EP.230
「ぎざまっ!まだニーナを狙うのがっ!
あぐやくれ゛いじょ、ジヂリあ゛っ!
お前を倒して、オレハニーナをま゛もるっ!」
グオォォォォォォォォォッ!
フリードの魔獣のような雄叫びが広間に響き、その音量に皆が顔を顰めた。
咄嗟に耳を押さえた兵達にニースさんがチッと舌打ちをする。
いや、気持ちは分かるけども、そんな……。
精神力のみで耐えられた人間の方が少ないから。
魔獣討伐に慣れてる騎士達ばかりじゃないからね?
いつメンのようにはいかんよ。
「ゴロズッ!全員、ゴロじてやるっ!」
羽を使いバサっと宙に浮かんだフリードに、レオネルとリゼが同時に叫んだ。
『ストームッ!』
風と水の合わせ技だ。
2人から放たれた魔法が小規模な嵐となって、フリードに向かって一直線に襲いかかる。
「ぐぞっ!」
フリードは両腕を顔の前でクロスさせ、その攻撃を防ごうとする。
強烈な風とそれにより鋭利な刃物と化した水がフリードの体を切り刻んだ。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーーーーッ!」
至る所から血を流しながら、フリードはグッとその体に力を込めると、羽を一振りして強烈な風圧を起こし、レオネルとリゼの攻撃を相殺してしまった。
「ストーンブラストッ!」
間髪入れず、次はノワールから土魔法が放たれた。
直線上に飛んでいく石の飛礫がフリードを襲い、その体をその飛礫が貫通していく。
「アガッ!ガッ!ウッ!ガァァァァァァァァッ!」
フリードは痛みに狂ったように踠きながら、顔を上に上げると、耳まで裂けた口をパカっと開けた。
チリチリと火花が口から見え隠れしている。
「ヤバいわっ!防御っ!」
魔法が使える全員が私の言葉に反応して、それぞれの属性のシールドを張る。
「ウガァァァァァァァァァァァァッ!」
ブンっと勢い良く顔を振って、フリードの口から炎のブレスが放たれた。
広範囲に及ぶその攻撃に、皆が必死に耐えた。
前面でシールドを張る私達のところで大体の攻撃は防げているが、防ぎ切れず後方に流れた炎を魔力持ちの騎士達が防いでくれている。
だが、フリードの猛攻は一向に止まらない。
ファイアードラゴン並みのブレスを吐き続け、皆をジリジリと疲弊させていく。
「出るわっ!防いでっ!」
私は皆で張ったシールドから飛び出した。
私1人分の欠けたシールドをノワールが素早く穴埋めする。
現状を打破するには、フリードのブレスに真っ向から立ち向かわなくてはいけない。
とにかく自分を守る保護シールド瞬時に展開しなければ。
「アイスシールドッ!」
自分の体を氷の保護で覆い、続け様に魔法を繰り出す。
「エアドライブッ!」
風属性の浮遊魔法で床を蹴り、宙に浮くと、フリードの真正面まで浮き上がった。
「サンダーボルトッ!」
間髪入れずに風魔法による雷攻撃をフリードに放った。
フリードのブレスを正面から受けていた為、氷の保護結界が砕ける寸前だったからだ。
一瞬の躊躇さえ許されない状態だった。
「グガァァァァァァァァァァァッ!」
私の電撃に撃たれたフリードは、雄叫びを上げながら全身を痙攣させた。
バチバチと火花を上げながら、ドサっと地面に墜落する。
黒く焦げたフリードの体が、バキバキと音を立て、更に異形の姿に変貌していった。
元は人間の体で、ドラゴン並みのブレスを吐いたのだから、もう流石に体に限界が訪れ出したのだろう………。
「ア゛ッ、ガッ、ゲェッ、グガッ………」
口からスライム状の体液を吐きながら、それでもズルズルとこちらに向かってくるフリード……。
私は無言でカゲミツをフリードに向かって構えた。
もう、楽にしてやるからな………。
チャキッとカゲミツを構え直した瞬間、後ろから肩を掴まれ、横に退けられる。
見上げるとクラウスが私を押し退け前に出ていくところだった。
クラウスは手に持っている自分の愛刀カムイをフリードに向けて片手で構えた。
「………お前は、俺に用があるんじゃないのか?」
クラウスが無表情でフリードにそう問いかけた瞬間、瀕死の状態だった筈のフリードがまた羽を一振りした。
だがそれはあまりに弱々しく、もう誰も傷つける事は出来ない。
「グッ……ガッ、ガハッ………」
ゴボッと血の混じった体液を吐き、フリードは床に這いつくばりながらクラウスを睨み上げる。
「ぎざ……ぎざまぁ………。
いづもいづも、オデをバカにした目で、見やがってぇ………。
ジブンは、なんでも出来るがらって……オレをバカにしでたんだろ………」
ボロボロと涙を流すフリードを見下ろしながら、クラウスは無表情のまま、静かに口を開いた。
「すまない、俺にはそういった感情が無い。
お前が感じていたその目は、お前にだけでは無い、父上にも母上にも兄上にも、同じように向けていたものだ。
俺は皆にあんな感じだった、皆、一緒だ。
そこに感情など無く、嘲りや蔑み、誰かを見下すなどの感情さえ俺には無かったからな。
今は、随分感情豊かになった方だが」
……そんな、鉄の無表情で言われても………。
そもそも、お前の感情が揺れるのは未だにキティ案件のみじゃねーか。
喜怒哀楽ごっそりキティ頼みじゃねーか。
内心コッソリつっ込んでしまったが、クラウスが何故かフリードの為に頑張っているので、黙ってそれを見守る事にした。
「…………一緒……?オデも、父上や、兄上と、い゛っしょ………?」
ドロドロに溶けた瞼を目一杯見開き、フリードは今にも泣きそうな声を絞り出した。
「ああ、そうだ」
短く答えたクラウスに、フリードはクシャッと泣き出しそうな顔で笑う。
「あに……うえ、から、見たら……俺、も、エリオ、トあにう……えも、父上、も……いっしょ………」
絞り出すようなフリードの声に、クラウスの声がほんの微かに揺れる。
「そうだな、一緒だ」
そのクラウスの返答に、フリードはへへっと子供のように笑った。
「……あこ、がれて……たから、クラ……スあに、うえに……つ、よくて……いつ、で、もれ、せいで、カッコよかった……。
エリオ……あにう、えは、いそがし、そうで、なかなか、会えなくて……父上、も………。
だか、ら、ク、ラウスあ、にうえと……仲良く、したかった……だけ、なんだ………」
ポロポロと涙を流すフリードをじっと見つめ、クラウスは小さく呟いた。
「………そうか」
子供の頃、確かにフリードはクラウスに引っ付いていた。
クラウスの興味を引こうと頑張っていたように思う。
その頃はまだ、私は記憶を取り戻す前だったし、薄ぼんやりと、変な2人だな、と思っていただけだった。
必死にクラウスにベラベラと話しかけるフリードに、それに一切反応しないクラウス。
あんなに話しかけられて、可愛いとも楽しいとも思っていない、逆に煩いともウザいとも思っていない。
ただただ彫刻のように無機質なクラウス、あの兄弟、一体何がやりたいのやら、なんて思っていたように思う。
今思えば、クラウスは闇属性の力のせいで感情が薄かったし、フリードはクラウスのその事情を知れる立場にいなかった。
だから、そんなチグハグな状態になっていたのだと今なら理解出来る。
だが、あの頃のフリードはそんなクラウスの態度にいつしか心が折れ、クラウスが自分にだけ冷たい態度を取っている、自分を馬鹿にしている、と感じ始めたのだろう。
結局フリードは自分の不勉強と無知、傲慢さによって表に出られなくなっていき、アマンダの宮に引き篭もってしまった。
対してクラウスは、キティの為に苦手な社交を身に付け、対外的な術をエリオットからトレースして、表に出ていく事になった。
不器用さでいえばクラウスの方が大概だし、フリードは確かにあの頃、必死に頑張っていたんだ。
それなのに、結果はこうなってしまった。
どちらにしても、ゴルタールがフリードと上2人の交流に良い顔をしなかっただろうから、遅かれ早かれ疎遠になっていただろうけど。
ただもう少し、クラウスはそういう人間だ。
自分だから相手にされないんじゃ無い。
そうフリードが気付けるまで、時間があれば………。
いや、タラレバの話になど意味は無い。
だとしても、フリードは散々人を踏みつけにしてきたし、ゴルタールがもみ消してきたせいで償っていない罪がごまんとある。
自分で気付ける機会をゴミに捨ててきたのは本人だ。
シャカシャカを選んで、自ら破滅に突き進んで行ったのも………。
今更、フリードに私が何を思おうが、それこそ余計なお世話なのだろう。
「……人として、最期を迎えたいか?」
どこか優しげなクラウスの言葉に、フリードは光を見出したかのように瞳の奥を輝かせ、微かに頷いた。
クラウスはゆっくりとフリードに近付くと、静かにカムイを振り上げ、その背中に突き刺した。
「グァァァァァァァッ!」
フリードの空気を劈くような叫びが響き、ガクガクと体が痙攣すると、カムイの突き刺さったところから、黒い靄が湧き立ち、それをカムイがその黒い刀身に吸い込んでいく。
まるで準魔族であるフリードの魔をカムイが吸い取っているようだ………。
………いや、ようだ、では無く、本当に吸い取っている。
黒い靄はカムイを通してクラウスの腕まで覆っていった。
クラウスのカムイを握る手の甲に、黒い血管が浮き上がっていく。
それは服から見える肌に無数に走っていき、首から顎にも浮かび上がった。
「クラウス様っ!」
ガタンと音を立て、椅子から立ち上がったキティに、クラウスは優しく微笑んだ。
「大丈夫だ、キティ。これくらいなら、大した事ない」
クラウスの言う通り、体に無数に走った黒い血管はカムイに逆流していき徐々に治まっていった。
フリードから溢れ出る黒い靄をカムイが綺麗に吸い取ると、そこには人の姿に戻ったフリードの姿が横たわっていた。
「もって、あと数分だ。
最後に言いたい事はあるか?」
カムイをフリードの背中に突き刺したまま、クラウスは静かにフリードに問いかけた。
恐らく、カムイを抜いてしまえばフリードはその数分を待たずに事切れてしまうのだろう。
「……お母様の、ところに……」
フリードはそう言ったが、今の状態のフリードを動かす事など出来ない。
エリオットが静かにアマンダの所に行くと、その亡骸を優しく抱き上げ、フリードの側まで連れて来た。
そして、そっと近くに横たえさせる。
フリードは手を伸ばすと冷たくなったアマンダの手をギュッと握った。
「……クラウス兄上、エリオット兄上、ありがとう………」
フリードはポロポロ涙を流しながら、最期に微笑んで逝った母親の顔を見つめ、自分も穏やかに笑った。
「……お母様、ごめんなさい…………」
最後にそう呟いて、フリードは静かに瞳を閉じた。
フリードの鼓動が止まった事をカムイを通して感じたのだろう、クラウスはゆっくりとその体からカムイを抜いた。
………準魔族に成り果て、異形になったとは思えないほどのフリードの穏やかな死に顔に、知らずに涙が溢れた。
寄り添うような2人の亡骸は、まるで全てから解放されたかのように、見た事も無いほどもの柔らかな微笑みを浮かべている……。
「仲間に入れてやれば良かったのかな……?」
愚にもつかない事を口にする私に、レオネルが静かに答えた。
「ゴルタールに囲われていた以上、それは無理な話だ」
そう言うレオネルの声も、微かに震えていた。
それでもどうしても考えてしまう。
フリードに対して無関心でいるのでは無く、ぶん殴って悪いところを指摘してやれば良かった。
首根っこ掴んで、あっちこっちに連れて行ってやれば良かった。
人を傷つけたら、ボコボコにして反省させてやれば良かった。
せめて人並みに読み書き出来るようになるまで、勉強に付き合ってやれば良かった。
フリードがクラウスを理解出来るまで、私達の輪の中に入れてやれば良かった………。
きっとレオネルの言った通り、そのどれも無理だった事は分かっている。
それでも、思わずにはいられないのは、幼い頃アイツがクラウスをただ単純に兄と慕っていた事を思い出してしまったからだ。
最初に歩み寄ってきていたのは、フリードの方だったのに。
必死にクラウスに向かって伸ばしていた手を、私が掴んで引き上げてやれたかもしれないのに………。
「リア、レオネルの言う通り、あの頃から今まで、僕達がフリードに出来る事は無かった。
せめて最期は、母と共に穏やかに逝けたんだ………。
それだけがせめてもの救いだったんだよ」
そっと私の肩を抱くエリオットの手に、私も静かに自分の手を重ねた。
そうだ、エリオットの言う通り。
最期は人として逝かせてやる事が出来た。
母と共に眠れたんだ………。
そう思う事しか、私達には残されていないのだろう。
それ以外に思う事など、どれも全て私の傲慢な驕りでしかない。
クラウスはフリードの体から引き抜いたカムイの切先を、カチャッと音を立て、玉座に座る陛下に向けた。
「これで満足か、父上?」
クラウスにギラリと睨まれた陛下は、余裕の笑みを浮かべながら、どこか寂しげな光をその瞳の奥に浮かべた。
「まさか魔族の種を植えられていて、準魔族に成り果てるとは予想していなかったがな……。
まぁ、概ね、これで良しとしよう」
一切の感情も無く、淡々と答える陛下に、クラウスは憎々しげにチッと舌打ちをした。
「おいで、キティ、帰ろう」
そう言ってクラウスがキティに手を伸ばすと、キティはクラウスの方に駆け出して、その胸に躊躇無く飛び込んだ。
「ご無事で良かったです……クラウス様」
キティの震える声に、クラウスは哀しげに頷いて、その小さな体をギュッと抱きしめた。
「フリード様に祈りを捧げても良いですか?」
クラウスの胸から顔を上げ、大きな瞳に涙を一杯溜めたキティに、クラウスは優しく頷いた。
フリードとアマンダの亡骸の側に跪き、既に祈りを捧げているミゲルの隣に、キティも静かに跪くと共に祈りを捧げた。
リゼもそのキティの隣に跪き、祈り始める。
信心深い人間は何も言わず黙って、その3人と同じように2人の為に祈り出した。
ゴルタールと共に罪人として裁かれていたら、きっとこんな祈りを受ける事は無かっただろう。
ミゲルやキティ、リゼなら、それでも祈ってやっただろうが、こんなに多くの人間に死を悼んで貰えてはいなかっただろうな……。
準魔族と成り果てたフリードと相対したからこそ、ゴルタールに支配されたアマンダとフリードの真実を知る事が出来た。
だからこそ、今これだけの人間が2人の為に祈ってくれているのだ。
……やはり私は、祈りの言葉など知らないままだけど。
それでも、祈るよ。
お前らがクリシロの側で、また出会える事を。
次こそアマンダにしっかり躾けてもらえよ?フリード。
怖い母ちゃんだって、そんなに悪くは無いもんだぜ。




