EP.81
泡を吹いてまだ気絶したままのニアニアに、水魔法で手のひら大の水を生成し、その顔にバシャッとかけてみる。
「うわっ!冷たっ!何っ!何なのっ⁈」
一瞬で目を覚まし、慌ててガバッと起き上がるニアニア。
「って、あれ?私……生きてる?」
生きてるよ?残念ながら。
まの魔物は私の幻影魔法だからな。
「王子、どーゆー事?あの魔物は?」
阿保ヅラでこちらを見つめるニアニアに、私は肩を上げてとぼけて答えた。
「さぁ?何かどっかに行ったけど?」
私の答えを聞いたニアニアは、湧き上がるような笑いを上げ、勝ち誇ったように立ち上がる。
「アハハハハハハッ!やっぱり!
私はヒロインだから、死なないんじゃんっ!
魔物だって私には何も出来ないっ!
ねっ、私がヒロインだって証拠でしょっ?」
勝利宣言よろしく私を見るニアニアに、流石に呆れつつ、ハァと溜息を吐く。
うるせーなぁ。
誰だよ、コイツを調子に乗せたの。
あっ、私か。
「そんな事は良いからさぁ。
アンタ、どうやって魔族と知り合ってあんなもん手に入れたわけ?」
不思議そうに首を傾げてやると、ニアニアは興奮した様子でペラペラと話し始めた。
「あっ、それがね!ほら、あの子!
いつも私と一緒にいた、覚えてるでしょ?
あの子もこっちにいんのよ、凄くない?
そんでね、あの子ってなんと2の方のヒロインに転生してんだよね、マジウケるっ!
私は将来クラウスのお嫁さんになって王子妃になるでしょ?
で、2のヒロインもルートによっては王子妃になる訳だからさ、事前にどんな子か見に行ったら、あの子だったってわけ、こんな事ってある?
もう、ちょう笑ったよね!
でね、あの………王子?分かってるよね?あの子の事……?」
私の顔がどんどん無表情になり、凍てつくような目で自分を見ている事に気付いたニアニアは、不安そうに私の顔色を伺っている。
「ああ……分かるよ、シャカシャカだろ?」
私が短く答えると、ニアニアはぷっと吹き出した。
「その呼び方してたの王子だけだからっ!
アハハッ、ヤバい、なついっ!」
ケラケラと笑うニアニアを、無表情で見つめ続けると、ニアニアはだんだんと笑うのをやめて、バツの悪そうな顔でこちらを見た。
笑ってんじゃねーよ。
こっちは全然懐かしくとも何ともないからさ。
ちなみにニアニアとかシャカシャカってのは別に愛称的な意味で呼んでた訳じゃない。
実名をもじった幼稚な悪意あるあだ名だ。
「で?それから?」
にこりともせず続きを促すと、ニアニアは冷や汗を流しながら、話を続けた。
「そ、それで私達またツルむようになってさ。
あの子、乙女ゲームの事とか全く知らないから、説明すんの大変だったんだよねー。
でさ、私が魔法属性無い事とか、義母に虐められる確定でマジ鬱ってたら、あの子が紹介してくれたの、ゴードンを。
あっ、魔族の名前なんだけど。
あの子が居ないとゴードンの所に行けないから、金渡して頼んでたんだけど、私のお小遣いだけじゃ足りなくなっちゃって。
そしたらあの子が、ゴードンん家の周りに生えてる草とか、小さい魔物とかを、これ売れば?って教えてくれて。
父親に頼んで試しに売ってもらったら、これが凄い金になってさ!
父親は喜ぶし、意地悪な義母は消せるし、魔族の力は手に入ったし。
マジあの子とツルんでると昔から良い事ばっかなんだよねっ!」
ギャハハハハハッと狂ったように笑うニアニアを、冷ややかに見つめながら、やっぱりアイツの仕業か、と呆れる。
ニアニアはツルんでるとか言っているが、正解にはニアニアがシャカシャカに小判鮫していただけだ。
正常な友達関係とはとても言えない。
それはこの世界でも変わらなかったらしい。
アイツはニアニアで遊んでいるだけだ。
ただの暇つぶし程度だろうな。
それでいて、人の心を妙に惹きつける。
厄介な存在としか言いようがないのが、シャカシャカだ。
「で、アンタはさ、マジでこの世界が乙女ゲームの世界だと思ってるわけ?」
呆れたような私の言葉に、ニアニアは人を馬鹿にしたように笑う。
「当たり前じゃん。どう考えてもそうでしょ。
名前とか見た目とかそのまんまだし」
この世界に生まれ変わって16年間何も考えずに生きてきたら、こんななんだな……。
「じゃあ、何で私達プログラミングじゃねーんだよ?
自分で考えて会話出来んのは、何で?」
続く私の問いに、ニアニアは焦ったように考え込む。
おっ、コイツでも考える事あるんだな。
「そ、それは、だからっ、転生モノのお約束ってゆ〜か……。
もしも乙女ゲームの世界が現実になったら、の世界なのっ」
偉そうに胸を張るニアニア。
お前……考えてそれかよ……。
「じゃあここは、そのもしもの世界なんだな?」
念を押すように聞くと、ニアニアは自信満々で頷く。
「つまり、現実世界って事だ。
ゲームの強制力も修復力も、ヒロイン補正も無い。
ただの現実。ゲームじゃない」
そう切り捨てるように言うと、ニアニアはその顔に浮かべたニヤけた笑いを奇妙に歪めた。
「はっ?だから、違うって、現実世界だけどゲームだから、ヒロインに都合の良いように出来てるんだって………。
その証拠に、レオネルもノワールもジャンもミゲルも、クラウスだって私に夢中なんだからっ!」
勝ったとばかりに鼻の穴を広げるニアニアの目の前に、バサッと、綴じられた紙の束を投げ付ける。
「それは、その事を言ってんのか?」
私の言葉にニアニアは不思議そうな顔でそれを持ち上げ、パラパラと捲った。
読み進める内に、驚愕にその顔を歪め、目を見開き、ガタガタと手を震わす。
それは私が書いた台本だ。
出会いイベントのシーン以外は、こう言われたらこう返せ、って感じの、ヒロインを演じたがってるコイツのただの取り扱い説明書だがな。
「あ……えっ?何で?」
ニアニアの震える声に、私は無表情で答える。
「それ、私が書いたんだよね。〈キラおと〉を元にして。
アイツらはその通りに〈キラおと〉のキャラをお前の前で演じてただけ。
何せ、プログラミングじゃない生身の人間だからさ。
お前みたいなの、皆近づきたくもないんだわ。
大変だったぜ、無理してお前の相手してたから、皆痩せこけちまって。
ストレスって本当に体によくないな」
その返答に、ニアニアは顔をどす黒く染め、目を吊り上げた。
「アンタ達っ!私を騙したのっ⁉︎」
その醜い顔に、私は冷徹に答える。
「そうだけど?皆でお前を嵌めたんだよ」
ニアニアはますます目を吊り上げ、額に青筋を浮かべて体を震わせる。
「何の為にっ?何でこんな酷い事すんだよっ!」
噛み付かんばかりの顔で私を睨むニアニアに、軽蔑しきった冷たい目で返す。
「何の為って、アンタが魔族の力で操った男共の為だよ。
アイツら放っとけばあのまま処刑台行きだったぞ?
お前に操られてたって証明する為に、皆が見ている前でお前に魔族の力を使わせたんだよ」
どっちが酷いかなんて一目瞭然なのに、コイツの頭は今日も沸いてんな。
私の言葉にニアニアはグッと言葉に詰まり、急にこちらの機嫌をとるような卑屈な笑みを浮かべた。
「しょ、処刑とか、ちょっと大袈裟すぎない?
平民を揶揄っただけじゃん。
それとあの女に身の程を弁えさす為に、ちょーとだけ痛い目見させようとしただけだし」
へへへっと笑うニアニアに、私は瞳の奥に冷酷な焔を灯した。
「アンタらの言ってる平民ってのも、プログラミングやモブじゃなく、この国でその身の安全を保証されている尊い一個人なんだけどね。
それに、キティ・ドゥ・ローズ侯爵令嬢は、この国の第二王子の婚約者で、私と並んで王妃様の次に尊い身分にあんのよ?
そんな人に男ばっかりで取り囲んで犯そうとしたんだから、アンタに操られてなきゃ、そりゃ死刑でしょ。
他にも突き飛ばそうとしたり、頭の上に鉢植えを落としたり、私物を盗んだり、壊したり……。
アンタ本当に、やる事昔から変わってないな」
自分で言ってて気付いたが、全部前世でコイツがよく使ってた手口じゃねーか。
ほ、ん、と、う、に、変わらねーな、おめーわっ。
そこまでブレないって、逆にすげーよ。
「前の世界の常識なんて、ここじゃ通じねーよ?
あのレベルの人間にそこまですれば、即処刑、斬首だな。
身分によっては毒杯を賜るとか言うけど、まぁ、死刑に変わりねーよ。
お前は操った人間にそこまでの事をしたってこった」
淡々と説明する私に、ニアニアは無言でブルブルとその体を震わせていた。
一瞬、この場所に似つかわしい静寂が訪れたが、すぐにニアニアの震える声が響いた。
「……ねぇ、何でクラウスに婚約者がいるの?
何で悪役令嬢がクラウスと仲良くなってんのよ」
苛立ちの混じったその声色に、まだ心が折れないとか、コイツもしぶといな〜などと思いつつ、やはり淡々と答えてやる。
「あれは、2人とも誕生日前だったから、クラウスが8歳で、キティが6歳の時だな。
ローズ侯爵邸で初めて会ったキティに、クラウスが一目惚れしたんだと。
それから熱烈に求婚し続けて、去年の春先にやっと受けてもらえたんだよ。
で、すぐに社交界デビューのパーティで陛下が公式発表したって流れだな」
私の説明に納得いかないって顔で、ニアニアは更に声を震わせた。
「なっ、何でっ!だって、クラウスは、あの女を嫌ってたのにっ!
あの女からヒロインを守ってたじゃんっ!
それが何でそんな事になるんだよおぉぉぉっ!」
最後鳴き声みたいな悲鳴をあげて、ニアニアは鉄格子に飛び付き、私に向かってこようとする。
それに一切動じず、私は冷徹な声で答える。
「だから、ここはゲームじゃない現実の世界で、クラウスもプログラミングされたゲームのキャラじゃない、生身の人間なんだよ。
誰に惚れるか、惚れた女をどうするのか、なんてアイツの自由だろ」
私の言葉に、ニアニアは今度こそ、ガクンと膝を突き、放心状態になった。
壊れたみたいにぶつぶつと呟きだす。
「おかしい……私が、ヒロインなのに……なんで……やっと……幸せになれるって……私は……私が……なんで………」
意味のない事ばかりを呟くニアニアに、私は冷たい声で更に追い打ちをかけてやった。
「流石のアンタでもここがゲームの世界じゃなくて現実だと、少しは理解出来たみてーだな。
じゃあその足りない頭に、これももう一度叩き込んどいてくれよ。
この世界で禁忌とされる魔族と通じ、魔物を使って義母を殺し、魔族の力で貴族令息を好き勝手にして、この国で王妃の次に尊い令嬢を殺そうとした。
大重罪を犯した準魔族。
それが、お前、フィーネ・ヤドヴィカ男爵令嬢だ。
これが現実だよ」
茫然として虚脱状態だったニアニアは、私のその冷たい声に目が覚めたようにハッとしてこちらを見た。
「ね、ねぇ、私これからどうなるの……?
まさか、処刑、とか言わないよね……?」
上目遣いでヘラッと笑うニアニアに、まだ現実が見えないのかよ、と流石に呆れる。
「お前の操ってた奴らが本来なら処刑されるほどの罪だって言ってんのに、まだ分かんないのかよ。
もちろんお前は死刑だよ?
処刑台に上がって断頭ってとこだな」
肩を上げて答えると、ニアニアはガタガタ震えだし、鉄格子を掴んで泣きながら私を見上げてきた。
「い、嫌っ!死ぬのは嫌だっ!
お、お願い、助けてっ!何でもするからっ!
あの女に謝ってもいいよ?ねっ?謝るから、皆に謝るから、お願いっ!
死にたくないっ!死にたくないぃぃぃっ!」
無様に泣き叫ぶニアニア。
私はゆっくりと近付くと、身を屈めてその顔に自分の顔を近づけた。
そうして、その耳元に静かに囁く。
「だよなぁ、死にたくないよな……。
アイツだって、死にたくなんか、なかったんだぜ……」
低く地を這うような私の声に、ニアニアはヒッと小さく悲鳴を上げて、ガタガタと震えながら、見開いた目だけ動かして私を見た。
「……あ、アイツ……って?」
ガチガチと歯の根が合わない音を立てながら、掠れた声で問われ、私は抑えられない増悪を顔に浮かべ、その目を真っ直ぐに見つめて答えた。
「希乃………東雲 希乃だよ……。
お前が殺した、私の親友………」
ギロリと射殺すような視線を向けると、ニアニアは中腰の体勢から後ろに倒れ、尻もちをつきながら、ガタガタと激しく震える。
「ヒッ、ヒィィィッ………!
ち、違っ、あ、あれは事故で、あ、あの子が、勝手に、足を、滑らせて………。
だから、私は、悪くないっ!
わた、私じゃないっ!私が殺したんじゃないっ!」
泣きながら激しく頭を振るニアニアに、私はゆらりと顔を向け、抑えきれない殺気を漂わせた。
「いや?お前が殺したんだ。
私はこの目でハッキリと見たんだよ。
お前が歩道橋の上から思い切りあの子を突き飛ばすのをな。
足が滑ったくらいであんな長い階段、勢いよく転げ落ちる訳ないだろ?
あの子はさ、1番上から下まで転げ落ちたんだぞ?
頭からいっぱい血を流して、死んだんだ。
お前が殺したんだよ、ニアニア」
まるで化け物でも見るような目でニアニアは私を見つめ、苦しそうに短い息をついている。
「でも、おかしいんだよなぁ……。
私はちゃんと、この目で見た事をそのまま証言したのに、何でか握り潰されちまった……。
雨が降ってたから足を滑らしたんだろう、ってな……。
痛ましい事故だってよ。
納得いかねぇよなぁ……なぁ、ニアニア」
殺意の焔を目に灯し、ギラッと睨むと、ニアニアは諦めたようにとめど無く涙を流した。
「……ご、ごめんなさい……。
あ、あれは、しゅ、朱夏のお父さんが、警察の偉い人と知り合いで………。
わ、私も、まさか助かるとは思ってなくて……。
絶対捕まるって思ってたんだけど……。
ごめ、ごめんなさい………」
処刑を待たずして、今すぐ私に殺されるとでも思ったのか、ニアニアは顔面蒼白のまま、涙を流し続ける。
シャカシャカが、ねぇ……。
何の気まぐれでコイツを助けたのか分からないけど、まぁ、それもどうせ、アイツ流の暇つぶしかなんかだろ〜な。
ニアニアは何かを思い出したのか、頭を抱えて、髪をグシャグシャと掻き乱し始めた。
「わ、私も、本当はあの時……ちゃんと罪を償っておけば良かったって何度も後悔した……。
あの後、朱夏はあの事を黙っとく代わりにって、私をいいように使い始めて……。
汚い親父の玩具になったり、色んな男の相手をさせられたり……。
最初は、皆金持ちだし、私も良い思いする事もあったけど、その内私が若くなくなってきた後は……地獄だった……。
気が付いたら、それまでの贅沢な暮らしから抜け出せなくなってて。
そういうパーティで相手をさせられた事もあったから、薬漬けになってたし……。
……最後は薬も買えなくて、裏街の端っこでゴミみたいに死んだんだよ……。
あの時、あの子を殺した罪をちゃんと償って、真っ当に生きれば良かったって、何度も思ったっ!」
……真っ当に、ねぇ?
「で、それを生まれ変わった今、なんでそうしなかったわけ?」
今世でもお前、何も変わってねぇじゃねーか。
「………えっ?」
ニアニアは呆然として目を見開いた。
「あれ?そう言えば、私、何でだろ……?
転生に気が付いて、やった!生まれ変わりガチャに当たったって、喜んでて。
それから……やっぱり少しでも早くまともな暮らしがしたくって、父親の所に行って……。
ああ、でもその時は、まだ何とかなるって思ってたのに……。
人より少し贅沢な暮らしに満足してた。
魔法属性が無くても、義母に虐められるって分かってても、私がヒロインだし、何とかなるって……。
なのに……そうだ、ニーナに会いに行って、ニーナの中身が朱夏だって気付いて。
それで私、死ぬ前まで朱夏の事あんなに憎んでたのに、朱夏だって思ったら何故か嬉しくなっちゃって……。
何も知らない朱夏に〈キラおと〉の事を教えてあげるのが、楽しくって仕方なくって……それで……」
ニアニアは独り言のようにぶつぶつ呟き始める。
それは、まるで何かに取り憑かれているかのように、異様な姿だった……。




