EP.28
私は哀れ、庭園に続く廊下の柱の影に連れ込まれた。
顔の両側にバシンバシンとエリオットの両手が置かれる。
……ほう?乙女チック壁ドンか?
この両腕に囲われてトキメけと?
だが残念だったなっ!
壁ドンってのはなぁ、壁の薄いアパートなんかで、隣の音に対してうるせーって壁をドンドン叩いて威嚇する行為を言うんだよぉ!
そんなトキメキ要素、元から無いんだわぁ。
や〜い、や〜い、バーカバーカ!
とか言って前世で可愛い女子達にせがまれて、散々壁ドンからの顎クイやってたけどな〜っ!
頭の中でどうでもいい事で騒いでいると、やはりエリオットに顎を掴まれ、クイっと上向かされる。
やっぱり、こうなるか……。
様式美だもんなぁ。
ここ、乙女ゲーの世界だもんなぁ。
古式ゆかしき壁ドン文化は廃れちまったのか……くそっ!
「それで?何故シシリアが僕の婚約者になる事が荒唐無稽な話になるの?」
黒いオーラを撒き散らし、ニッコリ微笑むエリオットに、私は溜息を吐いて仕方なく説明してやる事にする。
「そうね、理由は色々あるけど、まず私はアンタの弟、フリードの婚約者なのよ。
例えアンタに実質婚約者がいないとはいえ、私にはいるのよ?」
まぁ、学園卒業と同時に婚約破棄だけどね〜。
でも今はそうだし、嘘は言ってないわよ。
「弟……?フリード?」
エリオットが不思議そうに首を捻る。
おいっ、お前っ!
1番下の弟を忘れてやるなよっ⁈
あれか?腹違いの弟イジメか?
昼ドラかっ?
エリオットが基本人に対して非情な事も知っている私は、はぁっと溜息を吐いた。
「それで、そんなどうにでもなる理由だけで、僕をフルつもり?」
ニヤリと楽しそうに笑うエリオットに、ちょっとヤバいかも……。
と、冷や汗を流す。
コイツ、面白いからって理由だけで、めでたく婚約破棄された後の私を自分の婚約者にしないよな……?
……いや、コイツならあり得る。
ちょっと、そんなの冗談じゃないぞ。
私はめでたく婚約破棄された後は、冒険者になって色んな国を見て回るって決めてるんだから。
前世夢にまで見た、冒険の日々。
剣と魔法と俺TUEEEEッ!が私を待っているっ!
それなのに、コイツの遊び心で王太子の婚約者になんか据えられてたまるかっ!
私は女冒険者になるんだっ!
絶対、邪魔させないからなっ!
ギラリとエリオットを睨み付け、私は腰に手を当て胸を突き出し、エリオットに向かって踏ん反り返った。
不肖、私、シシリア・フォン・アロンテン。
約束されしGカップの未来を持つ女。
めでたく14歳まですくすくと育ち、15歳まで後少し。
そんな今の成長具合ですが、何とっ!
身長166㎝ッ!
Eカップッ!
グラビアアイドルになれんじゃないっ、これっ⁉︎
西洋の神秘っ!
けしからん15歳、爆裂デビューッ!
巻頭グラビア待った無しーーッ!
こんな恵まれた我が儘ボディで、すみませんっ!
しかも、ロリコン退散に効果絶大っ!
さぁ、見よっ!そこのロリコンッ!
お前が今まで散々付き纏ってきた少女が、もうロリの範疇から逸脱したその様をっ!
目ん玉ひん剥いて、しかと見よっ!
ふふふ〜んっと、けしからんボディをエリオットに見せ付ける。
後は、泣いて尻尾巻いて逃げ出すのを指差して笑うだけ〜とワクワクしながら、チラリとエリオットを見る。
エリオットはジーッと穴が開くほど、私の胸を見つめていた。
くっくっくっ、そろそろ泣き出すかな?
私はますますエリオットに向かって胸を突き出した。
ジーーーーーーーーーーーッ。
と、見つめる、エリオット。
グフフ、まだかなまだかなっ!
ジーーーーーーーーーーーッ。
と、見つめる、エリオット。
泣け泣け、泣き出せっ!
オラオラ。
ジーーーーーーーーーーーッ。
と、見つめる、エリオット。
え……ちょっと、長くない?
サッサと現実を受け止めなさいよ……。
往生際が悪いなぁ……。
ジーーーーーーーーーーーッ。
と、見つめる、エリオット。
………ジュルッ。
………えっ?今、涎垂らした……。
はっ?えっ?何、何で涎垂らしたの……?
唖然としてエリオットを見つめていると、エリオットはゆっくり両腕を上げ、掌を私の胸の前で広げて、それを何か揉むようにワキワキと動かした。
ヒッ!
ヒィィィィィィィッ!!
焦点の合っていないエリオットの目を見て、私はやっと気付いた。
コ、コイツ、脳内で私の胸、揉んでないっ⁈
ゾゾゾと悪寒が背中を走り抜け、現実で揉まれる前に、慌てて両腕で胸を隠して、エリオットから逃げる様に背中を丸めた。
「あ、アンタっ、今脳内で私に何をしたっ!」
悲鳴の様に叫ぶと、エリオットはハッと我に返り、プルプルと震える手で口元を覆い、その瞳に恍惚を滲ませ、蕩ける様に頬を染めた。
「シシリア……凄く、凄かったです……。
ありがとうございました……」
ヒギャァァァァァァァァッ!!
私は飛び上がり、エリオットから逃れようとするが、途端にまたバシーンッと両腕の中に囲まれ、逃げ道を塞がれた。
やるな、乙女チック壁ドンっ!
私をこんなにドキドキさせるとはっ!
嫌悪感と恐怖でだがなっ!
「アンタっ!ロリコンのくせにっ!
今の私はもうタイプじゃないでしょっ!
早く退散しなさいよっ!ロリコン退散っ!」
目尻に涙を滲ませて叫ぶ私に、エリオットがポカンとした顔で、不思議そうに首を傾げた。
「シシリア、ロリコンって何?」
あっ!そうかっ!
この世界ではロリコンは通じないんだ。
よしっ、じゃあここはしっかりと、私がコイツに自分の属するべき場所を教え込んでやろうっ!
私はエリオットに改めて向き直り、念の為胸は両腕で抱き隠したまま、ゴホンと一つ咳払いをした。
「いい?ロリコンというのは、ある一定の年齢までの少女を好む趣向の事よ。
中には性的趣向にまで発展している重度の人もいるわ。
つまり、恋愛対象が大人の女性では無く、幼い少女なのよ」
丁寧な私の説明に、エリオットはますます首を捻った。
「何を言っているの?シシリア。
社交界デビュー前の女の子を、大人の女性の様に扱うのは御法度じゃ無いか。
平民の間では、明確なルールは無いけど、それでも倫理観的に忌避されるべき事だよ?
確かにそんな趣向を持つ人間がいないわけじゃ無いけど、現実に事を起こせば、法に定められているいないに関わらず、まず間違いなくあらゆる意味で裁かれるだろうね」
理路整然と正論で返され、何故かこっちが荒唐無稽な話をしている様になってしまい、私はカッと顔を赤くして叫んだ。
「私だってそんな事分かってるわよっ!
でもアンタ、そうでしょっ!
アンタの恋愛対象はデビュー前の少女じゃないっ!」
私の叫びに、エリオットがポカンとした顔をする。
「へっ?」
「えっ?」
お互い、見つめ合ってポカンと首を捻る。
「僕、その、シシリアの言うところの、ロリコンってやつじゃ無いよ?
前に、シシリアが社交界デビューして、大人の仲間入りするのが楽しみだって、言わなかったっけ?」
そう言われて、私は呆然とした頭を撚りに捻った。
そんな事、言ってたっけ?
なんせコイツの言動はことごとくふざけてて、私をイラつかせるものしか無いから、いちいち覚えていない。
んっ?
あれっ?
じゃあ、この我が儘けしからんボディでは、コイツを撃退………出来ないっ⁉︎
その事実に気付いた瞬間、私はサーっと顔を青くして、ダラダラと嫌な汗を流す。
その私の様子を見て、エリオットはニヤリと楽しそうに口角を上げた。
「なるほど〜、シシリアは僕がそのロリコンってやつだと思い込んでいて、自分が大人に近付けば、自然と僕が離れていく事を狙っていたんだね。
だから、そんなに僕にその体を……ハァハァ、見せつけていたのか……。
残念だったね、シシリア。
君は実に僕好みに順調に育っているよ。
まったく……そんなに魅惑のボディを手に入れて……ハァハァ、確かに……社交界デビューまで我慢出来るか、自信が無くなるなぁ……」
鼻息荒く、ジリジリと迫るエリオットに、私は涙目でイヤイヤと頭を振った。
ど、どうしょう。
全部私の勘違いだったっ!
じゃあ、何でコイツはこんなに私に絡んでくるのっ⁈
やめろっ!鼻息荒くハァハァいうのは、本当にやめてくれっ!
そのうっとりした目も、恍惚とした表情もっ!
私は全部嫌なんだよーーっ!
頼むから、私を女として見ないでくれっ!
そんな経験した事無いんだよーーーっ!
もうっ、涙目でビクビクと震えていると、ピタリとエリオットが動きを止めて、優雅にふふふっと笑った。
「ねっ、無防備に男の前で自分の体を見せつけちゃいけないよ。
もっと、警戒心を持たなきゃ。
今は僕やクラウス達しか周りにいないけど、社交界デビューして学園に入学すれば、もっと沢山の男達の目に晒されるんだ。
中には邪な想いを抱いて君を見る男だって、きっとごまんと出てくる。
だから常にオーラを纏い、不埒な男を寄せ付けない様にしなさい」
諭す様なその口調に、私はへっ?と顔を上げ、もういつもの様なヘラヘラ笑っているエリオットに、心の底から安堵の息を吐いた。
な、何だよっ……。
ビビらせやがって。
ただの注意か……。
まぁ、お説教程度じゃ私には微塵も効かないので、その点エリオットは私をよく理解していると思う。
私は口を尖らせながら、コクンと頷いた。
言われた事は至極ごもっともだし、男に女として見られるなんて二度とごめんだ。
言われた通り、これからはちゃんと気を付けようと心から思った。
「ふふふ、良い子だね、シシリア。
もう怖い事はしないから、安心して?」
ポンポンと頭を撫でられて、もう一度安堵の息を吐いた。
「まぁ、それも社交界デビューまでだけどね……」
ギラリと瞳の奥を妖しく揺らめかせるエリオットに、再び全身に戦慄が走り、ヒィィっと小さく悲鳴を漏らした、その時、アランさんがヒョイッと柱の反対側から顔を出し、エリオットを手で制してくれた。
「はいはい、アウトアウト。
エリオット、今、伝達魔法が届いた。
至急、陛下の執務室に赴く様に、との事だ。
シシリアちゃんも呼ばれているから、一緒に行こう」
優しくそう微笑まれて、私は首を捻った。
陛下が私にまで、何の用だろう?
エリオットが意味ありげにニヤニヤしているのも含めて……嫌な予感しかしない………。
「やぁやぁ、シシリア、よく来たね」
この国の国王にウェルカムハグされながら、私は感情の無い目で遠くを見つめる。
「陛下、お呼びにより、参上致しました……」
取ってつけた様に、一応そう言っておく。
本来ならカーテシーで礼を取るところだが、ギュムっと抱き潰されていては、そりゃ無理ってもんだ。
「んもぉーっ、そんな他人行儀な言い方やめてよ。
おじ様で良いじゃない〜〜」
煩いな〜。
もう何でもいいから、離してくれ。
そう思っていると、エリオットが私から陛下をベリッと引き剥がしてくれた。
「父上、それでどんな御用向きですか?」
エリオットの黒い微笑みに顔を引き攣らせ、陛下はシュンとして自分の執務机にすごすごと帰って行った。
ちなみに、その隣に、私の父親、アロンテン公爵が立っている。
ヘロー、父上。
目だけで挨拶すると、父上もほんの少し目尻を優しく下げた。
瞬間、私と父上以外に戦慄が走る。
「お前も、ちゃんと人の親だったのだな……」
驚き慄く陛下を父上がジロリと睨み、抑揚の無い声で淡々と口を開いた。
「いつまでもふざけていないで、さっさと話を始めて下さい。
この者達とて、暇な訳ではございませんよ?」
刺す様にそう言われ陛下はすくみ上がってオドオドとしている。
「悪かったのぅ、さっ、皆掛けてくれ」
陛下に勧められ、やっと私達は、執務室の前に置かれたソファーに腰かける。
私とエリオットが座った対面のソファーに、アランさんが腰掛けると、早々に陛下が口を開いた。
「皆に集まってもらったのは、他でもない。
エリオットの婚約者問題の事だ。
この国の王太子がいつまでも婚姻せぬままでは居られんからな。
だが、現状、エリオットに婚約者はおらん。
……そこで、じゃが。
どうじゃろう、シシリア。
エリオットの婚約者になってはくれんか?」
陛下の言葉に、私はあんぐり口を開いて固まった。
何を言っとんのじゃ、このジジィは……。
隣でエリオットも難しい顔をしている。
「陛下、私は既にフリード様と婚約している身……。
エリオット様の婚約者にはなれません」
これ今日何回目?
ちょっと頭が痛いんだが?
キッパリ言い切った私に、何故か陛下は意味ありげにニヤニヤ笑っている。
「その事なんじゃがな〜。
シシリアはフリードとは婚約出来んよ?」
はっ?
何言っとんのじゃ、このジジィは。(2回目)
出来ないって、現にしてるじゃん。
アンタが許可して婚約者って位置に据え置いたんでしょ〜が。
私は一切の感情を無くした顔で、スンッと陛下を見つめた。
「あ、いやいや、これは本当じゃ、なっ、エリオット」
急に話を振られたにも関わらず、エリオットは冷静に、私に向かって口を開いた。
「この話は、時がくるまで秘匿にしておいてもらいたいんだが……」
そこから語られた真実に、私は驚愕に言葉を無くした。
全て聞き終わってから、父上を見ると、静かに頷かれ、この話が全て真実だと裏付けられた。
とんでもない話を聞いてしまった……。
いや、出来れば聞きたくなかった。
こんな話聞いていなければ、何も気にせず婚約破棄になって、冒険者になる旅に出れたのに……。
いや、それとこれは別だ。
冒険者になったって、この国に出来る事はあるはず。
アランさんが帝国人になって、外からこの国を支えている様に。
しかし、そんな話を私に聞かせた陛下を、恨みがましく睨むくらい、許されるだろう。
ジトーッと睨みつけると、陛下はビクビクと冷や汗を流している。
エリオットとクラウスの父親だけあって、美しい顔立ちのイケオジが台無しである。
「話は分かりました。ですが、それとエリオット様の婚約者になる事は別の話です。
当初のお約束通り、私は学園を卒業するまで、誰の物にもなりません。
それで、宜しいですよね?」
ギラリと睨み付けると、陛下は椅子から飛び上がって父上にしがみ付いていた。
「うん、それで良いよ」
オドオドとした陛下からしっかり言質を取って、私は部屋からさっさと退出した。
廊下を歩きながら、横目でエリオットを見る。
「ごめんねぇ、うちの問題に巻き込んじゃって」
エリオットが申し訳無さそうに謝るが、別にコイツが悪い訳じゃないし。
まったく親世代は何を考えているのか。
そんなとんでもない事に、あの堅物の父上が関わっていた事に1番驚いたくらいだ。
むしろ私を巻き込んだ1番の元凶は父上な気がしてきた……。
「ねぇ、さっきの話って、クラウス達は知ってるの?」
私の問いに、エリオットは静かに頷いた。
「うん、全員知っているよ。
当事者のシシリアに話すのが最後になってしまって、ごめん。
僕は出来ればシシリアには知らせず、時がくればこちらで処理するつもりだったんだけど。
シシリアを評価している父上が、巻き込まない筈が無かったんだ。
僕が見誤った。僕の落ち度だよ。
本当に、ごめん」
眉を下げて謝るエリオットに、私は首を振った。
「アンタが悪い訳じゃない。
分かったわ。知ってしまったもんは仕方ない。
最後までキッチリ付き合ってあげる」
途端にエリオットが、パァッと笑ったのをすかさず手で制して、キッパリ告げる。
「でも、アンタとの婚約云々は話が別よ」
「そんな〜っ!」
情け無い声を出すエリオットをアランさんが慰める様にポンポンと肩を叩いた。
「学園卒業まで、まだ3年以上あるからね。
それまでゆっくり口説くとするよ……」
シュンとした態度でとんでもない事呟くなっての!
私には私の為すべき事があるんだから、全てはそれが終わってから。
にしても。
あ〜あ、本当にこの世は思う通りにはいかないな〜。




