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EP.190


グェンナを密かに匿っている例の部屋にリゼと向かう。

部屋の中に入ると、既にグェンナが応接間のソファーに居住まいを正し座っていた。


私達の姿に気付くと素早く立ち上がり、こちらに向かって深々と頭を下げた。


「婚約破棄申請書に署名を貰いに来たわ」


ニッコリと私が笑うと、グェンナは頭を下げたまま、震えた声を出した。


「本来なら、このような厚かましい願いが出来るような立場では無いのですが、私の我儘にお付き合い頂きありがとうございます」


そう言って頭を下げ続けるグェンナに、私は優しくその肩をポンポンと叩いて顔を上げさせる。


「ここに来ると決めたのは、リゼよ。

話なら後で、ゆっくり聞いて貰えばいいわ」


ソファーに座るように促しながら、私達もグェンナの対面になるソファーに腰掛けた。


「じゃあ、まずはこれをお願い」


婚約破棄申請書をスッと差し出すと、グェンナはそれを受け取り直ぐにサラサラと署名をした。


「この為にわざわざご足労頂き、本当に申し訳ありませんでした」


署名した書類をスッと私の方に戻し、グェンナは再び立ち上がると、スタスタとリゼの近くに移動し、その場に膝をついたかと思うと、ガバッとリゼに向かって土下座した。


「貴女にした卑劣な仕打ち、謝ったくらいで許されるとは思いません。

ですが最後に、どうしても謝罪したかったのです。

リゼ・スカイヴォード伯爵令嬢様、誠に申し訳ございませんでした」


グェンナが床に額を擦り付け、リゼはアワアワしてそのグェンナに声をかけた。


「あの、そのような、謝罪はおやめ下さい。

私は大丈夫ですから、顔をあげて下さい。

無知な私も悪かったのですから」


どうしたら良いのか分からない様子で私に助けを求めるリゼだが、私からグェンナに声をかける事は無い。

男の謝罪は受けてやるのが1番良い。

グェンナのような骨太な性質の人間なら、尚更だ。


「私は、ゴルタール公爵と我が愚息が、スカイヴォード伯爵令嬢である貴女に婚約を了承させる為、スカイヴォード家に圧力をかけている事を知っていて、家族を優先し、黙っていました。

私とて、貴族相手に商売する事もある身。

貴族のしきたりやルールに疎いわけではありません。

平民などと貴女が婚約してしまえば、今後貴族社会でどのような肩身の狭い思いをするかも理解していました。

そんな話が進み、両家で婚約の約束を交わしてしまえば、後に破棄にしたところで、貴女の名誉が完全には回復しない事も、知っていたのです。

ですが、ゴルタール公爵と愚息は、両家の約束だけでは納得せず、貴女との婚約宣誓書までスカイヴォード家に迫りました。

我が愚息はそれがどれ程、貴族令嬢である貴女に重くのし掛かるか、貴女のこの先の人生を歪めてしまうか、何も理解していなかった……。

せめてそれだけは阻止しようと、私も力を尽くしましたが、力及ばす………。

貴女をこんな目に遭わせてしまい、何と詫びればよいか………。

リゼ様、全ては至らぬ私の責です。

いかようにも、私めにお怒りをぶつけて下さい」


額を床に打ち付けるように謝罪するグェンナに、リゼは困ったように眉を下げていたが、ややしてリゼはフゥッと小さな溜息をついて、優しくグェンナの肩に手を置いた。

そのリゼに、グェンナが恐る恐る顔を上げると、リゼはそのグェンナに穏やかに微笑みかける。


「私は、本当に大丈夫なのですよ、グェンナさん。

元々我が家は社交界から疎遠ですし、貴族社会での噂話や私への評価などは、この耳にまでは届きません。

認識していないものは、最初から無いものと同じです。

それに、婚約破棄になり傷モノと呼ばれ、縁談がこなくなる事など、私には痛くも痒くもございません。

元々我が家に縁談の話など、一度も来た事はありませんから、同じ事なのです。

それに私には婚姻への願望というものが無いのです。

将来官吏になり、自分の為、家の為。

国から高給を頂く為に邁進してまいりましたので、婚姻への興味も薄く………そのせいで安易に貴方の息子と婚約してしまい、それは私の落ち度であり、貴方が気に病む事では無いのですよ。

私、今後は誰とも婚姻はしないと、実はもう決めてあるんです」


ふふっと笑うリゼの言葉に、私とグェンナは目を見開いた。


「やはりっ、我が愚息のせいで、貴女様にそのようなご迷惑をっ!」


焦るグェンナを手で制して、リゼはフルフルと頭を振った。


「違います。これは私の意志なのです。

誰かや何かの影響などは、関係ありません。

婚姻への憧れや拘りが無いからと言って、家の為にと軽い気持ちで貴方の息子と婚約した私が浅慮で愚かだっと、この度深く反省しました。

興味の無い事を無理にしようとはせず、このまま未婚でいる方が、自分に合っていると気付いたのです」


ニッコリと笑うリゼに、今度は私が焦って声を掛けた。


「でもそれじ、せっかく官吏になっても大して出世出来ないわよ?」


私の言葉に、リゼは真っ直ぐに私を見て、私の両手をギュッと握った。


「正にそれなのですっ、シシリア様っ!

官吏はほぼ男社会、女性官吏などほとんど存在しません。

だからこそ、男は所帯を持ってこそ一人前だという考えが、そのまま出世云々に影響しているのです。

私が官吏になった暁には、官吏として活躍するのに男も女も、ましてや未婚も既婚も関係ないと、必ず証明してみせますっ!

私は私の官吏としてのビジョンが、この事でより鮮明に捉える事が出来たのですっ!

だから、誰かに責を求めたり、誰かを憎んだり、私の社交界での評判がどうだとか、本当にそんな気持ちは無いんです。

グェンナさんに会いに来たのは、貴方が私に謝罪をしたいと思ったのと同様に、私もどうしてもこの事を貴方に伝えたいと思ったからなんです」


そう言ってグェンナに振り返り、キラキラと瞳を輝かせるリゼだったが、私の手を掴む手が、微かに震えていた。

今言った事は全て、嘘偽りの無いリゼの本音なんだろうけど、この震えの分は、たぶんレオネルへの想いの分だ。

婚姻に興味は無くても、それがレオネルからの申し出だったなら、リゼだって喜んで受けていた筈だ。

誰だって、好きな相手となら結婚したいと望む筈。

だが、リゼにはもうそれは望めない。

レオネルだって、リゼに婚姻を申し込む事は出来ない。

どれだけ相手を求め合っていても。


だが、だからといってこの先の人生を悲観ばかりで生きる気はリゼには無いらしい。

あくまで自分らしく生きるというのなら、リゼの主として、私はそれを全力で応援しよう。


「私の為にお心を砕き、縁談を用意してくれていたシシリア様には、ご意向に添えず大変心苦しいのですが………」


申し訳無さそうに頭を下げるリゼに、私はブンブンと頭を振った。


「そんな事は気にしなくていいわ。

貴女が決めた道を邁進すれば良いのよ。

男も女も未婚も既婚も関係なく、活躍する貴女の姿を、楽しみにしているわ。

そんな貴女は絶対に、私の側近としていずれ私の力になる」


真っ直ぐにその瞳を見つめると、心から嬉しそうに笑ってくれた。



「この国の女性は本当に強いですな。

私などの心配など、リゼ様には必要無かったようですね」


眩しそうに私達を眺めるグェンナに、リゼは悲し気に睫毛を震わせた。


「貴方こそ、強いわ。

ご家族の事、遅くなりましたがお悔やみ申し上げます。

神の御許で貴方達が再会出来ますよう、及ばすながら私にも祈らせて下さい」


リゼはそう言うと、静かに手を胸の前で組み、頭を下げ祈りを捧げる。

グェンナも同じように神に祈りを捧げた。


私はそんな2人を見守りながら、心の中でクリシロに話しかけた。


『先にアンタの側に行ったグェンナの家族を頼むわよ。

グェンナがそっちに行ったら、皆と再会させてあげなさいよね、絶対に。

それが出来なきゃ、どうなるか分かってんでしょーねっ!

私の拳を忘れたなんて、言わせないわよっ!』


クリシロに祈りを捧げる方法など知らんっ!

だが貴様を脅迫する方法なら、幾らでも思い付くんだぜぇっ!


密かにニヤリと笑う私に、微かに天からヒィィィィィッと、クリシロの悲鳴が聞こえてきたような気がした。


これが私流の哀悼を捧げる祈りだよ。

分かってんよな、クリシロ?





グェンナと別れ、宮廷に戻りながら、私はふ〜むと首を捻った。

やはり、この貴族社会の根拠の無い風習を何とかしないとなぁ。

頭を捻りつつ、それに必要な権力を求める時に、どうしても避けては通れない一つのことが頭に浮かぶ………。

が、それに関しては、以前のように、何だかそれ程の抵抗を感じない。


奴を傀儡にして、私がこの国を掌握するのも悪く無い………。

クックックッと黒く笑う私に、隣を歩いていたリゼがビクゥッとその身を震わせていた。






後日教会にて、リゼの婚約破棄の許可が下り、正式にリゼはエドワルドとの婚約を解消する事が出来た。

色々とあって長く感じたが、婚約期間が短かった為、その事実を知る者は少ない。

が、それでも噂好きの社交界ではそれなりに広まってしまうだろう。

まぁ、私の側近相手におおっ広げに噂を広める事の出来るような、命知らずな人間はそういない。

居たら私にどんな目に遭わされるか………。

それくらいの覚悟があるならやってみれば良い。



正式に教会にて婚約破棄の手続きをした時、リゼの父親であるスカイヴォード伯爵に初めて合った。

いつでも凛と背筋を真っ直ぐに伸ばしているリゼとは違い、背中が丸まっていて顔色も悪く、不健康そうな御仁だった。


「リゼ、すまない……お前にばかり苦労をかけて、こんな事に……。

私が家の事など、何も分からないばかりに……。

今回の事で、私は心から反省したよ。

これからは研究一辺倒では無く、家の事や領地の事、伯爵家当主としてちゃんと見直し、関わっていこうと思う……」


ショボンと肩を落とす伯爵に、リゼと伯爵夫人が慰めるように寄り添った。


「そんなっ、お父様、無理をなさらないで下さい。

絶対に、無理ですから」


「そうよ、あなた。家の事や領地の事が、あなたに務まる訳が無いわ。

国から頂いているポーションの代金を領地民に全て配り、貧しくとも皆頑張ってポーションの材料を栽培してくれていますから。

貴方が余計な事をなさらなくても良いのですよ」


慰めているのかディスっているのか分からない2人に、伯爵はますますガク〜っと肩を落とした。


「まぁまぁ、夫人、それにリゼちゃん。

今回の事で、スカイヴォード家の実情を事細かく国政会議にかけ、ゴルタール家からスカイヴォード家への権限を奪うから、少し待っててくれるかな?

どちらにしても、グェンナ商会は解体されるから、ゴルタールにはエリクサーの材料を揃える事は出来ないよ。

東大陸に渡りエリクサーの材料を買い付けるには、ハルミツヒ商会を利用するしか無くなる。

ハルミツヒ商会は王家御用達の商会になるから、スカイヴォード家も王家の管轄に入るしかないね。

ポーションの買取価格も適正価格に戻し、領地への支援もさせてもらうから、伯爵は今まで以上に研究に励んでもらって構わないよ。

まぁちょっと、健康には気を遣ってもらいたいかな」


そう言って片目を瞑るエリオットに、伯爵は縋るように抱きついた。


「ありがとうございますっ!王太子殿下っ!

エリクサーの材料がまた手に入るようになるとはっ!

本当に夢のようですっ!」



「お、お父様っ!エリオット様から離れて下さいっ!不敬ですわよっ!」


「あなたっ!王太子殿下になんて事をっ!」


悲鳴を上げるリゼと夫人を、まーまーと手で制して、エリオットが伯爵の背中をポンポンと叩いた。


「貴方の錬金術は本当に天才的だ。

貴方の錬金したハイポーションに命を助けられた騎士や兵士が何人いるか。

私達王家こそ、軍事の恩人である貴方達スカイヴォード家を今まで救う事が出来ず、本当に申し訳無かった」


珍しくエリオットがまともな事を言っているのだが、身長差ゆえ(腰も丸まっているし)エリオットの胸に顔を埋めていた伯爵から、グーーーッと、まさかの寝息が聞こえてきて、エリオットは天を仰ぎ、ルーーッと涙を静かに流した。


「あ、あ、あ、あなたぁっ!」


ブクブクと泡を吹きながら後ろに倒れる夫人を支えながら、リゼがペコペコと頭を下げる。


「も、申し訳ありませんっ!

父は元々研究に没頭するあまり、睡眠時間が短く、更に最近は心労も重なり、完全に不眠症になっていまして……。

言い訳にもなりませんが、本当に申し訳ありませんっ!」


真っ青な顔でアワアワするリゼから完全に気を失っている夫人を預かり、お姫様抱っこで抱き上げると、私は気にすんなっと笑った。


「良いのよ、気が抜けたんでしょ。

伯爵の心労が解消されて、本当に良かったわ」


そう言う私に、リゼはまだ申し訳無さそうにオロオロとしている。


「シシリアの言う通りだ。

今日くらい伯爵と夫人にはゆっくりと休んでもらおう」


レオネルがエリオットから伯爵を預かると、少し悩んでからやはりお姫様抱っこにして抱えた。


ビジュアル的にはアレだが、まさか伯爵を肩に担ぐ訳にもいかないし、気を失っている状態だとこの抱き方が1番運びやすいもんな。


「お二人とも、私の両親が申し訳ありません」


ううっと居た堪れない様子のリゼに、私はヘラヘラと笑った。


「良いのよ、大事な側近のご両親だもの、これくらいなんて事ないわ」


そう答える私に続いて、レオネルも口を開いた。


「その通りだ、大事な………ンッ、ゴホン、い、妹の側近のご両親だからな」


自分で言っといて、それでは大事な妹の〜になってしまう事に気付いたのか、レオネルは密かに憎々しげに舌打ちをしている。

失敬だな、君は。

大事なリゼ嬢の、って言う勇気もないなら、余計な口を開くなよ。


私とレオネルで、リゼとご両親を邸まで送り届ける事にして、私は初めてスカイヴォード家の邸にお邪魔した。



「………レオネル、これは………」


邸を見上げ、絶句する私に、レオネルがガクガクと機械仕掛けのように頷いた。


「う、うむ………これは……随分、趣きがある……」


上手くフォロー出来ないならしない方がマシなんだが、これはレオネルを責められない。


ボロボロの邸を前に、セレブリティ爆裂な私達兄妹はポカンと口を開けて、それ以上何も言えなかった。


「申し訳ありません、むさ苦しい所で……。

あっ、でも、玄関ホールは直せたんです、あとキッチンや応接間も。

それも全てシシリア様の側近にして頂き、魔法を学び、フリハンターとして働けているお陰です」


顔を真っ赤にして恥ずかしがりながら、リゼは瞳だけキラキラ輝かせ、私を敬畏の目で見つめた。


「……あの、リゼ?良かったら、少し援助をしても」


「いえ、結構です」


いいかしら?まで言わせてもらえず、リゼにピシャリと秒で断られる。


ですよね〜〜。

ここで頷けるリゼなら、そもそもここまで苦労してない訳だし。


私とレオネルは密かに目を合わせ、ハァッと同時に溜息をついた。





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