弐拾漆頁目 足元の火
~~拠点内・第六階層~~
魔物が人を襲う。
黒き異様な気配を放つ剣を振るい、
果敢にも迫る人間の頭を壁に叩き付けて、
魔物たちの長は効率良く人を殺し回る。
「ふーっ……そちらはどうですベリル?」
「何が?」
「何がじゃありません。状況を」
「見ての通り。雑魚ばかり……」
ギドが振り向いてみればそこには、
大量の死体の上に羽根を広げる魔物がいた。
廊下は滴り、飛び散り、溢れ出した鮮血の河。
幼き容姿の少年が肉塊の上に立っていた。
「違う。こんな奴らじゃないんだ……」
「ベリル?」
「シェナはもっと強い奴に殺された
そうだ……どこだよヴェルデ・クラック!」
(私の声も聞こえていませんね)
呆れるほどに強い復讐心。
だが半ば狂気に囚われた幼子を、
ギドはむしろ頼もしく思っていた。
何故ならその殺意こそが
人にも打ち克つ可能性になるのだから。
「君が育ちきるまで、必ず私が守りましょう」
届かぬ声を、否、むしろ届かぬのを良い事に、
ギドははっきりと声に出してそう告げる。
またそれと同時に彼は通路の奥から現れた
新手の敵集団に切っ先を向けた。
(しかし……矢鱈と敵兵の集まりが良いですね?
暴れているとはいえ、現在地がバレ過ぎです)
追跡刻印があるのならまだしも、
ある日突然現れた襲撃者の位置情報を
リアルタイムで把握する技術は流石にまだ無い。
魔物ならばまだそう言った能力を持つ種も
探せばいるのかもしれないが、
少なくとも人間の技術体系には無かった。
故にギドは今の状況を不審に思う。
もしや敵には厄介な存在が居るのでは、と。
(あの男が魔物と組んでいるとは考え難い……
ならば純粋に、読みの冴えた輩が居るでしょう)
襲撃者の標的がヴェルデであり、
最下層から侵入してきたとあれば、
次の行動を読むのも或いは可能なのだろう。
上を目指す魔物たちの移動経路を、
思うように誘導する事も。
「ベリル。決して私から離れぬように」
罠を予想しギドは告げる。
しかしやはりベリルからの反応は無かった。
またも無視された事に保護者は苛立ち、
語気を強めて「聞いていますか」と振り返る。
だが其処には、既にベリルの姿は無かった。
「あれぇ居ない!?」
殺意に息巻く天魔は、
既に上を目指して移動していた。
〜〜同時刻・第三階層〜〜
誰よりも先を征く天魔とは対照的に、
災禍遊撃隊の中で最も出遅れていたのは
鈍重な武装とそこから放たれる火力が売りの
憑依生命体『煤霊』。通称焔魔のペツだった。
彼は薄暗い通路をゆっくりと歩いて進み、
迫る敵も繰り出される罠も全て焼き払っていた。
そうして殺戮兵器は遂に広い空間へと身を晒す。
其処は洞穴を貫通する鉄橋たちが
立体的に何本も重なって見える場所。
この基地のバックヤードとも言うべき、
骨組み剥き出しの空間が其処にはあった。
「移動の要。焼き焦がしておきましょうか」
鉄橋が最も重なった一点を狙い、
ペツはそっと黒い機械の右手をかざす。
だが彼が正に炎を放とうとした次の瞬間、
焔魔の背後から巨大なトゲ鉄球が襲い掛かった。
ペツはその攻撃を肉体強度のみで受け切ると、
広い空間の中へと大きく飛び退き後退する。
そして元いた場所から十分に距離を離すと、
彼は指先に火を灯して鉄球を操る鎖の先を見る。
「……もっと剛健な大男を想像しました」
「私はもっと肉が付いてる奴イメージしてたなー」
嗤いながら現れたのは、青髪の少女。
似つかわしくないモーニングスターを担ぐ、
軽装備の女兵士長であった。
また彼女の背後からは複数の兵士が飛び出し、
立体的な空間の各地へ散らばり、
ペツの周囲をぐるりと一周取り囲んだ。
(最後尾である当方の更に背後からの敵襲……
どうやら隠し通路でもあったのですな)
「一応聞いとくけどー? 投降する?」
「ハハハ、お戯れを。魔物に情をかけますか?」
「きゃは! 良くわかってんじゃーん?
そうだよ! 情け容赦無く殺したげる!」
振り上げられた鉄球が、
真上からペツの頭上へと墜落する。
その衝撃で焔魔のいた足場は粉々に砕け、
吹き上がる煙幕が攻撃の結末を一瞬隠した。
だが鎖にてその感触を判別出来る兵士長は
心底感心するように「へぇー?」と唸る。
それと同時に、煙幕の中で赤い瞳が輝いた。
「当方、肉はありませぬが、骨はありますぞ?」
「やるじゃん? そう来なくっちゃねぇ!!」
産まれた火柱をトゲ鉄球が叩き潰す。
その衝突が生んだ熱気の余波が
周囲に並ぶ兵士の顔を僅かに歪めた。
しかし彼らもすぐに闘気を取り戻すと
各々の武具を片手に焔魔へと攻撃を仕掛けた。
まず三名の剣使いが果敢に先陣を切る。
煙幕の中から魔物を追い出した。
次いで五名の弓使いが一斉に矢を放つ。
効かないまでも魔物の注意は引けた。
そして目の前に現れた隙を突き、
一人の槍使いが技を使って決めに掛かる。
鮮やかな蒼の軌道を描き、光が魔物の腹を狙う。
がその時、槍使いは己の目を疑った。
何故なら標的である魔物の両腕が、
塗り潰されたように白く光っていたからだ。
そして槍使いの攻撃が直撃するよりも前に、
焔魔は白い両の手を大きく広げる。
次の瞬間、彼を起点に光は同心円状に広がり、
直後それは悪魔の笑みが如き業火へと変わった。
「――『猩紅弾』」
それは焔魔の持つ広範囲攻撃手段。
槍使いだけでなく少し離れた剣士たちも、
そして位置の悪かった弓兵の一部も
この攻撃は効果範囲内に収めていた。
まるで一つの爆弾が炸裂した後かのように、
爆ぜた炎は範囲内全ての物体を燃やしたのだ。
しかもそれは、いくら消火を試みようとも
勢いを緩める事無くいつまでも燃え続けている。
もがき苦しむ被弾者が息絶えても尚、
消えぬ炎はゴウゴウと吼えていた。
「笑止千万。回避も出来ない雑魚ばかり」
軍帽の縁を指先で摘み
機械仕掛けの怪物は敵の弱さを鼻で嗤う。
真紅の焔で彩られたその恐ろしい姿に
生き残った兵士たちは当然たじろぐ
唯一まだ戦意を持っていたのは
ヴェルデをヒーローと称える女のみだった。
「正直、舐めてたわ……」
吐息と共に、彼女はそう漏らす。
そう漏らしたかと思えば、彼女の華奢な手は
鉄球のトゲ部分を直接掴んでいた。
その瞬間、彼女の姿が残像に変わる。
「――ッ!?」
ペツの視覚がそれを認識した時には既に、
鉄球が彼の上半身を殴り付けていた。
いつの間にか真横に来ていた青髪の女が、
直接鉄球を叩き付けて来たのだ。
その速さに焔魔は追い付けず、
そのまま彼は鉄柵まで吹き飛ばされる。
「ぬぅ……! これは……!」
「アンタは強い。だから本気で殺したげる」
(殺気! 上か……!!)
先の攻撃を耐久出来たのは
ペツの純粋な肉体強度が高かったから。
しかし二度目を喰らえばどうなるかは不明瞭。
焔魔は今までで一、二を争うほど素早く
本能的な回避行動に移っていた。
だがそれでも、鉄球は足を掠める。
機械仕掛けの装甲を削る嫌な音が響いた。
反撃の火炎弾を放つも空を切る。
敵は自身の神速に加えて、
鉄球と繋がる鎖を橋に掛ける事で
三次元的な高速移動を実現していたのだ。
その速度にペツは全く追い付けていなかった。
ならばと再び周囲を丸ごと焼いてみるが、
鎖付きのトゲ鉄球は近付かずとも攻撃が可能。
炎と鉄橋とが交差する立体的な戦場にて、
焔魔は完全に後手に回っていた。
「鈍重な得物の癖にちょこまかと……」
ならば、と焔魔は戦法を変える。
敵の高速移動を支えているのが鉄橋ならば、
足場となるそこに炎を解き放ってやれば良い。
消火困難な逆巻く焔がじきに敵も焼き焦がす。
その未来を求めてペツは周囲に炎を投げ付けた。
「『猩紅弾』!」
(むぅ……ちょっと面倒くさくなってきた)
戦場そのものを焼くという戦法は実際効果的で、
炙り出されるように兵士長の動きは鈍る。
まだペツが捉えられるほど遅くは無かったが、
決着が時間の問題である事は誰もが予想出来た。
そんな状況に苛立ちにも似た焦りを覚え、
兵士長は周囲の状況をよく観察した。
そしてある瞬間、彼女はニヤリと笑い指示を出す。
「兵士たち! 突っ立って無いで手伝いなさい!」
「っ……! は、はい!」
(雑兵たちを動かした? 厄介ですね……)
先程の攻勢でその数は一桁まで減っていたが、
それでもやや劣勢なペツにとっては
十分鬱陶しく思える敵だった。
まず先に潰してしまおうと思えるほどに。
意識の大部分をそこへ向けてしまうほどに。
「貴様らはこれで十分、『猩紅弾』!」
焔魔は再び両手を広げて炎を解き放った。
炎上結界を前に兵士たちは怯えて飛び退く。
先程とほとんど同じ状況。何も変わっていない。
――と思われたその直後、
ある兵士の胸部が突然膨れ上がった。
無論それは決して人体の不思議などでは無く、
膨らみ、張り裂けて、兵士を背後から貫き
現れたのは兵士長の巨大トゲ鉄球だった。
「なにッ――!?」
言わばそれは視覚外からの一撃。
攻撃直後かつ予想に無い角度からの奇襲は
流石のペツでもどうする事も叶わず、
迫るトゲ鉄球はそのまま彼の顔面を直撃する。
結果、焔魔は頭部を完全に破壊され膝を突き、
愛用の軍帽は奈落の底へと落ちていった。
「きゃはは! はい私の勝ちー!」
燃える鉄橋を踊るように、
女は高笑いをしながら進んで行った。
その光景に兵士たちはただ青褪めるばかり。
やがて誰かが鳴らした喉の音に反応し
兵士長は不思議そうに彼らの方へと振り返る。
「何? なんか問題あった?」
「そ、そりゃあ!」
「あなたたちの覚悟を有効活用してあげたのよ?
雑魚がまたゴミみたいに燃やされる前に。
ちゃんとマイヒーローの役に立てたんだから
ここは泣いて私に感謝する所じゃないの?」
「はぁ!?」
兵士たちは当然、抗議の表情を浮かべた。
しかしその態度に兵士長は激怒し、
逆に彼らを睨み返して怯ませる。
「まさかあなたたち。そんな覚悟も無いの?」
「っ! 肉壁にされる覚悟なんか――!」
「言っとくけど私はあなたたち雇われとは
この作戦に掛けてる『覚悟』の強さが違うの
六年前は幼すぎて戦わせてもらえなかったけど、
ようやく、あの人のためにこの命を使える……!」
何やら心酔した様子で兵士長はそう呟く。
だがすぐに再び冷たい視線を味方に向けた。
「私の英雄のためなら死ねる。
その覚悟があるから私は強い。私は選ばれた!
ここはそういう組織。軟弱者は今名乗り出な?
組織としての強度を高めるために使ったげる。」
その言葉の意味を魂が理解して
兵士たちはただただ絶句するしか無かった。
やがて名乗り出る者が居ない事に満足とすると、
彼女は満面の笑みで、年相応の語気で語る。
「よぉーし! じゃあ次の戦場に行こっか!」
侵入者はまだまだ居るぞー! 皆殺しだー!」
「――ではまず目の前の敵を倒さねば、ですな?」
声に反応し兵士長は大きく飛び退く。
それと同時に業火が橋の上を爆走した。
火炎は再び動きのトロい兵士数名を焼き払い、
そして発生源の黒煙からは機械の魔物が再起する。
破損した頭部を、黒い煤で覆う焔の霊魂が。
「この体は単なる人形。当方、まだまだ元気です」
「……きゃは、魔物ってやっぱキモいねッ!」
起き上がった瞬間は少々気圧されたが、
すぐに兵士長はナイフのような闘志を取り戻す。
そして再び立体的に交差する周囲の橋を利用して
彼女は今までより更に早くペツを翻弄し始めた。
「何度起き上がろうがその度に壊したげる!
お前は私の動きには追いつけていないんだから!」
(確かに……当方は敵を目で追えない……)
焔魔はどこか弱々しく敵を見上げる。
実体は掴め無い。見えているのは残像だけ。
加えて今のペツにはもう戦場全体を
一撃で灼き尽くすような火力は出せない。
元々この空間が縦にも横にも広すぎる上に、
ここまでの戦闘で魔力を使い過ぎたのだ。
(撃てるのは……精々あと一発でしょうか)
脱力する焔魔の頭上で敵が更に加速する。
攻撃を仕掛けてこない事から状況を察して
次で一気に決める算段を立て始めていた。
魔物にはもう余力など無いと、侮っていた。
「――これだけは使いたくなかった」
瞬間、ペツの背中が音を立てて解放される。
それは機械の体だからこそ出来る動き。
まるでバックパックが開くからのように、
背中に取り付けられた機構が正しく機能した。
そうして機械仕掛けの体から射出されたのは
拳より一回り大きい程度のミサイル数弾。
焔魔の炎で推進器が起動しただけの、
魔導機構ですら無いただの榴弾だった。
それでも兵士長はその榴弾を目で追った。
退避の必要があるか否かを見定めるために、
半ば本能的に視線がそちらへ向いていた。
そして、そんな彼女を咎めるように、
榴弾は最高地点にて炸裂する。
目を焼き焦すほどの――閃光と共に。
「『虚空光』ォッ!!」
「なっ!?」
弾の正体は公国軍の開発した閃光弾。
音と光で敵の五感を狂わせるスタングレネード。
着火以外の全てが焔魔に因らない攻撃が故に、
魔力消費もほとんど無く撃てる出し得な技だった。
そんな便利な物をペツが撃ち渋っていた理由は一つ。
この武装を取り付ける事になったのは、
オラクロンを後ろ盾にした結果だったからだ。
「人間に助けられるようで癪でしたが……」
「がぅぁあああかああああぁああああッ!?」
「どうやら効果はあったようですな」
やがて酷く悶え苦しみながら
兵士長はペツの目の前に転がり落ちる。
既に愛用のトゲ鉄球も手放して、
涙で濡れる顔面を両手で抑えながら喚いていた。
そんな彼女の元までペツはゆっくり近付くと、
真上から彼女の顔を鋼の手で押さえ込む。
振り下ろされた鋼鉄がもたらす痛みと
そこに溜まった熱気によって
青髪の少女は自らの死を強く感じ取った。
「あ、あなたたち助け――!!」
「兵士長が負けた……ッ! 無理だ逃げろぉ!」
「あなたたち!? どこ? ねぇってば!?」
「ま、そうもなるでしょうな」
「ひっ……!」
「最期に言い遺す言葉はありますかな?」
「い……い……」
強い覚悟を誇る戦士は魂を震わせこう叫ぶ。
「嫌ぁあ! 死にたくないぃいい!!」
「は?」
「違うのぉ! こんなつもりじゃ! こんな!
あ、遊びだったんです……本気じゃなくてぇえ!」
「はあ? はぁぁぁぁぁぁ……――」
彼女の言葉に、ペツはすっかり呆れ果てて
煤が霧散してしまいそうなほど息を吐く。
そして女を掴む腕の力をグッと強めた。
その行動に女は口調を荒げて更に喚き散らすが、
焔魔は既に目の前をガキをどうするか決めていた。
「殺意を向けただろうが、貴様」
灼熱が、容赦無く、渦巻き、即座に解き放たれた。
業火は一瞬にして人だった物を燃焼物へと変え、
そのまま彼らのいた鉄橋すらもブチ抜いた。
ドロリと溶け落ちるのは燃える金属。
粘り気の強いそれが奈落の底へと落ちていく。
「肉も骨も、失いましたな」
~~~~
「まさか……兵士長が負けた?」
基地内の機構を操作する管制室にて、
チョビ髭の中年男が冷や汗を浮かべる。
兵士長と同列の幹部。情報官だ。
彼は基地内の罠や兵士から得られる情報で
戦況を誰よりモ早く、正しく理解していた。
「ッ……応答願います技術長!」
『どうした? えらく慌てて?』
「兵士長が敗れました……!
最早一刻の猶予もありません!」
『……まさか水門を開放しろと?
命令では第九回層の突破時に、だったろ?』
「それでは遅いのです! 今すぐ行動を!」
独断で、されど英断で情報官は指示を飛ばす。
だが彼の命令が通ったその直後、
彼一人が籠もる管制室の扉が破壊された。
驚き振り返ってみると、扉を破壊したのは
生き物の如く蠢く金色の鎖であった。
「なに!?」
やがてそれは男を見つけると軌道を変えて
彼の方へと一直線に襲い掛かる。
情報官は即座に反応し立ち上がるが、
文官である彼にはそこが限界。
気付けば男の体は鎖に巻き取られて、
次いで迫る美女の膝蹴りによって顎を打たれた。
「がはっぅ!?」
「ふむ。こちらの動きを正確に読む切れ者
どんな色男かと期待しておったが、
拍子抜けするほど呆気ないではないか」
「…………きゅぅ……」
「あ、本当にもう終わった。弱っ……」
戦闘能力皆無の幹部は
殺されるまでも無くセルスに拘束された。
かくして敵に位置情報が共有される事を防ぐと、
彼女は設備の破壊を目論み周囲を見回すが、
その際彼女は水門の計画を感知した。
「これは……まずいの……」
どれほど局所戦を制しても
文字通り全てが水の泡となる敵の切り札。
ヴェルデの他にこちらも止めねば意味は無い。
瞬時にそう察知したセルスは
機材と向き合い必死に対策を探した。
だがその時、彼女は一つの反応を感知する。
水門の方に向かって一直線に、
敷き詰められた罠が突破されていく光景を。
「――まさか!」
~~同拠点内・水路~~
水位の低い水が真横を流れる地下の道。
レンガ作りの狭い陸路を金髪の男が一人進む。
既に同僚二人は敗走していたが、
まるでそんな事実など無かったかの如く
青年は急ぎもせず平然と歩いていた。
「よし着いた。水門、開けますかと」
そんな彼の遥か後方で
罠が作動し紫色の閃光が生まれて消えた。
だが背後の光は青年の目には入らず、
その音もまた彼の耳には届かない。
「各機構異常なし。推定所要時間は……五分かな」
だが確実に、ソレは来る。
青年の通った陸路からでは無く、
泳ぐには些か物足りない水路を進んで。
「僕の仕事は終わり。あとは待って――ん?」
ようやく、青年はソレの接近に気が付いた。
水位の低い水の中で飛沫を上げて近付く尾ヒレ。
水面から見えているのは鋭い鋭い棘の鱗。
技術長の男は咄嗟に防御の魔法陣を展開する。
が、水面より飛び出した鮫は
暴力の具現が如き突進で魔法陣を喰い破る。
「なんだお前は!?」
「通りすがりの迷子ちゃん!」
飛び退く技術長の顔に
ブワッと冷や汗が浮かび上がる。
それほどまでにこの鮫は異常だった。
やがて鮫は人の姿を取り、
浅黒い拳で技術長の顔面を殴り付ける。
「上への階段ってどこっすかーッ!?」
「ぐぅあああ!?」
棘鱗を纏った拳は殺傷力も強大。
成人男性の体は弾丸のように
水路の方へと吹き飛んでいった。
「あヤッベ! 軽く痛めつけるつもりが
勢い余ってメッチャ本気で殴っちまった!」
弱い頭を抱えてヘリオは喚き散らす。
そして明らかに雰囲気の違う水門方向の道を
彼は首を傾げてしばらく凝視すると、
多分真逆の方向に来たな、と結論付けて
来た道を戻ろうとする。
だがそんな彼の肩を、
硬い鱗で武装していたその肩を、
青黒いレーザービームが背後から撃ち抜いた。
「っ!? なァ――!?」
「……僕を他の連中と一緒にするなよ」
ヘリオは一瞬肉体を元の鮫に戻すと、
素早く流水を使って距離を離した。
そして再び人型に擬態し構えを取るが、
その時には既に相手は魔法陣を周囲に展開し
完全な臨戦態勢を整えていた。
「兵士長でも……情報官でもねぇ……
あの人を除いたら、最強はこの僕だ!!」
「へへ、そうっすか……!」
刹那、ヘリオの眼前が眩く光る。
青黒い無数の魔法陣が砲門を彼に向けた。
だが同時にヘリオも棘の鱗を纏って駆け出した。
敵に真っ直ぐ向かっていく彼の顔は、
闘争心に駆り立てられた笑みを浮かべていた。
「オレちゃん、当たりを引いたっすねッ!」




