EP.32
シャンデリアの下で、その瞳をギラギラと憎しみに揺らめかすフィーネ。
その顔はヒロインとは思えない程醜く歪んでいた。
まぁ、最初からヒロインでも何でも無いんだけど。
ニーナはその隣で、呑気に欠伸をしながらシャンパンを飲んでいる。
「シシリア、僕と一曲踊ってくれませんか?」
声を掛けられて慌てて隣を見ると、真っ青を通り越して真っ白な顔をしたノワールが、儚気に微笑み、こちらに手を差し出していた。
ファーストダンスはエスコートしてくれたパートナーと踊るのが慣例だ。
その後、やっと他の男性がダンスに誘える様になる。
自分の任務を真っ当に遂行しようとするノワールに、私は涙を飲み込んだ。
偉いな、お兄ちゃんっ!
今日のお前に乾杯っ!
手を取り合い、ダンスホールに躍り出る私とノワール。
その後次々に他のパートナー達もダンスを始める。
一気に賑やかになったダンスホールから、フィーネとニーナの動向を探ろうと、目を凝らす。
2人共パートナーは父親が務めている様だ。
溺愛する娘と踊れてニコニコなヤドヴィカ男爵には目もくれず、フィーネは相変わらずキティとクラウスを目で追い続けていた。
その内、フィーネはその顔に余裕を浮かべて、楽しそうに口角を上げた。
急にご機嫌になったフィーネの足らない頭の中を、私は瞬時に見抜いていた。
あの顔は、自分が主人公であるゲームが、より一層ドラマチックになったと喜んでいる顔だ。
自分がこの世界の主人公である事は揺るぎない。
で、あれば、今回のキティとクラウスの婚約発表は、悪役令嬢キティの断罪からの婚約破棄の為の布石ね……。
とか考えているのだろう、本当に頭が悪い、ご愁傷様。
どうせ、婚約もキティのゴリ押しでどうにかしたのだろう、可哀想なクラウス……。
直ぐに私の真実の愛で貴方を助けてあげるわっ!
待っていてねっ!
………も、付け足しておこうか?ノータリン。
全部顔に出てるぞ。
凄いな、ある意味それがヒロイン補正なんじゃ無いか?
察してちゃんの最終形態かよ。
嫌いやわ〜。
それからフィーネは楽しそうに、その会場にいる他の攻略対象達を、文字通り物色し始めた。
まず、レオネルをうっとりと見つめ、舐めつく様な視線を送る。
勘のいいレオネルは、悪寒を感じたかの様にブルっと身震いしていた。
次に私と踊るノワールを舐め回す様に見つめる。
当然、今それどころじゃ無いノワールは、そんな視線になど気付きもしない。
代わりにその視線を肌で感じて、私は吐きそうになった。
本当に、気持ち悪い。
よくあんな目で人を見れるな。
ここがゲームの世界で、皆がゲームのキャラだと思い込んでいるからこそ、あんなに無遠慮に人を見ていられるのだろう。
その、人を人とも思わない気持ち悪い視線に、私は本気で吐き気をもよおした。
その時、一曲目が終わり、それぞれ男女が離れていく中、クラウスはキティを一向に放す気配は無かった。
晴れて婚約者になった今、それは許された行為だが、周りから残念そうな溜息が漏れた。
通常、ダンスは一曲毎に相手を変える。
ファーストダンスはエスコートの相手と。
その後、他の男がダンスに誘う権利を得る。
続けざまに踊る事を許されるのは、家族、夫婦、そして婚約者同士のみ。
なのでクラウスの行為は何ら問題無いのだが、今日は社交界デビューを果たしたデビュタント達が主役のパーティー。
一生の思い出にと、王子様と踊りたがる令嬢は多い。
通常、その令嬢達の相手をするのが、王子達の今日の仕事なのだが……。
クラウスはキティを離す気が無いし、フリードなど、会場に来てもいない。
更に溜息の中に男共のものも混じっていたので、今まで本気の箱入り娘、謎に包まれた深窓の令嬢と噂されていたキティの初ビジュアル公開に、心を射抜かれた奴らが少なく無いのだろう。
ここはダンスの一つでも踊りたい、と期待していたんだろうが、残念だったな。
キティと踊りたかったら、そこの魔王を倒してからゆけ。
……倒せるものならな。
などと1人、クックッと笑っていると、今日は近衛騎士として王宮の警備にあたっていた筈の四天王最弱のジャンが、いつの間にか背後に忍び寄ってきていて、今だ生ける屍状態のノワールを抱えてさっさと会場を出て行った。
あっ、お疲れーすっ、お兄ちゃん。
私の空いたパートナーの席に、ススっとレオネルが入り込み、2曲目の音楽が始まると共に、涼しい顔で踊り始めた。
「妹で女避けとか、情けなく無いの?」
呆れてそう言うと、レオネルは不思議そうに首を捻った。
「何故だ?実に合理的ではないか」
確かに、家族なら何曲踊ってもルール違反にならないが、普通そんな事する奴いない。
合理性だけで無く、常識も学んでくれ、真お兄ちゃん。
「庭園で他の奴らと待ち合わせているから、うまく庭園近くの入り口に近付いていってくれ」
なる程、ご令嬢の相手が苦手な残念イケメン共の考えそうな事だ。
唯一まだ何とか出来る方のノワールがあの状態だしな〜。
まぁ、ノワールを心配してってのもあるのだろう。
「分かったわ、うまく逃げてよ」
そう言いながら、庭園に1番近い入り口に2人して優雅に躍りながら移動していく。
「お前はいいのか?」
レオネルが首を傾げるが、私はフッと笑って首を振った。
「私は今日の主役の1人だから、残るわ。
ノワールの事、お願いね」
そう言うと、レオネルは真面目な顔で頷いた。
正直、社交界デビューのパーティなんかはどうでもいいが、キティがまだ会場にいるのに、あの2人を見張らないなんて出来ない。
とにかく何事も起こさせず、お帰り頂く事に集中せねば。
曲が終わる寸前に、レオネルは私から離れ、入り口から庭園に一目散に駆けて行く。
はいはい、お疲れーすっ、真お兄ちゃん。
「僕とも一曲踊って頂けますか?」
そう声を掛けられ振り向くと、アランさんが手を差し出して微笑んでいた。
「もちろん、喜んで」
私はアランさんの手を取り、ダンスホールの中心に戻って行く。
クラウスはキティを連れて、陛下と王妃様と談笑……いや、アイツは笑ってないが。
でもあそこに居るなら、フィーネも手出し出来ないだろう。
ほっと息を吐くと、アランさんがチラッとクラウスを見て、困った様に笑った。
「まったく、不良な弟達のせいで、あんな兄でもたまには苦労するらしい」
次にエリオットをチラッと見て、苦笑する。
私もたまに目の端で捉えていたが、エリオットは一挙にデビュタント達の相手をしている。
一曲の間に何人もと踊っている状態。
通常のパーティではあり得ないが、この社交界デビューのパーティではよく見る光景で、王子が1人のご令嬢と一曲づつ踊っていてはいくら時間があっても足りない。
その為、デビュタントに限り、一曲の間にクルクルと相手が変わるダンスが許されている。
その全ての令嬢達に、優美に微笑み相手をするエリオット。
どこも兄ちゃんは大変だなぁ、と見ていると、何とフィーネが他のご令嬢を押し退け、エリオットと踊り始めた。
カッと目を見開いて、ビリリっと緊張する私を、アランさんがターンをしながら耳元で囁いた。
「大丈夫、エリオットの指示だ。
彼女が自分とダンスを望んだら、止めずに放っておけと監視に言い付けてある」
えっ?
何故、そんな危険な事をっ!
もしフィーネが魔族の力を使ったら、どうするつもりなんだろうっ!
険しい顔をする私を、落ち着かせる様にアランさんが顔を覗き込んで、真っ直ぐに私を見つめた。
「アイツなら、絶対に大丈夫だ。
何か考えがあるのだろう。
僕らはダンスを楽しむんだ、いいね?」
そのアランさんの瞳には、エリオットへの確かな信頼が浮かんでいる。
私は黙ってコクリと頷くと、淑女の微笑みを顔に貼り付けた。
「いい子だ、それでいい」
ホッとした様に息を吐くアランさん。
優雅に2人でダンスを楽しみながら、エリオットとフィーネの動向をさり気なく目で追う。
フィーネはうっとりとクラウスそっくりのエリオットの顔を見上げていた。
〈キラおと〉では、名前しか出てこなかったエリオットが、クラウス並みに美形である事に、今にも舌舐めずりしそうな表情だ。
ややしてフィーネは小首を傾げてエリオットに何事かを頼んでいる様子だった。
エリオットは優しく微笑みながら、背を屈めてフィーネに顔を近付ける。
フィーネはエリオットの耳元で何事か囁いている……その時っ!
フィーネの瞳が金色に輝いて、瞳孔が爬虫類の様に縦に伸びたっ!
ビクッと体を緊張に震わせる私を、アランさんが優雅にリードしながら、安心させる様に微笑む。
だ、大丈夫、大丈夫。
きっとエリオットなら、大丈夫。
アランさんの手をキュッと握り返して、私は自分にそう言い聞かした。
それに、フィーネの瞳の色も、前に見た時より随分弱々しい。
それにもきっと意味がある筈。
私は祈る様にエリオットの横顔を見つめた。
エリオットは、ゆっくり体を起こして、不思議そうに首を傾げた。
その様子は、いつものエリオットと何ら変わらない。
私は胸が張り裂けそうな程、ドクドクと煩い自分の心臓の音を聞きながら、誰にも気付かれない様に2人を盗み見る。
フィーネはそのエリオットの様子にハッキリと舌打ちをした。
ギリィと奥歯を噛み締める音まで聞こえてきそうだ。
私はそのフィーネの反応に、ホッと息を吐いた。
エリオットに対して何事かしようとしたのは確かだ。
だがそれは上手くいかなかった。
エリオットのスキルのせいか、フィーネの力不足か。
その両方かも知れない。
とにかくエリオットは無事だった。
その事に1番安堵している自分に、はて?と首を傾げていると、フィーネを押し退け、また別の令嬢がエリオットと踊り始めた。
あれは……。
アーバン・ロートシルト伯爵令嬢。
例の魔法優勢位派の筆頭の、ロートシルト伯爵の娘。
今日のキティとクラウスの婚約発表により、婚約者候補では無くなったからといって、自分達がクラウスを利用して追い落とそうとしているエリオット本人に擦り寄るとは……。
厚顔無恥もここまでくると、その厚かましさにいっそ清々しくなる……いや、ならんが。
奴らにしてみれば、アーバンが王妃になれるなら、相手はクラウスでもエリオットでもいいのだから、今日パートナーを連れていないエリオットを狙うのは、まぁ、さもありなん、といったところ。
そんなロートシルトの浅ましい行為にも、エリオットは優雅な笑みを崩さない。
アイツ、王太子モードの時は本当に完璧なのよね。
火の打ちどころのない程、理想的な王子様。
でも私はいつもみたいにヘラヘラ笑ってるエリオットの方が………方が何だろう?
自分で自分に疑問を投げかける。
はて?一体何を考えていたんだっけ?
眉間に皺を寄せ、首を捻っていると、曲が終わり、アランさんが一歩離れた。
礼を交わした後、アランさんが楽しそうに片目を瞑って笑う。
「今日はよく頑張っているからね、少しはご褒美をあげなきゃ、気の毒かな」
何の事かとアランさんを見ていると、横からスッと手が伸びてきた。
「シシリア、次は僕とも踊ってよ」
エリオットがそう言って、ヘラっと笑う。
私はその顔を見て、何故か心の底から安心してしまった。
エリオットの手に手を重ね、淑女の微笑みを浮かべる。
「ええ、光栄ですわ、殿下」
曲と共に2人で踊り出す。
チラッとキティとクラウスを見ると、会場から2人で出て行くところだった。
まぁ妥当なところだろう。
社交界デビューしたとはいえ、初めての社交界でデビュタントがいつまでもパーティ会場にいるのは良くは思われない。
大抵、3、4曲踊ったところで会場から失礼するのがマナーだ。
今は4曲目の音楽が始まったところ。
私もこれが終わったら、邸に帰るつもりだ。
「やっとシシリアと踊れるね」
ニコニコ笑うエリオットの瞳をじぃっと見つめる。
いつも通りの濃いロイヤルブルー。
そこに別の異質なモノの影は無い。
「アンタ、無茶しないでよ」
ボソッと小声で言うと、エリオットも小声で返してきた。
「絶対に大丈夫だって確信があったからね。
でもシシリアに心配してもらえるなんて、光栄だなぁ」
和かに笑うエリオットに、何だか力が抜けそうになるが、コイツは先程準魔族(ほぼ確定)と優雅にダンスを踊っていた非常識な人間なのだ。
和やかにしている場合では無い。
「それで?何か分かったの」
私の問いに、エリオットは優雅に微笑んだ。
「今はそんな事より、シシリアとのダンスを堪能させて欲しいなぁ。
僕、今日はかなり我慢していると思うよ?
シシリアのエスコート役もファーストダンスも人に譲ってさぁ。
せっかくずぅーっと楽しみにしてきたシシリアの社交界デビューなのに」
頬を膨らませ口を尖らせるエリオットに、まぁこの場でする話しでも無いか、と口を閉じる。
キラキラと輝くシャンデリアの光に透けそうなエリオットの淡い金髪を眺めながら、その王子然としたダンスのリードに身を任せる。
そう言えば、エリオットとはこうして、幼い頃からよくダンスを踊っていた。
ダンスを覚えたての頃から、エリオットはよく練習に付き合ってくれていたっけ?
懐かしさに目を細めると、エリオットは頬を染めて楽しそうに笑っている。
つられて私まで笑ってしまった。
まるで幼い頃に戻ったかの様な時間に、ゆったりと身を任せていると、曲が終わりを告げた。
私達は向かい合って優雅に礼を交わす。
顔を上げると、エリオットがそっと私の手を取った。
「邸まで送るよ」
にっこり微笑まれ、私は小さく頷いた。
そのままエリオットと、陛下と王妃様に挨拶をしてからその場を辞する。
王宮の王家専用の廊下を2人で歩きながら、私は周りに人がいない事を確認し、慎重に口を開いた。
「あの女の力、何か分かった?」
私の問いに、エリオットは片眉を上げて、口を開く。
「そろそろ陛下とクラウス達に話しておこうと思うんだ。
明日、皆を集めるから、シシリアもおいで。
その時に話すよ」
焦らす様なエリオットの答えに、私はイライラして言い返す。
「何よ、何か分かったら私に話すって、私に誓ったじゃない。
別に今でもいいでしょ?」
その私の様子にエリオットは不服そうに口を尖らせる。
「そうだけど、今日はシシリアの社交界デビューをただ祝いたいんだよ。
シシリア、改めて、おめでとう」
急に真剣な顔になったエリオットに、私の胸がドキンと跳ねた。
エリオットはまるで宝物の様に私の頬を両手で包んで、うっとりと続けた。
「やっと……本当に、やっと……。
解禁だね………」
……何がだよ。
今日から解禁になるものなど、飲酒くらいだ。
だとしても、お前の部屋で珍しいワインなんぞ飲まんぞ。
ジトッと見つめていると、エリオットはうっとりと見つめる目の下を微かに染めて、私の首をスルッと撫でた。
「うぎゃーーーーーっ!」
瞬間、反射的に私の拳が思い切りみぞおちにめり込む。
「ごふぅっ!」
呻き声を上げながら、エリオットがみぞおちを押さえ、ズルズルとその場に倒れた。
「……シ、シシリア………。
今のは……ちょっと、効いた……なぁ……」
ブルブル震えながらその場に蹲るエリオットに、思い切りあっかんべーして怒鳴った。
「煩いっ!このセクハラ野郎っ!
ばーか、ばーかっ!」
言ったが早いか、私はその場から走り去った。
エリオットはその場で蹲ったまま、こちらに震える手を伸ばし、何故か嬉しそうな声を絞り出した。
「ああ……シシリア……可愛すぎるよ…」
う、うっさいっ!
アホばかアホばかっ!
熱を持った頬を両手で押さえながら、私は自分の迎えの馬車まで急ぐ。
何だか、調子が狂う。
エリオットの言動にいつもより動揺している。
何故だろう?
ふと、シャンデリアの下で淡く煌めいていたエリオットの髪を思い出し、ますます頬が熱くなった。
どうかしているわ。
ハァと溜息を吐きながら、御者が開いてくれた馬車の扉のすぐ目の前で、エリオットが満面の笑みでこちらに向かって片手を上げている。
バシンッ!
思わず自分でその扉を閉め、次に開けた時にまだいたら、遠慮無く顔面を狙おうと、ブルブルと拳を握った………。




