弐拾肆頁目 零 ― ロストワン
――『良い? これは決して誰にも見せてはダメ』
月夜に照らされるのは深き森。
ガサガサと寒風に揺れ動く木々は不気味で、
人の声など聞こえようものなら
思わず失禁してしまう者も居るだろう。
しかしその声と、言葉を受ける相手は違う。
――『自分の大切な子に分けてあげるものなの』
二人にとって此処は家。
彼女たちはこの森に暮らす母と娘。
家屋は不要。松明も不要。物質的な食事も不要。
何故なら彼女たちは歴とした魔物であり、
その主食は道行く者の『記憶』だから。
――『そして、これは決して使ってはダメ』
その魔物に村は無い。里は無い。
一族間の繋がりも他の生命と比べれば殆ど無い。
あるのは成体となるまでに行う僅かな会話と
別れ際に授ける血族の秘密。
――『これを使って良いのは……』
透明な血を生み出す鬼の一族は
もうずっとそうやって生きてきた。
これまでも、そしてこれからも。
希薄な繋がりを結んでは捨てて生きていく。
――『分かった? シェナ』
そのつもりだった。
〜〜現在〜〜
人気の無い街の一角は煙に包まれる。
記憶捕食種が獲物を狩る際に生み出す幻惑の煙。
今は、味方を守るために使った咄嗟の煙幕。
(ベリル! ヘリオ! 二人とも無事!?)
桃霧の中でシェナが細く叫ぶ。
妖しい気配に包まれた都市の一角では、
丁度掠り傷を抑えてベリルたちが顔を上げた。
敵の強襲は幻覚によって回避され、
彼らはみな九死に一生を得る。
(姐さん! 助かったっす……!)
(こっちも平気! ちょっと負傷したけど……
まだ全然戦える! 今から反撃を――)
(バカ! ここは逃げるわよ!)
スチームパンクな襲撃者は
幻覚の中で不用心に勝利の高笑いを続けていた。
しかし既にシェナはその強襲の鋭さから
敵が圧倒的な格上であると理解し、
殺気の一つでも向けようものなら即座に
こちらの所在が割り出されると察知していた。
(あれは多分……聖騎士の何千倍も強い……!
見た所『戦士職』だから『聖騎士』みたいな
魔力操作技術は持ってないでしょうけど、
私たちじゃ全てを投げ売っても敵わないわよ!)
(っ……!)
悔しさはあった。
ほんの数秒で敗走せざるを得ない自分に
ベリルは確かに苛立ちを覚えていた。
しかしそれ以上に感じる敵の不気味さから
彼は素直に撤退の選択を受け入れる。
そして三人は念のために音を立てず、
気配を殺して、そろりそろりと引き下がる。
がその時、襲撃者ヴェルデ・クラックが動いた。
「さぁーて恒例の死亡確認ターイム!」
「「!?」」
「しっかり息の根が止まってんのを確認して……
――おやぁ?」
(まずい……!)
「こりゃあ俺様。謀られたかな?」
邪悪な瞳の眼光が、暗い夜に軌跡を残す。
直後、男は鞘に収まる『宝剣』に手を伸ばす。
しかし全てを抜き切る事はしない。
ほんの少し、その美しい刃を覗かせるだけ。
たったそれだけで、眩い閃光と共に煙が晴れた。
「「なっ!?」」
「お、居た居た〜。やっぱ生きてた」
(幻惑が解かれた!?)
(なんすか、あの剣……!)
(いやそれよりも、今は――)
「次も避けれるかな?」
「「ッ――!!」」
魔物たちの瞳に狂気の笑みが飛び込んだ。
果たしてどちらが狩る側なのか、
常識も倒錯した闇夜に戦斧が振り下ろされた。
三体の魔物はほとんど反射でそれを躱す、が、
大地と接触した斧は金切り声を上げるように
四方八方に鋭いオーラの斬撃を放出する。
それは瞬く間にシェナの腕、ベリルの翼、
そして硬い鱗を纏うヘリオの胸を斬り裂いた。
三者はそれぞれ苦悶の声を漏らし横転した。
最もダメージを受けていたのは――ヘリオだ。
「がっ!? ぁあぁあぁあああ!?」
「ヘリオッ!? くっ……このぉ!!」
最も軽傷なベリルは
即座に反撃の刃根をヴェルデに飛ばす。
がしかし崩れた体勢から撃ち出せたのは
たった二、三枚程度の小粒な刃。
しかも相当に焦っていたのだろう。
刃根は愚直にも真っ直ぐ敵の上半身を狙う。
無論、そんな事では戦闘巧者は討ち取れない。
突然の刃根飛ばしに流石のヴェルデも
最初の一瞬こそ面を食らった様子だったが、
すぐに状況を理解すると最初の数枚を斧で弾き、
そして顔面直撃コースだった残る一枚を
彼は大胆にも歯と歯の間で受け止めた。
「にぃ!」
(このバケモノ……!)
「おいお〜い? ぺッ! もう終わりかぁ?」
「くっ……!」
「嬲る趣味はあるが時間が無ぇ。決めに行くぜ――」
その言葉に、
真っ先にシェナが反応し回避行動に移る。
効かないと理解しつつも幻惑の煙を焚き続け、
その上でへたり込んでいたベリルを抱き上げると
近場の建物に向けて真っ直ぐ駆け込んだ。
流石に相手も民家への攻撃は
行わないだろうと踏んでの行動だった。
だが、敵の行儀はそこまで良くは無いらしい。
ヴェルデは魔物が民家に逃げ込んだのを
目で追うと、口角を鋭く吊り上げた。
「――『月閃』」
ヴェルデは躊躇無く技を放つ。
直後、並ぶ民家は耳障りな音を立てて崩壊し、
瞬き一つの合間に粉々に砕け散った。
それはシェナたちの隠れていた場所など
あっと言う間に抉り抜き、
幼き二人の魔物を何度も斬り付けた。
そうして斬撃の崩壊がようやく止むと、
現場では血塗れのシェナが這いつくばっていた。
背中には滅多刺しにされたような無数の斬り傷。
彼女の進む先には脱力した軽傷のベリル。
シェナはその身を呈してほぼ全ての攻撃から
ベリルを守っていたのだ。
「っ……ぁ……!」
「オイオイしぶてぇな? 透血鬼のガキぃ
いや? 俺様がそんだけ鈍っちまったのかぁ?」
「クッ……ヘリオ! 時間を稼いで!」
「っ!? りょ、了解っす!」
「お? 次はてめぇがやるかァ!?」
呆気ないほど簡単に
ヴェルデはヘリオの時間稼ぎに乗った。
まるで鈍った勘を取り戻す模擬戦かの如く、
或いは、久方ぶりの魔物戦を愉しむかの如く、
必死の形相で攻め立てるヘリオの攻撃を
ヴェルデは余裕綽々な笑みと共に片手で捌く。
敵がその気になればヘリオはいつでも殺される。
稼げる時間はせいぜい一分かそこら。
そう察しながらシェナはベリルに近付いた。
「ベリル……! ベリル!? まだ生きてる!?」
「ぅっ……っ……シェナ?」
「はぁぁ良かった……」
心からの安堵が少女の体温を少し下げる。
事実、月明かりには重たい雲が差し掛かり
戦場全体の気温は下がり始めていた。
その温度変化に合わせて
シェナは自身のクールダウンを済ませると、
溜め息一つの後に彼女は作戦を告げた。
「私が殿になるわ。アンタはヘリオと逃げなさい」
「!?」
「アイツの速度と破壊力は脅威……
誰かが足止めしないと、誰も逃げ切れないわよ」
その策にベリルはゾッと青ざめる。
しかしそんな彼の心情にも気が付かず、
否、気付いた上で無視をするかのように
シェナは「じゃそういう事だから」と立ち上がる。
服はボロボロだが既に体の再生は終わっていた。
確かに殿を務めるのは彼女が最適なのだろう。
それでもベリルは、去り行く彼女の手を掴む。
「? ベリル?」
「いやだ。それはダメ――」
彼は潤みつつも鋭く瞳を向ける。
「シェナも一緒。それが絶対!」
「――! でも他に策なんて……」
「策なら、あるッ!」
虚勢いっぱいに少年は笑みを浮かべた。
熱狂と安心。かつての魔王が持っていたもの。
自分には足りないと自覚しつつも、
ベリルはそれらがあるとシェナに嘯く。
そうして彼らが情報を共有したのと同時に、
時間稼ぎをしていたヘリオが敗れる。
カーンと甲高い音が響き渡ったかと思えば、
彼の肩と腕、そして腹をヴェルデは斬り付けた。
「がはぁッ!?」
「オラオラァ! どうした面白生物?
その硬い鱗もあと数枚で品切れだぜぇ!?」
(俺ちゃんじゃ勝てねぇ……死――)
「――ヘリオぉおおおおッ!」
「っ!? た、大将!?」
驚愕するヘリオと敵の真上を、
シェナと手を掴みながらベリルが飛ぶ。
そしてその最中、幻魔は再び煙を噴いた。
その桃色は月明かりの失せた夜に妖しく輝き、
頭上から瞬く間に戦場全体に散布される。
(何だァ? 幻惑ならすぐに祓えるぜ?)
「剣に手を掛けた! 今だヘリオ!」
「っ! 了解っす大将ッ!!」
(あぁそういう事ね?)
状況を理解するとヴェルデは
幻惑の中で目を閉じ、再び攻防戦に興じる。
彼の幻惑突破方法は腰に携えた宝剣。
そして先刻の彼はどういう訳か、
宝剣を完全には解放せず
使う度にすぐに鞘へと戻していた。
その動作分だけ、ヴェルデには隙が出来る。
(勿論、それだけで勝てるなんて思っちゃいない!)
宝剣を抜き切るかどうかは結局ヴェルデ次第。
抜剣を縛る何らかの制約をかなぐり捨てて、
突然宝剣を完全解放する可能性は十分にあった。
そんな相手依存の作戦をベリルは考えない。
上空を旋回する天魔が狙っていたのは、
更にその先にある確定した未来。
(逃走以外で奴が取るかもしれない行動は二つ!
本当に宝剣を抜いて幻惑を祓ってしまうか、
聖騎士がやったように魔力放出で霧を飛ばすか!)
(アンタ的にはどっちが良いのよ?)
(どっちでも良い
例え奴がどんな対策を選んだとしても、
その一瞬だけは間違い無く無防備になるから!)
そう確信し空を駆る天魔の軌跡には
計二十枚の刃根が暗闇に紛れて浮かんでいた。
ベリルの作戦とは即ち一瞬の隙を突く奇襲作戦。
ヴェルデが幻惑の煙を祓おうとしたその瞬間、
周囲に展開させた無数の刃根で襲うという
至極単純な物だった。
しかし、単純であるからこそ効果もある。
最初に隙を突いた際に目を閉ざさせた事で
今のヴェルデには天魔の刃根は見えていない。
加えてそれらが操作可能な事もまだ見せていない。
刃根が動いて自身を襲うという発想自体、
今のヴェルデには存在していないはずなのだ。
あとはベリルが、
その『一瞬の隙』を逃さず攻撃する事。
それさえ出来ればこの作戦は成功といえる。
仮に倒すまでには至らずとも、
負傷させる事で十分撤退も可能となるのだ。
(隙……隙……一瞬の隙……!!)
じんわりと少年の背に汗が滲む。
それに反して気温は更に下がっていく。
冷たさと奇妙な暑さが、緊迫感を増幅させる。
(ヘリオの攻勢が弱まってる……もうすぐだ)
当然のように気配だけで戦っているが、
短絡的そうなヴェルデがいつまでも
目を閉じたまま戦うとは思えない。
いずれ必ず『その時』は来る。
もう少し。あと少し。
「ぐ……! 双頭覇鮫――!」
そしてそれは、予想よりも早く来た。
「――『ディアルキア』!!」
二頭を携えた水流の鮫が敵に迫る。
それは術者の海魔が今出せる全身全霊。
凄まじい魔力を帯びた決死の一撃。
しかしそれをヴェルデは笑い飛ばす。
「大技の気配? 良いねェ!!」
斧が振るわれた。
視覚も使わず大振りの一撃が振り下ろされた。
それは技でも何でも無いただの下降運動。
しかしそれだけでヘリオの全てが砕かれた。
「俺ちゃんの……全力が……!」
「だけじゃねぇ」
「ッ!?」
戦斧の一撃は大地を殴り、
同心円状に広がる深い亀裂からは
星の悲鳴が如き突風が噴き上がった。
それは近場のヘリオや空中のベリルだけでなく、
シェナの焚いた幻惑の煙すらも
十分吹き飛ばすに足る威力であった。
(なんてパワーよ! ……いやそれより!)
(来た――! 『その時』が!)
前から殴り抜ける突風の中を
ベリルは勝機を見出し滑空する。
大技を放った直後に生まれる敵の隙。
どんな強者でも生み出してしまう、
時間にして二秒にも満たないその刹那。
気温は下がる。空は陰る。
この一瞬を逃せば次など無い。
されども決して外さぬ自信はあった。
戦士が正に斧を上げる。目を開ける。
だが間に合う。最高の角度。
敵の打開方法は予期せぬものだったが、
天魔は既に勝利の軌道に乗っていた。
(今だ! 『空――)
惜しむらくはただ一点。
月明かりを隠した頭上の雲が、
その腹に大量の水を含んでいた事。
「っ!?」
気温は下がる。空は陰る。
天魔が正に奇襲を狙ったその瞬間、
オラクロン大公国西部の都市に
大粒の『雨』が降り注ぐ。
それは瞬く間に刃根を濡らし、
天魔から最大にして唯一の武器を奪った。
――天は『人』に味方した。
そうしてベリルは、
泥濘んだ地面に不時着する。
そこは丁度、ヴェルデの真後ろだった。
「ん? どうしたガキぃ?
良い感じの泥団子でも出来上がったのか?」
「ッ――!」
「ちょっくら俺にも見せてくれやぁ!」
「ひっ……!」
更に数段キレの上がった旋風が魔物を襲う。
それと同時にヴェルデ本人の動きも
今までよりずっと素早い物となっていた。
最早戦士に隙は無い。
あったとしてもそれを突ける武器が無い。
「がぁあ!?」
「ベリル!」
「余所見すんなよ透血鬼!
脳や心臓までは再生出来ねぇだろう!」
「っ……! ヘリオ、手伝いなさい!」
「ぅ、ぁ、あぁ……」
(――!? 恐慌状態……!?)
「へっ! だらしねぇお仲間だなッ!」
嘲笑と共に放たれた回し蹴りが
ナイフ一本で応戦していたシェナの腹を打つ。
その一撃で少量の吐瀉物が宙を舞い、
同時にふわりと浮き上がったシェナの体は
地に伏すベリルの真正面に倒れ込んだ。
「がぁっ、はぁ!?」
「シェナ……! っぅ……!」
(――! ベリルも、もう……)
シェナは這って少年のもとへ向かう。
海魔は折れた。天魔は墜ちた。奇策は尽きた。
ここより先にあるのは純然たる力の差と
ただそれを見せつけられる暴力の時間。
逃してはくれないだろう。
何故なら彼らが――魔物だから。
「……」
シェナは這う。雨の中を這って進む。
夜の寒さが、泥水の臭さが体力を削る。
それでも少女は這って征く。
背後には邪悪な笑みを浮かべる戦士。
斧を携え、ゆっくりと幻魔の背中に接近する。
だが彼女はそんな事など最早眼中に無い。
あるのはただ一つ。たった一つ。
「……シェ、ナ?」
「ねえベリル……顔、貸して」
「え? ――ム!?」
視界が一人の顔で埋め尽くされた。
世界が相手の顔で埋め尽くされた。
肌の温もりが直接脳に伝わって来る。
唇が、相手の感触で染まって行く。
だがしばらくするとシェナは唇を離す。
名残惜しそうに、そっと。
そうして再びお互いの表情が見えるまで
顔を遠ざけると、呆ける彼に言葉を遺した。
「――格好良い魔王に、なりなさいよ」
刹那、彼女の背後でヴェルデが斧を振り上げ、
同時にシェナが大量の煙を放出した。
それは弁が狂ってしまうほどの放出量で、
彼女の全身からは噴き出すように血が流れる。
その大噴出に警戒して敵が飛び退くと、
シェナは愛する彼の襟を掴む。
「ヘリオーーーーーーォッッッ!!」
彼女に怒鳴られ鮫はビクッと身震いした。
だがそんな彼に一切躊躇う事無く、
シェナはベリルを放り投げる。
「姐さん……?」
「命に替えてもベリルを護りなさい!」
「!? りょ、了解っす!!」
「待ってよヘリオ!? まだシェナが!?」
ベリルは制止を命令する、が、
この場から少しでも早く退散したかった鮫は
主人を背に乗せたまま擬態を解き、
棘の生えた大鮫の姿で水路に飛び込んだ。
そして一目散に撤退を敢行する。
「シェナ!? シェナぁああ――!!」
「――バイバイ。ベリル」
そんな二人の去りゆく姿を、
シェナは聖母のような瞳で見送っていた。
彼女の後方では眩い光が迸り、
祓われる桃煙の中からヴェルデが現れた。
「よぉ? 何の真似だ?」
「なぁに……ちょっとした断捨離よ……」
「ああそ、そりゃあ律儀な事でェッ――!」
――雷鳴が轟き、煙霧が爆ぜる。
焚き上がる桃色の噴煙は遠方からでも視認でき、
轟く破壊の稲妻がその近辺の建物を抉った。
戦場では壊された家屋の破片に混じって
斬り裂かれた少女の腕が回って飛び、
大量の血痕を衝突した壁に塗りたくる。
そんな壁面の上に幻魔は飛び移る。
千切れた四肢を再生させて、
裂けた腹を修復させて、
満身創痍の霞む瞳で彼方の敵を見据えた。
『良い? これは決して誰にも見せてはダメ』
逃げる事は出来ない。
自分が足止めしているからこそ、
他の守りたい者が逃げられているのだ。
何より敵が逃がしてはくれない。
『そして、これは決して使ってはダメ
これを使って良いのは……
命を捨ててでも護りたい誰かがいる時だけ』
退くも隠れるも叶わぬのならば、
あとはもう、やるしかない。
彼女はボロボロとなった自分の上着の、
胸元を思いっきり引き裂いた。
『分かった? シェナ?』
「うん大丈夫。今がその時だよ」
現れたのは、
鳩尾の下に埋め込まれた七芒星形の輝石。
彼女はその異物の上下を挟むように、
両腕で円を作ると呪文を唱えた。
「天輪、灼火、果て亡き否定
啼き叫ぶ上限超過は花の断頭
其の眼が及ぶ狭間にて、時流は今静寂を抱く
――抱擁せよ、包囲せよ
星宙の奴隷は処刑を待ち侘び
暁の黄昏が仙獣たちの自滅を看取る
なれば、この背を嗤う影に問う」
それは透血鬼に伝わる最終魔術。
幻惑を操り、記憶を喰らう彼女たちが
自衛のために放つ唯一にして最大の攻撃手段。
発動条件、『特に無し』。
正しい詠唱と正しい印で発動可能。
現に今シェナの腕の中では
桃色の魔法陣が浮かび上がり回転を始めた。
やがてそれは数枚の魔法陣に分かれ、
無限に回転する一つの弾へと変化した。
「あ? なんだぁありゃ?」
異様な魔力を感じ取り、
ヴェルデもシェナの位置を特定する。
そして彼は今までに無い警戒心を見せ
宝剣に手を添えた。
それでもシェナは止まらない。
この技は一度発動した以上止められない。
何故なら術を編むのに『燃料』を使うから。
透血鬼が使う術の燃料。即ち『記憶』だ。
それもただの記憶では無い。
攻撃力を与えるに足る強い記憶。
言い換えるのならばシェナの中にある想い出。
この術は自らの想い出を焼却し放たれる。
「Wize, Benevola, Faune, Brennavict」
「――! やっべ、撃たせるかよ!」
詠唱に気付きヴェルデは飛び込んだ。
まるで弾丸のように、空を蹴って一直線に。
だがやはり、最早シェナは止まらない。
呪文は既に最終行節を高唱する。
「私が私で失くなる前に、私が私で在るために」
「クッ……! 選剣、抜刀!」
「私は私を棄却する!」
溜めた球形の魔力を、シェナは片手に乗せる。
そして迫る強敵に向けて彼女もまた飛び出した。
両者の距離は瞬く間に接近する。
豪雨の中で雷鳴が轟き、二人の顔が間近に迫る。
やがて衝突しようかと思われたその刹那、
シェナは全てを乗せた魔弾を放った。
その術の名は――
「閉眼・『ロストワン』!!」
閃光が全てを飲み込み暴発する。
衝撃波が次々と地形を吹き飛ばし、
夜をそれと認識させないほど明るく染めた。
そんな爆発の中で少女は静かに幻を見る。
森で魔物の仔と初めて出会った時の記憶。
親友だった人間と三人で過ごした時の記憶。
二人で街を巡って、膝枕をした時の記憶。
他にも一緒に戦った記憶や一緒に過ごした記憶。
そして叶わぬ約束を交わした少し前の記憶。
(あぁ……嫌だなぁ……)
それらが次々と消えて行く。
全てがまるで幻であったかのように、
想い出の映像たちが桃煙となって霧散する。
(でも、これで良い。ベリルさえ無事なら……)
それでも良いとシェナは微笑む。
狂気渦巻くこの世界で出会えた守りたい者。
それを未来に繋げるために戦えたのだ。
ベリルさえ無事ならそれで良い。
ベリルさえ健やかに育てばそれで良い。
ベリルさえ、ベリルさえ、ベリルさえ――
「――ベリルって誰だっけ?」
そうして思い出の色彩は消えた。
またその直後、戦斧を振るう音が響く。
~~翌朝~~
雨は止み、日は登り、
ベリルは再び戦場に舞い戻る。
既にそこには人集りが出来ていて、
ガネットを始めとした公国軍の姿もあった。
「うわっ……グロぉ……」
「やあね。折角人攫いも消えたのに……」
「下がってください! ほら下がって!」
虚ろな瞳でベリルはその人集りに近寄る。
彼の接近に気付いたガネットが
慌てて止めに入ったようだが、
それよりも先に彼は見てしまった。
「――!」
少年が目にしたのは、少女の骸。
それもバラバラに切断された各部位が、
杭状の瓦礫で壁に打ち付けられた無惨な姿。
血塗れの、青ざめた顔で、晒されていた。
大衆の面前で、討ち取られた魔物として。
「あ、……あぁ……!」
幸せだった記憶に染みが付く。
七色だった想い出が焼け焦げる。
四方から聞こえてくる野次馬たちの憶測と
脳裏にこびり付いたヴェルデの顔。
その全てが彼の全身で反響した。
「あああぁああああああああああああああ!!!!」
記憶捕食種『透血鬼』。
個体名『シェナ』――絶命。
今再び、少年の心に薪が焼べられた。




