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EP.229


「おまえ゛らを全員コロセバ、おでがこのぐにの王だ…………」


口が耳まで裂け、そこから真っ赤な血と涎を垂らしながら、フリードは不明瞭な言葉を放ち、ギロリと皆を睨んだ。


「ヒッヒィィィィィィィィィッ!」


悲鳴を上げ転がるように逃げ出すゴルタール。

アマンダはその場に腰を抜かしたまま、ガタガタと震えている。


ニースさん率いる結界部隊が、近衛騎士にも手伝わせ、ジリジリと貴族達を後退させてゆく。

非常事態にも慌てず騒がす、ニースさんの指示に従っているところを見ると、やはり流石この国を支える諸侯貴族達と言ったところだ。

無様に逃げ出したゴルタールとは比べようもない。


ルパートさん率いるノワール、ジャン、ゲオルグ、ユラン、そして騎士達が距離を取りながらフリードを囲んでいく。

玉座で悠々とそれを眺めている陛下は、近衛騎士団長であるジャンの父親、ベルーケ・クロード・ギクソット団長に向かって手をヒラヒラと振った。


「ベル、王妃とテレーゼを頼む」


「分かった」


旧知の間柄だからこそ成立する、余計なものを省いた阿吽の呼吸というやつだった。

ギクソット団長は王妃様とテレーゼを数人の騎士と守りながら、フリードを刺激しないように静かに奥へと連れて行く。


「アレクシス………」


ギクソット団長に連れられて行きながら、王妃様は陛下を心配そうに振り返った。


「エレーヌ、大丈夫だからベルについて行きなさい。

テレーゼ、我が王妃を頼む」


陛下は王妃様に優しく微笑むと、穏やかな口調で王妃様とテレーゼにそう言った。


「さっ、王妃様、お早く」


ギクソット団長に声を掛けられた王妃様は、後ろ髪を引かれるように連れられて行った。


王妃様を見送った陛下は、厳しい中にも哀しみを湛えた瞳で、ジッと異形と成り果てたフリードを見つめる。


「俺達の始めた事を、最後まで見守ろう、ジェラルド」


公式ではない、砕けた陛下の言葉に、父上が静かに頷く。


「そうだな、アレク。あれは私達の罪の証だ」


父上も冷徹な瞳に悲哀の色を浮かべている。



「よぅ、なんか凄い事になってんな」


その時、2人の後ろから急に現れたルイス・ドゥ・ローズ将軍閣下が、バンッと陛下の肩に手を乗せる。


「ルイス、遅いぞ」


若干苛立ちの滲む父上に、ローズ将軍は片手を顔の前に立てて、ペコリと頭を下げた。


「ソニアを王妃宮に送ってきたとこなんだよ。

お前んとことベルんとこの奥方も一緒にな。

宮廷魔術師達に、王妃宮全体を覆う保護結界を依頼してきたとこだ。

うちのテレーゼが加われば、あそこは王都で1番安全な場所になるぜ」


ニヤリと笑って、まるで自分の功績のように言っているが、まず間違いなくローズ夫人の発案だろう………。


「エリク、エリー、キティとご令嬢方を王妃宮に」


私の指示に、エリクとエリーが頷いた瞬間、キティが静かに首を振った。


「いいえ、私はここに残ります。

エリクさん、エリーさん、マリーちゃんとフィリナちゃんをお願い」


キティの言葉に、私とクラウスが目を見開きキティを見た。


「駄目だ、キティッ!エリクとエリーと一緒に王妃宮に行くんだっ!」


慌てたように声を上げるクラウスに、キティは静かに首を振った。


「いいえ、私はクラウス様のお側にいます。

ここにクラウス様がいる以上、1番安全な場所はここですわ」


ニッコリ微笑むキティに、クラウスがグッと言葉を飲み込む。


……キティは、準魔族と化したフリードと接触する事で、クラウスの闇の力が暴走して、クラウスが魔族に堕ちないかを心配しているのだろう。

そして、万が一の時はその暴走を鎮めるのは自分の役目だと、分かっているのだ。


これだけのメンツが揃ってりゃ、万が一も無い。

キティの言う通り、ここが1番安全な場所だと証明してやるよ。


「言えてるわね」


キティの意を汲み、私がニヤリと笑うと、キティは淑女然とした穏やかな笑みを浮かべた。


しゃっ!守り切る、全てをな。

シャカシャカの思い通りにはさせない。


エリクとエリーがマリーとフィリナを連れて行き、ニースさん達が守る諸侯貴族達もあらかた避難が済んだようだ。


準魔族となったフリードを囲み、私達はそれぞれ刀を握った。


ニースさんのところから駆け付けてきたミゲルが、キティを玉座に連れて行って、そこで光魔法の保護結界を張る。


「いずれシシリアの座る場所になるんだから、キティも遠慮せずそこに座りなさい」


ニコニコと玉座の隣の王妃様の椅子にキティを座らせる陛下………。

余計な事言ってないで、しっかりキティ守れよな、テメー。


ギヌロッと睨み付けると、陛下はヒィィッと飛び上がって父上に抱きついている。



「おれハ、王子だ……オレが……すべてをでにいれる゛、じゃまするやつは………ゴロス………」


皆に囲まれた状態で、フリードはダラダラと真っ赤な涎を流しながら、ブツブツと呟いている。


「フリード、ガンバー」


既に興味を失ったのか、シャカシャカは壁にもたれ掛かってまた自分の髪を弄り始めた。


「アンタ、本当にそんなものに興味があんの?

私の知っているアンタは、王座になんて興味が無かった。

ただ自分は王子で、だから偉いんだって毎日楽しく過ごしてたじゃない。

いつから王になんてなろうと考えだしたの?

ゴルタールやアマンダに言われたから?

正直、そんな事言われ出して、重荷だったんじゃないの?

アンタ自身が1番、自分は器じゃないって思ってたんじゃないの?」


エリオットを押し除け、フリードの正面に立って真っ直ぐに見つめながらそう語りかけると、フリードは一瞬、その瞳の中に助けを求めるような哀訴の色を浮かべたが、直ぐにその背中から生えている黒くて大きな羽を一振りして、強い風を巻き起こした。


「うるざいっ!」


風圧で吹き飛ばされた騎士や兵達の体に、無数の殺傷傷が一瞬で刻まれる。

中には致命傷に近い傷を負って、ゴボリと血の泡を吐き出す兵もいた。


「エリアヒールッ!」


直ぐにミゲルが部屋全体に治癒魔法をかけ、傷を負った者達に治癒を行った。

ミゲルの治癒で傷が塞がった者達は、また再び立ち上がり、フリードに向き直る。


「大した力ね……それが準魔族に覚醒した人間の力って訳ね。

それで、本当にそれがアンタの望んだ姿なの?」


無駄だと分かっていても、フリードのまだ残っている人間の部分に話しかける。

魔族の種を植え付けられても異形にならなかったのは、私達が知っている中ではフリードで2人目。

フィーネは魔族であるゴードンのメンテナンスを受けていたから異形に成り果てず、人の姿を保っていた。

多分それはフリードも同じだろう。

王宮には師匠の強力な結界が張ってあるから、多分ニーナであるシャカシャカの邸ででもゴードンのメンテナンスを受けていたのだと思う。


そして種を植え付けられても、人としての姿を保てていたのは、適正にもよると思う。

例えゴードンがメンテナンスするにしても、植え付けられた瞬間に崩れ落ちてはどうしょうもない筈だ。

フリードには魔族の種に対して適正があった。

だからこそ、メンテナンスを受ける事も出来た。


善悪どちらだとしても、そこに人としての強い意志が有るのではないか。

無駄な事とは分かっていても、それを期待せずにはいられなかった。


………もう、あの状態からフリードを助ける術など無いと分かっていても………。



「うるざいっ!お前に何が分かるっ!

おではっ!オレハッ!お前だちとは違うっ!

いづも自信満々で、背筋を伸ばし、胸をハッテ、皆に慕われ、堂々としているお前とは違うんだっ!

オデだって王になれバッ!皆が俺に傅くっ!

俺の話に耳を傾け、俺を慕い、俺を讃えるっ!

そして皆がオレをアイすっ!

そんな世界に、なるんだよぉぉぉぉぉっ!」


フリードの悲痛な叫びに、私はハッとしてその顔を見つめた。

引き裂かれた目から流れているのは血だけじゃ無い……涙だ………。


「フリード………お前………」


思わず呟いて、無意識にアマンダに視線を移す。

アマンダは準魔族に成り果てたフリードの近くで、まだ腰を抜かしていたが、そのフリードの叫びを聞いて、目を見開きジッとフリードを見つめていた。


「フリード………あなた………そんな風に……私が、悪かったの………?

あなたをもっとただの、自分の産んだ大事な子として……見てあげれば……良かったの………?

わ、私、私も、ずっと父の道具だった。

能力以上のことを求められ、幸せな婚姻さえ許されなかった……。

私には、後継者の生母という価値しか、無かったのよ………!

だからそれに縋り付くのに必死でっ!

お父様に認められたくて、だから………」


アマンダの瞳からボロボロと涙が溢れる。

準魔族として覚醒して、人の姿から異形に成り果てたフリードから目を逸らさず、初めてアマンダはフリードを真っ直ぐに見つめた。


「私、馬鹿みたいね………。

お父様に言われるがまま、陛下に纏わりつき、正妃になれないとなったら、夫人だ側妃だなんて………。

フリード、あなたが誰の子でも、関係無い………。

あなたは私がお腹を痛めて産んだ、私の子供よ………。

ごめんなさい、フリード、馬鹿な母を許して………。

フリード………私の、可愛い子供………」


アマンダは震える足で立ち上がると、よろよろとフリードに近付く。

そして両手を広げると、異形と成り果てた醜いフリードの体を抱きしめた。


「私の可愛いフリード………もう大丈夫よ。

これからはずっと、お母様と一緒…………がっ、あっ……ぐふっ!」


微笑みを浮かべていたアマンダの顔が、苦痛に歪み、くぐもった呻き声が聞こえてきた。

アマンダのドレスがみるみる血に染まっていく………。

フリードの鋭い爪がアマンダの心臓を貫き、腕までその体を貫通していた。


「うるさいっ!オレに触れるなっ!ごのっ、売女がっ!」


憎々しげにアマンダを睨みながら、フリードはそのアマンダを貫いた腕を高く上げた。

ブランとぶら下げられたアマンダは、ゴボッと口から大量の血を吐き、か細い声を搾り出す。


「フリ……ド……いっしょに………」


それだけ言うと、アマンダはガクッと体から力が抜け、その瞳から光を失った………。


「いけないっ!ハイヒールッ!」


咄嗟にアマンダに向け、治癒魔法をかけようとしたミゲルの肩を、ローズ将軍がポンと叩いた。


「もう、無駄だ……」


恐らく、アマンダはほぼ即死だった。

ミゲルでも助ける事は叶わなかっただろう。


「最期に母として逝ったのだ………。

もう、ゆっくりさせてやれ」


陛下の声に、ミゲルは悔しそうに下を向いた………。


アマンダはいつだってフリードを甘やかしてきた。

本人の嫌がる事は、一切やらせなかったし、望む事は他人を踏みつけてでも与えた。

自分の産んだ大事な()()だから、私はずっとそう思ってきたが、違ったのかもしれない。


アマンダは、フリードが陛下の子供では無いと、薄々気付いていたのでは無いだろうか……。

ゴルタールの手前、そんな事は口が裂けても言えなかっただろうけど。

そして、その上でフリードを、アマンダなりに愛してきたのかもしれない。


ゴルタールから正当な愛を与えられなかったアマンダは、どう自分の子供を愛すれば良いのか、分からなかったのだろう。

それでも、アマンダなりフリードを愛していた。


異形に成り果てたフリードを見て、ゴルタールは一目散に逃げ出したのに、アマンダはそうしなかった。

腰が抜けて動けなかったのかもしれないが、周りを囲う兵達に助けさえ求めなかった。

……準魔族であるフリードの姿に、悲鳴さえ上げなかった………。

それが、我が子を傷つけたく無いと無意識に想ったアマンダの行動なら、少しくらいフリードに届いて欲しかった………。


「お前が何をいおうどっ、おではお前みたいな売女のごどもなんかぢゃないっ!

おでは、オレはっ、王子だっ!王の子だっ!

ぞぢでっ!オデが王になるんだっ!」


咆哮を上げて、フリードは腕をブンッと振り払った。

その腕に突き刺さっていたアマンダの体が、勢い良く放り投げられ、壁に打ち付けられてズルズルと床に落ちる。

アマンダの血が壁に線を描いて、床に蹲った体とまるで繋がっているように見えた。


その姿はまるで、糸に操られていたマリオネットが、くたびれて眠っているようだった。

我が子に殺されたとは思えない程に安らかなアマンダの死に顔にその場にいた皆が息を呑んだ………。


私は、アマンダもゴルタール同様、権力に取り憑かれ、貴族意識の高い傲慢な人間だと思っていた。

フリードをあんな馬鹿に育てるくらいだ。

生まれに胡座をかき、自分達は何の努力も研鑽も必要の無い、選ばれた人間なのだと思い込んでいるのだろうと。

だが、少し違ったのかもしれない、


アマンダは学ぶ事が理解出来なかったのだ。

母親は娼館の娼婦だった事は判明しているが、父親は分からないまま。

もしかしたら、貴族の素養や修学はアマンダにとって容易い事では無かったのかもしれない。

だが、ゴルタール公爵家の令嬢として、それは許されなかった。

どれだけ必死に頑張っても理解出来ないものを前に、逃げ出す事も許されなかっただろう。


そして、社交界デビューを終えて早々に、ゴルタールに陛下の夫人になるように言われ、何も分からないまま王宮に放り出された。

ここで陛下の子を必ず産めと、それだけを言われて。


アマンダにとって絶対的な存在であったゴルタールに見放されないよう、アマンダなりに考えた事でフリードが産まれた。

浅はかで短慮ではあるが、それがアマンダが必死に考えた結果だった。

きっとアマンダはフリードに自分のような苦労をさせたく無かったのだろう。

だから、フリードが嫌がる事は無理強いしなかった。

まるで幼い頃の自分の代わりかのように、楽しい事だけを与えた。


そうして育てた息子の、化け物のような姿に、腰を抜かしはしても逃げ出したりはしなかった。

貴族意識が高く、自分を特別に尊い存在だと驕っていれば、いの一番に逃げ出している筈だ。

………ゴルタールのように。


アマンダはそんな考えよりも、自分の子供を選んだ。


最後の最後に、フリードへの自分の本当の気持ちに気付けた……。

あの微笑みは、きっとそういう意味なのだと思うと、この母子にもう少しだけ、時間があれば、と思えてならなかった………。


ゴルタールを裁けば、2人も一族の者として裁かれる事は逃れられ無かっただろう。

それでも、こんな早急に別れが来る事はなかった。

例え貴族牢の中とはいえ、時間なら与えてやれたのに………。


私は懐に仕舞っていたナイフを取り出し、無言でシュッと投げた。


その切先がシャカシャカに届く前に、フリードの赤く腫れ上がった手がそのナイフからシャカシャカを守る。


太いフリードの腕越しに、シャカシャカの満足げな笑い顔がチラリと見えたような気がした………。





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