参拾頁目 黄昏のサウダージ
記憶の断片が蘇る。
今にも燃えて消えてしまうその前に、
爆ぜた光の中で魔物の追憶が始まった。
燃え滓に垣間見た舞台は雪山。
桃髪の少女の儚げな顔。
自信に秘伝の奥義をレクチャーすると、
どこか寂しそうに浮かべた意味深な微笑み。
ふとそれが気になってベリルは彼女に問うてみた。
どうしてこの技を教えようと思ったのか、と。
少女は苦虫を噛み潰したようにこう答えた。
『いたいのいたいの飛んでいけ、ってね』
識者曰く、
魔物には四つの感情が欠落しているという。
一つは悲しみ。悲哀の精神。
寂しさや儚さなどはちゃんと感じられるのに、
悲しいという感情だけがどうにも共感出来ない。
もう一つは罪悪感。言い換えるならば懺悔の念。
結果の理屈的な良し悪しなら判別出来るのに、
それに対して申し訳ないと思う気持ちは無い。
そして三つ目の、魔物に無い感情。
それは――
「……!」
ベリルは荒地のど真ん中で目を覚ます。
どうやら大の字になって気絶していたらしい。
そしてそんな彼の視界にはギドの顔が入り込む。
いつもの張り付けた笑みもそこには無く、
血を噴く胸を押さえて苦悶の顔のみ浮かべていた。
「生きてますねベリル?」
安否確認により自己の生存を再認識し、
ベリルは言葉無くコクリと小さく頷いた。
それに安堵を覚えた様子のギドは、
今度は無理矢理笑みを浮かべて呟いた。
「予想外の、大金星だ」
ギド曰く、ベリルが放った最後の攻撃で
ヴェルデは遥か彼方まで吹き飛ばされたらしい。
生きているかは、分からない。
何せ只人ならともかく相手は戦士ヴェルデ。
何故だが生きていそうな気さえしてくる。
そんな事を一通り宣うギドに、
ベリルは何も返さず起き上がる。
そして彼は自分の中の記憶を探った。
敵を打ち倒すために消費した想い出を。
「……!?」
やがてベリルは膝を突いた。
両膝から、崩れ落ちるように前に倒れた。
やがてその小さな肩は小刻みに震えだし、
爆心地の如き荒地にはポタポタと雫が落ちる。
「ベリル……」
記憶を火力として消費する奥義『ロストワン』。
シェナが、決して同族では無いベリルに
この奥義を漏洩した理由はただ一つ。
もしもの時、自分を忘れて欲しかったからだ。
これまでの言動から、
彼には魔物が持ち得ない『悲しみ』の情がある。
そう確信していたシェナは雪山という極限状態にて
最悪の結末を予感し、そしてその対策を考えた。
仮にベリル自身がこの技を使うと決断した時、
即ち、自分がもうベリルを守れなくなったその時、
彼が悲しみを背負って生きていかなくても済むように。
痛みの原因を、火力に変えて、飛ばせるように。
正に――『いたいのいたいの飛んでいけ』。
「はっハハッ! ハハハハッ!」
「? ベリル?」
だがその予想は外れていた。
人と魔物とが交わり産まれた稀有の存在。
このイレギュラーは輝石の想定を外れていた。
「あぁ、ああやった……! 覚えてる!」
魔物に無い三つ目の感情。それは――思慕。
既に無くなってしまったものへの追想。
終わった出来事を思い出し感情を動かす追憶。
嗚呼そんな事もあったな、懐かしいな、と
ふとした瞬間脈絡も無く思い出す、
取り留めもない、素敵な記憶の美化行為。
魔物の心にこの機能は存在しない。
向こう何千年と生きていく予定の生命体に、
一々過去を想い胸を苦しくさせる意味は無い。
故にその記憶は常に独立した情報として管理され、
会話のような外的要因により関連性の高い想い出が
フラッシュバックするような事はあっても、
自ら関連性の低い記憶を呼び起こす事も、
ましてやそれに対して感情を動かす事も無い。
魔物はそうやって長い時間を生きていく。
人と魔物の半血であるベリルを除いて。
そして呼び起こした想い出に
再び感情を揺らしてしまうこの状態は、
言わば記憶のバックアップを取るようなもの。
勿論それは直接シェナと話した記憶では無い。
シェナとの想い出を受けてベリル本人が
どう思ったのかという記憶に過ぎない。
しかし彼女を想い苦しんだという記憶はある。
彼女を懐かしみ寂しくなったという記憶はある。
それらはロストワンの発動に際して、
シェナとの記憶として一括りにされる事は無い。
彼女の居ない所で自分が勝手に想い出し、
勝手に苦しんだ記憶だから。
故に――魔物の仔は忘れられない。
それは純正の魔物には無い、
人の血も混じったベリルの特権。
シェナと過ごした大半の記憶を焼却しても、
天魔は常に彼女の幻に魘される。
「忘れて、やるもんか……!」
幻魔の思惑を破り、壊れた記憶の残骸を抱き締めて、
齢五歳の天魔は斜陽の空を背に蹲る。
そんな彼の頭を保護者が優しく撫でて宥めると
やがて仲間たちの声も遠くから聞こえ始めた。
世界は徐々に、夜へと向かって駆けていく。
〜〜数時間後・夜〜〜
脳ミソが言われた言葉を繰り返す。
いつの間にか録音していたたった一言を、
何度も何度もねちっこく脳裏に反響させてきた。
――本当は勇者が選剣を抜いていたのではないか。
ベリルに言われた、その言葉。
「………」
思考に遅れること数分。
ようやく肉体が自身の生存に気付き動き出す。
勇者パーティ元戦士。ヴェルデ・クラック。
己の名前を暗唱して自己の存在を再定義した。
五体は満足。起き上がろうと思えばすぐ出来る。
が、溜まった疲労と心の衰弱がそれを妨げた。
「……ちっ」
それでもどうやら動かねばならないらしい。
舌打ち交じりに起き上がり、
ヴェルデは周囲を素早く観察する。
時刻は夜。月明かりが美しい。
場所は崖下。視線を上げれば森が見える。
加えて滝と川の音もかなり近くに聞こえる事から、
どうやらあの後流されて来たらしいと推測出来た。
そうして、何かを察知しヴェルデは目を閉じる。
心底気怠げな長めの溜め息と共に、
彼は愛用の宝剣と斧を手に取り立ち上がる。
そんな彼の背後には緑の鎧を纏う一団が居た。
「テメェらの動きも大概早ぇな……」
「調和の敵。狂戦士ヴェルデ・クラック
人界の秩序を乱した罰として貴様を討つ!」
「総勢?」
「五百名。貴様にはこれくらいが丁度良かろう?」
「おう! ちゃんと弁えてんじゃねぇか!
――エルザディア聖騎士団!!」
緑の雷光が、夜の森に轟いた。
直後に前衛の聖騎士十名が吹き飛ばされ、
盾持ちの騎士三名が慌てて割って入る。
だがヴェルデはその盾を足場に跳躍すると、
天上から大地に向けて戦斧の一撃を振り下ろした。
「俺様を討つ? 俺はヴェルデ・クラックだ!!」
血を吐き出す口が笑みを形作り、
軋む肉と骨とが痛みより先に力を絞り出す。
傷付けば傷付くほど強くなる彼にとって、
イマが今生最大の全盛期。
戦士の斧は聖騎士の鎧を真上から叩き割る。
(なぁルビィ……俺はそんなに頼りなかったか?)
だが相手は人界の守護者、エルザディア聖騎士団。
人類世界における最高レベルの精鋭たち。
ヴェルデの予想外の底力に驚きつつも、
彼らはすぐに数の利を活かして連携し始めた。
(お前にとって俺は……気を遣う相手だったのか?)
やがてグチャグチャに乱れた陣形の隙間から、
聖騎士の矛がヴェルデの腹を突き刺した。
そしてそれを皮切りに他の騎士たちも
四方八方からヴェルデの体に傷を負わせる。
(あぁいや……何か違う気もしてきたな……)
宝剣が煌めいた。
残量僅かな破邪の剣が、
相性最悪の相手にそれと悟らせずに振るわれる。
関係無いと宣うように、生まれる風と閃光が
群がる聖騎士たちを吹き飛ばす。
「あいつ、他人とかあんま興味無かったか?」
気付けばヴェルデは笑っていた。
しかしそれは今までの悪辣な嗤いとは違い、
まるで己の青春を想い出したかのような、
どこか爽やかささえある笑みだった。
そうして再び戦士は剣を振るう。
盾を切り裂き、鎧を砕き、兜を蹴り飛ばし、
血飛沫混じりの雄叫びを上げた。
だが今の彼にはそんな光景、見えていない。
彼の視界を覆い尽くすのは眩い光。
そしてその中で彼に振り向くかつての仲間。
眉間にシワを寄せる乱れた白髪の僧侶。
バカでかい帽子に手を伸ばす青髪の魔法使い。
そして彼女の足元に目線を落としつつ、
すぐにこちらに気付き笑みを送る赤毛の勇者。
楽しかった、間違いなく楽しかったかつての記憶。
(考えれば考えるほどに、分かんねぇな)
勇者は宝剣を抜いたのか?
状況と結果だけを見れば充分ありえる。
けれども勇者の性格を考えれば、
何か違うよなぁ、といった気もしてくる。
しかしそれは結局確証には至らぬモヤモヤで、
ヴェルデは遂に、最期まで結論を得られなかった。
(今回の計画が成功したら、
またお前に会えるかもとか思ってた)
「体勢が崩れた! 今だ! 討ち取れぇええ!」
(なぁルビィ……分かるか?
俺は――お前にトドメを刺して欲しかった)
聖なる武具の数々がヴェルデの胴を貫き穿つ。
直後に彼の全身からはドロリと血塊が噴き出し、
その瞳からは徐々に光が消えていく。
「……英雄よ。最期に何か言い遺す事は?」
「あ? あぁぁ……――」
ヒビの走った愛用のゴーグルに手を掛けて、
勇者になれなかった戦士は最期にまた笑う。
「――もっといっぱい、会話しとくんだったな」
オラクロン大公国への宣戦布告からおよそ半日。
後の世に『クラック兇変』と呼ばれるこの事件は
かくして夜明けの前に終幕した。
オラクロン市民の死傷者は四百と八十二。
派遣された聖騎士団の死者は九十三。
そしてこの事件に関わったとされる
ヴェルデ・クラックの部下は
全員死亡または行方不明。
一時代の黄昏時に戦士の残響が狂い散る。
〜〜神政法国エルザディア〜〜
「……ヴェルデは散りましたか」
「辛い立場だろうによく即決してくれたな
感謝しておるぞ、聖騎士団長、いや次期教皇よ」
「お戯れを猊下。私は自分の責務を果たしたまで」
薄暗い空間をステンドグラスが美しく照らす。
陽光は色硝子によって七色に彩られ、
白亜の柱とレッドカーペットで装飾された
芸術的価値も高いその空間を厳かに映えさせる。
観光用に解放されでもした日には、
きっと日夜来訪客でごった返すのだろう。
しかし、今この空間に居るのはたった二人。
緑の祭服を纏い玉座に座る皺くちゃの老人と、
そんな老爺に傅く白髪の男性。
眉間にシワを寄せる、乱れた白髪の男だった。
「共に旅をした誼として身内の恥を雪いだまでです」
「で、あるか。貴様は真面目よの、僧侶殿」
「……恐縮でございます」
「聞けば今回の件。現地には魔の影もあったそうな
……やはりまだ『居る』な。心せよ聖騎士団長」
「無論です。元より我らは不倶戴天」
男の目つきが、光よりも鋭く尖る。
「魔物に信仰心は無い
こんなおぞましい知性体を私は他に知りません」
「……で、あるな」
心の底から同意するように、
教皇と呼ばれた老爺は深々と吐息を漏らす。
そしてステンドグラスに描かれた神性を
しばしの間眺め続けると、
やがて空気を変えようと態度を緩めた。
「此度の件。褒美は何が良い?」
「……では一つ、『戦士の形見』を賜りたく」
「形見? 剣か? 斧か?」
「いえ。私が預かりたい彼の形見とは――」
〜〜数週間後・オラクロン執務室〜〜
クラック兇変からしばらく時も経ち、
聖騎士団のヴェルデ討伐報告を始めとした
多くの出来事が過去の記録として処理された。
傷跡が全く無いという訳でも無かったが、
公国はすっかり今まで通りの日常に戻っていた。
まだ戻っていない所を上げるとするならば、
大公が組織した特殊部隊くらいだろう。
「その後、身体の調子はどうだ? ギド隊長」
「絶不調ですよ! 大公陛下!」
共に招集された魔物たちの前で、
オスカーの問いにギドは元気良く答えた。
その矛盾した言動に仲間たちは困惑するが、
大公は顔色一つ、ピクリとも動かさない。
今目の前で笑顔を見せる白衣の魔物が、
本当に満身創痍の病人だと知っていたからだ。
「肉体再生と神の毒は相性最悪、か」
「ええ。直接撃ち込まれた胸を中心に、
魔力喰いの毒が今も私の全身を蝕んでいます
仮にこの状態で魔力を使うような事をすれば、
私は全身から血を吹いて倒れるでしょう」
「難儀だな……回復の目処は?」
「免疫力による自然回復を待つしかありません
私の見立てでは……完治まで五十年は掛かるかと」
「つまりその間は無能か」
「家事ならお任せください!」
「職場だぞ」
事態をそこまで重く見て居ないのか、
当人たちの会話は深刻さとは無縁だった。
しかしそんな会話の結びとしてギドは
いつもの笑みを浮かべてある提案を通す。
「つきましては陛下。私から一つ提案が」
「何かなギド隊長?」
「その隊長職。しばらく別の者に譲ります」
「「――!」」
それは仲間の魔物たちにすら
事前に共有されていなかったギドの策謀。
確かに彼は戦闘能力を大幅に縛られていて、
ヴェルデと交戦した時と比べれば
見るも無残な状態である事に嘘偽りは無い。
だが、彼は戦えなくなっただけで
自由に動く事は出来る。
そのギャップを使ってこの白衣の魔物は
負傷交代を理由に立場的な自由を求めたのだ。
「主張としては正当だと考えておりますが?」
(無理だよギド……大公が許すわけが――)
「良いだろう」
(良いんだ……もう何考えてるか分かんないや……)
ベリルは膝の上に置いた握り拳を見つめながら、
大人たちの会話を覇気もなく聞いていた。
結局シェナを失ったショックからは
立ち直れていないようで、いやむしろ、
ヴェルデの死を以て彼女のための復讐にも
一区切りが付いてしまった事で
少年の心は抜け殻のような状態となっていた。
そんな状態の彼をオスカーは
対面からしばし無言で見つめると
長い瞬き一回の後に再びギドに向き直す。
「それで貴様の後継……いやこの場合『代理』か?
カラットを引き継ぐ隊長代理は誰に任せる?」
「それは勿論――」
ギドの手が、適任者の肩に置かれた。
「我らがベリルしか居ないでしょう!」
「えぇ!?」
突然の出来事にベリルは
ここ数週間で一番の大声を上げてしまう。
だがそんな彼から湧き上がる数多の疑問を
事前に封殺するかのように、
ギドは他の魔物三者の方に顔を向けた。
「皆さんもそれが良いでしょう?」
「然り! 当方の上に立つべきはやはり我が君!」
「妾も構わん。ショタ上司というのも中々どうして」
「オレっちゃんも大将が大将ならやる気出るぜぇ!」
「隊員の士気的な話か。……良かろう、許可する」
「あ、ぐ……」
「それでは任せましたよ! ベリル代理!」
「あぁ……はぃ……」
この日、魔物の五歳児に新たな肩書が追加された。
オラクロン大公国大公直下特殊部隊。
災禍遊撃隊こと通称『CaRaT』。
その全権を握る隊長職代理。
公国の闇を一身に担う大きな役割であった。
(隊長、代理……!)
「では陛下。我々はこれで――」
「待て。私からもカラットに手を加える」
「「?」」
「ガネット。連れてこい」
大公の指示に従い、
彼の腹心が背後の扉を厳かに開けた。
すると其処には他の親衛隊員に挟まれて、
頬に冷や汗を滴らせる胡散臭い中年男がいた。
チョビ髭に前髪を流すツーブロックの人間。
それを見て、まず最初にセルスが反応を示す。
「? 貴様は確か――」
「そうだ瞳魔。先の事件で貴様が捕らえた罪人
ヴェルデ・クラックの元部下にして情報官
おい。名乗れ――」
「は、はぁ……ブルーノ・カナリートです」
「この者が一体?
先程手を加えると仰いましたが……まさか?」
「そうだ。コイツを災禍遊撃隊に加入させる」
「「な!?」」
曰く、今回計画が実行されるその瞬間まで
この大規模なテロ活動が各国に漏れなかったのは
ブルーノの工作があったからだという。
加えて彼の経歴を調べてみれば、
今まで多くの国や組織に所属しては
情報官として一定の功績も挙げていたらしい。
こんな人材を牢に閉じ込めておくのは勿体ない。
しかしヴェルデの元部下という大罪人を
公開戦力として加える訳にもいかない。
故に同じ秘匿戦力である災禍遊撃隊にて、
情報収集兼、事後処理担当者としての席を置く。
カラット専属情報管理官ブルーノとして。
「よ、よろしくお願い申し上げます……」
「因みにブルーノ。こいつらは全員魔物だ」
「な、なんですとぉ!?」
「ッ……! 恐れながら陛下!
我々の中に人間を混ぜるなど不和の元に――」
「先にこちらが折れてやっただろう?
何より、私の命令に対してノーなど無い」
(ッ――! してやられた……!)
ギドは大公の思惑を、
ブルーノ加入の真の目的を悟り唇を噛む。
カラット専属情報管理官など建前上の役職。
彼は大公が仕込んだ魔物たちの監視係。
(だけならばどれほど楽だったろうか……!)
多くの国や組織に所属していたという事はつまり、
その数だけこの男は出奔を繰り返したという事。
明らかに義理人情よりも我が身を可愛がる性分だ。
そんな人間の前で、仮に悪事を働けばどうなるか。
例えば――公国を裏切り大公を殺してみせたら。
きっとこの男は、物凄い速さで逃げるだろう。
交友を深めた仲間も上司もかなぐり捨てて、
一人生き残るためにあらゆる努力も惜しまない。
否、或いはそのもっと前に行動を起こすかも。
公国の魔物たちに叛意の芽ありと断じたら、
その瞬間、恥も外聞も無く宣うかもしれない。
――オラクロンには魔物がいる、と。
(なんて可愛くないカナリアだ……!)
最後にギドは、苦笑した。
相手にとって不足無しと再認識するように、
彼は真っ直ぐ、赤紫の飲料を啜る大公を刮目する。
そしてそんなギドの横顔をベリルは見つめ、
やがてその視線を彼もまた大公に向け直す。
「ねぇ……大公……」
「陛下を付けろ。なんだ小僧?」
「じゃあその人が、シェナの代わり?」
「ああ。仕事内容でいえば、そうだ」
ベリルはそれを聞き、閉口する。
そしてもうこの場の誰にも用が無くなると、
大公は魔物たちに下がるよう命じたが、
トボトボと歩く少年の後ろ姿をじっと見つめ、
やがていつもの冷淡な声色でぽつりと呟いた。
「幻魔の死は流石に予想していなかった」
「…………え?」
「まぁ過ぎた事だ、さっさと――」
「――今の、どういう事?」
「ん?」
ベリルは大公の言葉に違和感を汲み取っていた。
否、そのもっと前から違和感はあった。
シェナの死を聞いた瞬間に口にした
分からんものだな、という発言。
シェナがヴェルデに殺されたあの晩、
戦場は街中であったにも関わらず、
何故か人の気配が全くしなかった事実。
そしてたった今ポツリと呟かれた、
幻魔の死は予想していなかったという言葉。
これらの状況が意味する事はたった一つ。
たった一つの単純な解――
「――おまえは知ってたの?
あの晩、あの場所に、あいつが現れる事を?」
「……」
「っ、ベリル代理ッ!!
陛下に対して何だその無礼な物言いはッ!」
「いや、もういいガネット
無駄な発言をしてしまった私の落ち度だ」
「ッ――!」
それはある種の肯定とも取れる発言。
そしてその後に大公は、
一瞬の淀みもなく当時の思惑を解説する。
まず、公国はヴェルデの侵入を感知していた。
それが正規の手段では無い事から、
何らかの悪意を持っての行動だとも予測する。
しかし逮捕に踏み切るだけの根拠が無い。
当時は彼もまだ世界を救った大英雄の一人。
その思考の善悪を証明出来ない状態で
不法入国のみを理由に逮捕すれば
世論や隣国がどう動くかの予想が付かないのだ。
とはいえ様子見の放置も危険過ぎる。
言わば彼は己の意思を持った爆弾だった。
故に大公は、計画的な起爆を試みた。
彼の出没候補地を事前に数ヶ所まで絞り込み、
その周辺からは緊急の訓練と偽り民を避難させて、
闇夜に放った陸軍の精鋭数十名で刺激する事で
わざとヴェルデを暴れさせようとしたのだ。
反応が無ければ無いで構わないし、
仮にヴェルデがこれらの囮に釣られれば、
彼は公国正規軍を攻撃した立派な罪人に出来る。
何か重大な事をされるよりも前に、
予想範囲内の被害で大義名分を獲得する。
大公は、オラクロンは、常に先手を意識していた。
「その上で……誤算は二つ
一つは敵の規模や計画が予想よりも壮大だった事
これはブルーノの情報操作が原因だ」
「きょ、恐縮です」
「そしてもう一つは、作戦決行のその時、
偶然近くを通る魔物たちがいた事……
勿論、貴様らの事だ、小僧」
「……!」
そうしてヴェルデは魔物の匂いに誘われて
ベリルたちの前に姿を現した。
そこから先の結末は彼ら自身がよく知っている。
文字通り、痛いほど、よく知っている。
「……」
「他に何か質問はあるか、代理隊長?」
「いや。何も無い。もう、全部分かったから――」
そう言うとベリルは
仲間を押し退け誰よりも先に執務室を後にする。
やがて全ての魔物たちが退室すると、
オスカーは深々と椅子の中に沈んでいった。
「あれは、悟られたな」
〜〜〜〜
燦々と照りつける太陽が青い空に熱を落とす。
其処は魔物の住処へと繋がる街中の帰り道。
もうすっかりと慣れ親しんだいつもの帰路。
しかしその隣にシェナはいない。
他の仲間たちは健在であるにも関わらず、
大好きだった幻魔だけが其処には居ない。
(大公は言った……偶然僕たちが通った、と……
きっとそこは本当なんだろう……でも!)
そこまで認知されていたにも関わらず、
あの晩、公国からの『救援』は無かった。
作戦に関与していた陸軍精鋭とやらが
魔物の存在を知らなかったのかも知れないが、
ならば事情を知る親衛隊を派遣すれば良い。
それすら無かったという事はつまり――
(僕たちはそのまま囮に使われたんだ……!)
全力で魔物を救いに行くよりも、
見捨てて計画のみを続行させた方が良い。
恐らく当時の大公はそう決断したと見て取れる。
結果として何の役にも立たなかった作戦の、
使い捨て同然の駒として利用したのだと。
――『次があると思うな』
(分かってる……大公は僕らを助けない)
――『偶然近くを通る魔物たちがいた』
(そもそも運が悪かった、分かってる……)
――『益虫だ』
(でも……それでもやっぱり……ッ!)
シェナが死ぬ結末を辿った事に、
大公の判断が大きく関わっている。
そう認識した瞬間、抜け殻の心が再燃した。
直接手を下したのがヴェルデというだけで、
彼女を殺めた要因は他にもあると。
「むっ! 皆様少し失礼……!」
「何すかぺっさん? そんなに慌てて?」
「ああ、前から歩行者じゃ。隠れねばな」
「はい……軍服で遠方の目は誤魔化せますが、
近くで顔を見られてしまうと流石に……」
「良い心掛けです。我々は潜伏者だ」
(あぁ――生きづらい)
元より魔物。人間とは相容れない。
大公との繋がりも所詮は損得勘定によるもの。
決して忘れてはいけない。
自分たちは彼らを喰らい殺す者。
今のままでは、天魔は自由に空すら飛べない。
「……ねぇギド」
「はい。なんですかベリル?」
「人類に復讐する計画は、ちゃんと進んでるの?」
「――! ええ。進捗で言えば二割未満ですがね
理想の形で発動するにはまだ何年もかかります
それまで良い子で待てますか? 隊長代理?」
「うん。たぶん大丈夫……」
魔物の仔は大きく体を捻って振り返る。
その時、丁度日陰が顔に差し掛かり、
深山幽谷の如き深緑の瞳が鮮やかに輝いた。
酷く禍々しい、殺意の念を纏って。
「ギドみたいにしてれば良いんでしょ?」
「ええ。それで正解です」
遙か先の未来で殺すために、
今は人間たちの世界で息を潜める。
とってつけたような笑顔の仮面を携えて。
この日、生まれてまだ五年の男の子は
職と共にそのドス黒い覚悟も引き継いだ。
(シェナを殺した奴は、全員殺してやる……!)
勇者が魔王に勝利し、人類が魔物を征服した。
人々の世界は魔法と歯車で装飾された活気に満ち、
世界は魔物の居ない安寧を獲得する。
だがそんな世界に異を唱える者たちがいた。
その先頭を飛翔するのは、
人と魔物の狭間に生を享けた翼の少年。
いずれは一つの時代を砕く『ラスボス』となるべく、
今はまだ、人間の地にて密かに力を蓄える。
~~~~
「陛下。チョーカ帝国宰相府よりお手紙です」
人も魔も粗方消えた執務室にて、
従者の声が響き渡る。
速やかに親衛隊長が受け取りに走り、
封蝋で固められた封筒を剥ぐと
中身の検分を始めた。
やがて何も問題が無い事を理解すると、
それでもどこか面を食らった表情で
彼は手紙を大公へと引き渡した。
「内容は?」
「……祭事への招待状でした」
「ふむ?」
それは今から十年先の計画。
この世界に前例の無い歴史上初の試み。
あらゆる思惑の交差した前代未聞の大祭事。
主催、落葉の帝国チョーカ。
招かれたのは世界各地の強国、大国。
これなるは技術を用いた代理戦争。
世界全てを巻き込んだ帝国内外の覇権争い。
魔王没後世界における人間たちの戦い方。
戦の名はインペリアル・エクスポ。即ち――
「――『帝国万博』」
運命の歯車が、また回る。




