拾陸頁目 国の闇
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かつて魔物は恐怖の象徴だった。
人間程度では到底敵わない肉体性能と
凡そ自然現象とも見紛う魔法を振りかざし、
民草を喰らっていく様には畏敬の念すら抱かれた。
その威容は現存する歴史的文献の全てにおいて、
誰もがただ通り過ぎるのを祈るだけの
勝てない災害として扱われていた。
が、次第に魔物は超克の対象となった。
武器が発達し、技術が発展して、
人類全体の武力が彼らとの戦闘を可能にさせると、
徐々に、細やかなほど徐々にではあるが、
世界各地で魔物を退ける逸話が生まれ始める。
それから先は戦乱の歴史。
人類と魔物。二つの種による生存競争。
殺し合いはより一層の悲しみと憎しみを育み、
殺意で研がれた武具はより一層凶悪となる。
やがて幾千と蓄積されて来たその経験値が、
ある日を境に人類の技術として爆発する。
――人類の兵器『魔導機構』だ。
魔法と歯車によって装飾されたその武器は
戦争の常識をガラリと一変させた。
強靱だったはずの魔物の皮膚は容易く抜かれ、
脅威だったはずの魔物の奇跡にも手が届く。
戦場の優劣は傾いた。戦況の天秤は傾いた。
いつしか魔物は撃滅可能な畜生となっていた。
「……今夜は月が明るいな」
平坦な声を大公は硝子の向こうの月に投げる。
其処は屋内。彼がいつも居る執務室。
公国の心臓部とも言える宮殿の、
大部分を占める外廷区画の一室だった。
そしてそんな執務室では現在、
彼の他に九つの知性体が同室している。
うち五名は人間。四人は部屋の四方にばらけ
残る一人の巨漢がソファの後ろで待機する。
またそんな大男に睨まれながら、
残る四名がソファに並んで鎮座する。
しかし彼ら四人は人間に非ず。
コーヒーの一つも置かれていない机の前で
居心地悪そうに並んでいたのは魔物であった。
((これは一体どういう状況なの……!?))
魔物であれば即殺す。
人類側にはそんな鉄則にも似た風習があり、
魔物側もまた「見つかれば殺される」という
半ば共通認識のような常識があった。
しかしどうやら今この時、この瞬間だけは、
その常識とやらも機能していないらしい。
あまりにも理解が追いつかない現状に、
ベリルは不安を隠せず隣のギドに話し掛けた。
(どうにか脱出出来ないの?)
(本気で暴れれば無理では無いでしょう……が、
後ろの大男。恐らく聖騎士にも劣らぬ実力者です
双方被害は無視出来ない物となるでしょう)
(っ……! ギドでも負けちゃうの?)
(ふむ……私一人なら問題はありません
ただ彼は恐らく貴方とシェナを狙っている……
私が彼を殺すより先に、彼は君たちを殺せる
そうなれば……実質私の負けと言えますね)
(そんなっ……)
(ただ、状況は最悪なれど、まだ手遅れでは無い
どういう訳か我々の首は繋がっています
今は……ひとまず静観するのが吉でしょう)
(っ、でも――!)
「――作戦会議は終わったか?」
まだ喋りたかったベリルを遮って、
興味の欠片も無いであろう冷淡な声が届く。
やがてその声の持ち主は
堂々と魔物たちの対面に座ると、
沼のように濁った瞳で彼らを眺め回した。
「貴様ら一派はこれで全員か?」
「いいえ。煤霊のペツという者も居ます」
(ギド!?)
態々仲間の情報を漏らす行動に
ベリルは気でも狂ったのかと最初は戸惑う。
が、ギドの事だ。何か考えがあるはず。
すぐにそう考え直して少年は彼の目的を理解した。
――セルスだ。
ギドは裏工作の得意な彼女を隠したのだ。
真実を織り交ぜた嘘ほど疑われにくい。
あえてペツの存在を明かして誠実さを示す事で、
彼は一番知られたくない切り札を意識の外に逃す。
仮にこの場に嘘発見器のような物があったとしても
先程の発言ならば捕まる事は無いだろう。
そして咄嗟にベリルが強く困惑したのも相まって
大公がこのミスリードを邪気無き言葉であると
誤認する可能性は十分にあった。
というのに――
「んぁ? 何言ってるんすかギドっさん?
セルス・シャトヤンシーもいるじゃないっすか?」
――間抜けな鮫がそれを台無しにした。
まるで小突かれたような心の衝撃に耐えきれず
ベリルとシェナは声を重ねて小声で怒鳴る。
((なんで教えちゃうのさ!?))
(えぇ!? いやぁだって……
仲間外れにしちゃあ可哀想じゃねぇっすか?)
((優しいバカ!))
「セルス・シャトヤンシー?
……確か四天王の一人がそんな名前だったか?」
((ぜーんぶバレた!))
恐る恐る二人はギドの顔色を窺う。
彼はいつもの笑顔で固まったまま、
青筋を立ててプルプルと震えていた。
「んっん゛! あーヘリオ君?
外にプールがありますね。遊んできては?」
(どうにか追い出そうとしてるわね……)
(いやギド……流石にそれは通る訳が――)
「ふむ。一匹くらいなら別に構わんぞ」
((通ったー!!!?))
「わーい!! 水だぁーッ!」
精神年齢の幼い褐色の美男子は
両手を挙げ無邪気な笑顔で駆け出すと
空中で鮫の姿に戻りプールへ飛び込んだ。
無論彼をノーマークにするつもりは無いらしく、
大公は部下の一人に言葉無き視線を送り、
指示を受けた部下もまたプール際に移動した。
(なるほど……? ヘリオくらいの魔物なら
彼一人で十分相手取れる、という事ですか)
立ち振る舞いから兵士の実力を見破り、
ギドは両陣営のパワーバランスを計算して
常に部屋全体に警戒の糸を張り巡らせていた。
対する大公の方はえらく落ち着いた様子で、
漏れ出る魔力が肌を撫でるほどの至近距離に
まだ三体魔物が居るというのにも関わらず、
仮に眼前にコーヒーが置かれていれば
迷わず手を伸ばしていたであろうほどに
リラックスした面持ちであった。
「茶請けの一つも無いが許せ
貴様らの味覚に合う物は用意出来んのでな」
「……我々は歓迎、されてるのですか?」
「そうだな。茶と菓子の代わりに
程よい殺意と武器を以て、ではあるが」
やや黒いユーモアのある台詞を、
全くの無感情で吐き捨てる大公に対して、
ギドはどうにか笑顔を保っていたが、
他の魔物たちは困惑と警戒を隠せないでいた。
そんな未熟な感情の揺れに反応したのだろう。
大公はチラリと子供たちの方を一瞥すると
前触れ無く不意打ちのように声を発した。
「一つゲームをしよう」
「は?」
「今から貴様ら一人ずつに三回、計九回質問をする
なお黙秘権は一人一回まで。どうだ?」
「「……」」
どうだ、と問われましても。
そんな声なき困惑を顔に出して
魔物たちは互いの様子を確認し合う。
たった三回の質問。しかも一回は黙秘可能。
こんなもの、何の意味も無いとしか思えない。
それが逆に底知れない不気味さを醸し出していた。
しかし彼らの沈黙を勝手に肯定と受け取ると
大公は早速ゲームの開始を宣言した。
「さて、誰からやる?」
「……じゃあ私からやるわ」
警戒心が強いとされる透血鬼の少女が
今回は仲間たちのために先陣を切る。
だが特段心理戦が得意な訳でも無い彼女は
これから一体どんな質問をされるのか、
胸の鼓動が外にまで聞こえてしまいそうなほど
緊張で皮膚の下を激しく振動させていた。
そしてそんなシェナの心の臓を貫くが如く、
大公からの最初の質問が飛んで来た。
「何フェチ?」
「……は?」
まるで破裂寸前まで膨らみきった風船が
針に刺されて暴発するように、
シェナの溜めに溜めきっていた緊張が
言葉一つで容易く霧散してしまう。
そして脳が投げ掛けられた質問を理解すると
途端に湧き上がる怒りでその心は満たされた。
「誰が答えるかー!!」
「つまり黙秘だな?」
「ええそう! 黙秘よ、黙秘ッ!」
「そうか。では二問目――」
元々低い大公の声色が更に一段低下する。
「貴様らの最終目標は何だ?」
ここでようやくシェナは
先の質問が囮であった事を理解する。
貴重な三回の内一回をあえて無意味ながらも
シェナが答えにくい質問で流す事で、
大公は黙秘権を切らせる事に成功する。
ベリルが背後の大男の反応を伺えば、
またやってるよ、と何やら呆れた様子。
どうやらこれが彼の十八番らしい。
「シェナ……まんまとじゃん」
「うぐっ! ぐっぐっぐっ……!」
「黙秘権は使い切った。さっさと答えろ」
「ぐっ~~~~! ……あれ?
確か一回までは『殺して』いいんだっけ?」
「ダメだから」
大公にしてやられた透血鬼は
その後もしばらくの間ぐうの音を吐き続けたが、
ようやく観念すると渋々解答に移る。
「目的なんて無いわ。強いて言うなら生存ね」
(――!)
「……ふむ。そうか」
シェナは堂々と嘘を吐いた。
確かに彼女には人類への恨みはほとんど無いが
それでもベリルらと行動を共にする以上
勢力図を魔物側に傾ける野心はあるはずだ。
目的なんて無い。これは間違い無く嘘である。
しかしそれで部屋の何かが反応する様子は無い。
つまり嘘発見器のような代物は
この部屋には無いと見える。
(いや……隣の部屋とかにあるのかも?
とにかくまだ気は抜けない……!)
「では三問目。貴様らは今まで
この国の人間を何人捕食した?」
「――! ……さぁ? 一々覚えてないわ」
「……そうか、理解した
では次はそうだな、貴様の番だ」
(ギドが指名された!)
自分の番が終わり
肘掛けに自重を乗せるシェナの横で、
満面の笑みを貼り付けたギドが大公に応じる。
だが緊迫の表情を浮かべる周囲とは裏腹に
知恵者同士の面接は驚くほどスムーズに進む。
「普段はどこに潜んでいる?」
「西の都市の展望台に続く坂道の中腹辺りです」
「魔王軍壊滅前はどこで何をしていた?」
「黙秘で~」
「貴様は普段何を最も重要視している?」
「やはり情報ですね!」
両者の間に思考時間などほとんどなく
応答はあまりにもテンポ良く流れていったので、
三問目が終了した後しばらくの間は
周囲の誰もが終わった事に気付かなかった。
しかし当人たちは既にやりたい事を終えたようで
それ以上の会話も無く互いの平常運転に戻る。
「では小僧。貴様だ」
「頑張ってくださいベリル!」
「う、うん……」
ベリルは自分の小さな手を握り締めた。
(一回は黙秘出来る。嘘を吐いたって良い!
……大丈夫。怖い事は何も無い)
自分の番になると途端に湧いて出た緊張に
五歳児は真正面から立ち向かうと
震える両手で握り拳を作り、
膝小僧を上に押しつけるように置いた。
そして早速、大公からの質問が飛ぶ。
「どこの出身だ?」
(これは……答えよう!)
ベリルは頬に冷や汗を伝わせながらも、
まるでチューニングするように
ゴクリと喉を鳴らしてから返答する。
「産まれた所は分かんない……多分セグルア」
「ほう? では――」
瞬間、大公の動きがピタリと止まった。
吐出そうとした言葉は虚空に消え、
中々次の質問も行わずに
彼はしばらくの間ベリルの顔を凝視する。
やがて誰もが沈黙に心苦しさ感じ始めた時、
大公は不意に僅かな感情を揺らして開口する。
「モルガナという女を知っているか?」
まるでそれは真正面から突風が
吹き抜けていくかのような衝撃だった。
それまで考えていた全ての事柄が、
枯れ落ちた木の葉の如く吹き飛ばされ、
残ったのは真っ白な思考の余白のみ。
「なんで……? どうしてモルガナを!?」
やがて動揺が行動となって出力されると、
ベリルは翼を広げ、机に足を乗せて
今にも大公に飛び掛かろうとしていた。
それは完全に理性の制御を外れた行動で、
彼に釣られる形でギドや大男も武器を抜く。
正に一触即発。誰かもう数ミリ体を動かせば
その場の全員が死にかねない状況だった。
それでも大公の表情が動く事は無く、
むしろ誰も望んでいないのに危うい殺意が
渦巻く今の状況を宥めると
その沼のような目をベリル一人に向ける。
「質問しているのはこちらだ小僧」
「……! 勿論知ってる……僕の唯一好きな人間で、
僕を守って、同じ人間に殺された人だよ」
「そうか。で、小僧。貴様はその時どう思った?」
少年の脳裏にあの日の焔が蘇る。
並ぶ機械の駆動音。蜂の巣にされた女の死体。
これからも一緒に暮らそうと誓い、
そして守れなかったモルガナの無念な顔。
問われた少年の口が動く。
とても嘘を吐けるような精神状態では無かった。
「人間全部、殺したいと思った」
「…………そうか。黙秘権は使わなかったな小僧」
「あっ」
「ゲームはこれで終了だ」
それだけ吐き捨てると大公は立ち上がり、
月明かりの映えるガラスドアの前まで移動した。
彼の言動に緊張の緩和を感じ取ると
ギドも大男も互いに警戒しつつ矛を収める。
その流れに今度はベリルが乗っかり、
燃える怒気を鎮火しつつ元の場所に戻った。
やがて一連の行動が終わり一拍の沈黙を置いた後、
大公は再びベリルに顔を向けて口を開く。
「さて、ここからが本題だが」
「……モルガナとの関係は教えてくれないの?」
「ふむ。ではそれを今後の報酬にしてやろう」
「ほぉう? 報酬、と言いましたか?」
大公の言葉にギドの方が反応を見せる。
否、彼だけでは無い。シェナも頬杖を突いたまま
視線だけを送り人間の放つ次の言葉を待っていた。
そんな彼らの期待に応えるように、
沼のように濁った瞳の冷血漢は
抑揚の無いいつもの平坦な声で宣言する。
「貴様らを我が国の特殊部隊員として雇いたい」
〜〜同日深夜・ベリル宅〜〜
オラクロン大公国は成立してまだ数年。
国家は未だ安泰とはほど遠い所にあった。
特に大公が常々憂慮していたのは『治安面』。
国境を越えて訪れるならず者や犯罪者は勿論の事、
各国から送られてくるスパイや刺客への対処が
絶望的に間に合っていないと危惧していた。
その対策として打ち出したのが
秩序維持のための『特殊部隊』の設立。
即ち、大公の意志で動く暗殺部隊の設置だ。
しかしこれは現状上手く行っていない。
生後数年の国家では適材も中々見つからず、
加えてイチから特殊部隊員を育てようとしても、
近隣諸国からの『妨害工作』を受けてしまい
計画そのものを白紙に戻す羽目になる。
それこそが大公の語ったオラクロンの現状であり
そして魔物たちを雇おうとした理由である。
つまるところ彼は――
魔物の力を治安維持に利用するつもりだった。
「我々の業務は国家に仇なす者の排除
対価は正式な『居住権』と『標的の死体』……
家と餌をやるから従え、という事ですね
さて、ここまでで何か質問はありますか?」
「然らばギド様。当方の記憶違いでしょうか?
確かこの国は隣国とは中立関係だったはずでは?」
「表向きは、というだけの話じゃろう?
テーブルの下では仲良くナイフの突き付け合い
人間どもの世界ではよく聞く話じゃ」
「セルス様の言う通りです
この国は商人や冒険者の出入りも活発ですしね
そりゃあ各国のスパイも入り放題でしょうし、
秘密警察なんて言うのも欲しくなるでしょう」
「秘密、警察……」
自身にとって聞き慣れない言葉を
ベリルは噛みしめるように復唱して
自分の中の解釈として飲み込んだ。
人間のために、人間を殺す部隊。
そこに魔物を登用しようという発想が
幼子には不気味に思えて仕方無かった。
「魔物で治安を守ろうなんて、どうかしてるね」
「ふむ。確かにリスキーではありますが……
案外理に適っているかもしれませんよ?」
「え? そうなの?」
ベリルに聞き返された事で
ギドは更に深く大公の策を解説し始めた。
曰く、例えるならば今のオラクロンは
謀略レースにおける周回遅れの状態であり、
競争相手である隣国の三国はどこも歴史が長く、
高い経験値というリードがある状態だという。
当然この遅れを取り返す手段は
早急に裏工作における武器を有する事なのだが、
公国の技能はほぼ全てチョーカ帝国に源流があり
そのまま利用すれば内情が筒抜けとなってしまう。
ならばと最新技術魔導機構を活用してみれば、
今度は開発国の魔導大国セグルアに遅れを取る。
そしてその他人智の範疇で思い付く手法に
手を出してみても、より突飛で高度な
超古代文明技術を有するナバール朝には敵わない。
大っぴらに開示する戦力ならばまだしも、
秘匿戦力がこれでは意味が無いのだ。
つまり今のオラクロンには
三大強国のどことも異なる全く別種の
即戦力が必要不可欠だった。
「それが……魔物の力?」
「はい。日々人類の仮想敵から外れつつある魔物
これを秘匿戦力として運用出来れば、
確かに三大強国の暗部とも張り合える力になる」
「とはいえ私たちがアイツに従う義理は無くない?
確かに一部の人間に正体はバレちゃったけど、
また百年でも二百年でも潜伏すれば良いだけでしょ?」
「いいえシェナさん。恐らくそれは出来ませんね」
そう言うとギドは突然ベリルを掴んで持ち上げた。
かと思えば今度は少年の上着を引っ剥がし、
幼い肉付きの体を仲間たちに見せつける。
其処には、魔法によるマーキングがされていた。
「見たところ、位置情報を伝える刻印ですね」
「ええ!? いつ!?」
「まぁ連行されている途中でしょうね
私は常に警戒していたので大丈夫ですが、
気絶し拘束されていたヘリオとシェナさんにも
恐らく同様の物が刻まれているのでは?」
「うぉ!? マジだ! 姐さんはどうっすか!?」
「ちょっ、今確認するから! 皆アッチ向いてて!」
「だそうじゃ、むくつけき男ども
手伝ってやるぞシェナ、ホレ見せてみぃ?
……あー、バッチリ刻まれておるのぉ」
「あぁあああああ最悪っ……!」
「まぁという事で、
逃げれば位置情報付きで指名手配されます
エルザディア聖騎士団が毎秒尋ねて来るかも?」
「絶対無理! 従おう!」
迷宮内で聖騎士と交戦した者を筆頭に、
魔物たちは特殊部隊への就職に同意した。
ただ一人それでも不服そうだったのは、
メンバーの中で最も人間を嫌悪している
ベリルであったが、そんな彼の様子に気付くと
保護者代わりのギドが少年の横に座った。
「不服ですか?」
「ギド……! うんまぁ……正直凄く嫌だ」
「ご安心を。初心を見失うつもりはありません
逆に考えれば敵の内部に入り込める好機です
それに、認められれば彼女の事も聞けますよ?」
(……! モルガナ……)
大公は成果を上げれば
いずれモルガナとの関係を明かすと約束した。
それは彼女に育てられた魔物の仔にとって
十分にモチベーションとなる報酬だ。
まるで自分にそう言い聞かせるように
ベリルは潜める殺意に燃料を焚べた。
「そうだねギド。僕らは公国唯一の特殊部隊
この国を……内側から喰い破ってやるッ!」
その目に宿っていたのはギラギラと鋭い殺意の熱。
魔物の仔はより多くの人を殺す目標のために、
今は人のために人を殺す仕事を引き受けた。
そしてそんな決意を固めた少年の肩に手を置いて、
ギドは笑顔で言葉を添える。
「いや、多分暗部組織は他にもありますよ?」
「……へ?」
「完全に推測ですが、軍部に一つと内務省に一つ
成立して間もない国家とはいえ、
秘匿戦力がゼロは流石に嘘でしょう?」
「え、でも、大公は」
「特殊部隊が無くて困ってるという話は、
オスカー大公陛下が勝手に言ってるだけです」
「なぁっ!?」
少年の声が夜の家屋に響き渡る。
〜〜同時刻・執務室~〜
「本当に魔物を信用するのですか?」
暗く消灯した執務室の中で、
月を見上げる大公の背に大男が語り掛ける。
今この場には彼らしかいない故にか、
応答する大公の声はどこか柔らかかった。
「情報部だけでは隣国を出し抜けない。これは事実だ
そのせいでお前にも苦労を掛けたな親衛隊長」
「陛下のご命令を苦には思いません
ですが……その解決策が魔物の暗殺部隊とは……」
「凶悪犯や各国の刺客を処理する部隊だ
切り捨てられる人員が集まったのは僥倖だろう」
「……本当に御し得るとお思いで?」
「ああ。それを計るための先のゲームだ」
大公の発言に大男は目を丸くする。
だが彼が何かを口にするよりも先に、
彼の反応からその内心を掴んだ大公が
沼のように濁った瞳を差し向けた。
「無意味と思っていたか? 貴様の常識は?」
「……えぇまぁ。黙秘可能、嘘を吐くのも可能
あれで何かが掴めるとは到底思えません」
「まぁそうだろうな。質問自体に意味は無い」
「は?」
「あれは反応を見るための儀式だ
返答の仕方、表情、黙秘の切り所で
相手が何を重要視しているのかを判別しつつ、
同時に私が御し得る存在なのかを見た
故に……答えの正確性は最初から関係無い」
「それで、結果は?」
「鮫は論外。女子供の方も問題無い」
「……あの白髪の……ギドとかいう魔物は?」
「奴か……あれは確かに厄介かもしれんな
あの男、最初から二問目を黙秘すると決めていた
恐らく私が何を見ているのか察知したのだろう」
「っ!? では!」
「だとしても問題は無い。問題にはさせない――」
再び大公は振り返り、
眩き夜天の月に目を向けた。
雲が黒い影を差す。風がガラス戸を叩き付ける。
それでも男はただ一点の月のみを見据え続けた。
「私は私のやり方で、この国を養護する」
この日、それまで戦乱ばかりだった
人と魔物の歴史に新たな関係性が生まれた。
互いの利用価値と最終目標のためだけに
中指を立てた手を取り合う歪な繋がり。
歴史の表舞台に出る事はありえない影の盟約。
彼らは化かし合いながら
共に公国の『闇』を造り上げていく。
〜〜とある廃墟〜〜
「……もう良いかーい?」
じきに長い夜も明く。




