EP.235
バカクラウスのお陰で魔族の本性を現したゴードンを前に、私達はかつてない脅威に唾を飲み込んだ。
私とレオネル2人の保護結界、更にノワールのシールドまで秒で薙ぎ払われた。
ミゲルの光魔法でさえ、今ギリギリのところで皆を守っている状態だ。
ゴードンは羽を一振りしただけ。
奴の種を植え付けられ、準魔族として覚醒したフリードでさえ羽を振った風圧で兵を瀕死に陥らせた。
だがあの時とは違い、今日は先鋭揃いばかりなのでゴードンの攻撃にも咄嗟に耐えられた、が……私達にまで傷をつけるとは………。
ドラゴンと戦ってもこんなに傷を負う事はないのに。
ポタポタと血を流しながら、皆が次のゴードンの一手を息を呑んで警戒する。
「おやおや、申し訳ありません。
羽を少し動かしただけなのですが………。
人とは脆いものですね。
人である限り、私の力で簡単に死んでしまう。
王子殿下、貴方は本当にそれで良いのですか?」
額から血を流すクラウスを空中から見下ろし、ゴードンはニヤリと笑った。
「……随分勧誘がしつこいな。
魔族ってのは仲間をそんなに欲しがるものなのか?」
不思議そうに首を傾げるクラウスに、エリオットがクスッと笑ってその肩を叩いた。
「まさか、魔族は元々超が付く個人主義で、仲間を欲しがる魔族なんて聞いた事がないよ。
……ただ、絶滅危惧種になってしまえば考えも変わるのかな?
ねぇ?アビゲイル・ゴードン?
君、最後の魔族なんじゃないの?」
チラリとエリオットが横目で見ると、ゴードンはピクッと小さく体を揺らした。
「うちのクラウスを魔族に堕としたいのは、君が消滅すればこの世界から魔族がいなくなるからじゃ無いのかな?
それにしても、そんな事を気にする魔族も珍しい。
随分人間らしい感覚が、君にはまだ残っているようだね」
フッと嫌味っぽく口角を上げるエリオットに、だがゴードンは乗せられる事はなく、軽く肩を上げてあっさりと動揺を隠した。
「確かに、私はこの世に残る最後の魔族です。
しかし、魔族を増やしたいという考えは仲間が居なくて寂しいからなどという、人間の感覚が残っているからじゃありませんよ。
我が愛する主人に仕える者を、少しでも増やしておきたいからです」
そう言って、ゴードンはシャカシャカをうっとりと見つめた。
「我が主人、魂の支配者。
あの方に捧げる下僕が私だけではとてもでは無いが足りない。
王子殿下、貴方もこちらに堕ちれば必ず理解出来る筈です。
あの方こそ我々の主人であると。
それは抗えない我々の起源。
さぁ、私を倒す為力を欲しなさいっ!
そして我らが主人の足元に跪くのですっ!」
バッとゴードンがまた羽を広げる。
「ウィスパーオブデス」
ゴードンの周りに無数の小さな黒い球体が現れる。
それが私達に一直線に向かって来た。
「ライトシールドッ!」
ミゲルが光の防壁を更に強化させたが、信じられない事に半分くらいの球体が壁をすり抜け、まるで生きているかのように襲いかかって来た。
「ぐあぁぁぁぁっ!」
それが頬に軽く掠った騎士の顔が、みるみる溶けて骨が肉から垣間見える。
「ハイヒールッ!」
素早く高位神官が治癒魔法で騎士を救うが、人があの球体に触れれば肉が腐り落ちるという事実にその場に戦慄が走った。
「ホーリーシー」
「ミゲル君、待って」
咄嗟に聖魔法の魔法障壁を唱えようとしたミゲルをエリオットが片手で制して、その耳元で何事か囁く。
ミゲルは小さく頷くと、背を向け声に出さず何かの魔法を唱えた。
直ぐにエリオットが鬼丸国綱で球体を真っ二つに斬ると、黒い球体は瘴気になって消えた。
「皆落ち着いて、これは物理攻撃で対処出来そうだよ」
余裕の笑みを浮かべるエリオットに、ゴードンが目を見開き驚いている。
私は素早く近くにある球体をバッサバッサと立て続けに斬り捨てた。
本当に物理攻撃が効いた上に、斬られた球体は瘴気になって消えていく。
「皆っ!怯むなっ!斬れっ!斬り捨てろっ!」
レオネルの号令で一気に士気を取り戻した騎士達が、黒い球体を片っ端から斬り捨て始めた。
「……おやおや?そんな筈無いのですが………。
何かおかしいですね………」
怪しむようにジッとミゲルを見るゴードンに、私は掌を真っ直ぐに向ける。
「エクスプロージョンッ!」
火魔法による大爆発がゴードンの体を吹き飛ばした。
「おいたはいけませんよ、我が主人の玩具様」
爆炎を受けながら、それでも平気な顔で笑うゴードン。
「どんな原理で私の力を跳ね返しているのかは分かりませんが、ではもっと皆様に贈り物を差し上げましょう。
ウィスパーオブデス」
静かに囁くようにゴードンがそう言うと、先程より大量の球体が発生して、私達に向かって来た。
壁や床に当たったそれが、その場所を溶かしていくのを見て、私達は慌てて球体を斬って斬って斬りまくる。
「がぁっ!」
「うわぁぁぁぁっ!」
「ハイヒールッ!」
斬り損ねて球体により負傷した者を治癒する高位神官達の声が響いた。
「……キリが、無いわねっ!」
球体を斬り捨てながら私が声を上げると、負傷した者を治癒していたミゲルが苛立ったような声を上げた。
「エリオット様、もう私の聖ま」
「駄目だよ、まだ知られる訳にはいかない」
焦ったようなミゲルの声とは対照的に、冷静なエリオットの声に、ミゲルはグッと言葉に詰まる。
なるほどな。
ミゲルが聖魔法を使えるほどの光魔法の使い手だと、エリオットは相手に悟らせたく無いらしい。
球体が刀で斬れるのもきっと、ミゲルの聖魔法で何らかの付与を行ったからだろう。
であれば、この効果は一定期間しか続かない筈だ。
付与が切れれば、刀での物理攻撃でこの球体を斬るなど出来なくなる。
「皆っ!数は多くても、焦らず確実に切り捨てるのよっ!
体に触れないように避けて、もし触れても私達には高位神官様達がついているから大丈夫っ!
私達は魔族になど、屈しないわっ!」
激昂を飛ばすと、騎士達が落ち着きを取り戻し、それぞれ確実に球体を仕留め始めた。
もちろん、私達も一気に球体を潰しにかかる。
次々に襲って来た球体も段々と数が減っていき、気がつくと一つ残らず斬り捨てていた。
ハァハァと肩で息をする私達を、ゴードンは顎を掴み不思議そうに見ていた。
「力の差はこれ程歴然だというのに、図太い方々ですね。
もう良いでしょう、私も少々飽きてきました。
このまま終わりにするも良し、そこにいる王子殿下が私を上回る力を手にするも良し。
お任せ致しますよ」
そう言うと、ゴードンはコォォォォッと勢いよく息を吸い込み出す。
パカッと開いたその口の奥に禍々しい闇の炎がチリチリと火花を散らしている。
「………ちょっと、マジ?」
絶望的な状況に思考が停止しそうになる。
ゴードンはその目を楽しげに揺らめかせ、声帯とは違う何かで小さく呟いた。
「血は血に、肉は肉に、骨も残さず冥府に堕として差し上げましょう。ダークネスフレア」
次の瞬間、物凄い速度でその闇の炎が私達に向かって放たれた。
この大広間を全て覆い尽くすようなその威力に、思わず目をギュッと瞑る。
「冥府に還るのはお主の方じゃ、ホーリーシールド」
静かな声が静寂の中に響き、眩い青白い光が私達を包んだ。
聖なる障壁に跳ね返された闇の炎が音も無く消滅していく。
「……おやおや、これはこれは……」
ドサッ、ゴトッ、ゴトンッ。
上空から何かの塊が目の前に落下してくる。
眩い光に目を細め、それをよく見ると、両肩を落とされ、腰から下を真っ二つに斬り裂かれたゴードンの肢体だった。
肩から先を失い、下半身も無い上半身が最後にゴトンッと墜落してくる。
「狂眼の魔女のお出ましとは、私もツイていない」
どこか他人事のようにゴードンがそう言った。
どうでも良いが、その状態で普通の顔して喋るのはやめてくれ。
もう、ホラーだよ、ホラー。
「剣聖までお出ましとは、恐れ入りましたね。
お久しぶりです、卑しい獣人の騎士、カイン・クライン」
蔑むようなゴードンの声色に、淡々としたカインさんの声が返ってくる。
「久しいですね、ニシャ・アルガナ伯爵殿。
相変わらず差別主義者のようで。
お変わりが無くて感心致します」
大剣を一振りして、ゴードンの瘴気を払うと、カインさんはスッとゴードンに向き直った。
師匠の聖魔法の光に目眩しされていたとはいえ、一体いつゴードンを斬り捨てたのか、全く気付く事も出来なかった。
これが剣聖の力………。
剣聖の実力を目の当たりにして、私は興奮気味にカインさんをワクワクしながら見つめた。
「申し訳ありませんが、私は今カイン・クラインでは無く、カイン・ヴィー・アルムヘイムです。
卑しい獣人がアルムヘイム大公の夫である事をまだお認め頂いていないようですね」
カインさんの冷め切った声に、ゴードンはクスクスと笑った。
「あのエブァリーナ・ヴィー・アルムヘイムがお前のような獣人など、本来なら相手に選ぶ筈が無いのですが、一体どんな汚い手を使ったんでしょうね」
ゴードンは涼しい顔で、自分のバラバラになった肢体を眺め、恐らく元に戻そうとしたのだろう、だが自分の体がいつものように引っ付いてこない事に驚愕に目を見開き、冷や汗を流しながらカインさんの持つ大剣を見つめた。
「………なるほど、聖剣ですか?
そんな物まで駄犬に与えるとは、エブァリーナは一体何を考えているのやら」
チッと舌打ちするゴードンに、カインさんは音も無く近付くと、スッと大剣をその顔に押し当て、静かに口を開いた。
「その卑しい口で我が妻の名を呼ばないで頂きたい。
アルムヘイム大公、とお呼び下さい、ニシャ・アルガナ伯爵」
キラリと聖剣が光を浴びて光ると、刃を当てられたゴードンの頬がジュウッと焼け焦げる。
「カインよ、その辺にしときなさい」
ゆっくりと2人に近付く師匠に、私は歓喜の声を上げ、その体に抱き付いた。
「師匠〜〜〜っ!遅いじゃないですかっ!」
ぎゅうぎゅうとその体を締め上げると、師匠が苦しげに私の肩をタップしてくる。
「これこれ、老体に無茶をするでないっ!
遅くなってすまんかった、じゃからもう離しなさいっ!」
ちぇっ、なんだよ冷てーな。
膨れっ面で師匠の体を離すと、師匠はやれやれと首を振りながらゴードンの目の前に立った。
「やれやれ、結局はそんな姿になっちまったか、ニシャ・アルガナよ。
淫魔の魔王だ、隠者ゴードンだ、商人アビゲイル・ゴードンだと好きに名乗っているようだが、お前はニシャ・アルガナという名からは逃れられんよ。
今までよくこの私から逃げ切ってきたもんだね。
アンタには本当に骨が折れたが、これでやっと終わりだ」
師匠の言葉に、ゴードン、いやニシャ・アルガナはフッと馬鹿にするように笑う。
「狂眼の魔女よ、いくらお前でも魔族を滅する事など出来ないでしょう。
帝国の聖女が消えた今、私を消滅出来る存在などもういませんよ」
ニヤリと笑うニシャ・アルガナに、師匠は呆れたように息をついた。
「なるほどの、それを狙って今まで逃げ延びて来た、という訳じゃな。
魔族としてまだ歳が若く、最弱であったが為に人に化けてコソコソとうまく逃げおおせてきたようじゃが、残念ながらそれも今日で終わりよ」
そう言うと、師匠の体が青白く光り、本来の姿、エブァリーナ・ヴィー・アルムヘイム大公に戻る。
「お久しぶりです、アルガナ先生。
聖女様が蟄居し、気でも緩みましたか?
今までコソコソと逃げ回っていたのに、このような場に姿を現すだなんて。
お陰で貴方を捕らえる事が出来ましたよ」
ニッコリ微笑むエブァリーナ様に、ニシャ・アルガナは驚愕に目を見開き、体をブルブルと震わせた。
「エブァリーナァッ!貴様だったのかっ!
何が狂眼の魔女だっ!戯けた事をっ!」
感情を露わにするニシャ・アルガナにエブァリーナ様は涼しい顔のまま、屈んでその額に手を伸ばした。
「戯けた事?貴方は逃げ回るばかりで、赤髪の魔女と正面から向き合わなかったでしょう?
対峙していれば、私の本来の姿に気付けた筈ですよ」
エブァリーナ様がニシャ・アルガナの額を掴むと、ニシャ・アルガナの目の瞳孔が開き、ビクンビクンッと激しくその体を痙攣させ始めた。
「残念ながら、私にはまだもう一つの顔がありまして。
それを人は聖女、だなどと呼びますが。
つまり、魔族を滅する力なら私にもあるという事ですよ、アルガナ先生」
穏やかなエブァリーナ様の口調とは裏腹に、ニシャ・アルガナの姿がどんどん乾涸びていく。
ドクンドクンと何かが脈打ちながら、エブァリーナ様に吸い取られていっているようだ。
近くに転がっているニシャ・アルガナの他の肢体も同じように乾涸びていき、カインさんに斬られた時に散った血がまるで生き物のようにエブァリーナ様に吸い寄せられ、その手の中に消えていく………。
うわぁ………。
血を、吸収してる?
えっ?エグすぎない?
ってか、魔族の血なんか吸収して大丈夫なの?
ニシャ・アルガナが急激に乾涸びていってんのって、体内の血を吸い上げられているからだよね?
怖っ!
ヒェェッ!と流石に私がドン引きしまくっている間に、カラカラのミイラのようになったニシャ・アルガナが、サラサラと砂のような瘴気に変わってゆっくりと消滅していった。
それを黙って見届け、エブァリーナ様はニシャ・アルガナが完全に消えてしまうと、体を起こし、両手を空中に掲げる。
両手から先程吸収したニシャ・アルガナの血がフヨフヨと宙に浮き球体になって浮かび上がる。
それを空間魔法に大事そうに収め、エブァリーナ様はクルリと振り返った。
振り返った時には師匠の姿に戻っていた。
「さて、楽しい遊びは終わりじゃ、お嬢ちゃん」
ニッコリとシャカシャカに向かって笑う師匠。
シャカシャカはつまらなそうに欠伸をしながら、うーんっと背伸びをした。
「あっそ、なら私はもう行くわ」
欠伸まじりにそう言うシャカシャカに、師匠がパタパタと手を振ってそれを制した。
「いや、待て待て、そう急くでない。
お嬢ちゃん、この城の私の結界を破ったのは、アンタだね?」
師匠の軽い口調に、シャカシャカは楽しげに笑った。
「そうだけど、何?」
なんて事なく返したシャカシャカの返答に、私は目を見開いた。
………師匠の結界を破った?シャカシャカが?
じゃあ、あのローズ辺境領で師匠の結界を薄くしたのも、やっぱり………。
シャカシャカが師匠の結界を本当に破ったなら、その力は師匠を超える事になる………。
認めたく無い事実を目の前にして、私はカタカタと震え、背中に冷たい汗が流れていくのを感じた。




