EP.72
「これ、ありがとう」
さっきエリオットに買ってもらった髪どめを指差して、ボソッとお礼を言うと、エリオットはふふっと笑った。
「どういたしまして、僕こそ受け取ってくれてありがとう」
嬉しそうなエリオットを見ていると、なんだか気恥ずかしくなって、ふいっと横を向いてしまう。
屋台が並ぶ通りを見渡せる、少し離れた場所にある広場のベンチに2人並んで腰掛け、温かいコーヒーを飲みながら、ぼーっと通りを眺める。
屋台で食べ歩きしたり、売っている物を眺めたり、皆にお土産を買ったり。
思いの外楽しく過ごしてしまった。
エリオットはさり気なく、私が人にぶつからないように庇ってくれたり、私が興味を持ちそうな物にいち早く気付いて誘導してくれたりと、スマートなエスコートってやつの見本みたいだった。
勉強になるな。
ただ、自分が女性扱いされるのは何だかむず痒くて、どうも調子が出ない。
別に私は、人と肩がぶつかろうが気にしないのだが、そもそも自分で避けれるし。
けど、エリオットに肩を抱かれスッと避けてもらうと、今自分、すごく女性扱いされてるって意識しちゃって、なんか歩き方までギクシャクしてしまった。
ただの街ブラなのに、どうも落ち着かない。
なんかふわふわ、地に足がついていないみたいだ。
「本当は、クラウスみたいに大量にドレスや宝石を贈りたいんだけどね」
チラッとこちらを見るエリオットに、私はうんざり顔で答えた。
「要らないわよ」
私の答えにエリオットは残念そうに肩を上げる。
いや、そもそもエリオットとクラウスでは立場が違う。
クラウスはキティの婚約者だが、エリオットにとって私は、あくまで弟の婚約者。
その弟が大して私に贈り物などしないのに、そこを飛び越えてエリオットがジャカジャカ贈り物をしてきたら、大変におかしな話になってくる。
噂好きな宮廷で、何と言われるか分かったものじゃない。
あとそれに、私は特にドレスや宝石に興味がないし、その辺はお母様に任せっきりだ。
今やお母様の趣味の領域なのだから、そこを侵さないでやってほしい。
「だよね、リアが欲しいものはそんなものじゃないよね」
正面を見つめながらふふっと笑うエリオット。
分かってんならいいけどさ。
キティみたいに馬鹿でかい氷彫刻なんか贈られたらたまらんし。
エリオットの穏やかな横顔を横目で見ていると、少し悪戯っぽい表情に変わる。
「リアが欲しいのは、自由、かな?」
ギクっ!
私は思わずその場で小さく飛び跳ねた。
な、な、な、何を言ってっ!
な、何の事やらっ!
「リアは全ての事に片がつけば、冒険者にでもなるつもりかな?」
そう言ってエリオットはチラッとこちらを向いて片目を瞑った。
んっ!なっ!
そ、そんな訳っ!
ビンゴーーッ!
何故コイツが知っているっ!
私の素敵未来計画をっ⁉︎
思わず目を見開くと、エリオットはアハハっと声を上げて笑った。
「それも楽しそうだね」
どこかを遠く眺めながら、呟くようにそう言うエリオット。
……そうか、コイツはこの国の王太子だから。
どこにも、行けないんだ。
外遊や諸国訪問とか、政務で国を離れる事はあっても、好き勝手に生きる事は許されないんだ。
ずっとこの地に縛られて、どこにも行けない。
まぁ、私だって公爵家の人間だし、本当なら好き勝手出来る身分じゃない。
けど、婚約破棄される事は決まっているし、国外追放されたいとこだが、無理なら傷心を装って留学って事にでもして、冒険の旅に出るつもりだ。
どんな理由であれ、婚約破棄されれば女性の方に傷がつく。
それを理由に何としてでも国を出ればいい。
だけど、やはり王太子は違う。
エリオットに比べれば、私は自由な方だ。
国を背負う人間は、どんな理由があってもそこから逃れられない。
「アンタも、何処かに行きたいの?」
思わずそう聞くと、エリオットはハハッと笑った。
「違うよ。楽しそうだとは思うけどね。
僕はね、この国を、この土地を、愛しているんだ。
ここを守る為、統治者が必要だと言うなら、それを僕にやれと言うなら、喜んでやるよ。
王太子だろうと、王だろうとね。
この国をそれで守れるなら」
穏やかな中に強い意志のこもったその瞳に、私は一瞬、ハッとした。
いつもふざけてばかりのエリオットの、深い国への想いを初めて知った。
いつも大変そうだな、よくやるな、なんて思っていたけど。
私なんかとは国への想いが比べようもないほどに深いのだ。
私だってこの国が好きだし、大事に思っている。
守りたい人もいるし、大事な人もいる。
ここが私の故郷だと、今はそう思っている。
それは冒険の旅に出ても、きっと変わらない。
だけどエリオットは、必要とあれば自分の大事な物を捨ててでもこの国を守らなければいけない。
それは、想いとか、人かも知れない。
自分の意志より国を想って、生きなければいけないんだ。
だからエリオットは私に何も言わない。
公爵家の令嬢のくせに、自由と冒険を求める私に。
例え、婚約破棄になって傷物になろうと、私には他にも使い道はあるのに。
それほど、公爵家の令嬢の名は伊達じゃない筈だ。
王家を支える有力者に下賜してもいいし、他国に嫁がせてもいい。
本来なら、重要な政治の駒として、自由など与えられる訳がないのに。
エリオットは何も言わない。
そんな事、きっと思ってもいない。
……私は、本当に、このままでいいの?
そりゃ、冒険の旅に出る事は前世からの夢だ。
せっかくファンタジーな世界に生まれ変わったのだから、夢は叶えたい。
だけど、スタートが王国の公爵家の人間なのに。
本来なら、一臣下として国を支える立場である筈なのに。
本当にそれでいいの?
目の前にいるエリオットは、王太子として生まれた自分の立場から目を逸らさず、真正面から受け止め、この国を守る為、その身を捧げてきたんだ。
それはきっとこれからも……。
急に自分が器の小さい人間に思えて、恥ずかしさに身を縮めた。
「どうしたの?寒い?」
言いながらエリオットは外套を脱いで、サッと私の肩にかけた。
いやいや、違う。
ってか私もモコモコしたの着てるし!
それじゃ、アンタの方が寒いじゃんっ!
慌てて外套を突っ返し、私はモゴモゴと口を開く。
「あ、アンタはそれでいいの?
私が冒険者になっちゃって」
言いたい事はこれじゃないっ!
脳内でセルフツッコミを入れるも、もう遅い。
何が言いたかったのかも・実はよく分からないし、ヤバい、どうしよう。
ダラダラと汗を掻いていると、エリオットが私の頬を両手で包んで、上向かせた。
優しく笑いながら、私の目を覗き込むエリオットに、何も言えず、ただ見つめ合った。
「本当は、どこにも行かせたくない……かな。
鎖で繋いで、綺麗な籠に閉じ込めて、誰にも見せたくないし、どこにも行かせない……」
エリオットの瞳に、見た事もない欲望の光が揺らめいて、反射的に体が震える。
ジッと見つめていると落ち着かなくなって、胸の鼓動が煩いくらいに飛び跳ねた。
「……だけど、それと同時に、僕は自由なリアが好きなんだ。
イキイキと好きに飛び回っている君を見ていたいとも思う。
君に自由を与えたい、そして好きに生きて欲しいと……」
無理やりその欲望の光をねじ込むように消すと、エリオットは少し俯いた。
長いまつ毛が目の前で震えている。
ややして瞳を上げたエリオットは、いつものように穏やかな眼差しで、私の目をジッと見つめた。
その瞳が濡れたように光り、私は胸がドキリと高鳴った。
「リア、自由な君を愛しているよ」
その真剣な眼差しに射抜かれて、声も出せない。
なのに顔にはどんどんと熱が集まって、今絶対に耳まで赤いと思う。
何?
何が起きてんの、今?
エ、エリオットが、私を愛してるって言った?
いやいや、待て待て。
そんな事は言ってない。
エリオットは、自由な私を、って言ったんだ。
つまり、自由に好き勝手やってる私を見ているのが楽しい、とか、自分の代わりにいくらでも自由にして欲しい、とか、たぶんそんな感じ。
決して、男女のアレじゃないっ。
アレな訳がない。
だって、私とエリオットはそんなんじゃ……。
そもそも、私はそういう事、分からないし……。
頭が混乱してクラクラ目眩を起こす私に、エリオットはふふふっと笑った。
「今日は怒らないんだね。
いつもみたいに拒絶反応もないみたいだし。
良かった、気持ちをやっと伝える事が出来たな」
嬉しそうなエリオットに、私は目の前がチカチカと瞬いた。
「なっ……えっ……き、気持ちって……」
無意識に声が出て、馬鹿そこツッコむなよっ!て、脳内で自分の声が響く。
エリオットは愉悦の表情を浮かべ、うっとりとその瞳を揺らめかせた。
「もちろん、リアへの僕の気持ちだよ。
好きだよ、リア。愛してる」
な、な、なっ!
驚愕に口をパクパクさせる私を、エリオットは楽しそうに眺めていた。
その瞳は熱っぽく潤んでいて、友達とか家族的な?と誤魔化す事も出来ない。
「なっ、わ、私は、そ、そんなのっ……」
「分かってるよ。リアにはまだこういうのは理解出来ないんだよね?」
あっさり見破られて、私は唖然とする。
「……う、うん」
えっ、いいの?
混乱しつつも素直に答えると、エリオットが頭をポンポンと優しく撫でた。
「いいんだ、僕が気持ちを伝えたかっただけだから」
心なしかスッキリした表情のエリオットに、私はちょっと拍子抜けした。
「無理はさせたくないし、今すぐどうこうなりたい訳じゃない。
でも僕もそろそろガス抜きしておかないと、本当にヤバくて。
シャレにならない事をしでかす前に、ね」
そう言って片目を瞑るエリオットに、私は訳も分からずコクコク頷いた。
あ……、いいんだ。
こういうのって、必ずイエスかノーを出さなきゃいけないんだと思ってた。
だって、そうしなきゃ、なんかフェアじゃないし。
……でも、エリオットは、いいんだ。
良かったぁぁぁぁぁぁっ!
だって気まずいじゃんっ!
今私が答えるとしたら、ノーだからさ。
エリオットが嫌とか、そんなんじゃないけど、立場的にもノーじゃん?
表面上は別に婚約者がいる訳だし。
いや、まぁ、一応。
そ、それに、あれだ。
エリオットと、その、仮に。
こ、恋人同士になったって、ど〜すりゃいいんだよ。
手くらいなら繋いでもいいけどさ。
その、そうだな……。
で、でこチューは既にやられてるし、まぁ、大丈夫?
で、でも、あれだろっ?
口にキスとか、しなきゃいけないんだろ?
そんなの……そんなのっ!
私は無意識についエリオットの形の良い唇を見つめる。
少し薄い唇は、常に口角が上がっている。
この唇に………私の唇が………。
そう考えた瞬間、ボンッと頭から湯気が立って、フラフラになった。
む、無理。
そんなん、私、無理ぃ!
やっぱりどう考えても無理っ!
ノーッ!答えはノーッだっ!
でも、そうなったら、たぶん今まで通りではいられないよな。
エリオットは普通に接してくれるかもしれないけど、私が無理。
今までみたいな距離感じゃいられない。
そしたら、離れなきゃいけないじゃん。
別に、王太子と公爵令嬢として、普通に接すればいいのかもしれないけど、今更、そんなのなんか寂しいし……。
ってかエリオットは気付けば側にいるストーカーなのに、それがイキナリいなくなったら、こう……なんか、モヤモヤするというか……。
いや、待て待て待てっ!
これ私、人として最低では?
嫌な部分出てない?
人の嫌な部分出てない?
前世で散々あったじゃんっ!
気持ちには応えられないのに、相手にハッキリそう言わない奴。
されてる側の女の子の話も、してる側の女の子の話も散々聞いたじゃんっ!
んで、グダグダうぜ〜な。
ハッキリさせろやって思ってた!
思ってたよっ!
ハイっ!今、私、それっ!
って、あかんやんっ!
付き合うとか分かんねーから、無理。
でも、急にいなくなるのはなんかヤダ。
って、最低かっ!
私、最低かっ!
だ、駄目だ、やっぱりこんなの耐えられないっ!
ハッキリさせなきゃ!
ノーならノーって言わなきゃ駄目だろっ!
「あっ、エ、エリオットッ!わ、私っ!」
意を決して開いた口を、エリオットの人差し指が押さえる。
「だ〜〜め」
悪戯っぽく笑うエリオット。
「まだ答えはいらないよ。
そもそも、僕は答えが欲しい訳じゃないんだ。
そんなの、僕には意味ないからね。
リアの答えがノーでも、僕の気持ちは変わらないから」
えっ?そんなの有り?
普通、断られたら潔く身を引いて、次にいくんじゃないの?
王太子だし。
いるじゃん?お世継ぎ。
なのに、私に合わせてこんなグダグダしてていいわけ?
ポカンとしていると、エリオットはふふふっと楽しそうに笑った。
「僕はまだリアを口説いてる最中なのに、断られたくらいじゃやめられないな。
リアを口説くのは僕の生き甲斐なのに」
にっこり笑うエリオットに、今、初めて、ストーカーの真の恐ろしさを目の当たりにした。
……そうだ、私何でコイツを普通に当てはめようとしてたんだろう。
コイツは狂気のストーカー、バーサーカーだった。
人の話など通じない。
こちらの迷惑などお構いなし。
自分がやりたいようにやる。
サイコパスな犯罪者だった。
断る断らないの次元じゃなかった………。
「ふふっ、でも嬉しいな。
今リア、僕の事すごく考えてくれたでしょ?
もしかしたら、どこまではオーケーとかも考えてくれた?」
また瞳の奥を熱っぽく潤ますエリオット。
私は考えていた事を読まれていたのかと、ギクっと体を震わせた。
「ねぇ、今頭の中で、どこまでオーケーしてくれたの?
手くらい繋いでくれるよね?
じゃないとパーティでエスコート出来ないし。
指先に口付ける事も、許してくれるでしょ?
貴族同士の挨拶だもんね。
あっ、僕はリア以外にはしないよ?
王太子って便利だね。
他の女性にしなくても失礼にならないんだから。
じゃあ、おでこに口付けるのは?
この前はすごく怒らせちゃったけど、今ならどう?
さっき、頭の中では許してくれた?」
こ、コイツ………っ!
やっぱり人の頭の中、読んだんじゃね〜だろうなっ!
耳まで真っ赤にして口をパクパクさせる私を見て、エリオットはクスクスと笑うと、急に顔を近付けてきた。
咄嗟に身構える私の耳元で、艶っぽく囁く。
「駄目だよ、リア。僕みたいなのに、少しでも許したら……」
そして、私の頬に素早く口づけをした。
……いや、口づけっていうか、ハムって甘噛み……した……?
ビックウゥゥッ!!と体を震わせる私にクスクス笑いながら、また耳元に唇を近づけると、チュッと耳に口づける。
「ひゃっ!」
自分でもビックリするくらい変な声が出て、エリオットが口づけた耳を押さえながら睨むと、何故かエリオットは瞳孔が開いている。
な、何だよっ!
怖えーよっ!
エリオットはグググっと何かを押さえつけるようにキツく目を閉じて、深呼吸を何度も繰り返していた。
ややして落ち着いたのか、ゆっくり瞳を開くと、困ったように眉を下げた。
「リアったら、そんな可愛い声出したら駄目じゃないか。
僕のリミッターもそんなに保たないよ?」
首を傾げながらそう言うエリオットの瞳の奥で、まだ何かの炎が燻っているような気がして、私は反射的に何度も頷く。
わ、分からんがっ!
気をつけた方がいい気がするっ!
何か分からんがっ!




