EP.184
「確認が取れた。今夜第三王子宮でゴルタール公爵、アマンダ夫人、ニーナ・マイヤーの4人で晩餐を開くそうだ。
その際、ニーナ・マイヤーは従者を1人連れて行くと申請しており、許可されている」
ニースさんの顔色が悪い。
皆はそれを聞いて一様にゾッと背筋を凍らせた。
「待て待て待て、その従者がアビゲイル・ゴードンか………?
じゃあ、王宮に魔族を招き入れるって事かよっ!」
ジャンが驚愕して大きな声を上げ、皆あちゃ〜っと顔を覆った。
おいおいおい、まだグェンナと繋がってんだけど?
エリオットが軽い溜息をつきながら、スクリーンの中のグェンナに話しかける。
「聞いての通り、魔族が城の中に入り込もうとしているようだ。
君の情報が無ければ、危ないところだった。
君のご家族は何処かに囚われているのかな?」
エリオットの問いに、グェンナは軽く首を振った。
「いえ、我が商会の保有する、港の倉庫に私が匿っています。
倉庫になど……押し込めたくは、無かったのですか……。
異形と変わり果てた皆が、人にどんな影響を与えるか……分からなかったもので………」
家族を想って苦しげに胸を押さえ、涙を流すグェンナにエリオットは穏やかな笑みを浮かべた。
「直ぐに高位神官、ミゲル・ロペス・アンヘルと、他にも数名の高位神官を君の家族の元へ向かわせよう。
僕とノワール、レオネル、それからリアは一緒に来てくれ。
クラウスとジャン、ゲオルグ達には王宮の守りを頼む。
師匠に連絡して、遠隔魔法で王宮の結界を強化してもらって欲しい。
出来る者はその師匠の遠隔魔法をサポートしてくれ。
結界が強化されたら、魔族であるアビゲイル・ゴードンは王宮内に入れない。
奴がニーナ・マイヤーに従っているなら、城の外で待機する筈だ。
ジャンはゲオルグと騎士団を率いて、門兵や近衛兵に紛れ、奴の動きに注意して欲しい。
クラウスは離れた場所に待機。
何かあればジャン達に力を貸してやって欲しい」
エリオットの指示に、皆が立ち上がる。
が、1人クラウスだけは悠々とソファーに座ったまま、退屈そうにエリオットに問い掛けた。
「何かあれば、その魔族を始末していいのか?兄上」
クラウスがとんでもない事を言い出し、エリオットは困り顔で、まずエリアスに向かって唇の前で人差し指を立てた。
エリアスはコクンと頷くと、グェンナとの通信を一時的に中断した。
「う〜ん、クラウス、君、闇堕ちせずに魔族を倒せるかい?」
エリオットの問いに、クラウスはハッと鼻で笑った。
「魔族程度、力に呑まれずとも倒せますよ。
俺がどこで何を学んできたとお思いですか?」
まぁ、師匠の元で力のコントロールはしっかりみっちりボッコボコに学んできてはいるが。
クラウスはアレだからな。
キティの事となると、暴走気味だから。
力暴走気味男子だから。
今回はキティが側にいるからこそ、力を暴走させないだろうという確信はあるが、キティに万が一なんかあったりしたらアウトだしなぁ。
「エリク、エリー、リゼ。
キティについて、全力で守ってあげて」
私からの指示に、既に立ち上がっていた3人は姿勢を正し、胸に手を当てピシッと頭を下げた。
「はっ、必ずやキティ様をお守り致します」
代表してそう応えるエリクに、私は頷いて返した。
ちなみに、リゼとエリクエリーも保護対象である。
だからこそキティの警護に回すのだ。
キティの側には、最強の魔王が君臨しているからな。
ここより安全な場所は無いだろう。
もちろん、3人共腕は立つので、キティの護衛として信頼もしている。
魔王とこの3人が一緒にキティを守るなら、万が一も無いだろう。
「では、ニース、陛下にこの事を報告したのち、宮廷の魔道士に陛下と王妃陛下の警護にあたってもらってくれ。
表面上は何事もないように、ゴルタール達には晩餐を楽しませてやればいい。
何もなく終わってくれるのが1番だからな」
エリオットからの指示に、ニースさんが素早く頷き、あっという間に部屋から出て行った。
「さて、エリアス、もういいよ」
エリアスはエリオットにまたコクンと頷き、グェンナとの通信を繋いだ。
「待たせて悪かったね、グェンナ。
じゃあ、行こうか」
エリオットの言葉に、グェンナは信じられないとでも言いたげに目を見開く。
「私も、連れて行って下さるのですか……」
驚きを隠せないグェンナに、エリオットは深く頷いた。
「君の家族だ。君が最後まで見守ってやって欲しい」
気遣うようなエリオットの暖かい瞳を、グェンナは真っ直ぐに見つめ返し、その目から涙を溢れさせた。
「……くっ……あ、ありがとう、ございます……殿下……」
言葉を詰まらせるグェンナに、誰もエリオットを止める者はいなかった。
本当なら、せっかく捕縛した大罪人を、牢から出すなど考えられない事だが………。
もうここにいる誰も、グェンナを大罪人だとは思えなかった。
確かに、魔族の存在を秘匿して、国と国民を脅威に晒したグェンナは大罪人と呼ばれても仕方ないだろう。
でも、彼が守りたかったのは、家族なのだ。
ただ家族を想う1人の夫であり、父であり、兄であり、伯父であった。
それだけなのだ。
どうやって彼を責めたらいい?
グェンナはどんな想いで、異形と成り果てた家族を倉庫に押し込めたのだろう。
彼らが人を襲わないように、無関係の他人を傷付けないように、暗く淋しいその場所に、自分の家族を押し込めたのだ。
一体、どんな想いで?
考えるだけで涙が滲んでくる。
グェンナを被害者だとは言えない。
彼は彼の犯した罪を、必ず償わなければいけない。
だけど………。
これで最後になるかもしれない、家族との別れくらい、許してやってほしい。
為政者として、エリオットは甘いのかもしれない。
それでも、人としては、私はそんなエリオットを認めたいと思った。
「では、皆、頼んだよ」
エリオットの言葉に、皆が一斉に頷いた。
人影の無い、港の倉庫街。
その1番奥にある、倉庫……。
その前に、私とエリオットとノワール、レオネルが乗る馬車と、ミゲルと教会の高位神官3名の乗る馬車が、静かに停まる。
この倉庫街にある倉庫は、殆どがグェンナ商会の所有しているものだった。
そしてその1番奥にある倉庫、そこは利便性が悪く、殆ど使われていない場所だとグェンナは言った。
だが、そこは………。
「ねぇ、ご家族をあの倉庫に移動したのはいつ?」
私の問いに、グェンナが暗い目で答えた。
「……もぅ、一ヵ月以上くらい前になります」
そのグェンナの返答に、私とノワールはハッとして目を合わせた。
あの奥にある倉庫、あそこはノワールがシャカシャカに呼び出され、奴の悪意の塊のような前世からの力を聞き出した、あの場所だった。
それに、一ヵ月、という事は………。
私達があそこでシャカシャカと対峙していた時、グェンナの家族は既にあそこにいた……という事に、なる。
グッと拳を握る私の手を、エリオットが自然な流れでエスコートし開かせた。
「リア、今はそれは考えないようにしよう。
それこそ、彼女の思う壺だ。
これくらいの事、ニーナが思い付かない訳がないんだから」
悲しげに眉を寄せるエリオットは、既に気づいているのだろう。
シャカシャカがグェンナの家族まで、私を傷つける為の玩具として用意していたのだと………。
「そうね、先を急ぎましょう」
今は耐えるしか無いと前を向く私を、エリオットがエスコートしたまま、私たちは倉庫の中に入っていく。
私とノワールは一歩足を踏み入れただけで、やはりと心の中で落胆した。
見覚えがある。
やはりここは、あの時のあの場所だ。
「この、奥です。ああ、サイモン、いつもありがとう」
倉庫の奥にグェンナと同じくらいの男性が立っていた。
「彼はサイモン、我が商会の筆頭魔法師です。
他に2人、魔法師がいますが、彼が1番長く働いてくれています。
今はここで、私の家族達の見張りを1人で請け負ってくれているのです」
サイモンと呼ばれた魔法師は、鍛え抜かれた体に鋭い目付きの、熟練した戦士のような見た目だった。
「サイモンはずっとここに?」
私が問いかけると、サイモンは緩く首を振った。
「私は半月前まで東大陸での商品の買い付けに同行し、商会の者の警護にあたっていました。
帰ってきて、ギルバートの様子がおかしかったので無理やり事情を聞いて、今はここでギルバートの家族の見張りをしています。
もし万が一、彼らがここから抜け出して、街で誰かに危害を加えたら、もうギルバートには耐えられないだろうと判断したからです」
鋭い目の奥に、グェンナへの憐憫が浮かぶ。
サイモンという魔法師が、グェンナを友として大事に思っている事が伝わってきた。
時期的に見て、私達がここでシャカシャカと対峙した時には、サイモンはまだ見張りとして立っていなかった事になる。
それまではグェンナが1人で、街とここを往復していたのだろう。
グェンナはよく1人で耐えてきたと思う。
そして、よく決断出来たな、とも。
大事な家族を浄化する、決断を。
「すまんが、サイモン、扉を開けてくれ」
グェンナの言葉に、サイモンはピクリと片眉を上げた。
「本当に、良いのか?」
グェンナに後悔は無いか、サイモンのその瞳は見定めるようにグェンナを真っ直ぐに見つめている。
そのサイモンからグェンナは目を逸らし、涙を堪えるように斜めに床を見つめた。
「ああ……もう、良いんだ………。
これ以上、私の我儘で家族を苦しめたくない……」
拳をギュッと握りしめ、グェンナは固く目を閉じると、ゆっくりと開き、決意は固まったというように、サイモンを真っ直ぐに見返した。
「開けてくれ、サイモン」
サイモンはグェンナに強く頷くと、高く積まれた木箱に向かって手を差し出した。
……そこはあの日、シャカシャカが座って気怠そうに足を組んでいた、その場所だった。
アイツ……自分のすぐ後ろに、異形に成り果てたグェンナの家族がいると知っていて……あんな、平気な顔で………っ!
あの日のシャカシャカのご機嫌な様子が思い浮かび、私はギュウッとエリオットの手を握りしめた。
全て、知っていた。
アイツは全て知っていて、あの日わざわざここにノワールを呼びつけたんだ。
そのノワールを追って、私が来る事も。
そしていつか、リゼの事でグェンナに関わった私達が、再びここに戻ってくる事も、全部、全部アイツは………。
グッと唇を噛む私の顎を、エリオットが優しく掬って上向かせると、哀しそうに首を振った。
「あの日、僕達がグェンナの家族の存在に気付いたとしても、僕達じゃ彼らを救えなかった。
グェンナだって、まだ気持ちの整理がついていなかった筈だよ。
大丈夫、彼の決意が決まった今が、彼らを救う1番良いタイミングなんだ。
後はミゲルと高位神官達を信じよう」
儚げに微笑むエリオットは、きっと私より悔しい思いをしているに違いなかった。
この国を愛し、国民を慈しむエリオットなら、自分の無力を今、どうしょうもないくらいに感じている筈だ。
それでもこうして、私を慰めようとしてくれている。
……そうだな、きっと。
全てを守り切るだなんて、傲慢な考えなんだ。
私達の手の届かない所で、泣いている人達は沢山いる。
でも、それでも。
せめて私達の所に助けを求めて来てくれた人々くらい、この手で、皆で助けてやりたい。
例え全てが手遅れだったとしても。
まだ出来る事があるのなら、その為に全力を尽くしたい。
例え、諦めが悪いと言われようとも。
「では、開けるぞ」
木箱が全て端に積み直され、倉庫の奥にもう一つの扉が現れた。
魔法陣で閉ざされたその扉は、サイモンが帰ってきて直ぐに厳重に閉じ直したようだ。
その前にも、鎖で厳重に閉ざした跡がある。
それは多分、グェンナがやった事だ。
家族をこの奥に閉ざし、出てこれないように鎖で厳重に鍵をした。
それをグェンナはたった1人で………。
サイモンが魔法陣に手をかざすと、扉を閉ざす魔法が消えていった。
後は厳重に重ねられた鎖だけ。
二重三重に重ねられた鎖の鍵を、一つ一つグェンナが外していく。
「……開けます。神官方、どうか私の家族に、魂の救済を……。
皆、悪心を持たぬ、善人でありました。
神の御許に送ってやって下さい」
グェンナは居住いを正すと、ミゲルと高位神官に向かって深く頭を下げた。
そのグェンナに、ミゲル達は力強く頷いた。
そしてグェンナがゆっくりと扉を開けていく。
少し開いただけで、鼻を覆いたくなるような悪臭が漂ってきた。
「永久を吹き過ぎ行く風よ、我らを守りし盾となれ、エア・ヴァルム」
レオネルが静かに、風魔法で目には見えない風の壁を発動させた。
そのお陰で悪臭は落ち着き、私達は扉の向こうに目を凝らした。
「………オォォォォ……ギチギチ……イゲェ………」
グチュビチャッと何かが腐って落ちていくような音がする。
瘴気に覆われたその姿は、とても元が人だったとは思えない。
異形の肉の塊と化していた。
黒い塊が、三体。
ドロドロと体が溶け、顔や体、腕や足の境目も無くなっている。
中型の塊はまだ、三等身のように見えなくもないが、大きな一つの塊は、腕や足だったようなものがあらぬ方向から生えているような姿だった。
禍々しいその姿に、流石に怯む高位神官3人の前に、ミゲルが一切怯む事なく、一歩足を前に出す。
「私はミゲル・ロペス・アンヘル。
貴方がたの魂を救済する為に、教会から遣わされた者です。
私達が必ず貴方達をお救い致します」
凛としたミゲルの声に、黒い塊達がまるで助けを求めるように、グチャッベチャッとノロノロとミゲルの方に向かってくる。
ピリッと緊張が走り、思わず刀の柄に手を伸ばす私とノワールを、ミゲルが素早く手で制して静かに首を振った。
「大丈夫です、さぁ、こちらにいらっしゃい。
痛みも苦しみも、私が全て消し去ってみせますから」
穏やかに微笑むミゲルの後ろで、高位神官達が既に浄化の詠唱を始めていた。
『慈愛に満ちたる天の光よ、それは大地の息吹なり、全ての者を癒せ、優しき浄化の力もて穢れの祓いを彼者に、聖なる癒しのその御手よ、母なる大地のその息吹、願わくば、我が眼前に横たわりしものに、傷つき倒れし彼者に、我ら全ての力持て清め癒さん』
高位神官達の詠唱と共に、黄金の光がミゲル達を包み込んだ。
一層輝くミゲルの淡い水色の髪が、眩いばかりの金色に染まり、その銀色の瞳が神秘的に輝く。
高位神官達の力を受け取ったミゲルが、まるで異形の塊達を抱きしめるように手を伸ばした。
「我が神の御許へ、彼者に慈悲と博愛を、ホーリーリフィケィション」
金色に輝くミゲルの光が、一瞬で全てを包み込んだ。
その奇跡のような神々しさに、何故か懐かしい気持ちになる。
……そうか、これは。
あのクリシロから感じていた、包み込むような光そのものなんだ……。
神聖なその儀式に、私達は圧倒されて、ただただ呆然と見つめるだけだった。




