弐拾玖頁目 天は味方した
一人の男が森で遭難したんだとさ。
男の仕事は狩人。人一倍その森には慣れていた。
けれどもその日はどうしてか、
男は妖しい気配に誘われるように森を彷徨っていた。
既に夕刻は過ぎ去り、森は夜。
今すぐ適当な平地で動きを止めるべき。
いや、本来は暗くなってしまうそのもっと前に
野宿の準備を済ませておくべきだった。
そんな事は知っている。そんな事は森の常識だ。
でもやっぱり、この日の足は勝手に動いてしまう。
何故なら彼は、既に魅入られていたからだ。
数時間前に男が目撃したのは謎の現象。
夕焼けで赤く染まる森の一角が
七色の異質な『光』を発していたのだ。
それが何かまではとんと思い浮かばない。
故にか、男はその正体が知りたくなっていた。
そうして周囲の暗がりが一層濃くなった頃、
男はようやく自分を誘う魔力の元まで辿り着く。
自然にあるはずの無い妖しい発光。
草木の遮蔽物を押しのけて近付いてみれば、
そこには腰の高さまで届く水晶が並んでいた。
赤、青、緑、そして白。
色とりどりに鮮やかな結晶体。
それらが森の一角に陣地を広げて
独自の異界を形成している。
これらを持ち帰れば巨万の富が手に入るだろう。
気付けば男は、その水晶に手を伸ばしていた。
そうして彼が水晶に触れた次の瞬間、
男はそれらが長い轍を形成している事に気付く。
それはまるで巨大な蛇が這って進んだ跡かのよう。
直後、突然結晶が動き出す。
不用心に触れた狩人の手を這い上がり、
彼の体を同じ結晶に作り替え始めた。
慌てて引き抜こうと試みるが時すでに遅し
男はやがて、輝く結晶の一部と成り果てたんだとさ。
――これは人類に古くから伝わる物語。
生命を蝕む光の結晶とそれを生み出す魔物のお話。
欲をかいて普段と違う事をしてはいけないよと、
子供に言い聞かせるための、作り話。
魔物の名は結晶魔族『蝕蛇』。
しかし誰もその真の姿を見た事は無い。
それは伝承にのみ名が登場する未確認生物で、
時折発見される這って回ったような水晶の轍から、
きっと大蛇であろうと推測された魔物だった。
本当の姿を見たものは誰もいない。
その姿を、能力を、戦闘スタイルを、
そしてその貼り付けたような笑みを見た人間は
未だ誰も生還していないのだ。
ただ一人、元勇者パーティの戦士を除いては――
〜〜現在・森林地帯〜〜
草花が揺れる。木々が揺れる。森が揺れる。
燦々と照りつける陽光の下、
金属同士が打ち付け合うような音に合わせて、
草花が、木々が、森が、地続きに連なる
全ての物質が、世界そのものが、揺れていた。
刹那巻き起こるのは破壊の旋風。
地面に飛び込んだ戦士の生み出すクレーター。
体勢を立て直すためだけに振るわれた斧の風圧で、
周囲一帯の大木が耐えきれずに吹っ飛んでいく。
そんな戦士の更に頭上から
白衣の魔物が黒き刀身を煌めかせ襲来した。
両者が携える刃は再び触れあい、
やはり世界そのものを殴るように鳴動させた。
そんな彼らの戦いを
ベリルはただただ驚愕の眼差しで見守り続ける。
地に這う体にはその振動が直で伝わり、
二人の攻防が織り成す勇ましいメロディを
その小さな全身は痛みを覚えるほど
直接に受け止めていた。
「割り、込めない……!」
火力も、速度も、対応力も、レベルが違う。
今のベリルが介入した所で何も成せない。
戦況の好転にも、悪化にも、
それ以下の影響にも関われないだろう。
戦闘の余波で矢の如く飛び込んで来た枝が
頬を掠めた瞬間ベリルは強くそう思う。
「ここも危ないか……!」
(ベリルは空に避難しましたか、良い判断です)
「ガキが気になるかギド? 余裕そうだな!!」
「む……! ぅぉお!?」
負傷すればするほど膂力の増すヴェルデは
既に蝕む毒の影響で元の三倍は強化されていた。
周囲の木々を足場に飛ぶ動きは目で追えず、
斧の一振りが生み出す破壊は大地を削る。
流石のギドもこの猛攻を前にしては
次第に防戦一方と成らざるを得なかった。
「――な訳ねぇよな、ギドさんよぉ!」
「……!」
「どうせ今後のために能力を伏せてるんだろうが
今の相手は俺様だ! 最初から全力で来いや!」
「……手の内が割れていると面倒ですね」
瞬間、ギドはピタリと動きを止めた。
それどころか剣を地面に突き刺して、
完全に無防備に思える状態となる。
が、ヴェルデはその光景を喜び、
同時に最大限の警戒心を向けて観察した。
まるで「今近付いてはいけない」と
知っているかのように。
そうして敵が安易に飛び込んで来ない事を悟ると、
ギドは再び「やりにくい」と言わんばかりの
溜め息を吐き、やがて瞳を冷たく凍らせる。
「魔力制限解除。『終わりの始まり』――」
穏やかな呟きに反して、
彼の体からは黒く淀んだ魔力が吹き出す。
下から殴り上げるような突風となって、
ねっとりと悪辣なオーラが四方に飛んだ。
やがてそれらが十分な拡がりを見せると、
ギドは再び剣を手に取り技を放つ。
「――『堕獄聖域』!」
刹那、解き放った魔力が形を帯びる。
黒い煙のようなオーラは瞬く間に白く固まり、
やがてそれぞれの色へと染まって世界に根付く。
先程まで揺れていた草木も、木々も、森すらも、
瞬き終わらぬ須臾の間にて結晶に創り変えられた。
全ては一瞬。一秒にも満たない寸刻の出来事。
ギドを中心に戦場の景色は一変した。
赤、青、緑、そして白。
色とりどりに鮮やかな結晶体が
人間には毒となるレベルの魔力を放っている。
「これが……ギドの能力?」
その光景を眺めてベリルは呆気にとられていた。
舞い落ちる木の葉はギドの領域へ立ち入った途端
即座に無機質な宝石の固まりへと変貌し、
晶魔の端正な横顔を通過する頃には
細かな粒子となって砕け散る。
あらゆる物を問答無用で水晶に変える能力。
それがギドの扱う最凶の魔法であった。
だがそれと相対するヴェルデは、笑っていた。
まるで極上のフルコースを前にした獣のように
舌舐めずりをして彼は逆手で宝剣を抜く。
ベリルたちとの戦闘中はあんなにも
出し渋っていたはずなのに、
抜いてはすぐに納刀を繰り返していたはずなのに、
眩い光を放つ宝剣を戦士は強く握り締めていた。
「「――ッ!」」
一瞬、二人の姿がぐにゃりと歪む。
否、ベリルがそう認識した時には既に、
その場にあったのは両名の残像だけだった。
音も無く、技の起こりも無く、
両者はとっくに互いの間合いを消し去り
相手の首を狙って刃を打ち付け合っていた。
ベリルがそれをようやく認識出来たのは
一拍遅れて生み出された衝撃波に体を押された後。
嵐の如く吹き荒ぶ余波の暴風に突き飛ばされ、
翼を広げ、どうにか体勢を立て直した後だった。
もし攻撃が自分に向いていたら
きっと死んだ事すら認識出来なかっただろう。
その事実に背中がじんわりと湿り出すが、
それでもベリルは己を律して戦いを見守る。
彼の目が追いつかないほどの高速戦闘を。
「相変わらず、殺意に満ちた攻めですね?」
「当たり前だろ? テメェはずっと
次会ったら殺すリストに入れてたからな!」
「それはそれは、物騒ですね!」
ようやくその動きにも目が慣れてきて、
ベリルは僅かながら攻防の様子を認識する。
まずギドの一挙手一投足に合わせて
複数の輝く結晶の侵蝕が轍のように伸びていく。
だがそれらがヴェルデに直撃したかと思った瞬間、
彼の携えた宝剣の輝きがその拘束を打ち砕いた。
勇者の証――選剣ルース。
その輝きはあらゆる邪を祓う正義の閃光。
シェナの幻惑を討ち払った時のように、
この剣が輝く時、魔物の力は強制解除される。
「対魔物特化の宝剣……怖い怖い
しかし宜しいので? そんなに浪費しても?」
ルースには弱点もあった。
宝剣の放つ破邪顕正の光が有限である点だ。
この光は自然光でのみチャージが可能で、
故にヴェルデは夜に戦闘する場合
基本的に宝剣を納刀したまま戦い続けた。
だが今は日中。その心配は無いと戦士は笑う。
「そういう挑発は夜に言うんだなギドさんよぉ!
そもそもこの襲撃自体、夜にするべきだった!」
「その場合、貴方たちは黙って待ちますか?
何やら大掛かりな仕掛けもあったようですが?」
「……フン。確かに日中の襲撃は想定外過ぎて、
ぶっちゃけテメェらの奇襲は大成功だったよ」
だがな、と戦士は結晶を打ち払いながら繋げた。
その攻防の最中にも剣は光を消費するが、
すぐに戦地を照らす紅鏡の火が
失った分の光を補填した。
今は消費量を供給量の方が上回っている。
「俺様を殺るなら、やはり決戦は夜だった!」
「格上相手なら、私もそうしたでしょうね!」
相手の煽りに煽りを重ねて
オッドアイの魔物は眼光鋭く身を翻した。
直後から大地より突き出す結晶の体積は急増し、
瞬く間に森の一角を飲み込み始めた。
樹木よりも背の高い水晶が木々を薙ぎ払い、
美しい半透明の棘が四方八方を目指して突出する。
人体には悪影響なほどの魔力も充満している分、
其処はもう荒れ狂う嵐の中よりも危険地帯。
だがその逆境こそがヴェルデの心を刺激した。
漲る闘志から溢れた笑みもそのままに、
彼は宝剣の輝きを強めて空を駆る。
迫る巨大結晶を眩い閃光の中にて斬り刻むと、
砕けた水晶の一部を足場にして更に上を目指した。
そうして猛攻を更なる攻撃性で打ち砕き、
やがてヴェルデは広大な大地に辿り着いた。
そこは結晶によって作られた巨大水晶建築の頂き。
青空と棘の如き無数の結晶によって
禍々しくも美しく彩られた、
闘技場のようにも思える風貌の決戦場であった。
「ふぅぅぅ……ハハッ! 懐かしい眺めだなぁオイ」
「懐かしい、ですか」
「ああ懐かしいよ? 人間の六年は十分なげぇ……」
ヴェルデは大きく息を吐いてそう呟いた。
丁度その時、二人の高度にベリルもやってくる。
満身創痍の体を黒い翼で持ち上げて、
決戦場の外周から彼らの話に耳を傾けた。
「あぁそうだ六年……! 魔王軍との決戦以来だな」
「ッ――!」
「あの日俺様は、勇者になり損ねた
魔王がルビィの覚悟を讃えて勇者と呼び、
そんでもってルビィもルビィで……
この剣も無しに魔王を撃ち落としやがった!
……完璧だ。完璧な英雄譚だったよ」
「貴方なんて割り込む暇も無いくらいにね?」
「……黙れやカス。誰のせいだと思ってんだ」
戦意とは異なるドス黒い殺気が、
ぬるりとヴェルデの顔を覆い尽くす。
「本来魔王討伐は俺の役割だった!
あの最終決戦に参加してくれたみんな、
ルビィですらも! そのつもりで動いてた!」
だがな、と戦士は歯を食いしばった。
「俺はあの日、魔王城で蛇を見た!
魔王とも四天王とも違う、六匹目の怪物!
テメェのことだよ……魔王親衛隊長!
ギド・エルファス・ヌ・アレキサンダー!」
「ふふっ」
「俺は直感でお前を魔王以上の脅威と判断した
最高戦力である俺が当たるべき敵だと即断した!
だから、魔王の足止めをルビィに任せたんだ!」
結果としてヴェルデは功を逃した。
期待も、名誉も、栄光も、なにもかも、
彼は全てを手放し勇者を立てる脇役となった。
だが、それでも別に良かったとヴェルデは強がる。
仲間であるルビィが称えられるのなら、
戦友である彼が勇者と呼ばれるのであるのなら、
彼はその気持ちを心の中に仕舞っておけた。
――なのに勇者は失踪した。
自分が欲しかった物を得たはずなのに、
本来なら自分にこそ与えられるはずだった物を
尽く奪っていったはずなのに、
それら全てがまるでゴミだとでも言わんばかりに、
勇者ルベウスは何も残さず消えてしまった。
それがヴェルデは許せなかった。
じゃあ返してくれよ、と激怒した。
そして、友を呪う自分に気付いて失望した。
全てはあの日に蝕蛇と出会ったから。
仲間たちを守るための判断を下したがために
その仲間を憎らしく想うイマを過ごす。
「誰のせいだと……誰のせいだとッ……!」
全てはやはり、眼の前の蛇のせい。
「お前のせいだ! ギドォッッッ!!!!」
結晶の大地に刃先を擦らせ、
激昂する戦士は因縁の敵へと駆け込んだ。
しかし対するギドの方はというと、
白い大地に黒剣を突き立て、
いつもの張り付けたような笑みを浮かべていた。
「長台詞ご苦労さま。私の勝ちです」
「ッ――!?」
刹那、闘技場を形成する全ての水晶が蠢く。
まるで腹の内に収めた獲物を
押し潰して消化せんとするかのように、
禍々しく突出した巨大な結晶が渦を巻く。
そしてそれと同時に、
ヴェルデの手足が先端から結晶に蝕まれた。
「なんだと!?」
「貴方が魔王様を討ち取れなかったように、
私も貴方のせいで勇者を討ち取れなかった
その宝剣があるせいで、魔王軍は壊滅した」
「っ……!」
「鍛え直しましたよ、あの日から私もね!」
莫大な水晶の闘技場の侵蝕速度は既に、
宝剣が放つ光のリチャージ速度を上回っていた。
ただ持っているだけでは逃れられないほどに、
結晶生み出す蛇の蝕みは宝剣の性能を凌駕する。
「このっ……俺はテメェのせいでッ!」
「戦争の勝者が何を贅沢な戯言を
こちらはその一千倍ブチギレているんですよ!」
「ッ! 光量増加! 『日燐』ッ!」
鮮やかな光の技と共に
ヴェルデは結晶の侵蝕から抜け出した。
だが戦闘続行のためにはやはり太陽光だけでは
補えないほどのエネルギーを必要とし、
宝剣は常に少しずつ残存光量を減らし続ける。
ヴェルデは肌感覚でその変化を感じ取ると、
ギリッと歯を打ち鳴らし大きく空に飛び上がる。
狙うは勿論、短期決戦。
少しばかり語らい過ぎた時間を取り戻すべく、
戦士として培ってきた全てを一刀に乗せた。
「ギィィドォオオオオオオオオ!!!!」
「翠玉の虹。ガラスの青海。蛇の御座――」
やがて両者の距離が零へと至る。
「宝剣光華『烏兎匆匆』ッ!」
「出でよ、『神座』ッ!」
――それは剣斧の斬撃と巨大結晶との正面衝突。
接触面から解き放たれた風圧が、
眩くも鮮やかな暖色系の光に遅れて世界を裂く。
その衝撃波は周囲の雲を吹き飛ばすほどで、
衝突点を中心に青空の穴が空いていた。
その衝撃があまりにも強過ぎたのだろう。
生身のヴェルデは――宝剣を空に手放していた。
故にその体は見る見る内に結晶化が進み、
そんな彼をギドは悪辣な笑みで見上げていた。
〜〜〜〜
勝ちを確信した時、
人は最も無防備な状態となる。
そんな事は当然、分かっている。
誰に言われるまでも無く、知っている。
だからギドも敵が万策尽きるまで気は抜かない。
けれどもそれは、結局の所、ギド目線での話。
敵が本当に万策尽きたかどうかなど、
彼には分かるはずも無いのだ。
何故なら彼には『知らない情報』があるから。
「魔導機構『斧銃』――起動!」
声に反応し魔法陣が浮かび上がったのは、
最後まで手放さなかった方の武器。
宝剣を手に入れる前から使い続けた、
愛用の可変式戦斧であった。
やがてそれは一丁の大口径小銃へと変わり、
まっすぐギドの胸元に狙いを定めた。
そこから先の出来事は正に一瞬。
渇いた銃声が鳴り響いたかと思えば、
咄嗟に晶魔が立てた結晶の壁が弾丸を防ぐ。
が、結晶壁は弾丸と接触した直後に
音を立てて砕け散り、そしてそのまま、
弾丸は狂い無くギドの胸に撃ち込まれた。
「――!?」
次の瞬間、ギドはぐらりと体勢を崩し、
またそれに合わせて水晶の闘技場は崩壊し始める。
――ギドは知らなかった。
あの遺物を回収したのが彼である事を。
チョーカ帝国の手によって砂漠の国より発掘され、
公国が回収に失敗した超古代文明の遺物。
魔力に感染し、術者を殺す神の毒。
「『神の毒』……!?」
「大正解。俺様の本当の切り札だ!」
そうしてギドは地面へと堕ちていく。
頭上から落下してくる宝剣を
口で受け止めたヴェルデとは対照的に、
酷く濁った瞳で堕ちて行った。
「光残量ゼロ……マジで危なかったが……
今度こそ俺様の勝ちだ!」
~~~~
「ギドっ!?」
目眩く変化していった戦況をようやく理解し、
ベリルは保護者の元へと駆け込み名を叫ぶ。
二人の戦闘によって其処はもう森とは呼べない。
煙を上げて消えゆく結晶に包まれた荒れ地。
爆心地のような決戦の跡地であった。
「ぅ……ぐっ……申し訳ありません。ベリル……」
(良かった息はある! けどもう戦闘は――)
「無理だよなぁ!? 羽ガキィ!」
ヴェルデは天魔のすぐ近くに落着した。
落下の衝撃すらも体質による強化の糧として、
宝剣と可変式斧を携えた戦士は鋭く嗤う。
まるで己が死の具現であるかのように。
その光景にベリルは絶望した。
絶望しながらもどうにかギドを守ろうと盾になる。
が、そんな少年をヴェルデは蹴飛ばすと、
痛みでうずくまる彼を無視してギドに向かう。
(っ……! 助けなきゃ、助けなきゃ!!)
ベリルは何か策が無いかと焦りに焦った。
攻撃手段。無くは無い。だが無謀。
防御手段。こちらは更に絶望的だろう。
ならばあと残されているのは、
せいぜいが安い挑発くらい。
「ゆ、勇者のなり損ない! 出来損ない!」
「おう後でな! ギドの後で殺してやっから!」
「っ! ……っ! っぅ~~~~!!」
やがて斧が振り上げられた。
ベリルはやはり焦って言葉を探す。
これまでの会話の中からヒントがないかと
必死に、必死になって思考した。
元勇者パーティ戦士の、
ヴェルデの気を逸らせる言葉を――
「――勇者も選剣に挑戦したんだよね?」
「あ?」
「もしかしてその時本当は抜けたんじゃないの?
期待されてたお前に、気を遣っただけで」
「――――」
戦士の手は止まった。
どころか斧を持つ手は下げられた。
絶句したまま、彼はじっとベリルを見る。
そして音を置き去りにした一歩にて、
彼は少年の傍らに移動した。
「抜かしてんじゃねぇぇえぞッッ!!!!」
「!? がぁあ!!」
膝蹴りが五歳児の頭部を穿つ。
そして転がるその小さな体を踏みつけ、
直後に数発の蹴りがその胴を直撃した。
それは今までのいたぶる攻撃ともまた違う、
単なる感情任せの純粋な暴力であった。
「俺が! 俺が! 俺様が!
ルビィの奴に気を遣われてただァ!?」
「ぐはっ! ……っ、自覚あるんだ?」
「はぁ!?」
「こんなに怒るなんて、心当たりあるんでしょ?」
「ッ!! ふざけんなぁ!!」
大振りの蹴りがベリルの腹を狙った。
しかし感情任せの暴力は隙だらけ。
ベリルはその攻撃に合わせて翼を広げると、
即座に大空へと離脱した。
「待てガキぃ! テメェから殺してやるよ!!」
(っ……完全に頭に血が昇ってる……
そりゃそうか――重傷ではあるもんね)
毒に、体力の消耗に、ギドの攻撃。
全ては確実にヴェルデの体に蓄積されている。
体質によってそれが強化に繋がるとはいえ、
ダメージが無効化される訳では無い。
(ならきっと、ここが最後のチャンス……!)
覚悟を決めて、ベリルは胸元の衣類を剥ぐ。
「力を貸して、シェナ――」
~~~~
「輝石が何かって? 気になる?」
ベリルは既に聞いていた。
雪山での遭難中、目撃したその瞬間、
彼はシェナからその正体を教えて貰っていた。
「これは透血鬼に伝わる秘宝
自身の記憶を媒介に魔力の弾を作る宝石よ」
ベリルは既に知っていた。
シェナにはまだ奥の手があった事を。
焔魔にも負けない火力を生み出す、
強力な破壊力を彼女が隠し持っていた事を。
「なんで今まで撃たなかったのかって?
そりゃ記憶消えちゃうもの。撃てないわよ」
効果も、代償も、発動条件となる詠唱も全て、
長い待ち時間があったあの雪山で聞いていた。
そしてこの時、姉のような存在の魔物は、
しばらく少年の顔を見つめると
意を決したように輝石を半分に割った。
石は幻魔本人のように自己修復能力が働き
気付けば彼女の手には二つの七芒星が並んでいた。
「ま、アンタも持ってた方がいいかもね……」
未来が見えていた訳でも、
結末を予感していた訳でも無いが、
シェナはどこか寂しげにそう呟いた。
そして輝石の一つを天魔の胸に刻み込む。
~~~~
「――天輪、灼火、果て亡き否定」
それは透血鬼に伝わる秘伝の奥義。
しかし彼らは記憶を喰らい幻を見せるだけ。
決して記憶を司る神などでは無い。
記憶を媒介に放つこの技を扱うためには、
純粋に七芒星の輝石を受け継いでさえいれば良い。
「啼き叫ぶ上限超過は花の断頭
其の眼が及ぶ狭間にて、時流は今静寂を抱く」
「!? その詠唱は!」
既にこの技を一度見ているヴェルデは
すぐに発動を防ごうと斧を銃に変形させた。
「っ……! ――抱擁せよ、包囲せよ
星宙の奴隷は処刑を待ち侘び
暁の黄昏が仙獣たちの自滅を看取る……!」
「させねぇぞ、羽ガキ!」
「なれば、この背を嗤う影に問う!」
赤色の稲妻と共に、
血よりも真っ赤な魔法陣が
少年の腕の中に浮かんで回転を始める。
――と同時にベリルはギリギリ操れる刃根を飛ばし、
ヴェルデの肩に突き立て射撃を妨害させた。
どうやら銃にはあまり自信が無いようで、
狙いを定められないと踏んだヴェルデは策を変える。
即ち接近戦による首の切断だ。
それを見越したベリルは更に距離を離し、
同時に数枚に分かれた魔法陣を一つに束ねて
回転する光の球へと変化させた。
「させるかっつってんだろぉ!!」
「――いいえ。黙ってみてなさい!」
飛びだそうとするヴェルデの進路を、
地を這うギドの結晶が妨げた。
それは数秒で弱々しく崩壊し、
術者であるギドも血を吐いて倒れたが、
残りの詠唱を終わらせるのに十分な時間を稼ぐ。
「Wize, Benevola, Faune, Brennavict」
(ちっ、腹ぁ括るしかねぇか……)
形成された赤き弾丸がヴェルデを狙う。
それと同時に戦士は宝剣の輝かせ大地を蹴った。
空と大地の狭間にて、互いの距離が縮まり出す。
「僕が僕で失くなる前に、僕が僕で在るために!」
「宝剣。最大解放ッ――」
「僕は僕を棄却する!!」
「『白兎赤烏』!!」
「閉眼・『ロストワン』!!」
つんざく閃光が世界に影を落し、
瞬きも間に合わぬ刹那に空は赤く感光した。
雷鳴の如き轟音と赤紫色の稲妻が、
二つの技の拮抗を荒々しくも神々しく彩っている。
だが、僅かに優勢なのは、ヴェルデだ。
破邪の光はベリルの大技すらも徐々に打ち祓い、
次第にその攻勢を強めているのが見て取れた。
(これでも……! 足りないのか!?)
もうベリルに注げる魔力は無い。
あと一歩を埋めるエネルギーは持ち合わせていない。
否、あるにはある。ベリルはそれを持ってはいる。
彼の頭の中に『ロストワン』を強める薪はある。
――『私はシェナ、透血鬼のシェナよ』
――『はぁ!? なんで私まで巻き込むのよ!』
――『ほんっとアンタってば危なっかしいわね?』
ロストワンのエネルギー源は記憶。
この技は自身の記憶を消費して放たれる。
そしてその消費される記憶とは、
大切であればあるほどよく爆ぜる。
――『もう少しお話しましょ。それだけで良いから』
――『魔王になってもずっと隣に居てやるわよ』
――『格好良い魔王に、なりなさいよ』
「ッッッ……!!!!」
涙を浮かべた瞳を持ち上げベリルは決断した。
彼女の仇を取るための、彼女の棄却を。
「応えろ!! 『ロストワン』!!」
刹那、赤い閃光はその勢いと規模を増す。
世界を直に殴るような暴風が
エネルギー源を中心に大きく爆ぜた。
(決死……! だが、間に合う……!)
歴戦の戦士は既に計算を終えていた。
宝剣の煌めきは残量スレスレ。
しかしあの空に太陽がある限り、
その光が失われる事は有り得ない。
故に――
「俺の勝ちだァアアアアア!!」
――戦士は油断した。
敵が本当に万策尽きたかどうかなど、
彼には分かるはずも無いのに。
何故なら彼には『知らない情報』があるから。
否、それはベリル自身も知らない事だった。
「「な――!?」」
ベリルどころか、ギドも、他の魔物も、
そしてきっと大公ですらも知らなかった。
数百年に一度、昼間であるのにも関わらず
太陽が消える事がある事を。
辺り一帯を瞬く間に暗く染まる事を。
「これは皆既日食!?」
ギドがそう叫んだ次の瞬間、
ヴェルデの宝剣から破邪の光は消え失せた。
――天は魔物に味方した。
即ち天魔が放つ攻撃との拮抗は崩れ、
遂に決着の時が差し迫る。
「し、まっ……」
これは運も、実力も、知恵も
そしてこれまでのありとあらゆる物も
全てを総動員した全霊の一撃。
怒りを代弁する赤い光が、戦士の体を飲み込んだ。
「これで終わりダァアアアアアアアア!!!!」
ベリルの記憶が、光って爆ぜた。




