弐拾頁目 捕食者
螺旋階段を花が昇る。
石段に穿った亀裂を押し広げ、
新たに敷いた茨のレールの上を花は進む。
それは最下層に居る本体より何倍も小さな花。
やがてその花弁の中央から毒霧が散布され、
四方から地下塔内部を紫色に染め上げる。
――直後、塔の中空で閃光が迸った。
それは貯め込まれた魔力が飛び散った余波。
縦横無尽に飛ぶ天魔が振るう黒翼の剣が、
悪魔の差し向けるツタを切断した閃きだった。
「ちっ……やるなぁベリル君ッ!」
純然たるツタの物量だけでは
攻め切れないと判断した花の奴隷は
新たな攻撃手段の手札を切った。
彼が不安定な足場にて両手を広げた瞬間、
その左右を巨大な蕾を携えたツタが固める。
刹那、蕾の孔から毒液が鋭く噴出された。
それはまるで紫色のレーザービーム。
強い毒性を有する水流カッターが
塔内を逃げるベリルを追って死線を引く。
「ッ!? 危なっ……!」
「僕に対空攻撃が無いと思ったかい?
育ちきった喰夢の手数を舐めない方が良いよ!」
「なッ……んの……!」
自分という的が小さいのを良い事に
ベリルは無理矢理体をねじ込み死線を潜る。
だがやっとの思いで接近に成功したのも束の間、
彼の顔前には一個の『種』が落下してきた。
それは握り拳サイズの大型種子。
やがてベリルの眼前で種は亀裂を走らせ炸裂し、
周囲に蜘蛛のような黒い蟲たちをばらまいた。
「ぬぁ!?」
「名付けて『蟲種爆弾』」
「寄生虫の種子……! くそッ!」
ベリルは咄嗟に全身から魔力を放出し、
同時に高速回転で取り付いた蟲を引き剥がす。
幸いその行動一つで体に付いた蟲は
全て取り除く事が出来たが、
それでもゴッソリ体力と魔力は削られ、
何より、再び距離を離さざるを得なくなった。
そんな状況でもベリルは一矢報いようと
後退に合わせて咄嗟に刃根を飛ばす。
が、スフェンは自身の腕でそれを防ぐと
逆に眉すら動かさずに笑い飛ばした。
「君の羽根は暗いと見えにくいなぁ!」
(っ……! 傷口から血が出ていない
さっき斬った首も完全に繋がってるみたいだし?
その体、もう『普通』じゃないんだね……)
「さぁ今度は僕の番! 簡単に終わるなよ!」
彼の叫び声が地下塔に反響したかと思えば、
直後、四方八方から草花の軍装が咲く。
毒霧を散布する花弁。寄生虫を飛ばす種爆弾。
常に敵の拘束を狙うツタと毒液レーザー砲の蕾。
地下塔全体に根を張った悪魔の植物は
縦方向に長い戦場全体を有効射程に収めていた。
――が、この時地の利を得ていたのは
何もスフェンだけでは無かった。
「っ!?」
スフェンがそれを認識した時には既に、
下段の暗がりより飛来する二枚の刃根が
彼の心臓と片目を貫き斬り裂いていた。
それは先の攻撃時に飛ばしていた天魔の布石。
上下に広く、かつ薄暗いこの戦場は
ベリルの刃根に高い暗殺性を付与していた。
何よりスフェンの度肝を抜いたのは、
その刃根が有り得ない角度から飛んで来た事。
ただ単純に投げ飛ばしただけでは無い、
明らかに操られた動きをしていた事だった。
「流石に予想外……! とんだ隠し玉だな……!」
「簡単に手に入る情報じゃ出し抜けない
君の言った言葉だよ、スフェン君」
「アッハハ! 良いねぇそうなくっちゃ!!」
嬉々として放たれた弾幕が
戦闘を更に激化させる号砲に代わる。
毒液のレーザーは空に幾何学模様を描き、
降り注ぐ種爆弾は残留した毒霧の中で
無数の閃光と炸裂音を産み落とした。
だが紫煙の中から無傷の天魔が飛び出すと、
彼は背後から追撃してきた数本のツタを
操る二枚の刃根ですぐさま細切れに引き裂いた。
(流石ベリル君、この程度じゃ死なないか)
その様子をよく観察しながら、
スフェンはツタによる補助を受けつつ
損傷の激しい螺旋階段を上がる。
対するベリルもまた翼を羽ばたかせて
螺旋階段スレスレを沿うように翔けて下った。
(今の僕が同時に操れる刃根はどうにか四枚……
けど移動しながらだと、上手く制御出来ない!)
(弾足の遅い蟲種爆弾じゃ決定打にはならないか
決め手は蕾ビームか、或いは長期戦からの毒霧!)
(本体は最下層の巨大花!)
(君にこの体は壊せない!)
(速さはこっちが速い!)
(手数はこっちが多い!)
((この戦い、僕なら勝てる――!))
互いが自己の勝機を見出し、螺旋階段を加速する。
やがて塔の中心を軸に廻る二人の距離は縮まり、
そうして眼前に迫った敵に同時に攻撃を仕掛けた。
交差の刹那、獲ったのはベリル。
彼の背に携えた黒翼の斬撃は、
スフェンの軟弱な攻撃ごと彼の頭部を両断した。
が、当然その程度では彼は死なない。
スフェンは悪魔の力で頭部を再生させると、
ケタケタと嗤いながら叫ぶように語り出した。
「今から二十年前、僕は人攫いに捕まった」
彼の狙いは、時間稼ぎ。
壁中に生やした花弁から常に毒霧を散布して
ジワジワと魔物の仔を蝕む魂胆だった。
つまるところ彼が望むのは戦闘の長期化。
ほとんど不死身の肉体と手数ならば
それも可能だという計算だった。
「僕を攫った組織の名は『クロバエ』
人間を魔物に売り捌いていた連中だった」
「……君も商品だったの?」
(よし、乗ってきたな)
会話をしていれば攻撃の手は
止まらずとも必然的に緩んでしまう。
少なくとも応答を待つ間は命が繋がる。
迫る刃根の枚数が減った事から
時間稼ぎの成功を確信しつつ、
スフェンは更に演技臭く語り続けた。
「そうさ! そして、何年前だったんだろう?
当時のクロバエは一度壊滅させられたんだ
今で言う……勇者一行の手によってね」
「良かったじゃん」
「うん良かった! めでたしめでたし!
……という訳にもいかなかったんだよねぇ〜」
草花の弾幕を絶え間無く浴びせつつも
スフェンは僅かに言葉尻を震わせた。
曰く、クロバエの壊滅に便乗して
多くの奴隷が自力で脱出したのだが、
スフェンらの囚われていた牢獄だけは
遂に発見される事無く放置されてしまう。
その結果、彼は悪魔と契約するまで
長い年月を地下空間で過ごす事となった。
「約二十年の地下暮らし!
食事は隙間から入り込んだネズミと泥水!
僕の体はもうまともに動ける状態じゃ無かった」
「よく生きてたね」
「そりゃあ諦められなかったからね……
奪われた僕の幼少期、僕の青春、僕の人生!
……お互い唯一の家族だった母さんとの時間を!」
「それが君の、本当の夢?」
「そう僕は――『もう一度母さんと過ごしたい』
元の姿に戻って、失った時間を取り戻す!
それだけのために今日まで生きてきた……!」
決意に満ちあふれたその言葉は
彼の嘘偽り無い本心を表わしていた。
そしてその心の揺れを感じ取ったベリルは、
ピタリと壁面に張り付くと、
ゆっくり顔を上げて言葉を投げ掛ける。
「なんですぐに母親の所に戻らなかったの?」
「……戻ったさ
自由に動けるようになったその瞬間にね?
でもその時には何もかも変わってた」
「――! オラクロン大公国!」
「察しが良いね。僕の家があった村は
すっかり公国領として開拓された後だったよ」
しかも、とスフェンは続ける。
顔に押し当てたその手の力強さからは
彼の震える怒りの感情が垣間見えた。
「母さんは国内のどこかに退去させられ、
何故か家の中は酷く荒らされた状態だった……!」
「……」
「この意味が分かるかいベリル君?
公国は、暴力で僕の家族を追い出したんだよ!」
「それで大公を、オラクロンを攻撃したの?」
「だね。……まぁ元々この体を維持するために
子供たちを喰夢に与え続けなきゃいけないから、
どの道あの男とは敵対してたんだけどね?」
そう言い切ると同時に
スフェンはクスクスと肩を震わせしばらく笑う。
だがそれが終了した途端、深呼吸をし、
仄かに光の差す天上を見上げ、弱々しく呟いた。
「僕には、他に選択肢なんて無かったんだ……
悪い事はしたけどさ、僕だって被害者なんだよ」
空へと向けて伸び続けるツタの上で、
佇むスフェンがぽつりと溢す。
その声色は邪気など無いかのように軽く、
差し込む陽光も相まって
まるで彼が正しい光の中を進む
天の使いであるかのように演出していた。
そうして彼は、友と呼んだ少年に問いかける。
「生きるために人を喰らう、まるで魔物
君なら僕が悪くないって分ってくれるよね?
ベリル君――」
「いや?」
――即答だった。
スフェンも既に応答が返って来た事を
しばらく認識出来ないでいたほどに、
それは何の逡巡も無く速やかに発せられた。
「あ、れ……? 共感してくれない感じ?」
「うん。さっぱり分かんない」
「な、なんでなのかな……?」
「うーん?」
未だ壁に張り付いたまま、
翼を揺らし多くの羽根を散らしながら、
ベリルは自分の中の答えを出す。
「どうでも良いから」
「……は?」
「自分が正しいだとか、相手が悪いだとか、
そんなの僕らが気にしてる訳無いじゃん」
だって、とベリルは言葉を繋げる。
仄かな光と毒霧とで装飾された
その翼を広げしシルエットは、
地獄に招来された悪魔のようだった。
「僕らは『魔物』だよ?」
「……?」
「あぁなんだか、お腹が空いた……」
「!!!?」
別にスフェンも当初は、
この問答の果てに何かがあるなど
無根拠な期待をしていた訳では無い。
何と答えようと殺す事に変わりは無く、
ただ喋る事が目的であるはずだった。
しかしそれでも、人の子は戦慄する。
今、目の前にいる存在が、
友と偽って会話していたその五歳児が、
人の尺度による善悪など関係無く
ただ自分を喰らいに来た『捕食者』であると
本能で理解してしまったからだ。
(あぁなるほど……確かにこれは別の生き物!)
「……ん?」
(だからこそ、勝てて良かった!)
「ぅ――!?」
稼ぎに稼いだ時間が満ちる。
悪魔の地下塔に十分な量の毒が満ちる。
ずっと現場に留まっていたベリルでは
遂にその毒性に耐性が押し負けた。
力を入れられなくなった手足は
張り付いていた壁から脆くも外された。
(体が重い……! 痺れも……!)
「やっと効いてきたぁ! 密室じゃないとはいえ、
あれだけ吸って動けるんだから……流石、魔物」
「っ……!」
石段の上に倒れ込んだベリルを
わざわざ見下ろすためにスフェンが上昇する。
そして十分な距離を確保しつつも、
彼は遂に五歳児の脳天に蕾の砲門を突きつけた。
それでもベリルはそんな敵の姿を睨み返すと、
最後の力を振り絞るように翼を広げる。
狙いは飛行での逃走では無くもっと攻撃的。
残る魔力の全てを注ぎ込んで
彼は何十枚もの刃根を撃ち出したのだ。
が、真正面からの攻撃に遅れを取るほど
スフェンもまだ気を抜いてはいない。
彼はばらまいた種爆弾の衝撃波で
刃根の軌道を尽く逸らすと
自身の周囲に毒液のビームを張り巡らせて
ベリルの攻撃の全てを撃ち落とした。
やがて塔内を力無き羽根が大量に舞い落ちる。
「無駄な抵抗だったね
このまま僕の肉体維持に貢献してね?」
「っ……」
「大丈夫、君の事は忘れないから、
今度も僕を手伝ってよ、ベリル君――」
花の奴隷が伸ばすツタが、
ベリルの首に巻き付き持ち上げた。
が、その時、突如塔内が大きく鳴動する。
それは塔に根を張るスフェンへと直に伝わり、
年不相応な精神を大きく揺さぶった。
「!? なんだ……!?」
「良かった、間に合った……」
「っ……! 何をした!?」
「時間稼ぎ、成功」
天魔がそうほくそ笑んだ次の瞬間、
その変化が塔内全域を一瞬で埋め尽くす。
変化の起点は最下層。巨大人喰い花。
今のスフェンにとっては本体でもあるその花が、
突如咆哮し、孔から大量の『粉』を放出したのだ。
それは他ならぬスフェンが最もよく知る粉。
十色の色彩を持つ、喰夢の縄張りの証。
(『廃棄花粉』か!? でもなんで!?
今日はまだ餌なんて食べさせてないのに……!)
スフェンはすぐさま思考を巡らせる。
廃棄花粉は腹を満たした悪魔の排泄物。
これが出たという事は寄生花が
何かを食べていたという事は確定だ。
では何を?
この戦場での可食物は限られる。
生き物の部位であって、栄養があって、
そして喰夢が満腹になるほど大量にある物。
即ち――
「――刃根か!?」
彼が正解に辿り着いたのとほぼ同時に、
ソレを拘束していたツタが断ち切られた。
そして振り返った時には既に、
天魔は彼の頭上で翼を大きく広げていた。
ベリルは最初から最下層の本体を狙っていたのだ。
しかし彼に巨大花を倒し切る火力は無い。
ならばと彼は作戦を考える。
喰夢の吐く廃棄花粉は可燃性。
火へのカウンターとして盛大に炸裂する。
それを利用するためには餌が必要だ。
魔力を帯びた刃根ならその役割が果たせた。
故にベリルは戦闘中、
操る刃根の一部を花に喰わせ続ける。
暗い戦場はその別働隊を容易く隠蔽し、
また長い対話はその行動の余裕を作った。
即ち、彼もまた時間稼ぎを狙っていたのだ。
「ねぇ知ってるスフェン君?」
「っ!?」
魔物の仔は懐から発火装置を取り出した。
事前に敵の詳細が分かっていればコレが出来る。
対策が見えていれば作戦が立てられる。
敵を知れば、百戦危うからず。
「――『情報』は最強の武器なんだよ」
保護者の口癖を真似ながら、
天魔はゆっくりと火種を地下に投げ捨てた。
直後、塔を下から上まで染めたカラフルな粉が、
その熱と反応し――世界を白く染め上げる。
〜〜〜〜
地獄のような日々だった。
その塔内で捕まった人々に救いの手は無く、
一人、また一人と顔見知りが死んでいく。
これがクロバエの壊滅前の事ならまだ良かったが、
既に勇者による悪の討伐は済んだ後で、
一件落着として処理された後なのだから
何とも救いが無い話である。
――『汝の体を預けよ』
悪魔の囁きに抵抗出来るはずも無い。
生の強い執着がある分、避けられるはずが無い。
――『隣人の目玉を捧げよ』
生き残るためには仕方が無かった。
自分だけが唯一動ける環境で、
無抵抗な半死体を殺すなど造作も無い。
――『友人の臓物を捧げよ』
話題をくれた兄貴分を手に掛けた。
知識をくれた恩師を手に掛けた。
自分よりずっと若い少年を手に掛けた。
抵抗はあった。嫌悪感はあった。
それでも生き残りたかった。助かりたかった。
泣きながら、狂いながら、喰らいながら、
悪魔と契約した奴隷は花を育て続ける。
そうして遂に、彼は動ける体を手に入れた。
だがかつて家のあった場所に戻っても、
会いたかった存在は其処には居ない。
もう一度出会うためには、
まだまだ長い年月が必要そうだった。
――『かつての姿を望む者よ、標本を捧げよ』
喰夢に理想の体を作って貰うには、
どうやら参考となるサンプルが必要らしい。
スフェンの場合なら、沢山の子供。
当時の彼を再現するためには
多くの少年少女を花に喰わせる環境が必須だった。
そして幸か不幸か、それは近くにあった。
クロバエの基地。ノウハウ。秘密の地下通路。
喰夢の力で操った仮面の幹部たちに、
奴隷をどう保管すれば良いかの実体験。
かつて生き残るために贄を捧げた少年は、
再び自分の欲望のためにクロバエを復活させる。
――『捧げよ。捧げよ。捧げよ』
どこぞの知らないガキを手に掛けた。
泣き叫ぶ少女を手に掛けた。
あの日の自分と同じ歳の子供を手に掛けた。
もう抵抗は無かった。嫌悪感は無かった。
彼は彼のためだけに現世へ居残る楔を打つ。
嗤いながら、狂いながら、喰らいながら、
悪魔と契約した奴隷は花を愛で続ける。
そうまでして、彼は母親に会いたかった。
〜〜〜〜
「……母さん」
スフェンが再び目を開けた時、
彼は地下塔から抜け出た森の中に斃れていた。
時間帯は夕刻。全身はボロボロ。
そしてふと目を横に向けてみれば、
其処には同じくボロボロのベリルと、
彼の無謀を叱るいつぞやの桃髪の女性が見えた。
やがて女性はスフェンの復活に気付くと、
ふとももに付けたホルダーからナイフを抜く。
しかしそんな彼女を片手で押し退けると、
ベリルは足を引きずりながら接近してきた。
「本体は崩れた。君の命もあと数分だよ」
「ハハ……どっちが悪魔だよ……!
僕はっ……お母さんに会いたかっただけなのに!」
「会いに行けば?」
「……は?」
「君のお母さんの居場所。僕知ってるよ」
「!?」
驚くスフェンを他所にベリルは淡々と語る。
その情報を与えてくれたのは親衛隊長ガネット。
着色料の販売拠点を制圧した際に、
落ちていた写真立てと共に彼は教えてくれた。
〜〜〜〜
『この場所は……』
『? 来た事あるの?』
『あ、あぁ。ほら、この前の――
鳩に餌をやってた御婦人が居ただろ?
此処はあの方が前に住んでいた場所なんだよ』
『!?』
『ほら。こっちがあの人で、これがその息子さん』
(これは……スフェン君!?)
『もう何年も前に行方不明になったらしい』
〜〜〜〜
「……!」
スフェンは目を見開いて固まった。
そんな彼にベリルは預かった地図を見せる。
やがて悪魔の奴隷はしばらく口をパクパクさせて、
そうして突然、鬼の形相で立ち上がる。
「退けぇ!!」
スフェンの手中には、小サイズの蕾があった。
そして毒液の極小レーザーで魔物を振り払うと、
彼はツタを伸ばして森の中を駆けて行く。
(母さん! 母さん! 母さん!!)
ようやく見つけた手掛かりを目指し、
人生を奪われた少年は感情のまま走り続ける。
やがてその体は森から街へと移動を果たし、
そして遂にベリルの示した区画まで侵入する。
だがそこで、彼の肉体の一部が砕けた。
既に本体が爆散している状況。
今の彼は体内に宿した悪魔の残存魔力で
ギリギリ生かされているような状態だ。
しかしそんな体でも彼の歩みは止まらない。
「おい喰夢! 僕の体を幼少期に戻せ!」
弱り切った悪魔の残骸に彼は命令する。
直後その体は煙を放ちながら収縮を始め、
やがてすぐに小さな少年のソレへと変わる。
そうして最後の準備を整え目的の家の前に立つと
スフェンはゆっくりとその扉を開けた。
「――!」
其処には確かに彼の母が居た。
老いてすっかり見た目は変わっていたが、
それでもスフェンにはそれが
長年求め続けていた母であると理解出来た。
「あぁ母さん……! ただい――」
「おや? どちら様だい?」
「え? ……え?」
それは確かにスフェンの母だった。
しかし再会を果たすまでに掛けた年月は
あまりにも、あまりにも長過ぎたのだ。
「そんな……母さん? 僕だよ、スフェンだよ!」
「あぁ! お隣さんの倅かい!
今あったかいスープをご馳走しますからね」
「え、いや……え?」
「おや? どちら様だい?」
「っ――!?」
母親は既に、ボケていたのだ。
もう何もかもが分からない状態になっていた。
例え目の前にあの日のままの我が子が現れても、
もう何も思い出す事が出来ない無いほどに。
「そんな……ふざけるなっ! ふざけんなよッ!」
やがて彼にも、刻限が来る。
「殺した……沢山殺したんだぞ!?
この日のために、今日まで何十人も……!」
奪い続けた者へ、罰が下る。
「嫌だ! こんな……こんな――」
根の断ち切られた枝葉が堕ちる。
「こんな所でぇえええええええええええ!!!!」
花の奴隷は、茶色く枯れて朽ち果てた。
やがてその数秒後、
事情を知るガネットら親衛隊が現地に着く。
そして彼らの来訪を歓迎する老婆は、
床に転がる服を着た枯れ木に首を傾げた。
「あら? これは何かしら?」
「…………それは言わぬが花でしょう」
~~数時間後・執務室~~
「以上をもちまして、本作戦は終了です」
災禍遊撃隊の隊長に任命された魔物の長が、
主人である人間の前で不敵に告げる。
公国を長い間悩ませていた人攫い組織は消え、
悪化し続けていた治安も次第に改善されるだろう。
「良かったですね~大公陛下!」
「……ふん」
「つきましてはウチのベリル!
楔を単騎で仕留めた彼に何か報酬を――」
「――奴が地下塔に着いた時点で
勝敗の如何に関わらず楔は詰んでいた
余計な戦闘で負った傷の治療費が報酬だ」
「いけずぅ」
唇を尖らせつつも
ギドはあくまで飄々とした態度を取っていた。
そして彼は煙たがられ、追い出されるまで
世間話の体でいくつか質問を投げ掛けた。
「当初の作戦では、決戦地はあの老婆の家に
するおつもりだったのですか?」
「まさか。本体が狩れれば楔などどうでも良い」
「なるほど。では着色料のあった例の拠点
元々楔の実家だったようですが、
何故荒れた状態でずっと放置してたんです?」
「強制退去を求めて回っていた当時、
結局最後まで家主の許可を取れなかったからだ
あの時既に、彼女はボケが入っていた
家を荒らしたのは錯乱したあの老婆本人だ」
「なるほど、そうでしたか」
意外にも全て答えてくれた事に驚きつつ
ギドは最後の質問を投げ掛ける。
それは最も純粋に彼が気になっていた
一番の疑念だった。
「ベリルは最後、楔に母親の居所を漏らしました
あれはどういう意図の行動だと思います?」
「貴様の教え子だろう……
……さてな? 魔物の思考など知らん」
「ふむ……そうですか……」
ギドは心底残念そうに背を向けた。
対する大公もまた椅子にふんぞり返ったまま
窓の方を眺めて黙り込む。
だが不意に、彼は再び口のみを動かした。
「母親に会わせたくなった、とかじゃないか?」
「――! あぁ……やはりそう思いますか?」
魔物は満面の笑みと共に恭しく礼をした。
「では私はこれで、改めて、
クロバエ殲滅おめでとうございます」
「うむ」
見送る視線も無く、ギドは退室した。
そしてそれとほぼ入れ違いになるように
メイドの女性がティーワゴンを押して来る。
「陛下、お飲み物の用意が整いました」
「ああ。飲み終えたらまた呼ぼう」
そうしてメイドが出ていくと、
大公は自らポットの中の飲料を注ぐ。
それは毒々しい見た目の赤紫色の飲み物。
酒でも紅茶でも無いそれを並々に注ぐと、
彼はそれを味わう事なく一気に飲み干した。
「っ……! ヅッ……」
目眩と共にふらつく体を、
机に手を立てかける事でどうにか支える。
そして沼のように濁った瞳を街に向けると、
オスカーは呼吸を整え、自らに言い聞かせた。
「私は私のやり方で、この国を養護する……!」
何はともあれ『CaRaT』の初任務は
こうして秘密裏の内に終了した。
魔物の暗躍が世間に漏れる事は無く、
世界は今日も恙無く回っている。




