二番手の逆襲
パタパタパタ…。廊下をスリッパで走る音。
コンコン。ノックの音。
多分、これは河田さんだ。うちに出入りする営業担当さん5人、それぞれ歩調やノックの仕方が違う。
「エルフテック、河田でございます!」
ほら、やはりそうだ。
「どうぞー!」
大柄だけど腰が低く、僕と歳も近い。見た目はどっしりとしていて、こわもての風貌をしているが、話をしてみるとなんでも丁寧な説明をしてくれるし、こちらの話も辛抱強く聞いてくれる。その歳で管理職にもなっているからあわてんぼうな一面もあるけど、思ったより上昇志向も強い人なのかもしれない。
「河田さん、どうも。」
「先日お問い合わせいただいた今期のお見積書をお持ちしました。」
先日メディコムの宮本さんにも渡したのと同様、当クリニックで購入している内服薬の全リストの価格を出してもらった。例年であれば、前年までにその卸会社が納入していた薬品だけの見積もりを出してもたっていたのだが、業界一位のメディコムの値付けが高く、安心して発注を掛けることができない状態となってしまったので、今年は全部の薬品についての見積もりを、うちに出入りしている5社の卸会社に対して、コンペ(合い見積もり)という形で値段を出してもらう。
これで今まであまり動かなかった5社のシェアが大きく変わるかもしれない。それもこれも、各卸会社の気持ち一つで変わる。本社の方針で大まかな値段は決まるが、それに対して営業担当者が本社にここは勝負したいと説得することが出来れば、大きな値引きをすることが出来る。
今までずっと業界二位で、うちでのシェアもずっと二位だったエルフテックはどういう風に出てくるのだろうか?その答えがこの見積もりに反映されているはずだ。
「…。河田さん。」
「はいっ!」
急いでやってきたせいで、大汗をかいた河田さんは、その大柄な風貌に似合わず、趣味のいい色と柄のハンカチで丁寧に汗をぬぐっている。
「大丈夫?この価格。」
「いや、まだこれでも暫定価でして、まだ本決まりの値段ではありません。申し訳ないです。」
ものすごい数字が並んでいた。メディコムがほとんどの薬品の割引率が10%前後で、取引量の多い薬品でも12%ほどと、とても辛い値付けをしてきたのに対して、エルフテックの河田さんはその情報をつかんでいたせいかもしれないが、多くの薬品に15%以上、1/3ほどの薬品には20%前後と他社が追随できないような値段で勝負してきたのだ。
「これで利益出るの?大丈夫?」
「大丈夫です。メーカーとの交渉は我々の仕事ですから。」
卸会社はメーカーと交渉して納入し、そこから利益分を乗せて薬局やクリニックに薬品を卸すのだが、その値段の交渉は複雑なシステムになっていて、ほかの業種と違う独特の商習慣である。このシステムを覚えるのも大変だったが、複雑なだけにそこでの交渉に対してカスタマーが介入することも出来ると理解してからは、かえって面白いなとも思うようになった。
温厚で柔和な表情がいつもよりもキリっとしていて、少し自信を持った姿でその見積書を渡してくれた河田さんは、またいつもの柔和な表情に戻ったかと思うと自分の気持ちを話し始めた。
「私、うれしかったんです…。主任が言ったあの言葉が。」
「え?」
「河田、お前に任せるから頑張ってくれって。」
河田さんにも今回は全卸に対して、コンペでやるということは伝えた。僕は宮本さん同様、タイプは違えどその実直な性格に対して信頼を寄せていた。僕と取引するようになってまだそれほど時間はたっていないのだけど、その人との相性というのは時間の長さじゃなく、共鳴するような互いの気持ちのやり取りで十分伝わってくる。だから、河田さん、今期はどのくらいの値引きにしてくれとは言わないから、河田さんの思うように頑張ってください、ただそういう言葉で見積もり依頼をした。
「これから取引量は増えると思います。よろしくお願いしますね。」
「こちらこそ、河田を信頼していただいてありがとうございます。」
うちに出入りしている担当者5人。取引量の多さにかかわらず、皆素晴らしい営業さんたちばかりだ。しかし、購入側としては、だからと言ってどこの卸からも沢山薬品を買うということは出来ない。どこかが増えれば、どこかは減る。営業担当者さんたちの働きを見ていると、シェアを獲得して喜ぶ人の顔を見るのも時につらく、シェアを減らして神妙な面持ちになる人の顔をみるのもまたつらい。
今年の薬品納入はどのようになっていくのだろうか?価格もさることながら、その人間関係も大変にきになってしまうのが購入担当者の悩みでもある。多くの薬局やクリニックではお客様は神様と言わんばかりに、上から目線で対応するところも多い。でも、自分の性格的に、その人とのお付き合いを大切にしたい僕にはそんなことは出来ない。
「それでは失礼します。」
いつものように最後にこわもての顔をにこっと笑顔に変えて河田さんは出て行った。パタパタといつもよりどこか嬉しそうにも聞こえる河田さんのスリッパの音とは裏腹に、少しその人間関係を考えるとなんだか頭が痛くなる気がしてしまった。