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ラスボス育成観察録  作者: 不破焙
第壱號 黄昏の残狂
14/48

拾肆頁目 水練に行こう

 ~~森の中~~



 炎天が極みを目指し、

 釣られるように温度計の数値が狂う。

 新記録更新に躍起になっているかの如く、

 日々上がる自然の熱気は留まる所を知りはしない。


 つまるところ、ここ最近めっちゃ暑い。


 この時期のオラクロンは酷暑になると

 前々から予想されてはいたのだが、

 それでもやはり今年の夏は

 いつもの更に数倍は暑く感じる。

 森の中に生えた険しい道を進みながら、

 最後尾の透血鬼(カラーレス)はそんな事を考えていた。



「ねぇまだー? 私随分歩かされたんだけど?」


「シェナさん……歩いた距離は皆同じですよ?

 体力を心配すべきなのは歩幅の小さなベリルです」


「大丈夫。僕は平気だよ」


「ほらシェナさん! 聞きましたか?

 やっぱり若い魔物はこのくらいじゃなきゃ」


「うっさい! ……あーもう!

 叫んだらまた蒸し暑くなってきた〜〜ぁ!」


「――! 良かったねシェナ。丁度着いたみたい」



 一行は森を抜けて青空の下に身を晒す。

 其処に広がっていたのは森を拓いた大空間。

 大自然が自ら用意した天然の空き地。

 そしてそんな空き地を埋め尽くしていたのは、

 日の光を反射し美しく輝く水面(みなも)であった。



 〜〜オラクロン東部・ドール湖〜〜



 魔物たちが集まったのは

 オラクロン大公国の秘境『ドール湖』。

 海と接続し海水が混じり合った汽水湖だ。

 ここは人々が集まる極東部の海岸線(ビーチ)とは違い、

 未開拓な森の奥地にあるため人の往来は稀。

 故に魔物たちにとっては絶好の避暑地兼、

 水練場と成り得る場所だった。



「お待ちしておりました我が君!」


「ようやく来おったかお主ら」


「ペツ! それにセルス様も!」



 先行して安全確保をしていた魔物たちと

 ベリルらは無事合流を果たす。


 砂漠(ナバール)で新たに仲間となった瞳の魔性セルス。

 彼女は結局ベリルたちとの同棲を拒み、

 一人孤高にナバール、オラクロン間を転々として

 適当な旅人を襲いながら生活する道を選ぶ。

 理由は勿論『ギドと居たく無いから』。

 そして拒絶されたギドもまたこれを了承し、

 有事の際の協力と三日毎の定期接触を条件に

 平時における彼女の自由行動を約束した。



「今日は来てくれないかと思いましたよ」


「こういう面白そうなイベントは大歓迎じゃ

 ……時にギド。子供らの『アレ』は?」


「ご安心くださいセルス様。こちらに一式」



 大人たちは怪しげな取引をするように、

 互いの顔を近付け手荷物の中を覗き込んだ。

 何事かと気になったベリルは翼を広げ、

 二人の顔の合間に自分の頭をねじ込ませた。

 そうして視認したのは折り畳まれた衣類の数々。

 水中での動き易さを重視した装い。

 即ち――水着であった。



 〜〜〜〜



 知性を獲得した魔物は服を纏う。

 恥じらいを持ち、身嗜みを気に掛けて、

 そのまま人間社会に紛れ込んでも

 何ら問題無い程度の『衣』に袖を通す。

 それはベリルの翼等に代表されるような

 当人の魔力で編まれた構築物である事もあれば、

 何らかの手段で入手した実物である事もある。

 どちらにせよ――賢い魔物ほど服を着る。



「どうじゃギド。妾の装いは?」



 子供たちが木陰で着替えている間、

 誰よりも先んじてセルスが水着姿を披露した。

 スレンダーな肉付きを程よく際立たせるのは

 金色主体のセクシー系腰布(パレオ)付きビキニ。

 些か豪華過ぎる装飾が嫌味にならないのは

 ひとえに国すら堕とす彼女の美貌が

 それに釣り合っていたからだろう。



「お見事ですセルス様」


「フフン!」


「完璧な擬態ですね」


「殺すぞ」


「ちなみに私は何点ですか?」



 ツンとした態度で顔を背けつつも、

 瞳の魔性はちらりと横目で採点を始めた。

 ギドの装いは黒い腰丈水着と薄手の白シャツ。

 甘いマスクを持つ男の長い白髪と相まってそれらは

 どこか今にも脆く崩れそうな儚さを醸し出しつつ、

 パキッと絞まった印象を見た者に与えている。

 そして何より、全開の白シャツから覗く

 鍛え抜かれた腹筋が瞳魔の脳を刺激していた。



「……ふむ」


「もしや今『ちょっと良いな』と思いました?」


「惜しい。たった今満点を逃したぞ」



 大人たちがそんな会話をしている間に

 どうやら子供たちも着替えを終えたらしい。

 顔の前に掛かった草木を払い退けて、

 ベリルの手を引くシェナが現れた。


 彼女の水着は基調の黒に薄緑の差し色を入れた

 動きやすいスカート付き長袖ラッシュガード。

 前面のチャックを鎖骨下まで開けている事しか

 普段の装いと布面積に差は無かったが、

 それでも活動的かつ健全な清涼感があった。


 またベリルの服装もそれに合わせて

 動きやすさ重視の短パンスタイル。

 背中から翼を生やす関係上

 その上半身には一切衣類はない。

 そして下に履いた深緑色のスイムウェアは

 膝小僧が見えるほど短めであった。



「御馳走様です」


「なんか言ったセルス様?」


「いや何も。……よし。これで全員揃ったな」


「待って! まだペツが着替え中」


「え?」


「お待たせしました! 皆様ッ!」



 大声と共に草むらから飛び出して、

 全身機械の魔物は仲間に向け堂々と胸を反らす。

 その鋼の素肌に普段の軍服一式は無く、

 漢一貫、剥き出し機構の大露出。

 真っ赤な布地のブーメランパンツがミチミチと

 今にもはち切れそうな音を立てていた。



「……いるコレ?」



 セルスの率直な感想が、

 木の葉舞う潮風にさらわれ夏空に消えた。



 ~~同時刻・水中~~



 水底からいくつかの気泡が浮かぶ。

 真っ暗な湖底から淡く光が揺れる水面に向けて、

 空気を包み込んだ大きめの泡たちが数個。

 天界へと旅立つ死者の魂が如く昇っていく。


 それはこの湖の中に

 空気の出し入れを行う存在が居る事の証左。

 生者にのみ許された呼吸という行為が

 この冷たい水の中に在るという事実の証明だ。



「……」



 呼吸を行うのは大きな魚影。

 一般的な魚より幾分か刺々しいシルエット。

 やがてそれは水面を揺らす来訪者の存在に気付き、

 背びれで水を叩いて勢い良く泳ぎ出した。

 そしてそんな魚影の去った湖の底には、

 食い散らかされた人骨の山が積み上がっていた。



 〜〜〜〜



 本格的な水練の前には慣し作業が必要不可欠。

 準備運動もさることながらやはり、

 水そのものに慣れておく必要がある。

 ギドによってそう宣言されたベリルたちは

 早速浅瀬にて水の掛け合いを初めていた。



「行くわよベリル! そーれ!」


「うぶ!? シェナ強い……」


「悔しかったら反撃してみなさいってのー」


「冷水苦手なの……」


「我が君ー! 当方も混ぜてくださいよー!」


「ペツ。じゃあ行くよ――?」



 濡れて上手く機能しない翼を仕舞いつつ、

 ベリルはシェナが自分にやったように

 機械仕掛けの大男に水を浴びせた。

 やがてそれら水塊は機構の中へ侵入すると

 同時にペツは全身から焔を吹き出し、()()()()



「「えぇええええ!?」」



 大量の煤をばらまき停止した仲間を担いで、

 慌ててベリルたちは浜の大人たちに助けを求める。

 どこからか持ち込んだパラソルとビーチチェア。

 そして書物を携え寛いでいたセルスの横で

 ギドは水練に必要な物品の準備をしている所だった。



「ふむ? どうやら煤霊は水がダメらしいですね」


「本当に何の意味も無い水着じゃったな」


「が、ガーン……」



 辛くも機構から抜け出た霊魂は

 主と遊べない事にショックを受けると

 そのまま力無く物陰に引っ込んでいった。

 やがてベリルがそんな寂しげな彼の背に向け

 また後で修理をしてあげると約束していると、

 今度は全く泳がないセルスにシェナが疑念を抱く。



「そういえば、セルス様は泳がないんですか?」


「う、む。妾は泳ぎに興味は無いのでな……」


「まさかセルス様も?」


「何じゃその目は!? 勘違いするでないわ童共!

 スライムである妾が水属性に弱いわけなかろう!」


「「ならどうして?」」


「……塩水じゃろ? ここの水は?」


「うん。確かにしょっぱいけど……え?」


「もしかしてセルス様」


「「塩だめ?」」



 子供たちからの質問に

 セルスは完全に目線を逸らしてようやく頷く。

 そして渾身の水着を纏う美女は

 唇を尖らせながら不貞腐れたように呟いた。



「とける」


「「溶ける!?」」


「浸透圧って奴ですね。これは仕方無い」


「海ダメな連中多くないウチ!?」


「ですねー。ますます水練の需要が高まりましたね」



 ベリルの肩にやや重みを付けて手を乗せると

 ギドは怖いくらい満面の笑みを少年に向けた。

 そうしてようやく本格的な水練が始まる。

 水中戦闘、とまではいかずとも、

 せめて水の中を泳いで逃げ隠れ出来る程度の

 水泳技術を身につけさせるのがギドの方針だ。


 早速塩水に浸かる事の出来るギドとシェナが、

 二人でベリルの泳ぎをサポートする。

 まずはシェナに手を持って誘導してもらい、

 五歳児はパタパタと一生懸命足を動かしていた。



(可愛い……)


「シェナさーん? 後ろに岩ありますよー?」


「うぇ!? あがっ!?」


「ドジねシェナ」


「うっさいわね! ぃッつ〜〜!」


「ねぇギド? どんどん仲間が減ってくよ?」


「魔の湖ですね~怖い怖い」


「笑い事じゃ! っ……痛っあぁ……」


「……大丈夫?」



 あまりにも苦しそうな声を上げるので、

 ベリルは彼女に近付き顔を覗く。

 が、そんな少年に向けてシェナは

 突っぱねるように浮き具を差し出した。



「私ちょっと休むから

 アンタはこれ使って練習してなさい!」


「えー……」


「一人で出来たらアイス買ってあげるから!」


「いや要らないよ。人間の食べ物なんて」



 ブーブーと唇を尖らせて、

 ベリルは一人浮き具を頼りに泳いでいった。

 そんな彼の背中を笑顔で見送りながら、

 ギドは嘲笑じみた声色でシェナへと向く。



「物で釣るにしても、もう少し無かったんですか?

 そんな調子じゃ『頑張りま賞』止まりですよ?」


「良いでしょ別にっ! ベリルも前食べてたんだし」


「――え?」


「ほら。皆でペツの体作ってた時あったでしょ?

 本人は疲れ果ててたから忘れてるみたいだけど?」


「……因みにそれは、どの店――」



 ギドがそう問おうとした正にその時、

 二人の居る水域が赤く濁りだした。

 ――血だ。魔物が慣れ親しんだ血の香り。

 しかし今回のそれは人間の物では無い。

 ギドはその血が一体誰の物か瞬時に見極め、

 慌てた様子で手を伸ばした。



「失礼シェナさん!」


「きゃ!?」



 ギドは水中からシェナを持ち上げ岩場に乗せる。

 全身が晒された事で怪我をした本人もようやく

 その尋常ではない痛みの正体を認識した。



「なに……これ?」



 彼女の足には、青黒い色調の()が刺さっていた。

 しかもそれは茨状に分岐していたため

 再生能力を有するシェナでも、否、

 再生能力を有するシェナだからこそ

 簡単には引き抜けない凶悪な楔と化していた。



「ねぇちょっとギド! これは一体!?」


「……棘鱗鮫(スカーメイカー)



 ギドが思い当たる名を口走った次の瞬間、

 今度は浜の方からセルスとペツが叫び出した。

 その表情は今までに見たことも無いほど

 焦りの感情に染め上げられた物だった。



「ギドぉ! 後ろじゃァッ!!」


「ッッッ――!」



 この時ギドは己の不覚を恥じていた。

 いくらシェナの傷口に気を取られていたとはいえ、

 今この場で最も守るべき存在から一瞬でも

 意識を外していた事を。



(私もまだまだ『頑張りま賞』……!)



 刹那、波が立つ。

 一瞬で視界を覆うほどの荒波が、

 陽光に晒されたその巨大魚影(シルエット)を投影する。

 現れたのは刺々しい見た目の大きな鮫。

 ギロリと睨む眼光が鋭く魔物たちを刺す。



「!? ベリル!」



 またその棘の鱗には、

 脱力したベリルが引っ掛かっていた。

 しかしその事に気付いたシェナが手を伸ばすと、

 同時に鮫は全身から青黒い棘の鱗が放出する。

 それは背の高い波の裏に隠されて

 只人であれば回避不能な速度を持っていた。


 だがそこはそれ。対峙するは魔物のギド。

 魔物一家の大黒柱はシェナを抱き上げると

 即座に荒れ狂う波を蹴飛ばし海面を滑走した。

 そして迫る棘鱗(きょくりん)のミサイル数発を

 彼は魔力で硬化させた己の片腕のみで叩き落とす。

 そうして彼らは無事浅瀬まで帰還した。



「ギド様! ご無事ですか!?」


「ペツ、私の剣を。シェナさんの足を斬ります」


「っ……ちょっとギド! 何なのあれ!?」


「悪食魚類『棘鱗鮫(スカーメイカー)』……純然たる魔物です」



 魚影の正体は海の魔物『棘鱗鮫(スカーメイカー)』。

 触れる者皆傷付けると謳われる怪物で、

 よく悪天候に乗じて船底に穴を開けては

 船ごと乗組員を喰らい尽すという化け物。

 あまりにも凶暴かつ積極的に人を襲うので、

 その姿は海の魔物の代表例となっている。

 故に――轟く通称は『海魔』。



「自身の縄張りには棘の結界を張ります

 シェナさんの足に刺さったのはそれでしょう」


「再生持ちの私で良かったわよ……で、対話は?」


「知性なんて皆無の、災害のような魔物です」


「そ。じゃあ……」


「ええ。ベリルを取り返したら殺処分です」



 どうせ再生するシェナの足を斬り飛ばすと、

 ギドは口角を吊り上げ魚を狙う。

 ――と、同時にペツが再び

 機械仕掛けの体に憑依して飛び出した。

 半壊中とはいえその火力は健在。

 彼は突き出す焔の柱で先制攻撃を仕掛ける。

 が、鮫はペツの攻撃に気付くや否や

 海中に潜って苦労なく難を逃れた。



「あら賢い」


「感心してる場合!?

 水中に潜られたら攻撃出来ないじゃない!」


「どころか、ベリルちゃんの息が保たんぞ!

 どうするんじゃギド!」


「……私がどうにか敵の姿を露見させます

 セルス様は奴を狙い撃ってください」


(狙い撃つ?)


「チッ、奥の手じゃがベリルちゃんの為じゃ!」



 そう言うとセルスは

 単眼のスライム形態へと移行し

 シェナの腕の中に真っ直ぐ飛び込んだ。

 そして自分を高く持ち上げるよう指示すると、

 彼女は釘付けの魔眼にある物を集約し始める。



「いつでもやれ! ギド!」


「承知。では早速!」



 白衣の剣士は納刀したままの剣に

 手を添え構えを取った。

 直後、迸る黒と白の魔力が

 まるで墨や煙の如く滑らかに歪む。

 そして、世界が一瞬モノクロに染まった。



「シャッ――!!」



 その太刀筋を魔物たちは目で追えなかった。

 しかし何が起きたのか、その結果だけは、

 否が応でもその五感で体感させられた。

 気付けば眼前の湖が、その大量の水塊が、

 パックリと左右に両断されていたのだ。

 斬られた直線上に水は無く、

 湖底に沈んでいた大量の人骨も露見する。



(これはまた、随分と食い散らかしたようで)


「――居た! 鮫が切断面から出てきたわよ!」


「! だそうですよセルス様!」


「心得た。チャージ完了。喰らえ奥の手――」



 セルスが集約していたのは『光』。

 その半透明なプルプルの体に

 莫大な太陽光を掻き集めて一点に溜めていた。

 そして十分に蓄えられたそのエネルギーは

 瞳の開眼と共に外部へ解き放たれる。



「――『流星光帝(ゾスラ)』ッ!!」



 緑の粘体から放たれた光線が虚空に軌跡を刻む。

 それは露見した鮫の胴を狂いなく貫通し、

 やがて水平線の彼方にまで至って爆発した。

 またその余波が浜辺にまで到達するよりも前に、

 ギドとシェナは同時に割れた湖を駆け抜けて

 激痛に怯み白目を剥く鮫の元まで接近した。



「生きてるベリル!?」


「ぷはっ……! はぁ……!」



 びしょ濡れのベリルは

 シェナの呼び掛けに反応して呼吸を再開した。

 だが同時に鮫の至近距離にいた少年は

 その首裏に付いていた『ある物』の存在に気付く。



(これは――『名札(ネームタグ)』?)



 直後、再び鮫の黒目がギョロリと動く。

 そして今正に攻撃を狙っていたギドを視認すると

 棘鱗鮫(スカーメイカー)は獰猛に叫び大量の鱗を放出した。

 その乱れ撃ちを前にギドは退散を余儀なくされ、

 また鱗に引っ掛かっていたベリルは

 乱射に伴って撃ち出されつつ解放される。


 幸いすぐにシェナが駆け寄り彼を保護したが、

 同時に割れた湖の断面が再び崩れ、

 二人は一瞬で大量の水に飲み込まれてしまった。



「ぱぁっ! ベリル! ……ベリル!?」



 少年からの反応は無い。

 激流に押し流され彼はまた気絶していた。

 それでもシェナは必死にベリルを抱え

 最寄りの岩場までの避難を果たすと、

 乱れた呼吸の整理もほどほどに、

 少年の顎を持ち上げ、人工呼吸を開始する。

 その懸命な救命処置の甲斐もあってか、

 ベリルはすぐに呼吸を再開した。



「ぅぁっ……ハァ!? っ……シェナ!?」


「なぁー……にっ、心配そうな声出してんのよ?

 さっきの唇の柔らかさでも噛みしめてなさい……」


「二人ともここに居ましたか!」


「「ギド!」」



 水の上を駆け抜けてギドはすぐに二人と合流した。

 だがそれと同時に鮫は再び襲撃の気配を見せ、

 三人の乗る岩場の周囲をグルグルと回り始める。

 が、それだけでは終わらない。

 なんと鮫は魔物たちが手を出せない水中から

 棘のミサイルを岩場に撃ち込み始めたのだ。



「!? 足場を壊す気ね!?」


「あら賢い」


「だから感心してる場合!?

 アイツめちゃくちゃ知性あるじゃない!?」


「おや? 言われてみれば確かに?」



 棘鱗鮫(スカーメイカー)が行う狩りの手段として

 最も頻度が高い物は速度と棘鱗に任せた突進だ。

 偶に長生きの個体が鱗飛ばしを覚えるが、

 それでも今回のような使い方をする事は無い。

 危険を判断し、潜水を上手く活用し、

 ここまで追い詰めるほどの知性は本来無い。


 その事実から芽生えた疑念が払拭出来ず、

 ギドは敵の眼前であるにも関わらず長考を始め、

 そんな彼の様子にシェナが慌てだした。

 しかし、年上たちが狼狽えるそんな状況下で、

 最年少の魔物だけが既にその答えを得ていた。



「さっき名札(ネームタグ)が見えた……」


「「え?」」


「見てて――『ヘリオ』!!」


「ガヴっ?」



 名前を呼ばれた鮫は水面から顔を出した。

 明らかにその動きは躾けられた物だった。

 そこから推測される事はたった一つだけ。



「あの鮫。()()()()()()()()()んじゃない?」


「……有り得る話、ですね

 棘鱗鮫(スカーメイカー)の稚魚は見た目だけなら愛らしい方です

 棘が生え揃う前なら、飼って躾けられなくも無い」


「飼い主は人間?」


「恐らく。ペットという慣習は魔物にはありません

 そして手に負えなくなって捨てたのでしょう」


「っ……」



 ベリルはギドの推理に納得し、

 そして胸の奥底から湧き上がってくる

 冷たい感情の発露を知覚していた。

 だがそんな少年の想いを遮るかのように、

 ギドはわざとらしく剣を鳴らして言葉を繋げる。



「襲ってくるする以上殺処分に変更はありません」


(襲って、くる?)



 確かに岩場を砕きに掛かる棘鱗は

 傍目からは襲撃されているようにしか見えない。

 がしかし、果たして本当にそうなのだろうか?

 この時のベリルはセルスの言葉を思い出し、

 相手の心を、求めている物を盗もうとしていた。



「なら――!」



 その結果、ベリルは自ら湖に飛び込んだ。

 水練すら今日始めたばかりの幼子が、

 魔の鮫が回游する危険地帯に全身を差し込む。

 あまりにも予想外過ぎる出来事に

 その場の誰もが次の思考まで時間を要する中で、

 少年は不格好な泳ぎで鮫に近付いていく。



「おいで! ヘリオ!」



 呼ばれた鮫が幼き天魔に突進した。

 その際に鮫の棘が少年の軟肉を裂き、

 少なくない血潮を海水に染み込ませる。

 そしてその直後、鮫の遊泳スピードが上がった。



「ッ!? まずい、血の匂いで凶暴化している!」


「なっ!? ッ――ベリル! 早く逃げなさい!」



 シェナが叫ぶがベリルは動かない。

 否、茨の如き棘が刺さって動けない。

 それに気付いたシェナは

 ギドに鮫を殺すよう懇願するが、

 剣士が攻撃するより先にベリルが叫ぶ。



「止めて! もう少し……もう少しだから!」


(ベリル……!?)


「っ……ヘリオ。僕の声を聞いてよね……!」



 水責めに苦しみながら、流血に苦しみながら、

 少年はその短い手を棘鱗鮫(スカーメイカー)の方へと伸ばす。



「君は、もう一度遊んで欲しかったんでしょ?」


「――――」


「もう一度名前を呼んで欲しかったんでしょ?」


「――――」


「もう一度、こうして()()()()()()()()んでしょ?」



 少年の伸ばした手は、遂に海魔の頬に触れる。

 触れる物皆傷付ける棘鱗鮫(スカーメイカー)を、

 ベリルは真正面から受け止め抱き寄せる。

 その温もりを、ヘリオが求めていた物だった。


 刹那、海魔の脳裏を瞬く間に記憶が駆け巡る。


 バケツの中で稚魚の自分を眺める少年の顔。

 名前を付けて撫でてくれる少年の笑顔。

 共に水辺を泳いで、笑い合ったその笑顔。

 そして、自分をこの湖に捨てた、あの日の顔。

 それらの顔が、別人であるベリルの顔と重なった。



「ガァァァ――――アアアブ!!!!」



 気付けば鮫は咆哮していた。

 咆哮し、そのまま水中へと潜ってしまう。

 当然ベリルもまたその潜水に巻き込まれ、

 暗い水の中へと消えてしまった。


 その光景にシェナは今にも泣きそうになって叫び、

 ギドは焦りを一切隠せない様子で水面を凝視する。

 だがその直後、再び鮫は水面に飛び出した。



「ガァブ! ガァブ!」


「あっはは! 速いよヘリオ!」



 少年は鮫の背中に乗っていた。

 天魔は海魔と友情を結ぶ事に成功する。



「なんて……大胆な子……」


「今回ばかりは、流石に度肝を抜かれましたね……」


「あ! おーい! シェナー! ギドー!」


「「あ、あははは……」」



 疲れ切った二人は同時に岩場に座り込み、

 乾いた笑顔で楽しげな少年に手を振り返した。



 〜〜数時間後〜〜



「えー? もう帰るのー?」



 すっかり辺りも真っ赤に染まるまで

 ベリルはヘリオと遊び続けていた。

 棘鱗で負傷していたはずなのに

 これほどまで元気一杯だったのは

 やはり彼もまた魔物であったからだろう。



「もう少し遊びたいよー」


「たわけ! 妾の治癒魔法で

 治せる範囲だったからまだ良かったが、

 脳天や心臓を貫かれてたらお終いじゃったぞ!」


「えー? そんな事しないよねーヘリオー?」


「ガブ! ガブ!」


「すっかり仲良くなりましたね」


「ねぇ? やっぱりウチで飼うのは」


「いやそんなの出来る訳無いでしょう!?

 ……また遊びに来たら良いじゃない?」


「だね。――じゃあねヘリオ!」


「ガァブ!」



 水面から顔を覗かせるヘリオに

 ベリルは笑顔で手を振った。

 やはり鮫は言葉を理解しているらしく、

 ヘリオもヒレで振り返す仕草を見せていた。



「はぁー本当に賢い個体じゃのー」


「そういえばセルス様。当方の見間違いでなければ

 途中何やら悶絶していませんでしたか?」


「そうなの?」


「いやあれは……!

 シェナの奴がいきなり()()()からじゃ!」


「え? 私何かしたっけ?」


「無自覚! あぁエッツィ! ……うぐ!

 やはり今回のイベント、参加して良かった……!」



 一人何かに喜ぶセルスは

 人間形態とスライム形態を反復横跳びするように

 交互に擬態を繰り返し仲間の周りを跳ねていた。

 そんな彼女の面白可笑しい様子を、

 鮫は見えなくなるまでジッと観察していた。



「――ガブ」



 〜〜翌日・ベリル宅〜〜



 朝っぱらから戸を叩く音が鳴り響く。

 それは時刻も相手の事も気に掛けない轟音で、

 かつ訪問者の粗暴さを直接伝えるようだった。



「んー……うるさっ、誰?」


「待ってくださいベリル。此処は私が」



 魔物の家への、予定にない来訪者。

 ギドは剣こそ持たないが出来る限りの警戒をする。

 そして扉を開けて見れば其処には、

 上半身半裸の金髪褐色美男子が立っていた。



「お、()()()()()! お早うさんっす!」


「……は?」


「ねぇギド、誰? 知り合い?」


「はぁあっ! 大将! 会いたかったっすよ!」


「え? うがっ!?」



 海の似合いそうな、水も滴る美男子は、

 まるで分別の付かない子供のように

 自分の何倍も小さな少年に抱き付いた。

 と同時に、彼の首から一枚の名札(ネームタグ)が垂れる。



「え? まさか!?」


「そうっす! ――ヘリオっす!」


「はぁ!?」


「大将に会いたかったんで! 化けて来たっす!」


「はぁぁぁぁぁあ!!!?」



 あら賢い。

 そんな程度で済むほどのヘリオでは無かった。


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