EP.240
「一応、確認しておくけど。
アンタは私以外と婚姻しないのよね?」
腰に手を当て呆れ顔で聞くと、エリオットは月夜の光を浴びて、その恐ろしく美しい顔に憂いを浮かべた。
「しないんじゃなくて、出来ないんだよ。
誰にでも譲れないものはあるでしょ?
僕が王太子という立場でありながら、今まで誰とも婚姻しなかったのは、リア、僕にとって君じゃなきゃ、どうしても駄目だからなんだ。
何度も言っているけど、リア、僕は君を愛している。
僕には君しかいないんだ。
だから、君以外の誰かと婚姻するなんて不毛だよ。
その相手を僕が愛する事は、決して無いからね」
そう言って微笑むエリオットは、月夜に溶けて消えてしまいそうなほど儚く見えた。
そのエリオットにドキッと胸が騒ついて、早鐘を打つ自分の心臓に諦めたような溜息をつく。
エリオットは誰に対してもこうだ。
できる限り相手に誠実であろうとする。
王太子という立場からだけで言えば、見合う相手と婚姻して、とっくに子供の2、3人いてもおかしくないと言うのに。
例えそこに気持ちは無くても、だ。
正妃以外の夫人の存在も認めているこの国で、エリオットの年齢でその正妃さえいない王太子など、異例中の異例だ。
それでもエリオットは相手に不誠実な事は出来ない。
他に愛する存在がいるのに、王太子という立場の為だけに、他の女性と婚姻する事が出来ないのだ。
自分の為だけじゃない、その相手の為も思って。
それがエリオットという男なんだ。
そして私は、そんなエリオットの姿勢に好感を持っている。
そりゃ、一国の王太子としては落第だけど、1人の人間としてならその考えを支持したいと思う。
自分の立場の為に不誠実な婚姻をするよりは、ずっと良いと思う。
そんな私も、高位貴族としては失格な考えの持ち主なんだと思う。
私もエリオットも、変な所で不器用なのかもしれない。
私はもう何度目かの溜息をついて、困ったように眉を下げエリオットを見つめると、エリオットも同じように眉を下げ、ベンチから立ち上がるとゆっくりと私の方に近づいて来た。
そして目の前に立つと、私の両手を優しく包んで持ち上げる。
私の目線に合わせて背を屈ませ、困ったように下がった眉の下で、そのロイヤルブルーの瞳が濡れたように揺らめく。
「……それに、王太子である僕に婚姻が必要な最大の理由って、後継ぎを作る為でしょ?
僕、立たないと思うんだよね。
リア以外には、絶対」
確信を持ったその言い方に、瞬間、私はポカンと間抜けヅラになる。
「立たない?って、何が?」
「ナニが」
私の問いに、淀みなく瞬時に答えるエリオットに、私はますますポカンとして、ややして意味を理解すると額に青筋を浮かべ、頭を思いっきり後ろに傾けると元に戻す反動を使って、勢いよくエリオットの額に頭突きをかました。
「自主規制っ!」
「いでっ!!」
ガチコーンッ!と音を立て、エリオットの額に私の頭突きがクリーンヒットする。
額からシュ〜〜ッと煙を上げエリオットは痛みに悶絶していた。
「そんなのっ!師匠にこの前の電気治療して貰えば解決でしょうがっ!」
声を荒げる私に、エリオットは真っ赤になった額を押さえ、涙目でブンブン頭を振った。
「い〜〜やっ、萎むねっ!いくら師匠の電気治療でも、リア以外なら絶対に萎む自信があるもんっ!
そもそもリアなら電気治療自体必要ないもんねっ!」
何故か勝ち誇ったようなエリオットに、もう脱力感が半端ない。
ついさっきまで憂いを帯びて儚く見えていたというのに、今やその面影も無い………。
いや、私だって雰囲気どうこう言える人間では無いが、コイツは酷過ぎると思う。
いくら何でも、もっとあんだろ、こうなんか、雰囲気とかさー。
唇を尖らせブツブツ言っている私に、エリオットが不思議そうに小首を傾げている。
………たくっ、仕方ねーなぁ。
ハァァァッと深い深い溜息をついて、私はキョトンとしているエリオットの鼻先をピンっと指で弾いた。
「あてっ!」
鼻にモロにデコピンを食らい、痛そーにそこを押さえるエリオット。
涙が滲んでいるその間抜けヅラに私はプハッと吹き出した。
「いいわ、してあげるわよ、婚姻」
私の言葉にまだキョトンとしたままのエリオットは、首が肩につくくらい器用な曲げ方をしている。
「えっ?婚姻?リアが?」
目を丸くするエリオットに、私は耐えきれずにニヤニヤと笑う。
「そっ、婚姻、私がアンタと」
ピシッと指差すと、多分無意識にエリオットはその私の指を掴み、ホゲーっとした馬鹿面から徐々に表情を変えていき、頬を薔薇色に染めて目尻に涙を浮かべた。
「リ、リア……そ、それ、本当に?」
瞳に涙を溜めて、プルプルと体を震わせるエリオット。
「おう、私に二言は無いわよ」
ニカっと笑うと、エリオットが遂に涙をポロポロ流し、ギュウゥっとその広い胸に私を抱きしめた。
「……ありがとう、リア……ありがとう……」
エリオットの震える声を聞きながら、いや完全に男女が逆だな、なんて思いながらも、まぁ良いかとクスッと笑った。
私は私らしく。
私達2人はこれで良い。
世間一般的な男女とは少しズレていても、それで良いんだ。
こんな事に決まりなんか無いもんな。
震えるエリオットの肩をポンポンと叩きながら、その肩越しに見える丸いお月様が、私達を包み込むように優しい光を降らせてくれているように見えた………。
その後、怒涛の勢いで私とエリオットの婚約が発表された。
光の速さでうちに申し込まれてきた婚約の申し出に、父上が渋るのをお母様が横から手を押さえサインさせたらしい。
道理でサインが歪な形になっていた訳だ。
貴族や庶民にまで大々的に私達の婚約は発表され、早速教会が婚約宣誓書の書類をわざわざ向こうから送り付けてきた。
いや本当に、動きの早い事で………。
ちなみに、この婚約について私からの条件が一つだけあった。
それは、婚約式をしない事。
うん、王家の後継ぎの婚約式が無いなど、前代未聞である。
分かってる、分かってはいるが、是非とも勘弁願いたい。
婚姻すると約束した以上、婚姻式はする。
それは仕方ない。
非常に遺憾ではあるが、あの真っ白なウェディングドレスとやらも着てやろう。
が、婚約式までは付き合いきれん。
式だ式だと着飾ってエリオットの隣に立ち、よりにもよってなんであのクリシロに、2人の愛を誓いま〜す、なんぞやらねばならんのか。
んなもん、私に何回も出来る訳が無い。
一回で十分だ、一回で。
そんな訳で、私からの条件に王宮では大わらわ。
王太子の婚約に際し、婚約式をしないなど、と大紛糾になったとか何とかかんとか、いや知らんけど。
しかしそこは二枚舌選手権殿堂入りのエリオットが、皆の前でハラハラと涙を流し、婚約者を亡くしたばかりの私の気持ちを慮り、シシリア嬢はあえて婚約式を辞退してくれたのです………。
令嬢として、自分の婚約式は華やかに行いたいという夢もあったでしょう……ですが彼女は自分の気持ちより私の気持ちを心配して、婚約式は行わない事に致しましょうと、笑顔でそう言って下さったのです……ああ、こんなに思慮深く女神の如く慈悲深い女性が私と婚約してくれると言うのですよ。
その彼女の気遣いを無碍にしても良いものでしょうか?否っ!私にはそんな事は出来ないっ!
皆様は、そんな彼女の清く愛情深い申し出より、伝統の方が大事だと、本当にそうお思いですか?
とか何とか涙ながらに訴え、そのエリオットに貴族達も涙を流し賛同したとか何とか……いや、知らんけど。
「まったくっ!前代未聞だっ!」
いつもの如くプンスコ怒っているレオネルに、私は耳をほじりながらへーへーと適当に返事をする。
「アロンテン家の令嬢が王太子殿下と婚約したというのに、婚約式をしたくないだなどと、一体お前は何を考えているんだっ!」
「面倒くさいからよっ」
レオネルの説教に対し、キリッとキメ顔で返すと、堪忍袋の切れたのであろうレオネルに無言でギュウっと頬をつねり上げられてしまった。
「ひょっと、いひゃいいひゃいっ!」
ジタバタともがく私を、それでも無言でつねり上げるレオネル。
怒りの頂点を超えると逆にシンプルな物理になるよね、分かる分かる、あと圧が怖い。
「まーまー、レオネル、その辺で。
リアが僕と婚約してくれただけでも奇跡なんだから。
リアの気が変わらないように、暖かく見守ってくれないかな?」
私の頬をつねり上げるレオネルの手を優しくどかして、エリオットが後ろから私の腰を抱いた。
「……まったく、エリオット様はシシリアに甘過ぎます」
ブツブツ言いながらもレオネルは一応怒りを納めたらしく、そのレオネルの背中をリゼがまーまーと優しく撫でている。
ちっ、お前こそリゼに甘え過ぎだ。
小さく舌打ちした私をレオネルがギッと睨みつけてきたので、ヒューヒュー口笛を吹きながらサッと視線を逸らす。
くそっ、地獄耳め。
「それにしても、年貢を納めるとか芸当がお前にも出来たんだな」
感心したようなジャンの隣で、マリーが無の表情で私を見ている。
「むしろ今まであのオットーから逃げ切っていたシシリアが凄過ぎると思われ……」
棒読みマリーは、一つも私を凄いと思っていないな、うんよく伝わってきたよ。
「……シシリアなんかどうでも良いから、キティに逃げ切って欲しかったよ、僕は……」
超弩級に失礼発言をぶっ込んできたノワールは、既にハラハラと涙を流している。
私達の婚約発表と時を同じくして、遂にキティとクラウスの婚姻式が今日行われる。
そう、前世でいうところの結婚式。
ついに、あのキティがクラウスに完全に奪われる事に、ノワールは朝から泣きっぱなしの様子。
隣で困り顔でノワールの涙を拭いているテレーゼ情報だから、間違いは無い。
妹の晴れの日に、朝から泣きっぱなしの兄とか普通に嫌だな……と思いつつ、ふとレオネルを見る。
コイツも私の婚姻式には泣くのか?という疑問が浮かび、ハテ?と首を捻ると、それを察したレオネルがフンッとデッカく鼻で笑ったので、瞬間私はムッキーと顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
ケッ、私んとこのは随分と可愛くねぇ兄貴だなっ!
プンスコ頬を膨らませる私の隣に、リゼがツツツと静かに寄ってきて、何やら耳打ちしてきた。
「レオネル様、シシリア様の婚約に、嬉しそうな、でも少し寂しそうな顔をなさってましたよ」
ほ〜〜う?
そりゃ、面白い事を聞いたな。
リゼの密告にニヤニヤ笑いながらレオネルを見ると、レオネルは少し目の下を赤くして、フンっとそっぽを向いた。
ヤレヤレ、私んとこのは随分と素直じゃないなぁ。
私がニヤニヤニヤニヤ笑いが止まらないでいた時、教会の鐘が厳かに鳴った。
私達は慌てて席に座り、居住まいを正して今日の主役を迎える準備をした。
教会の真ん中の通路、真っ赤な絨毯を敷かれたその先に、今日の主役、真っ白なドレスとタキシードを纏ったキティとクラウスが姿を現した。
立体的なフラワーモチーフを散りばめ、バルーンスリーブのデザインのウェディングドレス。
透明度の高いチュールがキティの雰囲気にピッタリと合っている。
間違いなくクラウスのデザインだと一目で分かるドレスだ。
そのドレスに合わせ髪をアップにしているキティは、どこか大人びた表情でクラウスの隣に立っていた。
……ああ、綺麗だな。
その姿を見ただけで、目尻に涙が浮かぶ。
2人から溢れ出す幸せなオーラに、心の底から安堵が胸に広がっていった。
良かった、本当に。
キティが幸せになれて。
2人は静かに一礼をすると、ゆっくりと赤い絨毯の上を歩いて来る。
私の横を通り過ぎる時、密かにキティがこちらに視線を移し微笑んだ。
その瞳の端にキラリと涙が光っていて、私も優しく微笑み返した。
2人は祭壇に着くと、大司教の前で共に一礼をする。
そして大司教がまず、クラウスに語りかけた。
「汝クラウス・フォン・アインデルは、キティ・ドゥ・ローズを妻とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、妻を想い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに誓いますか?」
大司教の言葉に、クラウスが力強く頷いた。
「我が名にかけて、キティに誓うと約束します」
クラウスの返答に、大司教は一度頷き、今度はキティに向き直った。
「汝キティ・ドゥ・ローズは、クラウス・フォン・アインデルを夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、夫を想い、夫のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに誓いますか」
キティも厳かに頭を下げて答えた。
「はい、神とこの場にいらっしゃる皆様、そしてクラウス様に誓います」
キティの返答に大司教はまた頷いて、隣にいた司教に手を差し出した。
そして婚姻宣誓書を2人の前に差し出す。
「では、ここにその誓いを記して下さい」
まずはそこにクラウスが自分の名前を署名して、次にその下にキティが同じように署名する。
「それでは、指輪の交換を」
厳かに運ばれて来た台座から、先にクラウスが指輪を取り、キティの薬指にはめた。
次にキティが同じようにクラウスの左手の薬指に揃いの指輪をはめる。
王家の紋章が彫られた揃いの指輪には、それぞれに相手の瞳の色と同じ宝石が埋め込まれていた。
私がノワールとテレーゼの婚姻式から流行らせた指輪交換の儀だが、遂に王家の式でも実現出来た。
これでこの儀式は大事な伝統の一つとなり、私の運営するブライダルサロンもますます潤うってもんよ。
私の腹黒い思惑はさておき、式は厳かに進行していく。
大司教がキティとクラウスにそれぞれ片手を差し出し、優しく微笑んだ。
「では、誓いの口づけを」
少し頬を染めたキティのヴェールをクラウスがゆっくり持ち上げて、顔を近付ける。
そして、頬を染め瞳を潤ませるキティに、そっと口づけた。
瞬間、皆が拍手で2人の門出を祝った。
盛大に涙を流すローズ家と、密かに涙を拭う陛下と王妃様。
そっと隣を見ると、やはり大号泣のエリオット。
ちっ、仕方ねぇなぁ。
ハンカチを渡してやると、逆に私もハンカチを差し出されてしまった。
ボロボロ涙を流しながら、私はそのハンカチを素直に受け取る……。
「皆さん、二人の上に神の祝福を願い、婚姻の絆によって結ばれたこの二人を神が慈しみ深く守り、助けてくださるよう祈りましょう。
万物の造り主であるクリケイティア神よ、あなたはご自分にかたどって人を造り、夫婦の愛を祝福してくださいました。
今日婚姻の誓いをかわした二人の上に、満ちあふれる祝福を注いでください。
二人が愛に生き、健全な家庭を造りますように。
喜びにつけ悲しみにつけ信頼と感謝を忘れず、困難にあっては慰めを見いだすことができますように。
また多くの友に恵まれ、婚姻がもたらす恵みによって成長し、実り豊かな生活を送ることができますように。
この2人の歩む道に幸あらん事を」
大司教が両手を広げた瞬間、教会の鐘が厳かに鳴り、皆が一層の拍手で2人を祝福した。
教会の庭園が見渡せる入り口に立ち、厳かな鐘の音が鳴り止むまで、2人は来客達と挨拶を交わしていた。
「お綺麗ですわ、キティ様……。
本日は本当におめでとうございます」
人が引いた頃を見計らって、私はキティの前に立ち、淑女らしく優雅に微笑んだ。
キティは涙を瞳に溜めたまま、その私を見上げ幸せそうに微笑み返してくる。
「ありがとうございます、シシリア様……」
その表情に我慢出来なくなって、私は小さなキティをギュウっと胸に抱きしめた。
そして耳元で小さく呟く。
「おめでとう、希乃……」
キティは腕の中でピクリと震えて、爪先立ちになり私の耳元に囁き返してきた……。
「……ありがとう、紫衣奈」
そして私達は同時にプッと吹き出して、顔を見合わせた。
コツンと額と額を合わせて、誰にも聞こえないように、小さな声で一緒に囁く。
『大好きだよ』
庭園に春の風が吹き抜け、そんな私達の囁きを巻き上げて連れて行ってくれた………。




