EP.173
「正直に、申しますと………。
ステファニー様に何故そのように言われなければならないのかと、一瞬、本当に一瞬……ステファニー様を憎いと思ってしまいました……。
ステファニー様がレオネル様から求婚されたと知らされ、目の前が真っ暗になって………。
お幸せな方に、何故私がそのような事を言われなくてはいけないのかと………。
心がジワジワと、黒く染まっていくような、そんな感覚に陥りました………。
ですが、直ぐにステファニー様の仰ってる事は尤もだと思い直したのです。
公爵家と侯爵家の縁組みは自然な事ですし、我が家がゴルタール家と繋がりのある事も本当の事です。
その事でいずれシシリア様の足を引っ張る事になるのでは無いかと、私自身が危惧していた事でしたから……」
ブツブツと呟くようにそう言うリゼは、完全に目の焦点が合っていなかった。
シャカシャカに何かを植え付けられたのか、だとしたらどうしたら………。
冷や汗を流し、そのリゼを見守るしか出来ない自分に歯痒さを感じていた、その時。
ーーーパンッ!!
師匠が大きな音を立てて手を一度叩いた。
不思議な事に、それでリゼの周りの目に見えない黒い靄が晴れたような、一瞬そんな幻覚が見えた気がした。
まるで今目が覚めたかのように、不思議な顔をして目をパチパチさせているリゼに、師匠が優しく微笑む。
「流石だね、リゼ嬢ちゃん。
あの者の放つ悪意にも引き摺られなかったとは。
大丈夫、アンタに付いていたのは唯の残留物だよ、アンタの魂までは穢されていない」
ニッコリと笑う師匠に、リゼは呆然としてその顔をボーっと見つめていた。
「……あの、私は、一体………」
リゼが無事だった事に心の底から安堵の息を吐きつつ、私はリゼを胸の中にギュッと抱きしめた。
「良かった、無事で、本当に良かった……」
声を震わせる私に、リゼはポロポロと涙を流した。
「わ、私、あのステファニー様とお話ししている間、ずっと怖かったんです….…。
得体の知れない何かが、ステファニー様の事を妬め、憎めと……無理矢理に心を侵されていくようで………。
でも、私にはステファニー様を妬み憎む理由がありません。
だから、きっとそんな気持ちになってしまったのは、自分の至らなさのせいだと思い、そんな矮小な人間はシシリア様の側近として相応しくないと………。
エドワルド様との婚約をきっかけに、元平民の夫を持つ私は、高貴なシシリア様の側近ではいられなくなるだろう、それが1番いいんじゃないか、と、勝手にそう思っていたんです………」
心の中をやっと全て吐露してくれたリゼを、私は強く強く抱きしめた。
そんな訳無いのに。
私に相応しく無いだなんて、そんな訳無いのに。
リゼにそんな思いを抱かせたシャカシャカを、今すぐぶん殴ってやりたい。
「いやしかし、それで済んだところがリゼ嬢ちゃんの凄いとこじゃて」
師匠の言葉に、リゼは私の胸から顔を上げて、涙に濡れた瞳で師匠を見つめた。
「あの、私が会ったステファニー様は、ニーナ・マイヤー男爵令嬢が化けていたのですよね?
ニーナ・マイヤー男爵令嬢は、第三王子殿下の恋人と言われている方。
クラウス様の生誕パーティーで共に無礼を働いた方ですよね?
あの方が、どうしてそんな事を?一体どうやって?」
リゼの疑問に、師匠は困ったように私を見た。
ニーナことシャカシャカは私の前世からの因縁の相手だ。
だからこそ、私から話すのが筋だと師匠は暗にそう言っていた。
「リゼ、いい、今からニーナについて話すけど、その話を聞いて自分の失態だと思うのはやめてね。
それだけは約束してちょうだい」
真剣な私の眼差しに、リゼは戸惑いつつも強い力のこもった目で頷いてくれた。
そして私はリゼに、シャカシャカについて語った。
前世の事はうまく隠し、ニアニアことフィーネ・ヤドヴィカを準魔族に堕とした事、テッド・シャックルフォードを使ってキティを亡き者にしようとした事、サンス達を利用して、テレーゼをあの地獄に閉じ込めていた事、更にオークションにかけた事。
複数のスキルの他に、人の悪意を引き出し、それを増幅する謎の力を所持している事。
私の話を聞きながら、リゼは顔を真っ青から真っ白に変え、血の気の無い唇を小さく震わせていた。
「そ、そのような恐ろしい方がいらっしゃるだなんて………。
シシリア様達は、ずっとその方と戦ってきたのですね」
話を聞き終わるとリゼが掠れた声でそう言った。
だが私は少し残念そうに首を振る。
「戦いだなんて、そんなもんじゃないわ。
ニーナからすればただの暇潰しだし。
私達だって、あんな奴相手にしなくていいなら関わらずに放置しておきたいくらいなのよ。
だけど奴は魔族との繋がりもあるし、ゴルタールも利用している。
この国の第三王子さえ自分の闇の一部にしてしまった………。
もう、放置しておく事なんて出来ない。
ただ、それだけよ」
悔しさに唇を噛む私の手を、リゼがギュッと握ってくれる。
少しヒンヤリしたリゼの細い手が、私の手を両手で包んでくれた。
「人知れずシシリア様と皆様が彼女を抑えてくれていたお陰で、私達は何も知らずに平和に暮らせてきたのです。
彼女に目をつけられ、酷い目に遭ったキティ様やテレーゼ様も、シシリア様達がお助けになったじゃないですか。
何故私が次のターゲットになったのか、それは分かりかねますが、私はシシリア様を信じてついて行きます。
彼女にまた何かされても、もう一瞬とて惑わされたりしません。
シシリア様の側近として、私も彼女を向かい撃ちます。
そして、ゴルタール公爵とグェンナ商会の不穏な動きを追い、必ずや邪な策略を阻止してみせます」
強い意志のこもったその瞳に、私は思わず涙を滲ませた。
ああ、このリゼがシャカシャカなんかの手に堕ちなくて良かった。
リゼがニアニアやシャックルフォード、フリードみたいにシャカシャカの傀儡になる姿など、私には耐えられない。
リゼの魂の清らかさ、その強さがシャカシャカを追い払ったんだ。
本当に、リゼは凄い女性だ……。
「リゼ、悪いんだけどこの話は皆に共有させてもらうわね。
ニーナについての情報は、細かい部分まで情報共有しておかないと危険なの」
私の言葉に、リゼは強く頷いた後、ハタと何かを思いついたのか、ピシッと体を硬らせた。
「あ、あの、もちろん、全てお話し頂いて構わないのですが………。
あの、私が、レオネル様とステファニー様の婚約を知り、その……傷ついた、という話は、その………申し訳ないのですが………」
カチンコチンになりながら、しどろもどろにそう言うリゼに、私は密かに溜息をつきつつ、ハイハイと頷いた。
「そこは皆には話さないから安心して」
私の返事にリゼは安堵したように息を吐いた。
そのリゼを眺めつつ、どうしてこうなってしまったのかと泣きたくなる。
レオネルの想い人であるリゼに目を付け、ゴルタールとグェンナ商会を動かし、自らもステファニー嬢の姿を利用してリゼに近付き騙し、グェンナ商会の息子との婚約に追い込んだ。
そのまま婚姻しても、破棄にしようと、レオネルとリゼの関係は傷付き、2人が結ばれる事は二度と叶わない。
シャカシャカらしい卑劣なやり方に私達は見事に嵌められた………。
それなのに、そのターゲットになった2人は今だに、お互いの気持ちも知らないままなのだ。
こうなってしまっては、その想いを2人が口にする事は二度と無いだろう。
こんな事って………。
耐えられず私はもう一度リゼを強く抱きしめた。
リゼは訳が分からず戸惑いながらも、そんな私の背中をポンポンと叩いてくれる。
ああ、本当にどうして、リゼのような、それに希乃にキティ、テレーゼ………そんな人間が傷付けられ、シャカシャカみたいな奴が1人笑うのか。
「………納得がいかない……」
思わず師匠をギロリと睨むと、師匠は申し訳無さそうに笑った。
「すまないね、私があの者を必要としているばっかりに、皆に辛い思いをさせてしまって。
だけどこれだけは信じておくれ。
私は王国と、そこに住む全ての人間の未来を守りたいだけなんじゃ。
それが私の悲願である事は、どうか信じてほしい」
眉を下げてまるで懇願するようにそう言う師匠に、リゼが少し息を呑みながら口を開いた。
「師匠は帝国の魔女様だというのに、何故そんなに王国の事を想って下さるのですか?」
リゼの不思議そうな問いに、師匠は軽くハハっと笑った。
「たまたま帝国に生まれただけだからね」
そう言うと師匠の体が白く輝き、一瞬でエブァリーナ様の姿に変わった。
「そして、たまたま帝国の貴族に生まれてしまった。
しかし、そう生まれたからには、貴族として領民への、また国民への責務がありますから。
帝国に留まり、自分の責任を果たしてはいますが」
ニッコリ微笑むエブァリーナ様に、リゼは口をあんぐりと開けて、驚愕に目を見開いている。
「あっ、あのっ、こ、この方は……?
師匠は一体、どこに?」
エブァリーナ様の最上級の高貴なオーラに、リゼは若干眩しそうに目を細めながらも、キョロキョロと師匠を探している。
「リゼ、この方は、エブァリーナ・ヴィー・アルムヘイム大公閣下。
帝国内にある大公国の主であり、帝国随一の名門貴族であるアルムヘイム公爵家の当主。
で、師匠の中の人」
私の説明に、リゼはアワアワと、本当に泡を吹きそうな勢いで驚きながら、慌てて居住まいを正し、その場で深く頭を下げた。
「お初にお目にかかります、アルムヘイム大公閣下。
そうとは知らず、今までの数々のご無礼、どうかお許し下さい」
頭を下げたままカタカタと震えるリゼに、師匠ことエブァリーナ様が穏やかに微笑みかける。
「いいえ、リゼ嬢、私に首を垂れる必要はありません。
貴女は私こと、赤髪の魔女の大切な弟子の1人。
この姿だからといって、その関係に変わりはないのですよ。
さぁ、どうか頭を上げて頂戴」
穏やかなエブァリーナ様の口調に、リゼは恐る恐るといった感じで顔を上げた。
「ふふ、驚かしてしまったみたいね。
ただ、私にはこういった事情があり帝国を離れられないだけで、心は、いえ、この魂はいつでも王国と共にあるのよ。
それはこの世に生を授かる前から、定められた魂の宿命なの。
だから、自由に飛び回れる赤髪の魔女という別の姿を誕生させて、王国を私なりに支えてきたつもり。
そしてその集大成が近く成就する筈なの。
ただ、それを成す為にどうしてもニーナ・マイヤーという存在が必要なのよ」
エブァリーナ様はそこまで言うと、また白い光を放ち、いつもの師匠の姿に戻った。
リゼはその姿に安堵したように息をつく。
「じゃから、リゼ嬢ちゃんには本当に申し訳ない事をしたと思っておる。
アンタの身の上に起こった事を、何とか出来ないか私も考えてみるゆえ」
リゼを思いやる師匠の瞳に哀しそうな色が浮かぶ。
リゼはそれを見て、ブンブンと頭を振った。
「いえ、師匠にそのように思って頂けるだけで十分です。
こうなった以上、エドワルド様と婚姻などする気はサラサラありませんが。
それでも、我がスカイヴォード家の為、エドワルド様と婚約する事を選択し、決めたのは私自身の判断。
例え何者かの思惑がそこにあったとしても、私が全て決めた事です。
責任の所在を他者に追求するつもりなど最初からございません。
私は私の判断で、エドワルド様と婚約し、それを破棄します。
その為に起きるこれからの全ての事も、私自身の責任なんです。
だからどうか師匠も、そしてシシリア様も、私の事で責任を感じるなどしないで下さい。
私は、私の責任をただ全うするだけですので」
その揺るぎないリゼの真っ直ぐな瞳に、私はまた喉元がカッと熱くなり、泣きそうになってしまった。
師匠はただ、そのリゼを穏やかに、少し哀しそうに見つめていた。
「………分かったわ、リゼがそう言うなら、もう私達がウダウダ言うのはやめる。
その代わり、ニーナには必ずそれ相応の報いを受けてもらう………。
師匠がニーナを用済みになった後にでもね」
クックックッと黒く笑う私に、リゼはアワアワガタガタと震え出し、今自分が言った事を、私が本当に理解したのか、疑わしそうな目で見ていた。
師匠は仕方無さそうに、呆れ顔で乾いた笑いを漏らしている。
アイツに対しては、もう色々積もりに積もってるからな。
リゼの事だけじゃない。
アイツに巻き込まれ酷い目に遭った皆の分、キッチリその身にお返ししてやるよ。
アイツのお気に入りの私という〝玩具〟にギッタンギッタンにされる気分はどんなもんだろうなぁ?
その時のお前の顔が、今から楽しみだわぁ、なぁ?シャカシャカ。
ギッギッギッギッギッと悪魔のように笑う私に、リゼはもう、ガタガタと椅子を揺らして震えているし、師匠はとうとう頭を抱え出した。
「分かった分かった。あの者がまたシシリア嬢ちゃん達に何かしてくるようなら、迷わず私を呼びなさい。
アンタの手であの者を害する前にの」
はぁ〜っと深い溜息をつく師匠に、私は悪びれなくサーセンと頭を下げた。
いやだってもう、自信ないもん。
シャカシャカにこれ以上何かされたら、我慢出来る自信は無いね、私には。
ノワールと協力して巨大な氷柱に封じ込めるか、レオネルと協力して巨大竜巻で宇宙の彼方まで吹き飛ばすか……。
さて、どっちが良いかなぁ。
いや、どっちも捨て難いから、いっそ両方でも良いかなぁ。
などとワクワクしながら考えていたら、突然頭がズキンと痛んだ。
チカヅクナ。
ワドワサレルナ。
ナニモスルナ。
また、頭の奥で、警鐘を鳴らすような、低いくぐもった声が聞こえる。
妙に心が騒ついて落ちつかない気持ちになる声だった。
胸の前でギュッと服を掴む私に、師匠が気付いて治癒魔法をかけてくれる。
その白い光に包まれて、やっと正常な呼吸を取り戻した。
「その声とて、シシリア嬢ちゃんを守ろうとしておる。
頼むから、ニーナ・マイヤー相手に無茶はするんじゃないよ」
穏やかで暖かい師匠の声に、私は深呼吸をしながら頷いた。
が、人の頭の中で勝手に喋っている奴の言う事など、この私が聞く訳がない。
師匠にこれ以上の心配をかけたくないから、自分からどうのこうのはしないでおくが、あっちからまた仕掛けてきた時は、もう容赦はしない。
師匠の為、命くらいは見逃してやるが、もう何も出来ないくらい拘束するくらいは許してほしい。
構ってちゃんの相手など、いつまでも付き合ってらんないんだわ、正直。
リゼの事を片付けたら、シャカシャカに次の手など絶対に打たせない。
付き合ってやるのは、これが最後だ。
ギリッと鋭く宙を睨む私に、師匠がまた大きな溜息をついていた………。




