参頁目 風神
〜〜野営地点・跡地〜〜
「ガネット、被害報告を」
夜へと向かう森という所は
本来もっと静かであるべきはずなのに、
その場の人間たちは眩い光を放つ篝火を背に
やや疲弊した様子で顔を突き合わせる。
オラクロン大公御一行が
野営地にと品定めしていた森の一角は、
先程の大爆発によって焼け野原と化していた。
彼らは今宵、予想外の襲撃者と遭遇したのだ。
「食料の一部と金品を奪われました
私が居ながら……面目次第もございません!」
「ふむ……まぁそう悔やむな
貴様は非戦闘員の護衛に注力していたのだ
それよりも……敵は盗賊の類か」
「はい。まず間違いないかと」
襲って来たのは辺境を縄張りとする野盗の一種。
財政の不安定となったチョーカ帝国内で、
最早一つの文化と呼べるほどにまで
その規模を拡大させている人種の一つだ。
そして彼らは、恐らく狙っていたのだろう。
万博へ赴く諸外国の一団を攻撃対象としていた。
つまり今回運悪く接触してしまったのが
オラクロン大公国という事になる。
「それと、馬車が二台ほど小破しました
現在の頭数を考えますと……」
「修理して動かさねばままならない、か……
旅程の遅れはいよいよ深刻な物となったな」
盗賊団の撃退に成功したとはいえ、
準備万端の襲撃者を相手に
無傷という訳にもいかなかったらしい。
オスカーは心底面倒臭そうに
肩を沈めるほどの溜め息を漏らす。
(これでは『前夜祭』にすら間に合わんか……)
「今は同行者の安否確認を急がせています
森に入った者たちも概ね帰還して――」
「あー監督官殿。その事で私から一つ」
「? なんでしょうかギド殿」
「未だベリルの姿が見えません」
「「……は?」」
「勝手ながら近くを見て回りました
が、気配のケの字も無いですね」
報告を聞き、オスカーは再び溜め息を吐く。
それは先程までの比では無いほど深く、
そして先程までの比では無いほどの
倦怠感に包まれたものだった。
やがて彼は額に指先を押し当てて、
感情任せの愚痴を溢した。
「よく失せる小僧だなぁ……」
〜〜〜〜
「んっ……んん……」
目を覚ますと其処は石造りの家の中。
外壁に走ったヒビ割れから差し込む隙間風が、
この家が裕福とは真反対の位置に居る事を
否が応でもベリルに伝えて来る。
だが完全な廃墟、という訳でも無いようで、
掛けられていた布団から少年が抜け出すと、
台所と思しき場所から美しい女が顔を覗かせた。
「まぁ! もう目を覚まされたのですね?
なんと凄まじい回復力でしょうか」
「……君は?」
「これは失礼致しました。私はセレニテス
村長の娘で、祭司もしておりますの
貴方は村の近くで倒れておりましたのよ?」
「そうだ、戻らなきゃ……ぅぐ!」
「まだ動かない方が宜しいかと
貴方は『霜樹』の毒に中てられたのですから」
体を拭く用のタオルを運びながら、
セレニテスはベリルの側に鎮座し優しく語る。
曰く、ベリルの体を蝕んでいたのは
霜樹と呼ばれるツタ状植物の毒。
日陰でも繁茂可能で、地面に這う他、
巨木や建造物に巻き付いて成長する茨だという。
またその茨には透明な液状毒が付着しており、
皮膚に触れると数分で神経系を麻痺させ、
罹患者に急激な体温低下と皮膚が青くなる
特徴的な症状をもたらすのだという。
「霜樹は帝国の何処にでも生えている植物
うっかり茨に触れてしまうなんてよく聞く話です」
(嘘……じゃなさそう)
自分が戦闘した正体不明の氷剣士には
明確な殺意があり、目の前の女にはそれが無い。
明らかに同一人物では無いし、
恐らく同陣営にすら所属していないのだろう。
そう判断したベリルは一先ずの安堵を得た。
彼女の懸命な毒抜きによって
既にベリルに霜樹の症状は全く見られず、
ややまだ頭に霧が掛かった感覚は残っているが、
ほんの数分程度安静にさえしていれば
問題無く動ける程度にまでは回復していた。
(とはいえ、早くギドたちの所に戻らなくちゃ)
「それにしても本当に凄い回復力ですね
……いやほんと、まさかこんなに早いとは」
「? まぁ体の作りが違うし」
「うぅ、流石にこれは予想外……こんな……
でも体の毒素は抜かなきゃだし……うーん……」
「何か不都合でも?」
「あ、いえ! 不都合だなんてとんでもない!
ただ、えと、そのぉ……」
どうやら不都合はあるらしい。
ベリルの警戒度が一段階上昇した。
そして、その眼光が効いたのだろう。
セレニテスは怯んだように目を丸くする。
が、天魔が今まさに
彼女への追及を始めようとしたその時、
オンボロの扉を乱暴にこじ開けて
腰の曲がった老夫婦が登場した。
ベリルはその侵入者二人に警戒心を向けたが、
それとほぼ同時に老爺の方が口を開く。
「おお御客人! もう回復されたのですな!」
「……悪い?」
「悪いだなんてとんでもない!
ただぁ、まだ起きられないと思っていたので
お食事の準備が整っておらんのですじゃ!」
「あぁ……そういう。僕は食事は要らな――」
「――もう作ってはいますのでねぇ!
あぁそうだ! それまで村を散策してみては!」
「いや、僕はまだ安せ――」
「そうだそれが良い! ささ案内しますぞぉ!」
嫌が応なし。問答無用。
そう表現するより他に無い強引さで
ベリルは老爺に腕を引かれて外へ出る。
そしてそんな二人の背を眺めつつ
セレニテスは満面の笑みの老婆に話し掛けた。
「ありがと、お婆ちゃん」
「チッ、しっかりやりな、セレニテス!
ようやく見つけた供物だ。逃がすんじゃ無いよ」
「うん。分かってる」
〜〜〜〜
夜はすっかりと更けたようで、
陽の光はもう其処にはない。
だが今宵の月明かりは眩くて、
丘より見下ろすベリルの瞳には、
村の様子がはっきりと見て取れた。
(思ってたよりもずっと……寂れてる)
月光に照らされた村の印象は、
言葉を選ばなければ、さながら廃村。
人々の暮らす息遣いは随所から聞こえてくるが、
それ以上に壊れたまま放置されている橋や
雑草だらけの枯れた畑が目に留まる。
中でも特にベリルの注目を引いていたのは
まるで大蛇でも這った後かのように
村の中央を縦断していた轍の跡だった。
「お爺さん、あれは?」
「ん? あぁ川の跡ですな
昔はあそこを綺麗な水が流れていまして、
子供の頃はよく川遊びをしたものです」
「でも今は涸れちゃったんだ?」
「ええまぁ、色々ありましてね」
あくまで柔らかな笑顔は崩さず、
されど一切ベリルに目線を向ける事なく
老人はそう呟くと会話を切り上げる。
そして十分村の散歩が出来た頃合いで
彼は村の中心に灯る火の光をそっと指差した。
「支度が出来たようですな。ささ、こちらへ」
連れられるがまま移動してみれば、
其処には山盛りの食事が準備されていた。
メインディッシュは山の幸。
豪快に焼かれた獣肉を中心に、
山菜やキノコが彩り良く並べられていた。
そんな、村の様子とは真逆とも言えるほど
豪勢な食事と焚き火を前にして、
共に準備を進めていたセレニテスは
ベリルたちの接近に気付くと柏手を鳴らす。
「ふふ、たーんと食べてくださいね」
そうしてベリルは特等席に座らされ、
セレニテスが隣に寄り添い皿を寄せた。
だがそんな彼女の片手には、
何やら透明な液体の入った小さな陶器が
標的からは見えない位置に握り締められていた。
(これさえ盛れば、任務完了)
村人の腹の底には悪意があった。
招き入れた者を陥れる謀があった。
(貴方は供物。我らが神への生贄!)
セレニテスはその尖兵として、
密かに液体を振りかけた獣肉の皿を
少年の前に引き摺り渡してきた。
(さぁ――食らいなさい!)
「あ、僕これ無理です」
「……ん?」
「僕この食事は食べられません」
「はぁえぇええええええええええええ!!??」
セレニテスの絶叫が夜の空に響き渡る。
それは美しい顔も崩れてしまうほど
強烈にして恥も外聞も無いものだった。
だがベリルからしてみれば、
食事を断るのは至極当然の対応。
何故なら彼は『魔物』なのだから。
(人間のごはん、食べられないし)
しかし、それでは終われないのだろう。
セレニテスは予想外の拒絶に
しばらく放心してしまっていたが、
そんな彼女を睨みつける老夫婦の視線に
ビクッと体を揺らす事で正気を取り戻すと、
すぐさまあの手この手を尽くして
一服盛ってやろうと奮戦する。
「お、お肉が苦手でしたか!?
それならお野菜とか……キノコもありますよ!?」
「無理です」
「食べなきゃ大きくなれませんよ!」
(ギドみたい)
「ほらお米に……なんだこれ? これあります!」
「自分でも良く分かんないもの渡さないで……
えっとドライフルーツに、バカラオですね」
「バカラオ?」
「鱈を塩漬けした干物で、保存食に、も…………」
「まぁ博識! 要ります?」
「要りません」
「即答っ……では、どれだったら食べられますか?」
「ここにあるのは全部無理なんです。ごめんなさい
アレルギーが多いんです、僕」
「……食わず嫌いとかじゃなくて?」
「問題発言」
平行線の会話が交わる事は無く、
ベリルは遂に「自分は気にせず食べてくれ」と
村人たちに告げるのだった。
だがここで退けないのがセレニテス。
彼女はそっとベリルの手を取り、
涙を蓄えた顔を上げた。
「貴方の回復を願って精一杯作ったのです」
((儂らがな))
「どうか、一口だけでも食してはくれませんか?」
(出たな、セレニテス得意の泣き落とし)
(今まで何人もの旅人を落として来た!)
(しかし今回の相手は小童、さて効果は……?)
「うーん……じゃあ、ほんとに一口だけ」
((イヨッシャァア!!))
悪意を含んだ歓喜の声を無垢な笑顔で覆い隠し、
村人たちは歓迎ムードを演出する。
例えそれが偽りの物であったとしても
謎の液体を取り込ませてしまえばそれで終了。
一応通った筋と建前に突き動かされて、
少年は自分で適当に選んだ食事を口に運ぶ。
(フフ、おバカさん)
「――はい。ごちそうさまでした」
「ん? あれ?」
「とても美味しかったです。ありがとう」
薬の効果はベリルに現れず、
彼は平然と汚れた口を拭っていた。
その理解不能な光景を前に
セレニテスは慌てて彼が食した皿を見る。
(あぁこの料理! まだ薬盛れてない!!)
(セレニテス〜〜〜ッ!!)
(ごめんお婆ちゃぁん! 私がおバカさん!)
「あの? 僕の料理に何かありましたか?」
「ぅえ!? ななな何故ですか!?」
「いやなんか慌てて見てましたから」
「べべべ別に、毒は入っていませんよ!」
「え、毒?」
「「お客人! 我ら男衆の踊りを御覧じろ!」」
セレニテスよ、もうお前は黙ってろ。
そう言わんばかりに村人たちのフォローが入る。
だが一回料理を食べるという義理も果たされた今、
もう村人たちに薬を盛るチャンスは訪れない。
それは粗の目立つセレニテスでも理解していて、
彼女はすっかり項垂れて魂が抜けていた。
(あ〜終わった〜……ノルマぁ……足りないぃ〜)
「面白い踊りですね。村の伝統芸ですか?」
「はは……そっすね……」
「どうしたんですかセレニテスさん?」
「いや何でも。水でもどうです?」
本当に最後の抵抗として、
白衣の美女は今度こそ間違いなく
薬を入れた水をベリルに提供した。
無論其処に大した期待など無かった。
が、魔物にとって水は無害。
「あぁ、貰います」
「え?」
「……あれ、なんだか……眠……く」
いとも簡単にベリルは薬を飲み干し、
その効果によって再び意識を手放した。
そうして倒れた少年の落下音が、
目を丸くして彼を凝視していた
村人たちの中で響き渡る。
やがてそれらの静寂を引き裂くように、
セレニテスが握った拳を突き上げた。
「ッシャおらぁぁぁあ!!!!」
「ばか! 供物が起きちまうよ!」
「あ、ごめんお婆ちゃん! でもやったよ!」
「ああ良くやった! さぁ早く祠へ!
これで、ターク・オイズ様への贄が揃った――」
松明の火が揺れる。
暗い世界に妖しい赤色が滲んで溶ける。
荒れた村は遂にその本性を表し、
山奥へ続く道には白衣の一団が列を成す。
今宵の贄は森で拾った少年一人。
霜樹の毒素も抜けて生贄用に整えたその身は
山の中に建てられた古びた祠に届けられる。
祠に同行するのは僅か数人の責任者。
厳かな雰囲気を纏う祭司セレニテスの姿もあった。
そして彼女たちは祠の内部に入ると
すぐに見える巨大な亀裂へ向けて躊躇無く、
供物となる無力な少年を投げ捨てた。
「「我らが神、風神『ターク・オイズ』よ
此度も我らに、どうか恵みの風を与え給え!」」
「――……え?」
「ん? どうしたセレニテス?」
「……いや、ごめん。見間違い」
「そうかい? ――儀式は終了だ。皆帰るよ」
老人が声を張り上げたのと同時に
祠の中を包み込んでいた異様な気配は消え、
人々は一仕事終えた後のような笑みを浮かべる。
しかし唯一セレニテスだけは、
深い穴の暗がりの中で一瞬だけ見えた
不思議な光景の事を考えていた。
(……翼が生えた?)
〜〜風の祠〜〜
(村人たちは、もう帰ったかな?)
翼を持つ少年にとって、
穴から落された程度の事は脅威にならない。
無論完全に意識が飛んでいたのなら
話は別となるのだろうが、今この瞬間、
ベリルの脳は完全に覚醒状態にあった。
「プッ!」
適当な場所に水を吐出す。
ベリルは村人たちの仕掛けた罠に
とっくに気付いていたのだ。
オラクロンでの十年に及ぶ潜伏期間は、
水や食料を咀嚼する様に見せかけて
口の中に留める技術を習得させていた。
そうして生まれた余裕を以て、
ベリルは祠の下に広がる空間に目を向ける。
其処は洞窟にしてはカラッと乾いていて、
どこからともなく風を感じる空洞だった。
「生贄文化。そんな風習もあるんだね」
やがてゆっくりとベリルは歩みを進める。
軽く周囲を見渡した限り、
この近辺に骨や屍の類いは見当たらない。
過去にも生け贄は居たはずだろうに、
過去の犠牲者たちは一人も居なかった。
それはつまり彼らを片した者が居るという事。
確信を持ち、ベリルは空洞の奥を目指す。
「人を食べる神様か……まぁそんなの絶対」
確信はあった。何より興味があった。
ギドたちとの合流を優先させるよりも、
一目会っておきたい気持ちに駆られていた。
人を食べる存在。そんな生物はただ一つ。
「魔物だよね?」
「なんじゃあオマエ? 同類かぇ!」
空洞の奥にそれは居た。
どこからか拾ってきたと思しき
古ぼけた御座にて胡座をかき、
ベリルの姿を認めたのは四本腕の大怪異。
空色の肌。頭部には触角。黄色い目玉が二つ。
そして背中にはゴツゴツとした岩の如き甲羅。
例えるのならカエルと亀の中間体のような、
そんな見た目の魔物が其処には居た。
「はじめまして、僕はベリル
君が風神『ターク・オイズ』さん?」
神と崇められた魔物は
その四本腕を大きく広げて笑っている。
そんな彼の鎮座する御座の周囲には、
彼がこれまでに食い散らかした
人間たちの骸も転がっていた。
〜〜同時刻・森の中〜〜
白い月に雲が掛かる。
されど黒い森には明かりが灯る。
馬の蹄が大地を鳴らし、擦れる鎧がリズムを刻む。
「すっかり夜か。ったく、これだから僻地は」
口髭を蓄えた男が路上に痰を吐き捨てて、
騎馬の上から愚痴を漏らした。
だがその口元にはすぐさま笑みが浮かび、
腰に携えた剣に男はゆっくり手を伸ばす。
「見えたぞ。あの村だ」
暗い森を、数十名の騎馬隊が駆けていく。




