出会い
「久しぶりに食べたけど、ママの料理はおいしいなぁ!」
「アイ!アタリマイデショ!大、モットタビナサイ!」
カウンターの向こうでママが嬉しそうにグラスを磨いている。ここティア・マレはスナックというより、レストランに近い。フィリピン人のママが作る料理を求めて、フィリピン人や日本人、夜のお店で働く人などがほとんどで、普通の日本人のお客さんというのは少ないかもしれない。
「タキちゃんオソイネ。」
八時の約束だったけど、もうすぐ9時。コロナ関連のウェブ会議や申請書類の提出など、普段とは違って色々と繁雑な業務が増えた。
「忙しいからね。でももうすぐ来るよ。」
「仕事タノシイ?モウドノクライナル?」
「一年半くらいかなぁ、何とか慣れてきたよ。」
「ヨカッタネ、タキも昔より元気ナッタヨ。大のおかげヨ。」
「だといいんだけどね、でもまあ、あの時よりは確かに元気だよ。」
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今から二年前、あの頃もこんな寒い夜だった。いつものように、晩御飯を食べようとティア・マレの扉を開けたのだったが、その日はいつも明るい顔で迎えてくれるママが困った表情でこっちを見た。
「オー、大!イラッシャイ!」
「ママ、どうかしたの?」
そう聞くと、グラスを拭く手で両手がふさがっていたママは、暗いカウンターの一番端っこの方に顎をしゃくった。
「如何したらいいんだよぉ…。」
無精ひげで頭がもじゃもじゃの野武士みたいなでかいオッサンが泣き上戸。
「えー、誰この酔っ払いのオッサン。」
名前は滝沢で、ここから二駅のところにある病院の院長だそうだ。なんでそんな人間がこんな場末のスナックで飲んだくれてんのだろう?いや、普通の居酒屋とかじゃ、患者さんとかに見つかるかもしれないから、こんな普通の人が来ないフィリピンレストランは飲んだくれるにはうってつけなのかもしれない。
「ママ、カルデレータお願い。」
タキというオッサンはいないものとして考え、とりあえず腹ごしらえだと思い、ママに料理をオーダーし、ガラスの引き戸を開けてカリというパイナップルの炭酸飲料を勝手に開けて飲む。
「タキ、なんかクリニック問題あるダッテ。」
「そうなの?患者さんともめたとか?」
「患者さんはたくさん来てるダッテ。タキ、良い医者サンダッテ評判ヨ。」
「じゃあ何が悪いんだろ?奥さんに不倫がばれたとか?」
「タキ、独身ヨ。」
まあそんなこと知ったこっちゃないなと思いながら、もぐもぐとカルデレータを食べる。タキというオッサンも泣きつかれたのか、少し眠っているようだ。人生いろいろだしね。俺だってずっとやっていた仕事を辞めて、これからどうやって生きていこうか考えあぐねているところだから、人の心配なんてしている暇はないんだよな、なんて考えながらオッサンを眺めていたら、少し同情する気持ちも浮かんできたりもした。
「明日は我が身だね。」
「ドウイウ意味?」
「俺もタキさんみたいになっちゃうかもしれないってこと。」
「アイ!頭もじゃもじゃにナルナノ?」
それちょっと可笑しいね、なんて笑いながら滝さんの安らかな寝顔を横にティア・マレの夜は少しずつ深けていった。