拾漆頁目 未来のはなし
〜〜とある夜・とある場所~〜
薄汚た黄銅色の歯車が
互いに互いへ作用し回転を続ける。
隣のポンプは蒸気を噴かし、
巨大なピストンは絶えず忙しなく
上下運動を繰り返していた。
其処はオラクロン大公国の地下にある巨大工房。
天井には壊れた魔導機構兵が何体も吊されて、
それらから取り外された数々の武装やパーツには
既に値札が取り付けられている。
廃棄された兵器を回収し、闇の市場で売り払う。
此処はそんな武器商人たちの隠れ家。
そして――
「襲撃だぁああッ!!」
――公国新戦力、試行の場。
「『朱焔砲』」
慌てふためく武器商人たちの目の前で
分厚い鋼鉄の壁がまろやかに溶け赤く弾け飛ぶ。
ドロリと溶解した金属のカーテンを潜り現れたのは
オラクロン大公国の軍服を着た一人の兵士だった。
すぐさま武器商陣営の衛兵が彼を剣で叩き斬る。
が、刃は兵士の軍服を少し裂いたのみで
真下に隠れていた鋼の皮膚は傷一つ無かった。
それに怯んだ衛兵は、敵の顔を見て更に戦慄する。
「!? おまっ、人間じゃ無――!!」
振り抜かれた腕の一撃で衛兵の首が飛んだ。
噴き出す血飛沫は、すぐに焔で蒸発した。
「正面ゲートに敵襲だー! 応援に行くぞ!」
「お前らは帳簿を持って早く消えろ!」
「ハッ、慌てる必要があるモンかよ……!
工房には正規軍対策の罠がごまんとあって――」
「――こっから人の匂いがするなぁー!?」
衛兵たちが警戒する扉からでは無く、
通路など無いはずの壁を喰い破ってソレは来る。
現れたのは大口を開けた棘だらけの鮫。
彼は登場と同時に人間数名を食い殺すと、
出来上がった血の河を泳いで棘の鱗を乱射した。
「痛ッ!? ひッ……なんで魔物がぁ!?」
侵入者たちは人に非ず。
故に人への対策だけでは全く足りない。
彼らは歴史の敗残者。故に意識外の強襲者。
仮想敵を『人間』に設定している者にとって
この上無く効果的な殺戮者にして暗殺者。
「ど、どうしてこの場所が!?」
「さーて? 何故でしょうね~?」
「!? さては貴様、裏切ったのか!?」
「裏切り? 妾をどこぞの誰と見間違えた?」
彼らの扱う魔法は人智の外。
人間の魔法が蓄積された技術であるのに対し、
それらは在るべくして其処に在る自然現象。
人間程度のサイズから業火を放つ事も、
壁を喰い破り、無数の棘鱗を乱れ撃つ事も、
そして既知の友人に成り代わる事もお手のもの。
敵陣深くにまで潜り込んで、
ボスの首を取る事など些事に等しい。
『妾じゃ。敵の指揮系統は潰したぞ』
「フフ、大勢は決したようですね、親衛隊長殿
……それとも監督官と呼んだ方がいいですか?」
「お好きなように」
通信用の魔法結晶を輝かせながら
軍師の如く施設外より戦局を見るギドの隣で、
オスカー大公の腹心である大男は
必要最低限の会話のみ交わして観察に戻る。
ただ彼の中では既に魔物たちに対する
評価は定まっていた。
瞳魔の破壊工作で指揮を乱し、
海魔の機動力で戦場を荒らして、
焔魔の火力で真正面から叩き潰す。
たったこれだけで凡百の組織は壊滅する。
たった三匹の魔物に、容易く蹂躙させられる。
(そして、本当に恐ろしいのは……)
大男は空を見上げて夜の闇に目を凝らす。
其処には黒い大きな翼を広げた小さな少年が
両手に二色の旗を握り締めて立っていた。
彼は上空から戦場全域を見渡して、
指揮官のギドに情報を送る役目を担っていた。
即ち、戦闘には一切参加していなかった。
(これでまだ半分の戦力、という事か)
やがて炎上する工房から
命辛々一人の敵兵が抜け出した。
彼は足をフラつかせてギドたちの前に倒れると、
恐慌状態に陥った瞳と震える口で
何やら公国の者たちを批難し始める。
「おやおや、何語ですか?」
「ちゃんと大陸語ですよ。えらく乱れてますがね
……彼は捕虜に。背後関係を吐かせます」
「そう言う事ならウチの透血鬼が適任ですね」
そう言ってギドが道を開けると
二人の間を抜けて黒いフードの少女が進む。
やがて彼女は敵兵士の前で膝を曲げると
彼の頬に手を添え其の金色の瞳で凝視した。
「裏にいるのはナバール朝の金持ちね
見たものはあとで文字に起こしておくから」
「……!」
「それと念のため、捕虜にする奴からは全員
魔物を見た記憶を消すわよ、文句無いわよね?」
「え、えぇ……手間が省けます……」
それまでの人類にとって
魔物は倒すべき敵であり討伐対象。
軍事利用まで考えられた事はほとんど無い。
人間が持つ戦争の常識に魔物の力は無い。
だからこそ、親衛隊長は身震いした。
公国が利用しようとしている力がどれほど強大か、
またそれが牙を剥いた時どれほど恐ろしいか、
殺した人間の山を前に喜ぶ怪物たちを見つめながら
彼は恐怖と高揚とでゴクリと喉を鳴らす。
(魔物の暗殺部隊、か……)
~~~~
日は跨いで翌日の朝。
ベリルはギドと共に大公の執務室に赴いていた。
相変わらずその机には茶菓子の一つも無いが、
今回は大公の前に赤紫の液体が注がれたカップが、
そして魔物たちの前には彼らでも飲める
ただの水が置かれていた。
「これはこれは、今日は大歓迎のようですね」
大公は何も答えない。
ただ黙々と自分用の飲料に口をつけている。
対するギドもいつもの笑みを崩さず、
一人勝手に喋り続けていた。
「我々の活躍はお耳に入っていますでしょうか?
早速陛下の意に沿う武功を立てられたのではと、
卑しくも期待を抱いている所でありますが――」
「三十点」
「……はい?」
「百点満点中、三十点……
貴様らの活躍に対する私からの評価だ」
「いやはやそれは、手厳しいですね?」
「厳しいものか。現場の物品はほぼ焼いた癖に
見る者が見れば魔物が暴れたと分かる破壊跡
……せめて痕跡くらいは貴様らで消せ
私は正規軍に尻拭いをさせる気は無い」
「そんなご無体な~
事後処理は専用の部隊を作って頂けませんか?」
「自分たちが魔物だとそんなに広めたいのか?
今現在、貴様らの正体を知っているのは
あの夜同行したごく少数に留めてあるが?」
「おっと! 陛下のご厚意でしたかー!」
芯まで冷淡な大公の声と相反させるように
ギドはわざとらしい抑揚を付けながら
自分の額を叩いて笑うと
評価は適切だったと甘んじて受け入れた。
対して大公の方はやはり無関心そうに
赤紫色の水面にばかり目を向けていたが
そんな彼の態度がどうにも気に食わず
今度はベリルが開口する。
「でも……僕らはちゃんと勝ったよ?」
「そうか。で?」
「いやっ、だから!」
「貴様らが勝つのは知っている
それは最低条件だ。でなければ意味が無い」
「ッ……!」
「ベリル。大公陛下に失礼ですよ?
……すみません陛下。彼はもう帰しても?」
「構わん。餓鬼に道理は説くまいよ」
(腹立つッ……!)
「一人で帰れますね?」
「……ぅん」
行き場の無い苛立ちに胸を焼かれながらも
今回は理性が勝ちベリルは退出する。
そうして子供が居なくなった執務室では、
大公はおもむろに分厚い資料を取り出した。
「これは?」
「次の任務だ」
~~~~
ぶつくさと不満の言葉を述べながらも、
ベリルは裏門より宮殿を脱出する。
道中、人間の使用人等にその姿は目撃されたが、
退館まで同行していた親衛隊長により
大公の親類縁者として紹介されて事無きを得た。
「今後も任務外で大公との関係を問われれば
親戚だと答えなさい。我々もその前提で対応する」
「ん……」
「さて、このまま家まで送ろうか?」
「子供扱いはやめて」
「むっ、そうか、失礼した。……おや?」
ふと何かに気付いた親衛隊長は
頭の中の空気を全て吐き出すように
鼻から大きく溜め息を漏らして肩を落とす。
だがその瞳は若干の面倒くささと同時に
仁の心に溢れた優しさも持ち合わせていた。
何事かと思いベリルも彼の視線を追う。
するとその先には広場で鳥たちに餌をやる
腰の曲がった老婆の姿があった。
「よくあぁされている方だ
鳥たちのフンで汚れるから止めて欲しいのだがね」
「じゃあ処罰すれば?」
「いや……まぁ、都度厳重注意は行うのだが……
その、何というか……中々ままならない方でね」
「?」
煮え切らない応答ばかりの親衛隊長に
ベリルは文字通り首を傾げていた。
だがそんな少年の反応で我に返ると
親衛隊長は「不要な話だったな」と猛省し
老婆の方へと走り出してしまった。
大きな背中が小さくなるまで彼を目で追うと
ベリルは途端に興味に無くして背を向ける。
「なんで人間なんかと……」
ふと彼は少し前の記憶を呼び起こす。
それは宮殿に呼び出された直後のギドとの会話。
ベリルは警戒の薄れた今回なら
大公を暗殺して逃げ出せるのではと提案した。
だがそれに対するギドの返事はノー。
彼は決して公国陣営とは争うなと忠告する。
『どんな対策を打たれているのか不明な以上、
こちらから火種を与える必要はありません
それに……復讐計画はまだ何も乱れてはいない
むしろ、今人間と仲良くしておくのはアリです』
いつもの笑顔で、
白衣の魔物はそう答えるばかりだった。
(……本当かなぁ?)
ベリルは疑う気持ちを拭えないでいた。
しかし計画をギドに放任している以上、
彼が此処で何を考えても意味はない。
今日という日はまだまだ長いのだ。
帰って魔力操作訓練でもしようかなと、
少年は呑気に家の方へと歩き始める。
がその時――
「ねぇ君! ちょっと待ってよ!」
――同年代くらいの声が彼を呼び止めた。
其処に居たのはベリルより二つ三つ歳上の男の子。
黒髪を頭の天辺でちょんまげ状に結んだ、
人懐っこそうな少年であった。
そして彼はベリルの顔を見るなり更に声を上げる。
「あ! 君はこの前の!」
「……? どこかで会ったっけ?」
「ほら! 君の宿題を手伝ったじゃん!
社会全体の情勢を簡潔に答えよ、って問題!
あの時の桃髪のお姉さんは一緒じゃないの?」
「あー……」
ベリルはようやく朧気ながらも思い出す。
そんな彼の曖昧な反応に「まぁいいや」と
一区切り付けると、年上の少年は
己の胸に手を当て言い放った。
「僕はスフェン。今度は僕を手伝ってよ!」
彼からの要求はたった一つ。
オラクロン大公国大公オスカーへの
気に入られ方を教えろ、という物だった。
何でも彼は官職として宮殿で働くのが夢で
そのためにも今の段階から国政の勉学に
励んでいるのだという。
そして今日も憧れの宮殿を見学しに来たら、
何やら裏門から自分よりも若そうな少年が
出て来たので驚いて声を掛けたのだという。
それが一度恩を売った相手だったので、
幼き人間は希望で目を輝かせていた。
「オスカー陛下とはもう面会したの?
あの方のお人柄を教えてよ!」
熱量高く迫る彼の夢に
ベリルは「面倒臭いな」とは冷めつつも、
ギドの方針を再び思い出した彼は
嫌悪感もほどほどに協力してみる事にした。
とはいえ彼も別に大公とは仲良くない。
冷血漢の人柄を知れるほど、
まだ時間を共有した訳では無かった。
「ごめん、あの人の事、よく分かんない」
「そうなの? 好物とかでも助かるんだけど……
あ、もしかして会えるような立場じゃないのか!」
「あー……そうそう。しんせき?って奴」
「十分会える立場だよソレ!?」
ベリルの、偽装用の身分を鵜呑みにして、
スフェンは「この少年だけは逃すまい」と
いよいよ本気の目を真っ直ぐ少年に向けた。
これはもう本当に逃れられない。
そう判断したベリルはとにかく頭を捻り
やっとの思いで一つの答えを絞り出した。
「そういえば、さっき何か飲んでたよ」
「へぇ飲み物? どんな?」
「えっと……綺麗な赤紫色の液体だった」
「……昼に、お酒?」
何やら彼の中に存在していた
理想の大公像に傷が付いてしまったのか、
スフェンは神妙な面持ちで顔を強張らせる。
しかしすぐにそんな訳が無いと己を諭すと
きっと似た色をした別の飲み物だと推測した。
「と、に、か、く!
その赤紫色の飲み物を探しに行ってみよう!」
「はぁーい、頑張ってねぇー」
「君も行くんだよベリル君!
実物を見たのは君しか知らないんだから!」
(ちっ、逃げられなかった……)
掴まれた腕ごと引き摺られながら、
少年たちは街へと繰り出した。
そして、そんな彼らの遠のく背中を、
黒い人影もまた追いかける。
~~~~
ベリルたちが最初に訪れたのは
最寄りのそこそこ大きな造り酒屋。
店主のオヤジは当初少年たちの来訪に
目を丸くして驚いていたが、
人当たりの良いスフェンの対応によって
すぐに態度を軟化させて協力してくれた。
「しっかし赤紫色の飲み物ねぇ……?
酒以外でとなると果物系か、ハーブ系か……」
「ねぇベリル君。君が見た物は酒の匂いした?」
「違う。もっと変な匂いだった」
「変? おじさん、変な匂いの飲み物といえば?」
「いえば?と言われましてもねぇお客さん
そんな曖昧な情報で絞り込むのは不可能だ
大公様ほどの金持ちとなりゃマジ何でも買える」
「だってさ。もう諦めたら?」
早く解放されたい一心で、
ベリルは人間の子供に提案する。
しかしその諦めの誘いがむしろ、
夢追い人の心に火を付けた。
「いいや! 俄然興味が湧いたね!」
「なんでさ?」
「だって飲み物の情報は誰も知らないんだよ?
これは夢に近付くための大きなリードになる!」
「リード?」
「そ。誰より早く陛下の目に留まるためのリード!
誰でも得られる情報じゃ誰も出し抜け無いからね」
「……!」
この時ベリルは何も答えなかった。
が、心の中では少年の言葉に賛同していた。
それどころかむしろ彼の紡いだ言の葉に
強く心が動かされている感覚すら覚えていた。
そしてそんなベリルの心中など露知らず、
スフェンは更に前向きに笑う。
「それにこれで本当にお酒の可能性は無いと
分かったんだ! 一歩前進だね!」
「ふっ! ガキンチョはポジティブで良いねぇ!」
店主は快活な子供に思わず笑みを漏らすと
酒以外の飲料も売っているであろう候補を
思いつく限りメモに残して渡してくれた。
「最近はいよいよ物騒だからな……
あんま子供だけで出歩くなよー?」
「分かってますよー! ありがとう御座いましたー!
ほら、ベリル君もちゃんとお礼して」
「……ありがと」
心底不服、というほどの抵抗感は意外にも薄く、
ベリルは素っ気なくだが聞こえる声量で応答した。
だが彼を魔物だとは知らないスフェンは
そんな彼の様子に苦笑いを浮かべつつ、
すぐにメモ用紙を開いて更に候補を絞り出す。
「ベリル君はもうお疲れなのかな?
子供の体力だもんね。探す場所は減らそっか!」
「いや、もう帰してくれると嬉し――」
「よーし! じゃあ今回探す候補はこの四つ!
ここで無かったら今日は諦めよう!」
「……聞いてる?」
態度で示しているはずのベリルを完全に無視し
スフェンは絞り込んだ候補地を提示した。
国のトップが愛飲しているという情報を前提に、
彼は候補を一定以上の規模の店に絞ったのだ。
「この国は出来てまだ短いから老舗なんて無い
高級品を扱ってそうな規模の店に絞ってみたよ!」
(歳の割に賢いなぁ、スフェン君……)
自分もそれに該当している事に気付かず
ベリルはスフェンの事を心の中で素直に褒める。
魔物の仔とはいえ五歳児の彼にとっては
今目の前にいる人間の子供の方が
ずっとずっと頼もしい大人に見えていた。
そうして年上の提案に乗ったベリルは
しばらく赤紫色の飲料探しを手伝ってみたが、
やはりそれらしい飲み物は絞り込めず
次第に時間だけが過ぎて行く。
「「無理だー!!」」
二人は既に諦めムードだった。
候補が全く見つからなかった訳では無く、
むしろ幾つか「らしい」物は絞り込めていた。
だがそれらを決定的に分別する手段は無く、
店員に対して「大公に卸しているか」と聞いても
知らぬ存ぜぬの一点張りばかりだったのだ。
となれば、これ以上は時間の無駄。
ベリルはもう帰ろうとスフェンに持ちかける。
がその時――少年たちの背後に人影が接近した。
その気配に気付いて振り返ってみれば、
其処には最後に訪れた店の主人が立っていた。
しかし彼は最初に尋ねた酒屋の主人とは違い、
子供たちを疎ましく睨み付けてカウンターに座る。
そして、彼らに聞こえる声量で愚痴りだした。
「質問するだけして買わねぇのかよ
はぁーあ。お子様は良いねえ、暇そうで」
「むっ」
自分の境遇など知らないくせに、
不当な侮辱をしてくる人間の雄に腹が立ち、
ベリルは思わず店主を睨み返していた。
しかし店主はそれに気付かず、
否、或いは気付いた上で更に煽るように
やれ自分はこんなに努力しているのだとか、
やれこんなにも大変な思いをしてきたのだとか、
店の大きさに合わせて肥大化した傲慢さから
聞いても無いのに苦労話を浴びせ続けた。
(面倒臭い奴に因縁付けられたなぁ……)
――殺せれば楽なのに。
次第に魔物の仔はそう思うようになる。
が、立場がそれを許さぬ故に、
少年は別の切り口から反撃を試みる。
彼は店内をチラリと見回すと、
疎らな人の数を数えると鼻で嗤ったのだ。
「苦労した割には成果が出てないね?」
「――は?」
突然のガキの嘲笑に店主は硬直し、
そして数秒後、火山の如く噴火した。
自慢話から一転、怒声が店内に響き渡る。
浴びせられる怒号に乗った語彙は汚く、
理性ではなく感情だけで作られた発言だと
幼きベリルにも容易に想像する事が出来た。
きっとこの場に居合わせた幼子なら
その怒気だけで泣き出してしまう所だろう。
しかし、二人の少年はそうでは無かった。
「ベリル君。ここは僕が」
「――! スフェン君?」
特にスフェンの態度が特異的だった。
人間の少年であるはずの彼は大人に一切臆さず、
それどころかベリルを庇うように前へ出ると
自信満々な笑みを浮かべて店主と対峙する。
そして彼は、ハキハキと淀みなく、
理性を伴う言葉を紡いだ。
「なるほど、今は成長中、という事ですね?」
「あ? あぁ……まぁそういう事だ!
ウチはこれから大きくなるんだよ!」
「そうですか、そうですか!
では僕らにもそのお手伝いをさせてください」
「はぁ? お前に何が出来るってんだ?」
「僕ではなくベリル……
この子はビクスバイト大公陛下の親戚の子です」
「なッ!?」
周囲の目を気にして囁かれた小さな言葉に
店主は椅子から転げ落ちるほど大きく反応した。
そして冷や汗に塗れた顔で五歳児を見つめると、
魔物故の異質な雰囲気を別の何かと誤認して、
先程までの尊大な態度を徐々に萎ませていった。
やがてそんな彼の肩に小さな手を添えて、
スフェンが笑顔でトドメを刺す。
「彼に見せる商品はそのまま陛下のお耳に届きます
どうです? 何か紹介したい品はありますか?」
「――いや、今はちょっと在庫が……」
(……え?)
「そうですかぁーそれは残念です!
では僕たちはこれで……今後の成長期待しています」
「あ、はい! ど、どうも……」
殺さず、されどその心は生かさず、
スフェンは見事に店主から一本勝ち取った。
そうして堂々と退店する彼の背に
ベリルは駆け足でようやく落ち着いた。
するとその瞬間、スフェンがベリルに振り返る。
「ふわぁ〜〜〜〜! 怖かった〜〜〜〜!」
「え?」
其処には顔をシワシワと歪めて安堵する、
頼りなさそうな少年の姿があった。
そんな、ある意味年相応な態度の彼に
ベリルもまた毒気を抜かれて笑みが溢れていた。
「ぷ! あはは!」
「あ、今日初めて笑ったんじゃない?」
「っ! べ、別に――」
「照れなくたって良いよ〜!
だって僕たちもう、友達じゃん?」
「――!」
その言葉に不快感は覚えなかった。
スフェンや最初の店主、そしてモルガナ。
そこまで嫌いでは無い人間は、どうやら居る。
貰った友達という言葉を噛み締めて、
魔物の仔は少し柔らかな笑みを再び浮かべた。
そしてスフェンは、そんな彼の手を取った。
「今日は本当にありがとうねベリル君!」
「うん。あ、そういえば……
なんでさっきあの人はあんな事言ったのかな?」
「ん? ……というと?」
「紹介したい商品の在庫が無い、って
そんな訳無いじゃん。いっぱいあったでしょ?」
「ああ。簡単な事だよ」
人の子は、冷めた瞳で前を向いたまま答えた。
「あの人はね、成長中っていう今に満足してる人
努力継続中の健気な自分に酔ってる人なんだよ」
「……努力、継続中?」
「そ。日々成長してるって錯覚に甘えて、
ただの発展途上な現在に慣れ切っちゃった人
これまでの努力を否定されたら怒るくせに、
将来の妄想はしてても準備はしていないから
いざ商機がやって来ても怖くて避けちゃうのさ」
「なるほど。そうならないよう気を付けなきゃだね」
「そ。あんな風にだけはなりたくない」
そう言うとスフェンは、立ち止まり、
キリリとした目で決意を示す。
「僕は絶対、途中で立ち止まらない……
必ず――僕は僕の『夢』を完走させる」
やはり年齢に似合わない利口な彼の後ろ姿に
ベリルは真っ直ぐな尊敬の念を抱いていた。
そして彼の願いが叶えば良いな、などと、
純粋な気持ちで応援している自分に気付いた。
(人間の友達か)
温かな気持ちが冷たい体に染み込んでくる。
繋いだ手から感じる体温が愛おしく感じてくる。
思わず緩んだ口元を直そうとしてみても、
どういう訳かまた緩んでしまうようだった。
しかし次の瞬間、
少年の脳裏にある記憶がフラッシュバックした。
「っ……!?」
それは桃髪の姉と眼鏡の少女の姿。
車輪の駆動音と共に崩壊した人と魔の絆の残骸。
生の隔たりが生み出した、別れの記憶。
まるで生温い事を考えた少年を罰するように、
それが突然ベリルの脳をガツンと殴った。
「? ベリル君?」
眉を顰めるベリルに違和感を覚えて、
スフェンが両肩をグッと押さえて声を掛ける。
しかし脳裏で響く車輪の音は更に音量を上げ、
次第にこちらへと近付いて来るようだった。
――否、事実その凶手は少年たちに迫っていた。
「ッ――!?」
気付いた時には既に、
真っ黒な車体がベリルの背後に迫り、
中から飛び出して来た大人たちが彼を気絶させる。
そしてあまりにも手際の良い動きと共に、
彼らは二人の子供たちを誘拐して走り去った。
やがて現場に居合わせた目撃者が、
驚愕で停止していた脳を再起動させ悲鳴を上げる。
「人攫いだーッ!」
車輪の駆動音が、再び絆を裂きに来る。




