拾参頁目 心ト云ウ臓器
最強の魔物と言えば誰だろうか?
魔物被害が深刻だった時勢であれば
酒のつまみにするにしても
些か不謹慎さを隠せないこの話題も、
勇者が魔王を撃ち落とした今なら
各地の酒場で度々話題に出来た。
ある冒険者は酒瓶を片手に語る。
「そりゃあ山神と謳われた巨大ムカデだ!
何千もの人間を喰らい、山々を喰らい、
そして遂には国を喰らった伝説の魔物!」
「確かに!」
「あれはヤバかった!」
「でもそいつ勇者一行に討伐されたじゃん?」
ある機械技師は冷静に語る。
「討伐報告の無い魔物限定というなら俺は、
ナバール朝に出没する神獣サソリを推すね
聖騎士団も討伐に向けて動いてると聞く」
「聖騎士様が動くのか!」
「なら討伐報告が上がるのも時間の問題だな!」
「てかそいつ、あんまパッとしねぇだろ!」
ある酔っ払いは煽るように語る。
「ここまで『蝕蛇』の名前が無いのは嘘だろ!?
通り道を結晶で蝕む白くて巨大な蛇の魔物!
見た者は必ず死ぬ、最強格の魔物じゃんかよ!」
「いやお前……それは……」
「空想上の生き物じゃん」
「存在すら証明されてない奴の名前出すなよ」
酔いも次第に落ち着きだし、
朧気ながらも冷静さが顔を覗かせる。
そのうち宴もたけなわと言い切る前に、
まずは酒の肴を片付けたい。
「ならやっぱり……最強は魔王軍の誰かか?」
「てなると結局魔王じゃね?
勇者とのあの戦いは全人類が目撃したんだ
証人は腐る程居る、異論はねぇだろ?」
「いや討伐報告無い奴限定だろ~~?
俺はさっきそれで否定されたかんなぁ~!」
「分かった分かった……確か四天王の中に、
戦争では討ち取れなかった奴が居たよな?」
「傾国のセルス、か」
歴代最強の魔物と聞かれれば、
答えは人それぞれで結論は出ないだろう。
だが、当代最強の魔物と聞かれれば、
人間たちの中には確かな共通認識があった。
絶世の美女となり鮮やかに人を騙すスライム。
四天王紅一点にして搦手専門のセルスだろう、と。
「「しょっぱいなぁ……」」
~~翌日・ナバール朝・アルカナム~~
「……久しいのギド」
「私も会えて嬉しいです」
聖騎士との激闘に疲弊したベリルたちは
アルカナムで一夜を明かす事となる。
その間にもセルスとギドが対面する機会は
十分にあったはずだったが、どうやら彼女はまだ
二人きりで会う気にはなれなかったらしく、
ベリルらの起床を待ってからギドと対峙した。
「いや~相変わらず美しいですね」
「……」
「今日までどう過ごしていたんです?」
「……」
「おや! もしかしてネイル変えました?」
「……」
((す、すごく無視されてる))
人間たちも居るカフェテラスにて談笑、
もとい壁打ちのような虚しい
コミュニケーションを続けるギドを眺め、
二人の横の席を陣取ったベリルとシェナは
彼らの動向に一喜一憂していた。
(セルスさんとギドってどういう関係?
はっ! まさかっ……元恋仲ッ――)
「――ねぇシェナ」
「うわぁ!? 何!?」
「スムージー無理。飲めない……」
魔物特有の味覚では人間用の味付けは受け付けない。
ただの水か、或いは人肉等といった混入物が
隠し味にでも使われていない限りは、
スムージーのように滑らかな飲料ですら
ベリルの喉を通過する事は叶わなかった。
(何で頼んだのよ?)
(シェナが飲んでたから、イケるかなって……)
(私はアンタらとは食性からして違うんだから!
あと……エリーに沢山食べさせられたし?)
(慣れる物なの?)
(いや? 大半は消化出来ないし味も普通に嫌い
だから……これは単なるパフォーマンスね)
(パフォーマンス?)
(お店で何も頼まない客とか不自然過ぎるでしょ?
それに、私みたいなスーパー美少女は
こう言う洒落た物を持ってた方が画になるのよ)
(見栄っ張り)
(悪かったわね! ……ん? てかアンタっ!
口からも溢してるじゃない!?」
「あ、ほんとだ」
「はぁ……ほら動かないの。じっとして」
心底面倒臭そうな声色で、
しかしそれに反した優しい手つきで、
シェナは少年の口元に付着した水分を
自分用だった布巾で拭い取る。
対するベリルもそれを受け入れ、
自分の顔をなすがままにされる状況を
忌避感無く無抵抗に許容していた。
そんな二人の姿は、
今度はセルスの方から覗かれていた。
(かッわいいなァ……!!)
ギドの方には完全に背を向けて、
セルスは頬杖を突きながらいじらしく紅潮する。
幼気な男女の乳繰り合いは瞳魔の大好物。
大嫌いなギドと無益な会話をするよりも
健全な少年少女の営みを愛でて癒やされる事の方が
彼女にとっては何千倍も優先度が高かった。
あの二人は普段はどんな会話をしているのか?
最初に会った時も手を繋いでいたが
果たして二人の仲はどこまで進んでいるのか?
どんな顔で困り、どんな顔で照れて、
そしてどんな顔で笑うのか?
瞳魔は膨れ上がる妄想を糧に恍惚する。
(エッチじゃのぉ~~)
「――という事で、おや?
聞いてます? おーい? セルス様ー?」
「チッ……死ねクソ」
「流石に対応が違い過ぎません?
昔は私の事も可愛がってくれたじゃないですか?」
「そりゃあ昔は可愛かったからのぉ?
だが今はどうじゃ? 顔が良いだけのクズじゃろ」
「これは手厳しい」
「フン、自覚しておろうに。でなければ――」
再びセルスは頬杖を突き子供たちを眺める。
しかし今度の目は酷く冷めていた。
「――あの子らを妾を釣る餌には使わんじゃろ?」
ギドはいつもの笑顔で何も答えない。
しかしそれが何よりの肯定でもあった。
自分が嫌われている事をギドは自覚していた。
自覚していたからこそ自分は決して姿を見せず、
そして彼女が喜ぶであろう組み合わせを
たった二人きりで異郷の街に解き放ったのだ。
「二つ、質問に答えよ」
「何なりと?」
「聖騎士は貴様の差し金か?」
「いいえ。後から聞いて自分の迂闊さを恥じました」
「……では次。むしろこちらが本命じゃ」
鋭い眼が滑らかに向く。
「ベリルには、どこまで話した?」
「なにも。まだその時期では無いですから」
「……フン」
ハッキリと相手に聞こえるように
わざとらしくセルスは鼻を鳴らして会話を断つ。
そして緑の黒髪を靡かせ淑やかに席を立つと、
彼女は何も言わずベリルたちの方へと歩を進める。
そんなセルスを呼び止めるように、
妖艶に開いたその背にギドは言葉を投げた。
「私的には貴女にも彼の教育を――」
「――皆まで言うな。ベリルちゃんの育成
貴様に頼まれるまでも無く妾たち全員の責任じゃ」
「! ふふっ。快諾、心より……」
「そして、肝に銘じておけ」
瞳魔の眼が再びギドを睨む。
白目部分を黒く染めたその眼光は、
今までのどの目よりも冷酷で、
かつ嫌悪に満ち満ちていた物だった。
「あの子を貴様の操り人形にはさせん」
「そんな気はありませんが……覚えておきましょう」
いつもの貼り付けたような笑顔でギドは答える。
だがその笑顔は、いつもより少し固かった。
透き通る水面に僅かな波が立ったかの如き変化に
セルスはひとまず満足して再び歩き出す。
そしてシェナの椅子に手を掛けると
こちらを見上げる幼子に優しい笑みを返した。
「鍛錬したいのじゃったな? 鍛えてやるぞ」
~~~~
ナバール朝の主要都市は地下を移動する。
その周期は利用する地下水源の規模によって
最短半日、最長三日とまちまちではあるのだが、
国境沿いの拠点や各都市の宿屋などには
ほぼ正確な時刻表が掲示出来るほど
計画的に管理、実行されていた。
故に観光客はその時刻表に予定を合わせ、
自分が離脱したい位置に都市が転移した時、
まるで列車から降りるように帰路につく。
それはベリルたち魔物陣営も同様で、
再びアルカナムがオラクロンに近付くまでの
残り一日を、既に目的を果たした彼らは
観光兼学習の余暇時間として過ごす事になる。
特にベリルの鍛錬を引き受けたセルスは、
早速彼を連れて街中の小さな噴水前まで移動した。
其処は街の中心からは外れており
人目も数えるほどしか無かったのだが、
同時に戦闘訓練をするには些か狭い場所だった。
「ではベリルちゃん。早速、授業を始めようか」
「は、はい……!」
「初回はカップリングにおける攻めと受けの概念じゃ」
「はい?」
「元々は男色家専用の言葉じゃったが
これを軽視すれば最悪解釈違いで妾が死に――」
「すみません。何の授業?」
「お主を妾理想のショタにする授業」
「……戦闘訓練がしたいです」
「むっ? なんじゃつまらんの~……」
心底落胆したような声を上げると
セルスは噴水のベンチに腰を落とす。
先程までの弾む声は何処へやら。
彼女は遊びの無い表情で問いかける。
「お主は今、どの程度の事まで出来る?」
「魔力操作で? えーと……
翼の形成と刃化、あとは放出くらいかな?」
「つまり迷宮で出した技が全てじゃな?」
まぁそんな所だと思ったわ、と呟くと
セルスは自身の長い髪の毛を一本抜く。
そしていつの間に盗んだのか、
懐からベリルの黒い羽根を取り出すと
それらを結び付けて少年に手渡した。
「最終目標は『刃根の複数遠隔操作』
その第一段階としてまずはこの毛糸を操ってみせよ」
「……毛糸の方を?」
「そうじゃ。遠隔操作の原理はコレと変わらん
最終的には直接己の魔力と繋げて操るのじゃ」
セルスは実演混じりに解説をくれた。
彼女はベリルの手から直接触れる事なく、
羽根をふわりふわりと浮かして操って魅せる。
この羽根が他人の魔力由来の物であるから
これでも遅いくらいだ、とぼやきながら、
やがて達人は流れる水の如き動きで
羽根を少年の手の中へと戻した。
「ではやってみよ。また様子を見に来る」
「え? どこか行くの?」
「ちとな」
そう言うとセルスは一瞬で姿を変える。
現れたのは顔の形も髪の色も別種の美女。
自身の特徴的な黒緑の瞳を隠すように
白いレースのアイマスクベールを被った、
清楚な印象を与える乙女であった。
~~~~
「もし? 少しお尋ねしても?」
(うぉっ!? すっげぇ美人ッ!)
「あのぉ?」
「あ、あぁ失礼レディ!
我々国境警備隊に何でもお申し付けください!」
「では遠慮無く――聖騎士様の宿を知りませんか?」
「? いやっ、それは流石に……」
「まあ! 何でも申しつけてと言われましたのに?」
「げ、限度という物が――」
魔眼、発動。
(あ、れ? 何だ? この人から目が離せない……)
「どうかされましたか? お兄さん?」
「いや! そのっ……近っ……」
「そう警戒なさらずに
私はただ……お礼がしたいだけなのです」
「お、お礼?」
「ええ。実は先日聖騎士様に助けて頂きまして、
助けられたのなら私……お礼は惜しみませんのよ?」
「んっ……特別ですよ?」
一体何の期待をしてしまったのか、
警備隊員は女に情報を渡した。
~~~~
「豪胆だね……セルス様」
一部始終を見ていたベリルは、
元の姿を取り帰還した彼女に声を掛ける。
そんな彼が握り締める毛糸は
魔力操作によって生き物の如く動き、
既にその先に結い付けられた一枚の羽根を
重力に逆らって持ち上げていた。
(――! なんと、もう出来たのか)
「ふふん?」
セルスの驚く顔に自信が付いたのか、
少年は分かりやすく胸を張り上げ鼻を鳴らす。
だが新しい指導者から帰ってきたのは
彼の予想とは真逆の評価であった。
「何故さっさと次に進まんのじゃ?」
「へ?」
「原理と最終目標はさっき説明したじゃろ?
なら次は何をすべきか自分で考え実行せぬか」
「はぁああああ?」
少年は唇を尖らせ不平不満を垂れ流す。
次に何をするのかなど教えて貰っていないのに、
先に進める訳が無いだろうと文句を言った。
だがそんな彼の愚痴を一通り黙って聞き終えると、
セルスはゆっくり近づき、彼の額を弾く。
「あいたぁ!?」
「うつけめ。指示が無ければ何も出来んのか?」
「で、でも……」
「でもでは無い。次からは一を聞いたら十をしろ」
「!?」
言葉では理解出来る。
が、ベリルの心にはそれほど響かなかった。
齢五歳にしてかなり頭の回る彼には、
それが如何に難しい事かを察せられたからだ。
また返事をするでも無く
ただバツの悪そうに視線を背ける少年の
反応を確認したセルスはそこからあざとさを見出し
頬を緩めて口元をだらしなく歪める。
と同時に、彼女は師としての役割も果たす。
「受け身の姿勢では学習機会を損なうだけじゃ
……後学のためにもここは一つ実演してみるか」
「? 何をするの?」
「なぁに、別に大した事では無い
妾の仕事振りを後ろから見学するだけじゃ」
~~~~
二人が向かったのは昨日殺した聖騎士の宿。
人界の守護者だというのに彼が利用していたのは
他の冒険者と何ら等級の変わらない
平素な宿泊施設だった。
(セルス様の仕事振り、か……)
そんな宿の入り口で中の様子を伺いつつ、
魔物の仔は瞳魔の横顔をそっと見上げた。
元魔王軍四天王セルス・シャトヤンシー。
その仰々しい肩書きを最初に聞いた時、
ベリルの抱いた感想は「これが?」だった。
最初に目撃したのが自分たちは勿論、
聖騎士からも逃げ回る姿だったがために、
正直ベリルはセルスの事を舐めていたのだ。
またその感想は実態を知った今でも
あまり変わらず、それどころかむしろ、
性格や能力を知れば知るほど
ますます彼女が四天王だとは思えなかった。
(単純な戦闘能力なら……多分ギドの方が――)
「どうしたのじゃベリルちゃん?」
「……なんでセルス様はギドの事が嫌いなの?」
思わず聞きたくなった質問をベリルは解き放つ。
対してセルスは「そんな事か」と呟くと、
宿の入口からは決して目を逸らさないままに
淡々と驚くべき事を口にする。
「ギドが妾の事を嫌っておるからじゃ」
それはあまりにも予想外過ぎる回答で、
気付けばベリルはセルスの横顔を凝視していた。
しかし大人はそれ以上何も語ってはくれず
やがて押さえ込むように少年の頭を撫で回す。
「心という臓器はそれだけ謎深いのじゃ
学べば学ぶほどに……どんどん分からなくなる」
「どう、いう……?」
「妾もまだまだ勉強中、という事じゃ
――っ! すまんが話はまた今度にしよう!」
突然、セルスはベリルの手を引いた。
そして適当な男性客の後にピッタリと張り付くと、
さも「この人の連れですよ」と言った雰囲気で
堂々と宿の中へと侵入していった。
そうして奇異の眼差しを回避すると、
彼女はほんの数分足らずで目的地に忍び込む。
「部屋は、ここじゃな」
「何で分かるの?」
「扉に聖騎士愛用の警報魔法が掛けられておる
……当人が死した今、何の意味も無いがのぉ?」
悪辣な笑みを浮かべ、セルスは堂々と扉を開く。
瞬間、魔法が作動し爆音の警報が飛び出したが、
同時に彼女が発動した『釘付け』の魔眼によって
耳障りな音は全て彼女の瞳に吸収された。
指向性を与えられた音は隣人にすら感知されず、
美女が術式を指で弾くと無力にも消滅する。
「!? そんな事まで出来るんだ?」
「ふっ当然じゃ。潜入、密偵こそ妾の花道ぞ」
両手で後ろ髪を払いながら、
セルスは堂々と死者の領域に足を踏み入れる。
その後彼女はスライム形態へと姿を戻すと、
部屋の隅々にまで触手を伸ばして物色し始めた。
荷物や書類、果てはゴミ箱の中までひっくり返し、
特徴的な単眼からそれら全ての情報を流し込む。
(す、すごい……)
彼女があまりにも忙しなく動いていたので、
声でも掛けて邪魔をしてはいけないと判断し
遂にベリルは閉口してしまった。
が、そんな彼の様子に気付いたのか、
セルスは作業を続けながら鼻を鳴らす。
「別に喋り掛けても良いぞ?」
「あ、そうなの?」
「当然じゃ。むしろ黙って見ているだけで
お主はどれほどの事を学べるというのじゃ?」
「む……」
受け身の姿勢では学習機会を損なうだけ。
ほんの少し前に言われた言葉が脳裏を過ぎる。
慌ててベリルは出来る事を探してみるが、
瞬く間に物品を処理し続けるセルスに対して
やはり「凄い」以外の感想は出て来ない。
次第にその思いが心の奥底まで染み込み始め、
やがて少年は自分の浅慮を恥じた。
「セルス様は、ちゃんと四天王だったんだね」
「何じゃ急に? 今まで疑っておったのか?」
「うん」
「うん!? それはまた心外じゃの~~!」
「ごめんなさい。でもその考えはもう改めたよ
だってセルス様には便利な魔眼があって、
何にでも変身出来る擬態能力もある
そりゃあ四天王にも選ばれるよねって感じ」
「ほーう? それはまた心外じゃの~~!」
「台詞間違えてるよ」
「間違っとらんわ。今の感想は妾への侮辱じゃ」
「へ?」
予想外の返事にベリルが動揺した直後、
彼らの居る部屋に慌てた足音が接近した。
その音に驚愕したベリルは思わず
翼を出して臨戦態勢に入ろうとしたが、
そんな彼の肩を後ろから鷲掴みにすると、
セルスは少年をベッドに放り投げた。
投げ込まれ、布団を被されるほんの一瞬で、
彼はいつの間にか部屋が当初の状態に戻され、
そして美女が緑色の鎧甲冑を纏う騎士へと
変貌していく様を目撃する。
(まさか……!? 応対する気!?)
布団の中に体が隠されるとほぼ同時に、
聖騎士に化けたセルスは扉を開ける。
直後現れたのは数名の国境警備隊員だった。
「あぁ良かった聖騎士様! ご無事でしたか!」
「実は、恥ずかしながら我が国の警備隊員が
怪しい女にこの場所の情報を漏らしまして……」
「何か、問題は起きませんでしたでしょうか?」
兜で顔を隠したセルスは無言で頷く。
そして警備隊員が慌てて告げる文言に
適当な相づちを打って合わせると、
彼女は荷物の中から一枚の紙を取り出す。
警備隊員たちの前に突きだしたソレは、
一部に赤丸が付けられた街の時刻表だった。
「ん? あぁ……この時間でお帰りに?」
騎士は頷く。
「なら、あ、あと数時間ですね!?」
どこか声を弾ませる警備隊員。
そんな彼に聞こえるように鼻を鳴らすと
聖騎士の形をした何かは
彼の肩を数回、優しく叩いて頷いた。
その後は大した要求もせずに、
警備隊員たちは胸をなで下ろして退散する。
彼らが完全に消えたのを確認すると、
聖騎士もまた本当の声を解放した。
「もう良いぞベリルちゃん」
「……一体、何がどういう事だったの?
何でさっきの人間たちは
あんなにも簡単に引き下がったの?」
「妾が求めている物を与えたからじゃ」
「何か渡したっけ?」
「ああ与えたとも。奴らが欲していた物――」
ナバール朝という国家にとって
エルザディア教の聖騎士は外国から来た要人。
そんな彼にもしもの事があれば国際問題となる。
ただのイチ公務員である国境警備隊の人間に
その責任を抱え込める技量は無い。
故に彼らは求めていた。
速やかに現状を把握し情報を共有し、
最悪の場合には諸々の補填まで視野に入れて
一刻も早くそれが手に入る事を求めていた。
即ち――
「事態解決という『安心』じゃ」
騎士がもうすぐ帰ると聞き警備隊は安堵した。
国際問題は回避出来そうだと胸を撫で下ろした。
それさえ与えればコイツらは帰ると踏んで、
その心情を読み切ってセルスは対応したのだ。
やがて彼女は重たい兜の擬態を解く。
現れた顔にはやはり特徴的な黒緑の瞳があった。
「先程お主は、妾がさも能力の便利さのみで
四天王に成り上がったかのように評していたな?
じゃが妾の擬態はこの通り、必ず魔眼が露出する」
「……え?」
「瞳の情報はそこまで漏れておらんから
別にこの姿で大っぴらに活動しても問題ないが、
やはり潜入中はベールや兜で隠さんと不安よな」
「た、確かに」
「つまり妾は何も能力のみで登用された訳では無い
妾を四天王にしたのは相手の心を盗む技術……
能力や生態とは違う、妾の培った処世術じゃ」
「相手の心を、盗む技術……!」
「そうじゃ。それさえあれば美貌も魔眼も要らん
凡人ならば妾の言葉のみで堕としてくれよう
お主も肝に銘じておけ――」
美しき瞳の魔性は自信に溢れた横顔を魅せた。
「他者の心を理解するなど不可能じゃ、がそれでも!
常に相手の求めている物を考ろ! 心を盗め!
どんな成功体験もその先に必ず転がっておるわ」
「――!」
ごくりと少年は喉を鳴らす。
今度の言葉は、少年の中に深く刻まれた。
~~同日・夕刻~~
そろそろ帰り支度も必要となる頃。
魔物たちはギドの所へ集合する。
「そういえばセルス様。私が頼んでおいた――」
「聖騎士の死亡情報じゃろ? 既に探ったわ」
(あ。それってギドの依頼だったんだ)
木箱の上で足をぶらぶらさせながら、
少年は二人の姿を眺め続ける。
ギドはいつもの貼り付けたような笑みで、
そしてセルスはぶっきらぼうに話し続けた。
「ふむ。まだ発覚していませんでしたか
では早めに騎士が利用した宿を特定し――」
「やった」
「お! なら今晩にでも潜入し――」
「やった」
「素晴らしい! では――」
「ナバールにいる聖騎士は奴のみ。任務は神獣サソリ討伐に向けた先行調査。放置された馬とチェックアウト手続きの未完、それと国境通過記録の有無から明日にでも奴の死は発覚はするじゃろうが、一応部屋の状態は警報装置以外進入時と全く同じ状況に整えて定期報告も偽造した物を提出済み。加えて既に国境警備隊にも偽情報を流してやったぞ。……で、まだ何か必要か?」
「見ましたかベリル?
これが『一を聞いて十をやる』です」
「痛感した」
新たな技を覚える前に、
ベリルは新たな師から大事な心掛けを学ぶ。
相手の心を盗み、自ら考え動く技術。
それをマスターした女スパイの後ろ姿は
今まで見たどの魔物よりも格好良く見えていた。
「セルス様」
「ん? どうしたベリルちゃん?」
「明日からもまた、色々教えてください」
自分の前まで近付き、
行儀良くお辞儀をする少年の姿に、
セルスの心は大きく揺さぶられ感激した。
そして彼女の、恋愛脳に火が付いた。
「よ~しよしよし! ならば明日こそ
ベリルちゃんが理想のショタとなれるよう
妾が幾千年と培って来た智慧を授けてやろう!」
(うげ……そういえばこんな性格だったんだ……)
「まずはやはり攻め受けどちらとなるかじゃ!
妾は左右の違いを気にするタイプじゃからの!
覚悟は良いか――!」
まぁでも、とベリルは笑う。
既に彼の中でセルスは敬うべき先人だった。
「右も左も分かんないけど、よろしくお願いします」
「おうっ。……やるではないか?」
言葉巧みに、思考を読んで心を盗む。
例え心という臓器がどれほど謎深くとも、
それを続けた先に成功体験は待っている。
この日少年はギドは別ベクトルの師匠を得た。




