捨てられた者たちの凶行を、
園外の現在を、帝国の実状を。
「滅亡って、案外緩やかなのかなぁ……」
「「――ッッッ!!!!」」
当然、声に出す気などサラサラ無かった。
大公一人の前ですら不要な発言であるのに、
今はオリベルト候の目の前。
せっかく持て成して貰ったのに、
これでは恩を仇で返すようなもの。
魔物の潜伏者目線から見ても、
皇族の好感度という得難い切り札を
みすみす放棄してしまう愚行であった。
そんな状態であったからこそ、
当初ベリルは大公たちの反応に戸惑った。
次いで自分が声に出していた事に気付くと、
ゾッと青ざめ、涙目で侯爵の顔色を伺う。
大公が今まで見た中でも特に焦っている中、
オリベルトはゆっくり顔を上げて開口した。
「あははは! やっぱ子供は正直だな~!」
「「……っ!?」」
「そうそ! 今の帝国には、
こういう民の声が必要なんだよ!」
「ゆ、許してくれるの……?」
「民衆の声に目くじらを立てて、何が皇族だ
言論弾圧なんて独裁者、宰相一人で十分さ」
「殿下、それは……」
「おっと、浮かれすぎて口が滑った!
これでお互いペケ一つ! お相子だね」
そう言うとオリベルト候は右手を伸ばし、
汗ばむベリルの頭を優しく撫でた。
その余りにも柔らかな肌触りは
魔物の仔でも思わず安らぎを覚えるほど。
そして侯爵は真紅の夕焼けを背に、
優しい笑顔のまま言葉を添えた。
「ふふっ――僕はネーロ
ネーロ・才・パウロ・フル・オリベルト
自分で言うのも恐縮だけど帝国随一の文化人!
美しいものに心躍る、ただの子供好きさ」
「……」
逆光は、彼に深い影を添えた。
けれどもその口元に浮かぶ感情は、
今までと同じく柔らかい。
そんな候の顔を、ベリルは見上げ、
じっと見つめるばかりだった。
「……! 殿下。迎賓館に着いたようです」
「おっと、いよいよお別れだね
……そうだ! ベリル君。これを――」
大公に見られてはマズいのか、
オリベルトは何かの封筒を少年に渡す。
だがベリルがその中身を問うより先に、
彼は次の仕事と焦って馬車に乗る。
その背を少年は、ただただ見つめていた。
「小僧」
「は! はい!?」
「良くして頂いたのだ。何をすべきだ?」
「! ありがとうございました殿下!」
少年の言葉に、馬車の中から侯爵は振り返る。
そして僅かな笑みを浮かべると、
彼は最後にもう一つだけ情報を置いて行った。
「皇帝陛下のご年齢は十才であらせれられる
君より若く、そして幼い」
「……え?」
「孤児院への出資も結局そういうこと
子供は未来。彼らの詩はこの先も続いていく
とりわけ陛下は――帝国の心臓だ」
「――!」
夕焼けと暗がりを背にそう語る侯爵に、
ベリルは素早く、力強く応答する。
「いや心臓三つ目!! 蛸か何かですか!」
「……あぁー……」
「え?」
「今のは素で言ってた、ごめんね」
(難しい難しい難しいぃ~~~~!!!!)
微妙に噛み合わず、ベリルは頭を掻きむしる。
その間に大人たちは形式的な会話を済ませ、
侯爵の乗せた馬車は風の如く去って行った。
~~迎賓館・ベリルとギドの部屋~~
「はぁー、それは大冒険でしたねー」
ギドはすっかりくたくたとなったベリルから
今日あった出来事を聞いていた。
モルガナの人違いを追って飛び出した事。
冒険者ギルド前でオリベルトと出会った事。
そして大公を含めた三人でラクアを巡った事。
一切合切を包み隠さず、彼と共有する。
それはそれは、楽しそうに――
「そんなに楽しかったですか?」
「――!」
ギドの言葉はベリルから
すうっと暖色の感情を抜き取った。
室温が数度下がったような錯覚さえ覚える。
そしてベリルは再び浮かれる己を自覚した。
「ご、ごめん……こんなんじゃダメだよね」
「?」
「将来魔王になろうって魔物が、
人間が造ったものに喜んでるようじゃ……」
「……ふむ。そうかもしれませんねぇ」
ギドは一度ベリルの言葉を肯定する。
が、その後に続いた台詞は
少年の予想には無い文言の羅列だった。
「けれど魔王様も冒険者とか好きでしたよ?」
「……へ?」
「というかそもそも、
君の考える魔王像は随分と窮屈ですね?」
「え? ええ!?
じ、人類に復讐して欲しいんじゃないの?」
「確かに、私は君を『魔王にする』と言いましたが、
怨念に囚われた復讐鬼にするなんて言いました?」
「……!」
驚くベリルの胸に、ギドはそっと手を添えた。
「君のココには復讐の炎が今も滾っている
しかし、それと人類文化を愉しんでしまう事は
別に何も矛盾する事では無いでしょう?」
「そ、そぉ?」
「そうです、だってそれらは両立可能なのですから
君が人類国家を灼き尽くし魔王となった暁に、
彼らの文化で存分に愉しめば良いだけでしょう?」
「――!」
「どうです? どこか変でした?」
この時ベリルの心にあった『曇り』は
確かに晴れていた。
シェナを失った事や人類への敵意の方では無く、
それらに相反すると思っていた感情を自覚し
新たに生まれていた自己矛盾の方である。
その曇りが晴れた事で、彼の体は軽くなった。
「何も、変じゃないね」
こんな事ならさっさとギドに話しておけば。
少年はそんな事を思い僅かに微笑む。
そして平時の顔に戻った彼に安堵すると、
ギドはじっくり考えた後に更に告げる。
「どれ、一つ課題を与えましょうか?」
「課題?」
「向こう五年以内に、人間の友人を作りなさい」
「ッ!?」
青天の霹靂と言うべきか、
ベリルは思い掛けない課題に大きく困惑する。
そして「別に人間を好きになった訳では無い」と
強く抗議の声を上げもしたのだが、
白衣の魔物はいつもの調子で笑うばかり。
この状態の彼には何を言っても無駄だと、
もう何年も一緒にいるベリルは知っていた。
「……ちゃんと復讐はするんだよね?」
「ええ。そこを捨てた訳ではありません」
「初めて未提出で終わるかもだけど、
とりあえず頭の片隅にでも入れとくよ……」
そこまで言うと
ベリルはいよいよ疲労が本格的な物となり、
フラフラと寝室の方へ歩き出す。
がしかし丁度その時、彼の衣服から何かが落ちる。
それはオリベルトから貰った封筒だった。
ギドの指摘でそれに気付いたベリルは
最後にそれだけ見てから寝ようと封を上ける。
しかしそこに入っていたのは、
彼の睡魔を一瞬で覚まさせる物だった。
「――! これは……!」
入っていたのは二人分の『入場券』。
無論、適当なテーマパークのそれでは無い。
今この時期に帝国でこれを配る場所はただ一つ。
文化と発明品の祭典。今回の旅の主目的。
本開催は数日後。無論そちらは招待済み。
だが、それはあくまで大公護衛の仕事の一環。
本気で愉しむつもりならそれとは別の日が必要。
これはそんな痒い所に手の届く一品。
本開催の前の準備期間。限定開放の前売り券。
即ち――
「帝国万博テストラン。その入場券ですか」




