EP.57
秋の気配の漂い始めた学園のカフェテラス。
目の前に座るキティは、私に意を決した様に話しかけてきた。
「シシリィ、私、ヒロインに直接言いたい事があるんだけど」
私は片眉を上げて、興味深そうに身体を前のめりにする。
「言いたい事って、何よ?」
私の問いに、キティは自分の膝に乗せた手で、ギュッとスカートを掴んだ。
「私、ヒロインの事、認める事が出来ないって、気付いたの」
その瞳には揺るぎない強い意志が宿っていた……。
キティ…………。
やっとかよっ!
えっ?むしろまだそこ?
つい最近まではまだヒロインって認めてたって事?
あれを?
い、いやいやいや。
キティにしてはすごい進歩だ。
〈キラおと〉廃プレイヤーがヒロインを否定出来るまでになったんだから。
私は内心の葛藤などおくびにも出さず、楽しそうに口元を上げた。
「私は、自分の転生を知ってから、無い頭を捻って出来るだけの努力をしてきたつもりよ。
勉強だって、淑女教育だって、楽だった訳じゃ無い。
努力に努力を重ねて、何とか先生方に食らいついてきた。
特に淑女教育は辛い事も沢山あったわ。
それでも、グローバ夫人に認められるまで、諦めなかった。
……でも、ヒロインは違う様な気がするの。
確かに侯爵家と男爵家では受けられる教育の質が違うと思う。
それでも、最低限の教育は受けられたと思うの。
それなのに、彼女は必要最低限のマナーさえ身に付けていない。
それに、彼女は淑女教育以前に、人としてのマナーも最低だわ」
キティの言葉に、いよいよ私は嬉しそうに笑う。
「それで?」
続きを促すと、キティは鼻息荒く言葉を続けた。
「彼女がクラウス様と恋に落ちても、その先の未来はどうなるの?
彼女はとてもじゃないけど、王子妃然とした振る舞いなんて出来ないわ。
今からグローバ夫人に師事したとしても、早くて5年は掛かると思うし、今の彼女ではグローバ夫人に認められて、ご師事頂く事も叶わないと思うの。
彼女、まだ私の根も歯もない噂を流してるでしょ?
この前、私が彼女を階段から突き落としたって噂がnewされてたわよっ!」
フンガーーーッ!
鼻息の荒いキティに、私は頬杖をついて答えた。
「ああ、アレね。ご丁寧に証言者が3人もいるんですって。
アーバン・ロートシルトと、その取り巻きのマリエッタにヴァイオレットだったかしら?」
私の言葉に、キティはうんうんと頷いて、テーブルをバンッと叩く。
「いつの間に仲良くなったのか知らないけど、そんな嘘の証言を人に頼んでまで私を貶め様とするなんて、おかしいわ。
ヒロインなら正々堂々と、清く正しく美しく完膚なきまでに攻略を進めるべきよっ!
彼女のやっている事は真逆じゃない?
クラウス様の婚約者の私が気に入らないなら、私を貶めるのでは無く、同じ土俵に上がる努力と根性を見せるべきだわっ!」
キティはガッと拳を天に向かって振り上げた。
「それに、生徒会や私のファンクラブ(公式)に注意されても、彼女は一向に行動を改める気配がない。
それなら、もうっ!誰が彼女にガツンと言って目を覚まさせるのよっ?私でしょっ!」
フンガーッ!
鼻息が荒過ぎて酸欠を起こし、ちょっと目を回しているキティに、私は、ゆっくり、ゆっくり手を打った。
……パンッ……パンッ、パンッ、パンッ。
パチパチパチパチッ!
最後は激しめに、わざとらしい拍手をする。
まるで往年の大女優が何かに感動して、今初めて心の底から認めた様な。
……つまり、芝居がかっているという事だっ!
やっとそこまで辿り着いたキティに、感動の涙が止まらない。
長かった……。
ほんとうっっっにっ!長かった……。
頑なにフィーネをヒロインと信じ、いつクラウスを奪われるかとビクビクおどおどしているアンタに、何度っ、脳天チョップをお見舞いしてやろうかと思ったことかっ!
いいからそのゲーム脳からいち早く目を覚ませっ!とガックンガックン揺さぶりたい衝動を、何度も耐え忍び、やっとここまで辿り着いた……。
私をこんなに疲弊させるなんて……。
キティ、恐ろしい子っ!
いや、今は兎にも角にも、またキティが尻尾巻く前に畳み掛けるわよっ!
「よく言ったわっ!キティッ!
貴女なら必ずいつかそう言ってくれると信じていたわっ!」
キティは私の芝居かかった台詞を、胡散臭そうなものを見る顔で、無言で見つめている。
いいからいから!
アンタの考えが変わらない様にこっちだって必死なんだよっ!
「エリー、報告を」
今まで離れて立っていたエリーが、素早く私の魔法展開内に入ってくる。
「はい。フィーネ・ヤドヴィカについての調査報告をさせて頂きます」
エリーの言葉にキティが不思議そうに首を傾げる。
「フィーネ・ヤドヴィカ、6月2日生まれ、16歳。
ヤドヴィカ男爵家の庶子として産まれる。
父は、ダン・ヤドヴィカ。
母はヤドヴィカ家の元メイドだった、ナンシー・ミラー。
幼い頃は、母と共に市井で暮らしていましたが、8歳の頃、その母親が亡くなり、ヤドヴィカ家に引き取られています。
それから直ぐにヤドヴィカ男爵夫人も死去。
男爵と夫人に子供はいなかったので、フィーネが正式な跡取りに決定しました。
もともと、元メイドであったナンシーを深く愛していたヤドヴィカ男爵は、彼女によく似た娘を溺愛します。
フィーネはこの時から既に、現在と同じ妄言を口にしていた様です。
曰く、自分はこの世界の主人公で、未来の王子妃である、等です。
男爵はフィーネにあらゆる習い事や教師、マナー講師を迎えましたが、フィーネはそのどれも拒否し、娘を溺愛するヤドヴィカ男爵も無理強いはしませんでした。
学園で問題を起こし、謹慎処分になった時も、男爵はフィーネが被害者だと信じて疑わなかった様です。
更に、夏季休暇中に、ロートシルト伯爵家がヤドヴィカ家に接触。
男爵は魔法優勢位派に与したと考えて、間違いありません。
今は学園で、フィーネとロートシルト令嬢が組んで、キティ様の悪評を風聴して回っている所ですね」
エリーの報告に、キティは驚いて目を見開いていた。
ちなみに、フィーネとアーバンが接触した時期は、キティ用にちょっと変えてある。
実際は、入学してすぐのあの一件後、間を置かずしてなのだが、キティが万が一にも、自分が関係した騒ぎのせいで魔法優勢位派が準魔族に接触したなどと後々考えたりなどしない様に、夏期休暇中、とズラしてある。
そもそもまったくキティは関係無い筈なのだが、そこを関連付けて色々気に病んじゃうのがキティという生き物だからな。
私が黙って手を挙げると、エリーはまた魔法の外に離れていった。
「ちょ……ちょっと待って…おかしすぎるわよ」
キティは衝撃に頭が混乱して、なかなか次の言葉が出てこない様だ。
私もそのキティに合わせて、自分の顎に手をやり、考え込んでいる、フリをする。
「……ねぇ、ヒロインが男爵家に引き取られたのって、ゲーム開始のだいたい1年前くらいよね……?」
ややして、何とかキティが言葉を発する。
私はそれに静かに頷いた。
「ええ、間違い無いわ。
それにゲームだと、ヤドヴィカ男爵夫人は死んでいない」
私の言葉に、キティは何度も頷いた。
「そうなのよっ!そこもおかしいっ!
ヤドヴィカ夫人は浮気相手の子供を溺愛する夫が許せなくて、ヒロインを学園入学まで虐め倒すのよ。
そのせいで、ヒロインは学園の寮に入るの。
準備期間は短かったけど、自分を溺愛する父のお陰で、ヒロインは必要最低限のマナーは身に付けられたし、必死で勉強もしたから、優秀な成績で学園に入学した……」
キティの言葉はだんだん独り言の様になっていった。
これは考え込んだ時のキティのクセだ。
頭の中で喋っているのか、口に出しているのか曖昧になるところがある。
本人はだいたい無自覚なので、ある程度は知らないフリをしているが、今回のはちゃんと私に喋りかけている自覚がありそうだ。
ジャッジがなかなか難しいんだけどね。
「そうね。それに〈キラおと〉にはザマァされる悪役令嬢はいないけど、ザマァされる義母はいた。
それがヤドヴィカ夫人だった筈なんだけど……」
私の言葉にキティは大きく頷いた。
キティは〈キラおと〉のヒロインのシンデレラストーリーを頭の中で反芻している様だ。
まぁ、本来のヒロインであれば、14歳で実の父に引き取られた後、ヤドヴィカ夫人に使用人の様な扱いを受け苛め倒される訳だが。
優秀な上に明るく健気で優しいヒロイン。
攻略対象のだれと結ばれても玉の輿のシンデレラ。
意地悪な義母にザマァしてハッピーエンド。
「あの、ヒロインのシンデレラ性が良いのよね〜」
キティに合わせて溜息を吐きつつそう言うと、キティもほぅっと溜息を吐きながら語り出す。
「そうそう、本当に王道中の王道でさぁ……。
苦労して、辛い思いもしてきたヒロインが、自分の力で学園に入学して、攻略対象達と出会い、奇跡のゴールイン。
って、女の子なら誰でも憧れる王道のシンデレラストーリー……。
例え、使い古されたネタだとしても、乙女ならトキメかずにはいられない……。
何と言われようと、良いものは良い。
あのシナリオがあってこその〈キラおと〉……」
うっとり頬を染めるキティ……。
だが、私が急にバンッと机を叩いて、立ち上がると、キティはビクッと体を震わせて、小動物の様に衝撃で固まった。
「1は良いのよっ!1はっ!
問題は2のあのふざけたシナリオよっ!
何が革命っ!何がレボリューションだっ!
ふざけんじゃ無いわよっ!」
そうっ!私は革命でレボリューションな悪役令嬢っ!
1との格差がエグいっ!
何これ、この差?
シナリオライター変わったよね?
自信だけで突き進む、絶対に書いちゃいけない奴が担当したよね?
それとも運営が、何にでも湧いて出る一部の文句しか言えない勢の言う事を間に受けちゃったか?
どっちにしろ、ヒロインも攻略対象もまともじゃ無いって、どんなシナリオだよっ!
しかも唯一まともなのが悪役令嬢だけって、もう草ぁーーーっ!
……まぁ、その悪役令嬢も、既にまともとは言えないんだけどね……。
中身私だからね。
キティも私と同じ事を考えていたのか、〈キラおと2〉の墓前(幻覚)の前で、そっと手を合わせている……。
「どうか、1まで巻き込まないでね、1まで……」
弔うなっ!
あと、心の声がまただだ漏れてるっ!
くそっ!
王道の余裕か?
良いよなぁ、王道さんちの子はよぉっ!
「まぁ、今は、2の事は置いておきましょう……。
問題は、ヒロインの生い立ちが大幅に変わってしまっている事よ」
肩でゼェゼェと息をつきながら私が言うと、キティは頷いて、自分の顎に手をやった。
「そうね、これだけ変わっていれば、もう彼女は〈キラおと〉のヒロインとは言えないわ。
しかも、何故か魔法優勢位派の貴族が彼女の後ろ盾に立っている……。
もう、ヒロインがどうとか、悪役令嬢がどうとか、ゲームのシナリオがどうとか、言っていられないわ。
私は、第二王子の婚約者、ローズ侯爵家令嬢として、出来る事をやらないと……」
キティはそう言いながらも、不安気にその顔を曇らせた。
無理も無い。
キティは自分が〈キラおと〉の悪役令嬢と信じて今まで生きてきたのだ。
前世やり込んでいた乙女ゲーだし、事前に全てのシナリオを知っているつもりでいた。
その事に、どこかで安心感を感じていた事も、また事実だろう。
それがここにきて、先が読めない展開になってきたのだから。
恐怖を感じて当然だ。
死亡ルートしか無い悪役令嬢として、その運命に抗おうと必死に生きてきたキティ。
それでも、実際シナリオから外れ始めると不安と恐怖に襲われる。
それだけキティはこの世界が〈キラおと〉の中なのだと信じてきたのだろう。
だが、もうキティはゲームの中のクラウスを求めてはいない。
キティは現実に存在するクラウスを、自分の手で守りたい、と立ち上がろうとしているのだ。
それがどれほど、私達が待ち望んできた事かなど、キティは知らなくてもいい。
ただ、キティが立つなら私達が全力でバックアップして守る。
キティが正しいと思える事を成せる様に………。
机の上に置かれた、キティの震える手を、私はギュッと力強く握った。
「大丈夫よ。私達がついているわ。
必ず、キティを守る。
だから貴女は自分を信じて。
やるべき事を成しなさい」
力強くそう言うと、キティの目に涙が滲んだ。
「どうして、私にそこまでしてくれるの?」
キティの声は弱々しく震えていた。
私は安心させる様に、優しく微笑む。
「確かに私は前世、キティ最推しだったけど、別にそれだけが理由じゃないわ。
同じ転生者として、貴女を心から尊敬してるの。
私は貴女ほど過酷な運命を背負った悪役令嬢じゃないから、まぁ、何とかなるわ〜って生きてきたけど、貴女は幼い頃からずっと努力してきていた。
自分の気持ちにも蓋をして、クラウスからも逃げようと必死だった。
それって、本当はすごく辛い事だったでしょ?
自分の死亡ルートに大事な人を巻き込みたく無いって、貴女はずっと自分を律してきた。
そんな貴女を見てきて、私は心から、今の貴女自身を守りたいと思っているの。
死なせないわ、キティ。
それに、あのヒロインにも、誰にも傷付けさせない。
私を、私達を信じて。
貴女は自分の人生を掴んでいいのよ」
心からの私の言葉に、キティの瞳からボロボロと涙が溢れた。
キティがずっと我慢してきた感情が、涙になって後から後から溢れていく様に……。
「あ……あだじ、いぎだいっ」
「うん……」
キティの不明瞭な涙声に、私は強く頷いた。
「ぐ、クラウスざまの事も……諦めたく、ないっ」
「うん…」
「ほんどうは、クラウス様とげっごんして……じあわせになりたいっ!」
「うんっ!」
やった!
やっと言ってくれたっ!
その言葉をどれほど待ち望んでいたかっ!
私はキティに力強く頷いて、その両手をギュッと握った。
「なろうっ!キティっ!幸せになっていいんだよっ!」
自分では見えないけれど、私は今、今までに無いくらい破顔しているのだろう。
だってキティが……。
いつも人の事ばかりだったキティが……。
幸せになりたいって言ってくれたっ!
やっと、やっと、やっと……。
キティがそう言ってくれるなら、もう何の迷いも遠慮も要らないっ!
キティの幸せがクラウスの隣にあると言うのなら、遠慮無くその隣に立ってもらいましょう。
その邪魔をする、憂いも悪意も横槍も、ありとあらゆる余計な物全部、私が捻り潰すっ!
キティは私に向かって目を細め、泣き顔で精一杯に笑い返してくれた。
「うんっ!シシリィ、ありがとう……。
私、私頑張るからっ!
側で見ていてくれる?」
キティの言葉に私は大きく頷く。
「あったり前よぉ、がっつりアリーナで観戦させて頂くわっ!」
私の言葉に、キティは声を出して笑った。
キティのこんなに無邪気な笑い声を聞いたのは、この世界で出会ってから初めてかも知れない。
キティはこの人生を空気の様に生き様としていた。
攻略対象達とも距離を置き、クラウスにも近付かないよう。
まぁ、そんな事は、あのクラウスに見染められた瞬間から叶わない事ではあったが。
それでもキティは、いつでもクラウスから身を引けるよう、ずっと自分の気持ちに蓋をしてきた。
どうしてもっと自分を大事にしてくれないのか?
どうして自分の幸せを求めてくれないのか?
死亡ルートしか無い悪役令嬢には酷な事かも知れないけれど、どうしてもそう思わずにいられなかった。
キティはいつもどこかで、死亡ルートを回避出来なかった時の事ばかり考えている様に見えたから。
実際、その時の為に空気であろうとしていたのだろう。
自分が死んだ後、誰も悲しまない様に。
でも、そんなのは絶対に無理だっ!
無理なんだよ………。
皆、キティを大事に思っている。
キティを愛している家族がいる。
キティがいなくなれば、全てが無になる男もいる。
私だって、キティを失いたくない、失えない。
キティだって皆と同じ様に、皆が大事で愛している筈。
それにもう、クラウスを1人には出来ないと薄々気付いている筈だ。
クラウスは誰にも譲る事など出来ない、キティじゃ無いと駄目なのだと……。
死では無く、生きる覚悟を、キティは決めた。
自分に足りなかった、自分を大事にするという事に、気付けたからだ。
ならば私のやる事は1つ。
いつかウェディングドレスを着たキティがクラウスの隣で、これが私の幸せだーーっ!て叫べる様に、邪魔する全てのものを薙ぎ払うっ!
必要とあれば焼き払うっ!
うおおおっし!
滾ってきたーーーーーっ!
もう、遠慮なんかしねーぞっ!
お前ら纏めて幸せにしてやっかんなっ!
密かに闘志を燃やしていると、キティがガタッと立ち上がり、強い意志の篭った瞳で見つめてきた。
「シシリィ、私、決めたわ。
ヒロインと戦って、悪役令嬢の私がクラウス様を勝ちとってみせるっ!」
私はそんなキティに感動を抑えられず、両手で口元を押さえた。
「今、ハッキリと思い出したわっ!
私はっ!同担拒否っ!ヒロイン拒否っ!
クラウス沼の住人よーーーーーっ!!」
「キティっ!カッコいいーーーっ!」
プルプル震える……か、感動で……。
いや、マジで、か、感動してるよ?
ここにきてまだゲーム脳なキティに。
徹底してるなぁって、感動してるよ?
どうしてこの子は、こうも天才的に明後日なのか………。
キティは感動していると見せかけて、肩が笑っている私に気付き、いつもの、無意識に脳と口が直通状態で叫んだ。
「悪いところ出てるっ!
抑え切れてないわよっ!
あんたのそういうトコやぞーーーーーーっ!」
ぶふっ!
ご、ごめんごめんっ。




