EP.93
ユランの頬を両手で包んだまま見つめ合う形になっていると、だんだんユランの瞳が熱っぽくウルウルと潤んできた。
ユランお得意の対年上女性へのアピール技だ。
いや、ゲームの話だけども。
このウルウル顔のアップスチルはなかなかに好評だったんだけどな〜。
ユランは私より背が低く、顔がちょうど私の胸より少し上ってとこだ。
少し目線を落としただけで私のお胸大明神様を直視してしまう位置なので、こうして私の顔を見つめ続けるしかないのだろう。
ピーチブロッサムの瞳が潤んで困ったように視線を彷徨わせ始める。
……グフっ。
良い。
ロリもいいがショタもいいなぁ。
ユラン、本当に可愛いなぁ。
これで男とか、マジかよ。
しかも優秀で野心家。
外と中のギャップもいいな。
シシリアお姉さまぁっとか、あざとく呼ばせたい。
あ〜〜、どうしてやろうかしら?ジュルッ。
などと不埒な事を考えつつ、ユランをジーッと見つめていると、ゾクっと背後に嫌な気配を感じた。
……私の危険察知能力が告げている。
………奴が、いる。
今すぐ、逃げろっ!と。
私はユランの顔からゆっくりと手を離し、優雅に微笑んだ。
「では、ユラン。学園でお会い出来るのを楽しみにしていますね」
「……はい、シシリア様……」
ユランがぽぅっとして私を見つめたまま返事をする。
それに小さく頷き、私は淑女らしくゆっくりとその場を後にした。
曲がり角でチラッとユランの方を振り返ると、まだポーッとこちらを見ているユランが気付かないくらいの速さで、黒い物体がこちらにシュバッと向かってきた。
その瞬間、私も身体強化をMAXにして、ものすごい速さで走り出す。
ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイッ!
来たっ!間違いなく、奴だっ!
捕まったら今度こそ、どんな目に遭わされるか分からねぇ。
シュゴゴゴッと風を巻き起こしながら、目にも止まらない速さで走りながら、私は頭の中で唱え続けた。
振り返っちゃ駄目だ振り返っちゃ駄目だ振り返っちゃ駄目だ振り返っちゃ駄目だ。
そして一心不乱に向かった先は、クラウスのプライベートゾーン。
そう、第二王子の宮だ。
ここはクラウスがキティを囲っている広大な鳥籠。
どんな立場や身分であれ、男は絶対に立ち入り禁止。
例え奴でも、簡単には足を踏み入れられないっ!
あそこに逃げ込みさえすれば、私の勝ちだっ!
後ろから黒い影が凄い速さで追いかけて来ている気配を感じる。
その影から腕が伸び、私の腰を捉えようとしたっ!
くそっ、ヤバイッ!
その瞬間っ!
ダンっ!
間一髪、私の右足がセーフティゾーンに届いた!
そのままクラウスの宮に飛び込み、バッと後ろを振り返る。
……そこにはもう、あの黒い影の気配は無くなり、静寂だけが広がっていた。
……やった……。
助かった………。
魔から逃げ切ったぞ………。
クラウスの宮の入り口で、へなへなとへたり込み、肩で荒い息を繰り返していると、後ろから声を掛けられた。
「やぁ、シシリアくん」
……んっ?
聞いた事ある声だけど、何か様子がおかしい……?
恐る恐る振り返った私の目の前に、にこやかに笑うクラウスの姿がっ‼︎
ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃっ!
やっと魔を振り払ったと思ったのに、間髪おかず新手が現れたっ!
「キティに会いに来たのかい?ありがとう、ゆっくりしていってくれ」
ニコニコ笑ってそう言うクラウスに、ゾゾゾっと背筋が凍る。
おまっ!
おまえっ!
お前っ、誰だーーーーーっ!
何かに取り憑かれたかっ⁈
エから始まりトで終わるアレかっ⁉︎
アレに取り憑かれたのかっ⁉︎
顔が似てるからシャレにならんぞっ!
ちが、違うよなっ?
この立ち入り禁止区域に入り込む為に、アイツがクラウスの体を乗っ取ったとか、そんなんじゃないよなっ⁉︎
否定してくれっ!
誰かお願いだから、否定してくれよぉぉぉっ!
驚愕したまま固まっている私を、クラウスは不思議そうに小首を傾げながら、こちらに手を差し出してきた。
震える手でその手を掴み、立ち上がらせてもらうが、足の震えが半端ない。
「ど、どうしたの?何か、ご機嫌?じゃない?」
何気なく聞くつもりだったのに、声が震えてしまう。
私の問いにクラウスは何故か頬を染め、自分の口元を手で隠した。
が、ニヤける口元を隠しきれていない……。
あ〜………。
察した。
オッケー大丈夫。
全て察したから。
最近コイツ見ないなと思ってたんだよなぁ。
あれかぁ、キティとアレね。
ハイハイ。
やっと気持ちが通じ合ったってやつだろ?
両思いになれたんだろ?
んで、お前の事だ。
間髪おかずに出したんだろ?
手をっ!
そんでそのご機嫌さん状態かっ!
くそっ!
痒いっ!
クラウスの照れ笑いに蕁麻疹が止まらないっ!
無理だっ!
今のコイツと一緒にいるのキツいっ!
精神的にも肉体的にも拒絶反応が半端ないっ!
「じ、じゃあ私、キティのとこに行くわね」
ギクシャクしながら手を上げて、私はサササッとクラウスから離れた。
角を曲がった途端にまた走り出す。
ぐぞぉ〜〜キティめぇっ!
気色悪いものを私に見せおってからにっ!
いじり倒してやるっ!
このネタでいじり倒してやるからなっ!
猪のように激しい足音を響かせ、私はキティの自室のドアをドカーンッと蹴破った。
「あのバカをご機嫌にしたバカはどいつだーーーっ!」
開口1番に吠える私に、キティはビックーッと座っていた椅子から数センチほど飛び上がる。
おまっ!
お前っ!呑気にお茶なんかしてんじゃねーよっ!
私はそのままズンズンとキティの方に、大股で近付いた。
「お前かっ?お前だよなっ?お前なんだろーーっ!」
おでこを引っ付けてドリルのようにグリグリグリグリしながら吠えると、キティは何が起こったのか分からない様子で、大声を上げた。
「近ーーいっ!」
ベリッと私を自分から引き剥がすキティ。
「一体ナニっ!ナニ絡みよっ?これ」
キティがちょっと怒りつつそう言うのを、私はは尚も鼻息の荒いまま、キティをジーッと見つめた。
「あんたに会いに来たら、そこでクラウスに会って、あり得ない笑顔で『やぁ、シシリア君、キティに会いに来たのかい?ありがとう、ゆっくりしていってくれ』って言われたのよっ⁈
何よっ!あれっ!
気持ち悪すぎて、全身蕁麻疹出たわよっ!!」
そう言って私は涙目で、自分の腕をキティにズイッと差し出す。
真っ赤になってプツプツだらけのそれを見て、キティは目を見開いた。
私は首元をボリボリ掻きながら、キティの向かいの椅子に腰掛け、尚もブツブツと文句を続ける。
「あ〜っ、痒いっ!恨むわよ」
いや、知らんよ。
って顔をしているキティ。
くそっ!
コイツにはあのクラウスの異常な状態が伝わらんか。
お前の前でアイツが何万匹の猫を被っているか、まだ気付いてないのかよっ!
「まぁ、だいたいアイツの感情を左右出来るのはあんただけだって分かってるけど。
あそこまで上機嫌なのは初めてだわ。
……さては、あんた……」
私はそこで言葉を切り、ギラリとキティを見つめる。
無意識にその私の目線から、スーッと視線を外す、キティ。
やっぱりかっ!
やっぱりお前らやったのかっ!
私はワッと机に泣き伏しながら、オイオイ泣き崩れた。
「私のキティたんがっ、穢されちゃったのね〜〜っ!」
瞬間キティはボッと真っ赤になって、アワアワオロオロし始めた。
くそっ!
当たりじゃね〜かっ!
「そ、そんな事より、何か用があって来たんじゃないの?」
無理やりに話題を逸らそうとするキティに、私は顔を上げると悔しそうに顔を歪ませた。
「キティたんの貞操の危機を察知して、馳せ参じたんだけど……くっ、遅かったようね……」
やかましわっ!
て顔をするキティ。
だが残念、私は意地でもその話題から離れないからなっ!
しかし、キティがあまりに真っ赤になって、全身をプルプルと震わせるもんで、流石に私はヤバっと呟いて、まーまーと手のひらでキティを制した。
「ごめんごめん、つい、食いつきがいのある話題だったから。
もちろん、別件で来たに決まってるじゃない」
冷や汗を流しながらそう言うと、キティは胸を撫で下ろしている。
なんだよ、ちょっと突いただけでそんな面白い反応してくるのが悪いんじゃないか。
まぁ、キティに別件で用があったのは本当だ。
元々そのつもりでここに向かっている途中でユランに会って、ついフラフラしていてあんな事になったのだから。
「あんたも気になってんじゃないかと思ってね、あの2人の処遇について」
私の言葉に、キティは身を乗り出した。
そう、あの2人について、キティに話すのは私が適任だろうって事になったのだ。
本当の事をそのまま伝える事は出来ないが、まぁ表向きの処理がどうなったかくらい、当事者としてキティに話しておかなければならない。
で、他のメンバーでは顔に出る奴ばっかだし、クラウスは既にそんな奴いたか?状態だし、って事で私がキティに説明する事になったのだ。
「フィーネさんとアーバン様はどうなるのっ?」
キティはすぐにそう聞いてきた。
やはり気になっていたらしい。
私は肩を軽く上げて答える。
「ん〜、まずはアーバンだけど、父親と他の魔法優勢位派貴族と共に、爵位取上げの後、国外追放ですって」
キティはそれを聞いて、安堵の溜息を吐いた。
「良かった、王家への反逆罪は問われなかったのね?」
私はゆっくり頷くと、フッと溜息を吐いた。
「まぁ、内乱陰謀罪ってとこね。
実際、行動に移してたけど……。
王国としても、被害が無かったなら、内乱自体を無かった事にしたい訳よ。
臭い物には蓋したがるのが、この国のやり方ね。
狙われたのが、第二王子とその婚約者だったから、何とか穏便に済ませれたけど、王太子だったら、こうはいかなかったくせに」
今だにその判決が気に入らない私は不機嫌そうにそう答えた。
クラウスの婚約者であるキティにアレだけのことをしておいて、表向きとはいえそれで済むとは、キティが舐められるじゃないか、まったく。
毒杯云々については、キティが知る必要のない事だ。
「それで、フィーネさんは?」
キティの続けての問いに、私は今度はレオネルのように眉根を寄せて、こめかみを押さえた。
こうするとレオネルにソックリだと、実は密かな鉄板ネタなのだ。
まぁ、腐っても兄妹なんで。
「そっちはちょっとややこしい事になってるけど、準魔族として、帝国の教会本部に送られる事がやっと決定したとこ」
それを聞いたキティは、ひとまずは安心したって顔で緊張を解いた。
アーバンとフィーネが命までは取られなかった事に安堵した様子だ。
表向きだけどなぁ。
「その、フィーネさんのややこしい事って、やっぱり準魔族である事が関係しているの?」
キティが首を傾げて聞くので、私は面倒くさそうに深い溜息を吐いた。
「ある高位貴族の派閥がね、フィーネの事を人として扱ってはどうかと言い出したのよ。
確かに、魔族の種は体から取り出したし、今のフィーネからは魔族の魔力は検出されない。
それを理由に、準魔族から、人に認定し直すべきだと言っている訳」
キティはなるほど〜って顔をしている。
奴らが言っている事にも一理あるって思っているようだが、いや、ねーよ?
「そいつらの狙いは、フィーネの持っている情報よ」
苦虫を噛み潰すように、私はそう言った。
キティはそれで、その貴族達が狙っているのが準魔族としてのフィーネの情報だと気付いたのか、真っ青になっている
私はそのキティに向かって深く頷く。
「そう、アイツらはフィーネの持っている魔族の情報を狙っている。
どうやって魔族と接触したのか、魔族の容姿や居場所、魔族の種の入手方法、種を体内に取り込んで、異形に成り果てず、準魔族になり得る方法、とにかく、フィーネの持っている情報が、喉から手が出るほど欲しい訳よ」
キティはゴクリと唾を飲んで、私の話を黙って聞いている。
「その証拠に、アイツら、魔法優勢位派に属していたヤドヴィカ男爵が、今回の事で爵位を取り上げられ国外追放されるのを良い事に、フィーネと派閥貴族の養子縁組まで持ち出してきたのよ。
しかも、相手はかなりの高位貴族。
そんな事になったら、もうおいそれとフィーネに手出し出来なくなるわ」
キティは私の話に驚愕して目を見開いた。
「まぁ、陛下がフィーネの準魔族認定取り下げに否を表明して、王太子がサッサと帝国と引き渡しの話を進めたから、アイツらもこれ以上は何も言えないでしょうけどね。
しかし、頭が沸いてる人間って、本当に話が通じないから嫌になるわっ!」
鼻息荒くお茶を口に運び、ぶちぶちと文句を言い続ける私の顔を、キティが顔面蒼白になって見ていた。
この王国では、今まで魔族の存在が確認された事はこれまで一度も無い。
それが今回、王国の国民しかも貴族が・魔族と接触し、準魔族となっていた、その事実が明るみに出たのだ。
王国にとって、これ迄にないこの凶事に、何事か企み、あろう事かその元凶を己の物にし、企みに利用しようとする者達がいる。
その事実に、キティは顔面蒼白になってカタカタと震えている。
まぁ、神をも恐れぬ所業って奴だが、ゴルタール率いる貴族派を裏で操っている北の大国には、別に信奉している神がいるのだから仕方ない。
ややして私はフッと笑って口を開いた。
「まぁ、あんたは第二王子妃になるんだから、
悪いけど、知っておかなきゃいけない事だわ。
だから話しただけで、実際気にする必要はないわよ。
今回の企みは早々に捻り潰したし、これからの企みだって、全て、必ず、捻り潰すっ!」
バキボキべキィッ!と拳からあり得ない関節の音を鳴らし、私はニヤリと笑った……。
キティは更に、椅子がガタガタ揺れるほど震えている……。
ん?何でだよ?
ここは、キャーッ!シシリィ頼もしい〜っ!てハート飛ばすとこじゃねーの?
なぜ人を蛮族を見る目で見る?
「あ〜あ、また派手に王宮の物を壊してぇ。
うちのリアがごめんねぇ、キティちゃん」
その時、間延びした呑気な声が聞こえて、私はギクーッと体を硬直させた。
……おい、嘘だろ………。
なぜ奴が、ここに?
私の壊した扉を退けながら、姿を現した人物に、キティは慌てて椅子から立ち上がり、カーテシーで迎えた。
「王太子殿下、ようこそお越し下さいました」
畏まるキティに、エリオットは肩を上げて、ヤレヤレと軽く溜息を吐いた。
「キティちゃ〜ん、いつも言っているでしょ。
お義兄ちゃんに畏まる必要は無いって。
エリオットで良いからね。
エリオットお義兄様って呼んで欲しいなぁ」
キティは恐る恐るといった感じで、顔を上げる。
「エリオット様、寛容なお心遣いに感謝致します」
そ、そうだぞっ、キティっ!(ガクブル)
そんな奴、お兄様って呼ぶ必要ないからなっ!(ガクガクブルブル)
「んもぅ、堅いんだから。
まぁ、いいや。今後も僕に余計な気遣いは無用だからね〜。
さぁてと、リア?
これはどういう事かな?」
ひぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
黒い黒い黒い怖いっ!
エリオットの黒いその満面の笑みに、私はオシッコチビりそうなくらいに震えた。
(隣でキティも)
キティもカタカタと震えていたが、隣にいる私はその10倍はガタガタと震えている。
ふふふっ、甘いな、キティ……。
あの黒い生き物は魔のものぞっ!
決して近寄ってはならぬ、常闇の住人なのじゃっ!
ガクブルする私が珍しいのか、まじまじと眺めてくるキティの後ろにサッと回り、背中に隠れる。
いや、隠れられないっ!
なんだこの小ささはっ!
チクショーッ!今すぐフグみたいに膨らんでおくれよっ!
私はガタガタ震えながら、キティの耳元で小さく囁いた。
「助けろ……」
「ど、どうやって?」
ビックリした様子で聞き返してくるキティ。
私はもはや泣きそうな声で訴えた。
「どうやってでもいいから、助けろぉ」
いや、無茶言うなとばかりにこちらを見るキティ。
どうすればいいのか分からない様子で、エリオットと私に挟まれ、キティがワタワタしていると、ヒョコッとクラウスが顔を出した。
「やぁ、キティ……って、これどうしたの?
んっ、……兄上、ここで何を?」
ご機嫌そうだったクラウスは、エリオットに気付くと瞬間、ピリっと空気を張り詰めた。
「やぁ、クラウス。
俺はおイタをしたリアを迎えに来ただけだよ」
そう言って、私が破壊したドアを指差すエリオット。
クラウスはそれを見ると、ハァッと溜息を吐き、ツカツカと私達の方に向かって来て、キティの後ろに隠れている(つもり)の私の首根っこをワシっと掴み、そのまま片腕で後ろにポーイッと放った。
「テメーッ、覚えてろよっ!クラウスッ!」
空中を飛んでいきながら悪態をつく私をご機嫌でキャッチする、エリオット。
「それを連れて、さっさと出て行って下さい、兄上」
顔だけこちらに向けて、そう冷たく言い放つクラウスに、エリオットはヘラヘラ笑い返した。
「助かったよぉ、クラウス。
じゃ、キティちゃん、邪魔したね」
そう言ってからエリオットは腕の中の私を黒い笑みで見下ろした。
「さ、行こうか?リア?」
その笑みを絶望の表情で見つめ、私はガタガタイヤイヤしながら、エリオットによってドナドナされて行く。
その私の絶望の悲鳴が、廊下にいつまでも響いていた……………。




