表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラスボス育成観察録  作者: 不破焙
第壱號 黄昏の残狂
21/48

弐拾壱頁目 益者三友

 ~~とある夜~~



「計画中止……!!」



 囁くように、それでいて酷く慌てた様子で

 とある男の声が真っ暗闇の森を走る。

 そしてその音を追いかけるように

 数人の人影が次々と

 草木を跳び越え逃走を図り、

 またその最後尾が突然呻き声を上げ横転した。


 土に染み込むのは新鮮な血。

 逃走者たちの頬を伝うのは焦りの雫。

 或る者は既に剣を抜いて周囲を威嚇し、

 また或る者は魔法陣の中で呪文を唱える。


 今この場にあるのは生の終わり。

 充満しているのは鮮やかな殺気と血の香り。

 とある夜のとある森にて現在、

 武装した人間の一団は魔物に襲撃されていた。



「くっ……二班と合流するぞ! 急げ!」


「隊長! 集合予定地点が燃えています!」


「なっ!? ……クッ、Cプランに移行!

 海岸線を目指せ! 脱落者は置いて行く!」


「なんでこんなっ……なんで!」



 戦慄の夜は精神に恐慌を育み、

 一通り訓練を受けたはずの戦士でさえも

 喚き散らすだけの足手纏いに変えてしまう。

 そしてそんな脱落者を一人ずつ咎めるように、

 数枚の黒い刃根が闇に紛れて飛来した。



「なんでオスカーを狙ったら、

 魔物が出張ってくるんだよーッ!?」



 叫ぶ男の首が刎ねられた。

 彼らはオラクロン大公国大公、

 オスカー・フル・ビクスバイトを狙う

 雇われの暗殺者部隊。

 そしてそれを潰して回るのが公国の秘匿戦力。

 魔物たちの秘蔵っ子、天魔の少年。



「斬り裂け――『空皇(カラス)』」



 彼の命令に従って黒い刃根が命を狩る。

 彼に操られた数枚の小型ナイフが、

 木々の隙間を縫って人だけを刺し殺す。

 それは暗い夜において認識困難な凶器であり、

 対魔物戦の準備も想定も無かった暗殺者たちは

 敵の正体を把握する間も無く、

 次々とその生に終止符を打たれ続けた。



「くっ……! こんな所で……!」



 それでもリーダー格の男は抵抗を見せ、

 森に閃光魔法を放つ事で刃根を視認すると

 その中で自分に迫る数枚を叩き落とす。

 また彼が奮戦している合間に

 部下たちは目的の海岸線へと到着した。

 が、既に彼らの用意していた逃走用の船は

 呵々大笑する鮫の魔物に破壊された後だった。



「お、のれぇええ!!」



 既に自身の死すら見えていたリーダー格は、

 せめて一矢報いようと剣を強く握り締める。

 怒気を帯びた彼の咆吼は天魔の興味を引き、

 彼一人の身に刃根を呼び寄せた。


 暗殺者は、その全てを鮮やかに打ち落とす。

 本人ですら迎撃が成功した事に驚きを隠せず、

 自身の知られざる才覚に惚れ惚れしていた。

 そうして彼は敵が対処可能な存在であると

 認識を改めると、月明かりに照らされた

 小さき天魔の影を捉えて、一瞬で捕まえる。


 首を押さえ付けられた五歳児は

 地面に組み伏せられて、

 暗殺者は何の躊躇も無くその首を刎ねた。



(獲った……!)



 だがその瞬間、捕らえたはずの魔物は

 桃色の煙となって霧散した。



「!? 何が――」


「アンタ程度にやられる子じゃないわよ」


「ッ――!」



 気付いた時には既にその女は傍らに居た。

 黒いフードを被った桃髪の少女が、

 暗殺者の真横からその金色の瞳を向ける。

 直後、振り上げられた彼女のナイフが

 状況を飲み込めていない暗殺者の首を裂く。

 狩られた男はすぐさまその場で脱力し、

 そして幻魔に情報という記憶を喰われた。


 戦闘終了。

 一連の攻防を崖の上から視察していた大公に、

 ギドがにっこり笑顔を浮かべて語り掛ける。



「ね? セルス様の情報は正しかったでしょ?」


「……の、ようだな」


「下手人の雇い主はシェナさんが暴くでしょう

 いやはや、便利な能力が多くて助かります」


「……ふむ」



 その発言を受け大公は改めて森を見渡す。

 赤く燃える地帯、青く澄み渡る水辺。

 そしてそれらが全く目立たなくなるほど、

 広く森全体を覆い尽していたのは桃色の煙。

 木々の隙間から垣間見えた天魔と幻魔の

 横顔を眺めつつ、大公は静かに呟いた。



「確かに、便利だな」



 ~~数日後・公国宮殿~~



 クロバエ壊滅から数週間。

 すっかり気候も安定し過ごしやすい夜半。

 ベリルたち魔物の一団は

 大公に呼び出されて宮殿内に居た。

 しかしその日はいつもと少し様子が違う。

 この日の召集は今までとは違い、

 魔物たちにドレスコードが指定された。



「ねぇギド。なんで僕たち正装なの?」


「今夜の宮殿内では晩餐会が開かれています

 国内外の要人を集めた大規模な催しです

 似たような格好の人間も普段より多い分、

 今の我々はそこまで目立たない事でしょう」


「なるほど? 迷彩服って訳ね」



 ベリル、ギド、シェナの三人は

 宮殿三階の長い廊下を進みながら

 待機を命じられた部屋の方を目指す。

 彼らの服装は指示通りの正装。

 子供用タキシードに着られるベリルの隣で、

 ギドは黒シャツに白ベストと決めていた。


 そしてシェナの正装は落ち着いた黒のドレス。

 透けた生地と長手袋が品と色気を両立させ、

 桃髪の少女を数段『大人』にしていた。

 そんな彼女の姿に、ベリルは呼吸を忘れる。



「――」


「何? どうしたの?」


「あぁいや……今日は綺麗だなって……」


「あらありがと。それと私はいつも綺麗よ

 でギド? 今回の任務内容は?」


「はい。端的に言えば、非常時の保険です」



 先日大公に差し向けられた暗殺者たち。

 その背後に居たのはチョーカ帝国の子爵だった。

 そして今宵の晩餐会には彼も参加するとの事で、

 万が一が起きた時の防衛ラインの一つとして

 災禍遊撃隊(カラット)にも宮殿内での待機が命じられたのだ。


 そうして用意された待機部屋に

 ようやくベリルたち三名は到着する。

 どうやら先に召集されたらしく

 室内には既に他の仲間の姿もあった。


 重厚な軍部高官のコートに身を包むペツ。

 煌びやかな絹のドレスを纏うセルス。

 そして浅黒い素肌の上から

 直にスーツへ袖を通したヘリオ。

 正に三者三様の個性が光る装いだった。



「全員招集……大公も本気ですね」


「また良いように使われる訳ね~」



 シェナは何の気も無しに、

 いつものと同じ気怠げな態度で愚痴って見せる。

 だが彼女の言葉を聞いたペツは、

 突然三人の、否、ベリルの前に立ち塞がる。



「……ペツ?」


「我が君。そしてギド殿

 我らはいつまで人間の駒となるのです?」



 その言葉に怒気は無い。が、陽気さも無い。



「世を忍ぶ仮の姿というのなら受け入れられる

 ですが死ぬまで一生となれば話は別ですぞ?」



 どうやら現状に不満を抱いていたのは

 煤霊だけでは無かったらしく、

 彼を支持するようにセルスも背後で

 腕を組みながら返答を待つ。

 そんな魔物たちを視線を一身に受けながら、

 ギドはやはり不敵な笑みで解答した。



「安心してください。必ず立場は逆転します

 そうでしょう、ベリル?」


「ギドの考えは知らないけど、そうだね……」



 ベリルの脳裏にはスフェンの顔が浮かぶ。

 結局彼とは仲良く出来なかった。

 その事実に後悔や未練などは無く、

 むしろ「やはりな」という感想が先に浮かぶ。

 何故なら彼の心の奥底には、

 未だにあの日の焔が燃えていたのだから。



「――僕はまだ人間の敵だよ」



 冷めた瞳を浮かべる彼の言に、

 ギドは微笑み、シェナは顔を背けた。

 そして天魔を慕う三匹の魔物は、



「……それを聞けて当方は安心しました」


「フッ、無駄な詮索じゃったな」


「オレっちゃんはいつでも大将の味方だぜ!」


「みんな……」


「――密談は終わったか、小僧?」


「うわあ!?」



 気付けばいつの間にか

 魔物たちの輪の中に大公は居た。

 微妙な顔をするガネットを引き連れて、

 ズカズカと彼は部屋の中央に向かう。

 そんな彼にいつも通り対応出来たのは

 常に同じ笑顔のギドだけだった。



「我ら災禍遊撃隊。いつでも動けます」


「ん。ご苦労」


「然らば陛下、我らにご命令を――」


「――だが今回の任務は無しだ」


「は?」



 流石のギドも顔を硬直させ、

 直後、魔物たちの驚く声が重なった。


 曰く渦中の人であった件の子爵は、

 大公が少し手札をチラつかせただけで

 怯えて退散してしまったのだという。

 そして晩餐会中に確認しておきたかった

 裏の繋がりやコネ作りも順調に終えて、

 既に大公は必須タスクを完遂したという。



「後は衛兵だけでも十分対応出来る

 もう上がっていいぞ」


「いや呼ばれるだけ呼ばれて返されるの!?

 せっかく着替えまでしてきたのに!?」


「……ぅむ。すまん」


((凄い。シェナが大公を怯ませた))



 珍しく縮こまる冷血漢の姿に

 魔物たちは好奇の目寄せていた。

 そんな大公に助け船を出したのは

 苦笑いを浮かべていたガネットだった。



「じき庭園にて旅芸人のショーが開かれます

 あれなら三階(ここ)からでも観賞出来るかと」


「……見ていくか?」


「「勿論! 衣装代の元を取る!!」」



 かくして任務のために集まったはずの一団は

 済し崩し的に夜会を愉しむ方へと移った。

 庭園で人間たちが見事な芸に拍手を送る中、

 魔物たちは用意された酒に手を伸ばす。



「伝承には酒を飲む魔物の話もよく聞く

 実際はどうなのだ?」


「陛下……風聞に惑わされるとはらしく無い

 お忘れですか、アイスの件?

 我ら魔物の味覚は人のそれとは別――」



「「うっめぇええええええ!!!!」」



「……好評のようだな?」


「おやぁ?」


「今回ご用意したのは『国崩し』

 一瞬で酔える、暗殺にも多様される酒です」


「ふむ……酔えねばただ苦いだけの水だが、

 逆にそれが魔物の味覚に合ったようだな」


「……また呼んであげてください」


「うむ」



 そう言うと大公は自分用の水を片手に

 ベランダの方へと移動を始める。

 そしてシェナと共に庭園の芸を観賞する

 ベリルの横に彼は立った。



「今回の報酬(ボーナス)はこれで終わりだ、小僧」


「……もっと先の報酬にはちゃんと、

 モルガナとの話も用意してあるんだよね?」


「ああ。貴様の努力次第だがな」



 その言葉にベリルはプイッと顔を背ける。

 だが報酬をチラつかされた幼子の心には

 既にやる気の火が灯っていた。



 ~~翌日・ベリル宅~~



「うへぇ~~動く気起きない……」



 一晩寝れば安価な熱意は鎮火する。

 魔物の仔は毛布に包まりダラけていた。

 だが今日に限ればそれも無理は無い。

 何故ならこの日は昨日までとは

 比べ物にならないほどの寒さを記録した日で、

 凍える風が窓硝子を叩く音は

 外に出る気力すら失わせるほどだった。



「ほーらベリル?

 いつまでそうしているつもりですか?」


「あ゛~~! やめてギドぉ~!

 毛布取らないで~~~~~!」


「ダメです。今から洗濯に出すんですから

 それに顔も洗ってください。もうすぐ朝礼です」



 大公の手駒となった直後から、

 魔物たちの生活は細部が僅かに変化する。

 その最たる例がベリル宅での『朝礼』。

 大公からの指令の有無や、それを受けた上で

 魔物としてどう動くかの確認といった、

 言わば一日の各々の予定を確認する時間だ。

 そしてその日も魔物たちはベリル宅に集まり、

 ギドの口から大公の指示を聞く。



「本日は特別な任務はありません

 私を含む誰か二名で一度宮殿に赴けば完了です」


「あ、じゃあ私パス。今日は一日空けといて」


「え?」


「じゃ、宜しくぅー」



 そう言うとシェナはさっさと出て行った。

 普段口では散々愚痴りつつも、

 何だかんだ真面目に取り組むタイプの

 彼女にしては、些か我儘にも思える行動だった。


 その事がどうにも不思議に思えて、

 ベリルは彼女の立ち去った扉をしばし見つめる。

 するとそんな彼の様子に気付き、

 セルスが少年の耳元に顔を近付けた。



「これは良く無いのぉ……」


「へ?」


「何じゃ気が付かなかったか?

 シェナちゃんの前髪、()()()()()()()()ぞ」


「え!? 皆気付いてた?」


「んあ! いつもはシャッ!って感じだが

 今日はシュルッ!って感じで遊ばせてた!」


「なんと!? 当方は全く気付きませんでした!」


「私もです。普段人の目を見て話さないので」


「おい最後! ったくこれだからウチの男衆は……」



 ヤレヤレと悪態をつきつつ、

 ゴシップ好きの美女はベリルの前で指を立てる。



「年頃の娘がいつもと違う雰囲気……

 これが何を意味するか分かるかベリルちゃん?」


「……さては偽者?」


「違うわ! 男じゃ男! 男が出来たんじゃ!」


「――!?」



 その言葉にベリルたちは動揺し、

 またセルスは嬉々として

 潜伏活動用の姿に擬態し彼らを煽った。



「これは今日一日尾行するしかないのぉ!」


「いや……誰か一人は私と宮殿に来てください」


「じゃあジャンケンで決める? いくよー?」


「「じゃーん、けーん!」」



 〜〜〜〜



「セルス様悔しそうだったね」



 物陰からシェナの背中を捉えつつ

 ベリルは当時を思い出しシミジミと語る。

 背後には人形に憑依したペツと人型のヘリオ。

 三名は壁に沿うよう縦に顔を並べていた。



「さて我が君。現在のシェナ殿の様子ですが……

 服装はいつも通り、黒パーカーですな」


「足も出てる。寒そう」


「多少寒さを我慢してでも

 綺麗に魅せたい相手って事っすね!」



 ヘリオの推察にベリルはまた顔を顰める。

 まだ五歳児の彼には色恋沙汰に

 そこまで理解がある訳でも無かったが、

 それでも最も身近な姉に近い存在が

 見知らぬ男に奪われる事に

 ひとかどのジェラシーを感じていた。



「むぅ……」


「不服そうですな我が君?」


「別の、別の可能性は無いのかな?」


「それを今確かめるのでしょう

 ――! ちょうどシェナ殿が動きましたぞ!」



 寒風に靡く前髪を気にしながら

 シェナはとある店の前で立ち止まる。

 彼女が眺めていたのは公国随一の雑貨店。

 特に女性に人気のアクセサリーが並ぶ店だ。

 そしてやはり彼女は話題の装飾品を、

 何やら真剣な眼差しで吟味しているようだった。



「相手……いや自分用っすかね?」


「なるほど。相手に与える印象を

 少しでもよくしたいという欲求ですな」


「い、いやいやまさか、まさかそんな……

 シェナは自分の事にはケッコーいい加減だし」


「「それが矯正されるほどの恋心」」


「ぅ……」



 言い返す言葉も無くベリルはたじろぐ。

 そして店員に声を掛けられたシェナが

 慌てて立ち去ったのに合わせて

 彼らもまた移動を再開した。


 そうして今度は

 大通りの真ん中で彼女は立ち止まる。

 いつもよりやけに人の多い通りで

 急に立ち止まるものだから、

 ベリルらは慌てて物陰に潜んだ。



「な、なんで急に立ち止まったんすか!?」


「知らないよ! まさか気付かれたとか?」


「いえ。あの視線の先にあるのは……」



 視線を辿るとそこには

 レストランから出てくる人間の家族が居た。

 父親が娘を肩に乗せ、母親が手を添える。

 満腹と一家団欒の幸福を噛みしめ、

 笑顔に満ち溢れていたそんな光景を、

 シェナは目で追い、ようやく歩き出した。



「「温かい家庭を想像してるーッ!?」」


「ぐ……ぁ……」


「大将! しっかりしてくれ大将!」


「左様です我が君! 疾く追いかけますぞ!」



 そうこうしている内に

 シェナとの距離はどんどん離され、

 また道行く人の数はみるみる多くなる。

 その群衆が生み出す流れは強力で、

 魔物たちはまっすぐ進む事すら困難だった。



「わっ! とっ! なんすかこの人の量!」


「当方を落とさないでくださいよヘリオ殿!

 ってあれ我が君!? いずこに!?」


(うっ、ぐっ……シェナぁ……!)



 やがて魔物たちは人の流れによって

 散り散りに分断されてしまう。

 それでもベリルはシェナを追い求め、

 並ぶ大人たちの足元に体をねじ込んだ。


 彼が恐れていたのはシェナが

 他人と結ばれる事、などでは断じて無い。

 彼が真に恐れていたのは姉の簒奪。

 シェナが自分の元から離れてしまうのでは

 という『家族を失う事への恐怖』だった。



(シェナっ……! シェナ!!)



 故に彼は必死に足掻く。

 大好きな姉を求めて手を伸ばす。



「シェナッ――!!」


「なによ?」



 気付けばベリルは

 彼女の真横に躍り出ていた。

 そこは群れる人間たちの最前列。

 そして彼らが見上げる先には、

 機械仕掛けの飛行船が停泊していた。



「! これは……?」


「西国行きの民間飛行船よ

 最後くらい、見送りしとこうと思ってね」


「見送り……? ――!」



 飛行船のデッキを見上げ、

 ベリルはようやくシェナの目的を理解した。

 其処には旅客たちが人々に手を振っていたが、

 その中に一つ見覚えのある顔があったのだ。

 それはかつてシェナと交友のあった人間の娘。

 眼鏡を掛けた芋っぽい印象を与える

 その少女の名は――



「エルジェット・セラフィナイト……!」


「よくフルネーム覚えてたわね。そ、エリーよ」



 曰く、彼女の実家であるレストランが

 この度西の国に移転する事が決まったらしい。

 原因は店主のオラクロン大公国に対する不信感。

 クロバエのような犯罪組織もさることながら

 娘が突然記憶の一部を失った事が主因のようだ。



「贈り物の一つでも

 用意しようかと思ったんだけどねー?

 知らない女にいきなり渡されたら不気味でしょ」


「! 雑貨店で見てたのはそれか!」


「なに? アンタそんな前から見てたの?」


「あ、いや……!」



 追求するシェナの顔が

 間近にまで迫った丁度その時、

 西国行きの飛行船は出発の汽笛を鳴らし、

 巨大な黄銅色の歯車が

 ガコンと揺れて回転を始めた。


 直後巨大な空の鯨は浮き上がり、

 風の波に乗って足早に旅立ってしまう。

 やがて見送りの観客たちも掃け、

 波止場がベリルとシェナの二人だけの物になると

 彼女は湧き上がっていた様々な感情を飲み込み、

 改めてベリルの顔をムッと睨み付けた。



「で? なんで私の後を付けてたわけ?」


「あ、いやそれは……!」


「我が君ー!」「大将ー!」


「は! 二人とも助け――」


「「男は見つかりましたかー?」」


「げ!?」


「は? 男?」



 シェナの声が一段低くなり、

 そしてその気配を感じ取った焔魔と海魔は

 恐ろしいほど素早くベリルを見捨てて退散した。



「二人ともー!?」


「とんだ忠臣どもね。で、何で尾行したの?」


「ぅ、うぅ……」



 ようやく観念し、ベリルは涙目で語る。

 この尾行を開始する事になった最初の動機を。



「シェナの前髪が、いつもと違ったから……」


「――!」



 少年の予想外の言葉に、

 シェナは唇を少しだけ突き出し驚いた。

 そして指先で髪を弄り、視線を逸らす。



「あっそ。……気付いてくれたんだ?」


「髪が違ったのはエリーと会うためだったんだね」


「いや別に? 面と向かって会う気無かったし」


「え? じゃあなんで?」


「なんでって、そりゃあ――」



 言われてシェナは思い出す。

 髪型を変えてみた、容姿を気に掛けてみた

 その動機を、その些細なきっかけを。



『あぁいや……今日は綺麗だなって……』



「――」


「……? どうしたのシェナ?」


「なんでも無い! ホラ帰るわよ!」



 何かを誤魔化すかの如く怒鳴ると、

 シェナはベリルの手を引き帰路に着く。

 彼女の耳が仄かに赤み掛かっていたのは

 背中を押す寒風のせいか、別の要因なのかは

 当人たちにも知る由は無かった。


 だが一つだけ言える事があるとすれば、

 この日のシェナは、(すこぶ)る機嫌が良かった。



 〜〜同時刻・執務室〜〜



「ようやく晩餐会の片付けが終わりました」



 荷物の一部を執務室に持ち込んで、

 ガネットは額の汗を爽やかに拭い取る。

 ここ最近の仕事が充実しているのか、

 その口元には笑みも浮かんでいた。



「楽しそうだなガネット」


「! し、失礼しました大公陛下!」


「失礼なものか。で、何か良い事でもあったか?」


「い、いえ。単なる『思い出し笑い』です」



 ガネットは空いた酒瓶を手に取りまた微笑む。

 それは元々大公暗殺を目論んだ子爵用に準備され、

 不要となったので魔物たちが飲み干した品。

 人間と同じように彼らと同じ時間を共有出来た、

 ある種想い出の品とも呼べる酒だった。



「彼らとも絆が結べそうだと思ったまでです」



 優しい瞳でガネットはそう告げた。

 しかしそんな彼の言葉を受けて大公は、

 机に両肘を乗せ手の上に顎を置くと

 神妙な面持ちで一言「ふむ」とだけ呟いた。

 彼と長い付き合いのあるガネットは、

 それが否定の意味合いを含むと理解していた。



「陛下?」


「識者曰く――

 魔物には『四つの感情』が欠落しているという」


「!?」


「一つ忠告しておこう、ガネット

 奴らを()()()()()()()()()()()()()()()()

 今我々を同じ陣営として繋ぎ止めているのは、

 絆などでは無く単なる利害の一致だ」


「……! ……心得ました、陛下」



 武人は再び戦士の顔に戻った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ