サンミゲルの誓い
「Huwag Ka Lang Mawawala~♪」
「大、古い歌知ってるネ。」
「なんかこの歌好きなんだよねぇ。」
終電間際になり、客は大分減り、いつもの常連数人だけとなった。そして、あと2時間ほどすれば、界隈のお店が終わってアフターでまた賑やかになる。日本人や外国人やらで始発が出る朝方まで大騒ぎになるだろう。
少し人が少なくなったので、常連たちでカラオケをすることに。このお店に来るようになってから、フィリピンの曲を聴くようになり、意味は少ししかわからないけどメロディーでどのような感情表現をしているのかは万国共通で、ママに歌詞の意味を聞いたら想像していたものと大体あっていた。
カウンターの端を見ると、タキさんは寝息を立ててスヤスヤと眠っている。この騒々しさの中で寝られるのだから、相当毎日寝不足だったのだろう。
「ママ、タキさんは何が駄目だって言ってた?」
「お金がないダッテ。」
「患者さんは来てるんでしょ?」
「毎日忙しいダッテ。」
お風呂に注ぎ込まれるお湯の水量はある。でも、お風呂はたまるどころか、どんどんお湯が抜けていっている状態だ。これは、湯量の問題より、穴の開いた風呂桶に問題があると考えるのが普通だろう。
「ママ毎日忙しい?」
「忙しいよ!大、手伝いに来テ!暇デショ!」
「そうだね、バイト代くれるならいいよ。」
「アイ!オカニ無い!」
ハハハ。そうだよね、でもママ、この地代の高い場所で一人でお店を切り盛りして生活できてるでしょ?ダッテ、利益が出るようにお酒とごはんの値段決めてるカラと水商売をやっている人なら当たり前だとあきれた目でこっちを見ている。そう、こういう店は、経費を計算し、そのうえで利益が出るように料理とお酒の値段を決める。あとは、設定の客数を減らさないように気を付けるだけで、ある程度どんぶり勘定で計算が出来る。
「病院ってね、保険を使う一般の病院なら、薬の値段も治療の値段も一律で、自由に値段をつけることが出来ないんだよ。」
「じゃあ、タキちゃんが忙しいのにお金なくなるのは値段を上げられないカラ?」
「それもあるけど、経費に無駄が多いんじゃないかな?」
それからママにどこがどういう風に悪いのか、なぜ患者数は多くて忙しいのに利益が出なくなってしまっているのかを説明した。
「だからね、こうなるとどうしてもナースに仕事のない時間が出来ちゃって人件費が無駄になっちゃうんだよ。ほら、キャバクラでテーブル数の女の子待機しているけど、一番忙しい時間しかフル稼働しなくて、ヘルプの女の子がずっとスマフォいじってたりするでしょ。あれに似てるかな。」
などと、夜のお店に例えて話してみると、昔パブを経営していたママはすぐに理解した。
「一番忙しい時間のところだけ重ねて、早番遅番で少ない人数の時間作らなきゃダミヨ。」
「そうそう。そうなんだよね。それもあるんじゃないかな?」
一通り話して、一服しようとカウンターに置いていたタバコに手を伸ばすと、その手をグッとつかまれてギョッとした。
「あんた、うちに来てちょっと見てくれないか!頼む!」
「いやいや、対処法教えるから自分でやってくださいよ!」
「俺は診察で動けないんだよ、だから、頼む。俺の代わりにやってくれないか!」
さっきまで寝ていたと思っていた滝さんは、いつの間にか起きていて、ずっとママと僕のおしゃべりを聞いていたらしい。確かに不器用で、経営なんてからきしで、患者さんを診察することだけしか取り柄のないような人なのかもしれない。
「痛ててててて、分かったから、行くから手を放して!」
「あ、わりぃわりぃ。でも、本当に来てくれるか?」
「大、一回タキちゃんのところへ行ってあげなサイ!」
「わかったわかった。ちょっと見に行くだけだよ。」
タキさんはガバっと立ち上がり、直角以上に頭を下げ、
「助かる!誰に聞いたらいいのかわからなかったんだ!」
え、なんで俺なのよ。出入りの税理士でもなんでも聞いたらいいじゃないのよ。と頭の中で思ったが、ここまで来たのだし、今は無職で暇しているのだから一回見に行ってみるかと覚悟を決めた。
話が付いた後、さっきまで情けなさの極致のような顔をしていた滝さんは、今でも見るあの優しい笑顔になり、まだ見にも行ってもいないのに、俺のおごりだからと言ってサンミゲルビールを冷蔵庫から三本取り出して、ママと僕は一緒に乾杯させられた。
でも、この人のこの暖かく周りを巻き込む魅力があれば、後は何とでもなりそうだ、なぜかあの時の僕はそう直感し、苦手でいつもは飲まないビールを一気に飲み干した。