弐拾参頁目 一瞥
運命という奴を憎んでみた。
最初から全てが決まっているなんて虚しくて、
窮屈で、腹が立ったから蹴破ってみた。
すると其処には壁があった。
誰もが人生の中で経験する壁。
輝かしくもドス黒い、隔絶の壁。
才能という名の、あまりに高い鉄の壁。
結局、まだまだ運命の中に居た。
運命というデカ過ぎる檻の中心で、
打ち破ってやったぞと一人で滑稽に
浮かれているだけだった。
才能の壁は、高くて、硬くて、怖すぎる。
結局次は、その才能とかいう奴を恨んでいた。
〜〜南の廃城・迷宮内〜〜
雪山での遭難から数日、
寒さは残るが冬の佳境は越えた頃、
ベリルたちは魔物専用の訓練施設にて
未来への投資を行っていた。
「行くっすよギドっさんッ! 水流操作!」
景気良くヘリオが叫ぶと、
人を模倣した彼の両腕には突然
どこからとも無く大きな水塊が生み出される。
そして彼が左右の水塊を胸元に集約すると、
それは荒れ狂う激流の如く渦を巻く。
「――双頭覇鮫『ディアルキア』!!」
直後、圧縮された水が爆ぜた。
やがて暴発したかのように解き放たれた水は
二体の大きな鮫を模して指向性を得る。
水流の手綱でヘリオと繋がれた二頭の鮫は、
彼の操作によって標的へと襲い掛かった。
が、狙われたギドは薄っすら笑みを浮かべると、
剣に添えた手にほんの一瞬残像を残す。
すると次の瞬間差し向けられた鮫たちの首が落ち、
ヘリオの攻撃は瞬く間にただの水に成り果てる。
「そんなぁ!? 今回はイケると思ったのに!」
「いえいえ、今のは十分お見事ですよヘリオ
魔力操作の発展系、水流操作
君は我々の中で一番飲み込みが早いですね」
「そーお? へへっ、オレっちゃんてば天才ね!」
鮫は鼻を高くし胸を張る。
事実ギドの言葉は「おだて」でも何でも無く、
ヘリオは日を跨ぐ度に明らかに強くなっていた。
特に先日の『神の毒』護送部隊襲撃任務で、
彼は戦いの中で誰に教わるでも無く
水流操作能力を会得していた。
しかもそれは仮に周囲に水が無かったとしても
体内から取り出した水で代用出来る優れもの。
既に新たな技も開発した今のヘリオは
地上でもペツやセルスな引けを取らない
優秀な戦力であった。
「このまま順調に鍛錬を重ねていけば
いずれ海神と恐れられる魔物に成長しますね」
「マジっすか! ソレってあとどのくらいで?」
「早ければ数百年後には」
「いや長ぇっすね!?」
そんな二人の様子を面白く思わない魔物が一人。
誰あろう――ベリルだ。
彼はギドに褒めちぎられるヘリオを長め、
両腕で支えた顔をぷっくりと膨らませていた。
「むぅー……」
「何よ? そんな真ん丸に膨らんじゃって?」
「ふまん」
「は?」
「才能の壁が、ふ、ま、ん!」
珍しく年相応に怒る少年の足元には
力無く落ちる羽根が散らばっていた。
彼は今、魔力操作の訓練中だ。
ゆくゆくは硬度、速度、威力の底上げと
ある程度の重量を運べる所までを目指して、
今はとにかく操れる刃根の枚数を
一枚でも多く増やしていく訓練の真っ最中。
地道で地味で、それでいて、
あまり成果の出せていない修行だった。
「今の進捗は?」
「同時に操れるのは最大二十枚
けどそれは僕自身が止まっていたらの話で
動き回ると十枚も操れるかどうか……」
「ねぇセルス様?
この子って飲み込み早い方じゃ無かった?」
「そこらの魔物と比べれば十分早いぞ?
じゃが……まぁ上には上がおるということじゃ」
「あー……なるほどねぇ?」
「悔しい」
他者と比較し始めればキリが無い。
隣の芝生はどこまでも青々と見えてしまう。
しかしセルスやシェナがそう諭しても、
幼きベリルは納得しようとはしなかった。
何故なら彼には明確な目標があったからだ。
「こんな調子じゃあ魔王になんてなれないよ」
魔物たちの王、最強の魔物、魔王。
人類への復讐を掲げるベリルの最終到達点。
人間の手駒として弱く燻る現状と比べてしまうと、
あまりにも乖離し過ぎた最果ての理想。
目指す高みの遠さにベリルの心は焦っていた。
そして、魔王という単語が聞こえたからだろう。
ヘリオの相手をペツに一任すると
ギドはベリルの下へいつもの笑顔で歩み寄る。
そんな彼に対して未来の魔王候補は、
体勢もそのままに首だけ動かし問い掛けた。
「ねぇギド? 魔王ってどんな魔物だったの?」
「――ふむ……そうですねぇ?」
ギドは傍らのセルスに目を向けつつ、
僅かなアイコンタクトの後に語りだした。
「熱狂と安心を同時に与える御方、ですかね?」
「熱狂と安心?」
「はい。あの方は相手をその気にさせるプロでした
時には捕虜にした人間すらも惚れさせて、
情報と命を自ら差し出させた事もありましたね」
「へぇー……それが魔王の能力?」
「いいや違うぞベリルちゃん
あの方の能力は攻撃主体でチャチな搦手はせん
他者を心酔させるその手腕は……
あえて陳腐な言葉を使うなら彼のカリスマじゃ」
「カリ、スマ……」
「ええ。『あの方のためなら死ねる』
当時の魔王軍はそう思う魔物ばかりでした」
ベリルは大人たちの言葉から
自身の持っていた魔王像を更新させる。
最強格であり、それでいて王の器を持つ存在。
きっと相当に優秀な魔物だったのだろう。
そして今の自分と比較して、
あまりにも掛け離れ過ぎていて笑えてきた。
そんなベリルの様子を不思議そうに眺めつつも、
ギドはすぐにセルスの方へと顔を向けた。
「それで? 何故魔王様の話に?」
「ああじつはのう――」
やれやれと投げやりなジェスチャーと共に
セルスはベリルの悩みを代弁した。
こうすれば保護者であるギドが何かしらの
フォローを入れるだろうと期待しての事だった。
がしかし、人の心を盗む事に長けた瞳魔でも
ギドの台詞を予見する事は叶わなかった。
「ふむ。確かにベリルには魔王様のような
才能もカリスマ性も備わってはいませんね」
「「…………え?」」
「それこそヘリオや、頑張ればペツ
二人の方が前魔王に近付けると思います」
それはあまりにも冷淡な言葉だった。
冷淡で、思い遣りが無くて、
女性陣は開いた口が塞がらない。
そしてギドの言葉を受け取った五歳児は、
今までで一、二を争うほど感情を爆発させる。
「ギドの馬鹿ぁぁぁあああ!!」
「ちょ!? 待ちなさいよベリル!」
「追えシェナ! 絶対に見失うで無いぞ!」
「年頃の子は大変ですねー」
「誰のせいじゃと思っとるんじゃ、この鬼畜め!」
「なんすかなんすか? 大将に何かあったんすか?」
「あ゛ぁ!? 貴様は今黙っとれ!」
「えぇ!? オレちゃん何か悪い事した!?」
「悪くは……無い! からこそタチが悪い!」
「なんすかそれ!?」
そうして元四天王のスライムが
怒気と共にギドとヘリオに水鉄砲を飛ばした。
しかしその怒号と悲鳴がベリルに届く事は無い。
彼はとっくに地下迷宮を飛び出していた。
〜〜オラクロン西部〜〜
「ぐすっ! うぐっ……」
昼下がりの街も一望できる
背の高い建物の屋上でベリルは泣く。
膝を丸めて、頬を赤らめて、ほろほろと。
そしてそんな彼の後方で扉が開く。
駆け付けた桃髪の姉がゆっくり声を掛けた。
「ハァハァ! ベリっ……ハァ!」
「……何?」
「ハァハァ……うっぐっぇ! アンタ、ハァ!
大丈……ぶっ!? おお!? ぅえ……!」
「シェナの方が大丈夫?」
「飛ぶアンタを……走って追うのは無謀だった!」
吐き捨てるようにそう愚痴ると、
シェナは両手両膝を突いて肩で呼吸する。
だが彼女は自身の整調もほどほどに済ますと
大きく息を吸い込み空を仰いだ。
そしてそんなシェナに、
今度はベリルの方から疑問を投げ掛けた。
「ギドはさ。僕の事をどうしたいのかな?」
「は? そんなの私は知らないわよ
そういうの最初に聞いてないの?」
「……『次の魔王』って言ってた
言ってたのになぁ……」
ベリルはそう言うと再び腕の輪に頭を埋める。
小さく丸まった五歳児のその背は、
数歩後ろから見れば指で作る丸に収まるほど
こじんまりと弱々しく縮こまっていた。
そんな背中が見ていられなかったのだろう。
シェナはものも言わずズカズカと近付くと、
半ば強引に彼の腕を引く。
「行くわよ」
「え、シェナ? 行くってどこに?」
「ギドの本心を聞きに行く」
「!?」
今まで、年不相応に聡いベリルは
それをあえて気にしない事にしていた。
自分にとって重要なのは人類への復讐であり、
目的が合致しているのなら思惑などどうでも良い。
何より、情報を重要視しているギドが
簡単にその思想を晒すとは思わなかったのだ。
「無駄だよシェナ! ギドが答える訳……」
「じゃあ本人以外に聞けば良い!」
「本人……以外?」
「そ! 例え一部でしか無い客観視でも、
繋ぎ合わせれば相手の輪郭は掴めるものよ!」
「――! で、でも誰に聞きに行くの?」
「そうね。ここはあえて――」
〜〜オラクロン宮殿・執務室〜〜
「何故私だ?」
心の底から嫌そうに大公オスカーは眉を顰める。
ここは託児所では無いぞと呆れる彼の横では、
親衛隊長ガネットが苦笑しつつ水を用意していた。
「でも案外適任かも知れませんよ陛下?
身内では無いからこそ見える物もあるのでは?」
「ガネット、お前まで……」
「前にギドは大公のやり口を好みって言ってた
思考が似てるんだと思う。……多分」
「……ふむ」
カップの中で揺れる赤い水面の鏡を眺めつつ
大公はしばらく貰った言葉を吟味する。
そしてようやく考えも纏まったのか、
液体をグッと飲み干し、彼は口を動かした。
「恐らく奴と私は似ているようで真逆の男だ
本当に同類なら、好感よりも嫌悪が勝つ」
「え?」
「どれ、またあの『質問ゲーム』をしてみるか?
今度は私が答える側。黙秘権は前回同様一回だ」
「! わ、分かった」
急遽始まる質問ゲーム。
初めてこの執務室に来たときやった例のアレ。
今度もまた質問三回。黙秘権一回。
大公がギドと似て真逆である者というのなら、
確かに質問の内容によっては
ギドを映す鏡となるかもしれない。
ベリルとシェナは作戦会議の後に質問を送る。
「モ、モルガナとの関係は?」
「フッ。ではこれを黙秘だ」
「……じゃあ次。普段アンタがよく悩む事は?」
「そうだな……ここ最近の頻度だけで言えば……」
大公は天井を見上げると、
彼にしてはかなり正直に回答する。
「今夜の食事はどうしよう、といった悩みだな」
「思ったより小さい悩みだった!」
「因みになんで?」
「各省庁から出される稟議書の承認、
会談用台本のチェック、軍部の夜間訓練視察
腰を置いて補給する暇は無いが抜く訳にもいかん
野戦用の携帯食にしようか、といった感じだ」
「思ったより切実な悩みだった!」
「体には気を付けてね」
「うむ。では小僧
今貴様がした『何故』という問いは
特別に質問の一つとカウントしないようにしよう」
「あ……」
自分がしていた大チョンボに気付き、
べリルは口を開けて固まってしまった。
やはり自分たちだけでは
大公から情報を得られる気がしない。
そう感じ始めていたシェナは
当初の計画を変えて勝手に質問を行った。
「じゃあこれで最後
――アンタにとってベリルは何?」
「? シェナ?」
「ふむ? 小僧は小僧だが……そうだな……」
あえて言葉にするのなら、といった具合に
大公は今までで一番の長考時間を取る。
しかし中々良い言葉が見つからなかったようで、
彼はふと開放されていた窓際に視線を送った。
其処には丁度、一匹の蜘蛛が糸を垂らしていた。
そんな光景をしばらく眺めて、
大公は見つけた答えを声に出した。
「『益虫』だ」
「……あっそ」
シェナはその答えに満足するでも
また激昂するでも無く静かに受け止める。
そして彼女がそろそろ退出しようかと
心の中で思ったまさにその時、
丁度執務室に親衛隊の一人が駆け込み
急いで何かを大公に耳打ちする。
即座に執務室は仕事モードに切り替わったので、
ガネットに連れられるまま二人は扉に向かう。
だがそんなベリルたちの背中に、
大公は最後に一つの助言を与えた。
「本人以外からそいつの輪郭を探るのは良い案だ
だが、情報をくれるのは人だけとは限らんぞ」
「――! うん、分かった」
大公の助言に何かを受け取ったらしく、
ベリルは小さな掌を彼に向けた。
やがて二人が完全に退出したのを確認すると、
大公は再び駆け込んで来た部下の報告を聞く。
「それで? ――勇者の仲間がどうしたと?」
〜〜ベリル宅〜〜
宮殿を後にしたベリルとシェナは、
そのまま自宅へと直行した。
しかしそれは休息が目的では無く、
むしろ更なる手掛かりを得るための行動だった。
「ギドの部屋、初めて入るかも」
「そうなの? ほんっと不健全な関係ね」
そんな会話をしながら、
二人の幼い空き巣はギドの部屋を物色する。
彼の私物からその人柄を掴む作戦だ。
整えられた部屋は汚すだけでも気が引けるが、
今のベリルたちはギドの思想が読み取れる物を
一つでも見つけられないかと目を皿にした。
しかし出てくるのは分厚い書物か、
既に今まで日常の中で見た事のある品々ばかり。
とても思惑を読み取れるほど
特徴的な何かは見当たらなかった。
「ダメね〜。当ては外れたかぁ」
「……」
「? 何かあったのベリル?」
「うん。……あ、いや、まだ分かんない」
自信も無さそうにベリルは指を差す。
そこにあったのは新品の机。
そして『鍵穴』の付いた引き出しであった。
シェナはその鍵穴に希望を見出す。
「ある! 私の勘が言っている!
ここに! あの男の秘密がーーーッ!!」
獲物を見つけた肉食獣のように
シェナは真っ直ぐ引き出しの前に飛び込んだ。
そして鍵穴をどう攻略してやろうかと
彼女はやる気満々にしゃがみ込んだ。
がしかし、そんな彼女を尻目に、
ベリルは直接引き出しに手を伸ばす。
刹那、引き出しはガチャリと音を立てて動いた。
「開くんかい!!」
「うん。鍵なんて見た事無かったし」
そう言うとベリルは引き出しの中を覗く。
だが簡単に開いたという事は
ギドにとって大切では無いという事。
事実その中には羊皮紙などが入っていたが、
特にこれといった物は見当たらなかった。
やがてベリルは「やっぱりダメか」と諦めて、
そっと引き出しを閉じようと軽く押す。
がその時、彼はふとある違和感を覚えた。
「ん?」
「なに? なんかあった?」
「引き出しのサイズに対して、底が高い……!」
まさか、とベリルは引き出しを探る。
彼の脳裏にはある仕掛けが連想されていた。
それはかつてモルガナの愛用した台車にも
取り入れられていた隠蔽用の仕組み。
憲兵隊の目から人肉を隠した、二重底。
「……違う。この底は開かない」
「開け方が違うとかじゃない?
例えば……こっち、この下からとか?」
「! ちょっとシェナ退いて!」
ベリルは引き出しの下に体を潜り込ませる。
するとシェナの言った通り其処には
単なる開閉には不要な仕掛けがあった。
普段から機械弄りも好んでしていたベリルは、
すぐにその構造を理解すると解錠を始める。
そして、彼らは遂に二重底の隠し部屋を開放した。
「これは……手帳?」
「あれ、これって……」
ベリルにはそれに見覚えがあった。
実際に手にとって見れば、
その疑念もはっきりとした確信に変わる。
「ギドがいつも持ってる奴だ」
それは何度か目にした『記録帳』。
前に見ようとした事はあっても、
結局取れなかった彼の秘密だ。
それが分かるとシェナは
いざ読もうとするベリルから記録帳を奪う。
何故ならギドには先程彼を傷付けた前科があり、
もしこの記録帳にもそのような言葉があれば、
今度こそ立ち直れないと危惧したからだ。
しかし最新版から数ページ遡ると、
シェナはすぐに杞憂であったと胸を撫で下ろす。
そして彼女は適当なページをベリルにも見せた。
「良かったわね。ギドはアンタしか見てないわよ」
見せつけられたページの内容は、
全てベリルの成長に関する物だった。
何がどれほど出来た、或いは出来なかった。
そしてそれを改善してあげるためには何が有効か、
ギドの言葉で、文字で、思考で、
余白が埋まるほど丁寧に書かれていたのだ。
「……!」
「一応、ペツやヘリオの事も書いてはあるけど……
内容はアンタとの相性や得意不得意の差くらい
考え方の基本軸は全部アンタに固定されてるわ」
「……そっか」
何か特別な言葉を受け取るよりも、
この情報は「ちゃんと見られている」という
動かぬ証拠になるものだった。
そして、ようやく安心したのだろう。
ベリルは薄っすらと笑みを浮かべている。
またそんな少年の姿に心から安堵し、
シェナも穏やかな感情を目元に浮かべた。
(とりあえずはこれで一安心……
記録帳にまで変な事が書いて無くて良かったわ)
念じるようにそう考えながら、
シェナはページを更にパラパラと捲る。
無論、別にもう欲しい情報など特には無い。
捲っているのは何となくの興味心。
だがそれでも、彼女の目は異変を捉えた。
「――え?」
「シェナ? どうかした?」
「いや、なんで――」
刹那、部屋の扉が強烈に開かれる。
「お! ここにおったか二人とも!」
「どうしたのセルス様?」
「どうしたもこうしたもあるか!
中々戻ってこんから心配しておったのじゃ!」
「あ! ご、ごめんなさい!」
「まぁ良い……その様子じゃと……
一先ず気分は落ち着いたようじゃしの?」
「うん。もう大丈夫」
自信満々にそう言うと、
ベリルは胸を張って部屋から出て行った。
そしてそんな彼を追い掛けるように、
シェナは記録帳を急いで二重底の中に仕舞う。
そんな彼女の様子を見届けると、
セルスは何やら不敵な笑みを零すのだった。
〜〜夕刻・南の廃城跡地〜〜
剣山のように鋭い戦場跡地。
夕空に釣られて赤く染まる断崖の道。
そんな風景を一望出来る山の上で、
ちょこんと座るベリルにギドは話し掛ける。
「隣良いですか?」
「……ん」
「では失礼」
思えばこうして二人で話すのはいつぶりだろう。
そんな事を考えながら言葉を探るベリルに
間髪容れずにギドは語る。
謝罪でも弁明でも無い、着飾らない台詞を。
「私はねベリル。魔王様を尊敬している
けど同時にあの方は古過ぎたと思っています」
「? 時代遅れだったって事?」
「まぁ解釈は人それぞれ。とかくね、ベリル
これからの世に出現する新たな魔王は、
あの方とは別種の存在であって欲しいんです」
「だからペツやヘリオじゃなくて僕なんだ?」
「その通り。やはり君は聡い子だ
ま、良い所は君にも真似て欲しいですがね」
そう言うとギドは少年の頭を優しく撫でた。
彼の手は髪の隙間に入り込む櫛のように細く、
それでいて確かな力強さも備わっていた。
「君は特殊な出自と、特殊な精神性を持っている
これは他の魔物には無い。君だけの才能だ」
「……ふーん」
「あ、信じて無いですね?」
「だって僕はそう思った事無いし」
「他人に褒められた事がその方の才能ですよ?
褒めた側は本気で凄いと思ったんですから」
「じゃあ、もっと褒めてよ」
そう言うと魔物の仔はギドの膝に寝転んだ。
胸から飛び込み、俯せになって、
初めて保護者に甘えてみた。
その行動にギドは目を丸くして驚くが、
やがてすぐに、少年の背を優しく撫でる。
そうして彼らはしばらく夕日に照らされた。
「君は素晴らしい」
〜〜〜〜
やがて夜も更けて、一日が終わる。
古城住みのペツと南に帰るセルスとは既に別れ、
また宮殿に用のあるギドとも解散し、
ベリル、シェナ、ヘリオの三名が
並んで帰路に就いていた。
近くに大きな河川の流れる街の道。
幸いにして人はいない。
そして真ん中を歩くベリルの首からは、
何やら新しいアクセサリーがぶら下がる。
「あれ大将? そんなのしてたっすか?」
「お守り。別れる前に何か急にギドがくれた」
「ははーん? アンタしょっちゅう襲われるから
追跡刻印以外にも何か欲しくなったのねー?」
アクセサリーの先端にぶら下がる白い結晶を
指先で摘み上げながら、
シェナは誂うようにそう告げる。
だが同時に彼女はふと記録帳の事を思い出し、
上手く言語化出来ない不安を抱く。
やがて彼女は結晶をベリルに返すと、
視線を落として、歩調を僅かに遅くする。
(あれって……そういう事よね?)
「ん? シェナ?」
(見えた文字は……でもそれだけじゃ……)
「シェーナー? ふぅん?」
(もし、もし本当に私の想像通りなら……)
「もぅ仕方ないなぁ――」
刹那、考え込むシェナの額に、
ピタリとベリルがおでこを押し付けた。
彼女と視線を合わせるために翼を広げて、
ベリルはシェナの眼前に自分を置く。
「ホラ――これでもう僕しか見えない」
「うぇ!? べ、ベリル……?」
「シェナは僕にいつも優しくしてくれる
けどこれからは、僕もシェナを守るよ」
「――!」
「不安があったら、何でも言ってね?」
子供成長とは、かくも早い。
シェナは高鳴る鼓動にそれを見た。
自分の不安を払い除けてくれるカリスマ性。
未来の魔王が与えてくれた『熱狂』と『安心』。
ギドはベリルにはそれが無いと宣っていたが、
そんな事は無いと紅潮する彼女は確信した。
「ふっ、生意気!」
そうしてシェナもまたベリルの頭に両手を回す。
更に昂る鼓動をエンジンにして、
鼻先が当たるほど強く額を押し付け返す。
「アンタが魔王になった後も、
――ずっと『隣』に居てやるわよ!」
それは最早、
姉弟の関係に収まる感情では無かった。
しかし未だ共にその感情の名前は知らない。
ただ二人は額を付けたまま笑い合う。
「約束だからね、シェナ」
「た、大将! オレちゃんも居るっすからね!
オレちゃんを従える魔王は大将だけっすから!」
「うんうん! ヘリオも約束ね!」
「ハァ! うす! 約束っす!」
差し出された小指をヘリオは両手で握る。
そうじゃないよとベリルは愚痴るが、
その声色はどこか楽しそうだった。
こうして一日も終わる。
また明日から新しい朝が始まる。
今までと同じように、これからも同じように、
皆仲良く、ずっと一緒に暮らしていく。
誰もがそう――信じたかった。
「そーらよっとッ!」
運命という奴を憎んでみた。
宿命という存在を呪ってみた。
誰もが決まったレールの上を歩くから、
こうして『残狂』が響き渡る。
闇の天よりその身一つで
眼前の屋根へと降り立ったそれは、
やや長い黒髪を後ろで小さく束ねた男。
肩に担ぐは黒い戦斧。腰に携えるのは美しい宝剣。
レンガを焦したような黒色のコートと、
目元を隠すゴーグルはスチームパンクの最先端。
少なくとも、魔物の装いでは無い。
「ハァーーーーっ! 懐かしい匂いがするなぁ?」
現状への理解が及ばず硬直する魔物たちの前で、
男はユラリと柳の如く揺れて立ち上がる。
そしてゴーグルを頭部に持ち上げたかと思えば、
邪悪に歪んだ黄緑色の目がベリルたちを捕捉する。
「魔物だろ? お前ら?」
「「ッ――!」」
ここでようやく、
ベリルたちは応戦の意思を見せた。
がその直後、黒緑の稲妻が迸る。
それは足場だった屋根を根刮ぎ抉り、
耳障りな轟音と共に男の体を強化した。
次の瞬間、雷光が三体の魔物を斬り裂く。
彼らは言葉を発する事も叶わずに、
ただ血の噴出音と肉の落下音を響かせる。
その不吉で不快なメロディーを、
男は高笑いで受け止めた。
――男の名はヴェルデ・クラック。
チョーカ帝国に従う小さな属国の出身で、
若い頃から冒険者として活動していた。
そして数年前、彼はパーティメンバーと共に
難攻不落な魔王城への侵入を果たす。
改めて、男の名はヴェルデ・クラック。
勇者パーティの『戦士』である。




