EP.170
この先の計画の為、それぞれ妖精達との仲を深める事に集中していた頃、リゼからグェンナ商会への潜入調査決行日が調整出来たと連絡がきた。
その日はエリオットに頼み、私は変装して架空のグラシアット子爵令嬢という人物になりきってリゼに同行する事にした。
流石に、素のままのアロンテン公爵令嬢では大変に具合が悪い。
ゴルタール公爵家に続いてアロンテン公爵家までグェンナ商会を贔屓にしているなどと噂を流されては、いや間違いなく流される。
そうなればグェンナ商会に余計な力を更に与えてしまう事になってしまう。
リゼとの円滑な婚約破棄の為には、グェンナ商会の力を少しづつでも削いでおかなければ。
まずはグェンナ商会の所有する特権。
つまり、大陸を超えた未知の国々からの商品の買い付け。
そこから徹底的に調査していく。
少しでも付け入る隙を見つけられれば良いのだが。
「シシリア様、本日はご足労頂きありがとうございます」
待ち合わせ場所に先に着いていたリゼは、最初変装した私に気付かなかったが、近付いて耳元で名乗ると、慌てて深々と頭を下げた。
「リゼったら、私は今日はグラシアット子爵令嬢よ。
爵位は貴女の方が上なんだから、言葉遣いや態度には気を付けて」
揶揄うように片目を瞑ると、リゼは緊張したようにコクコクと頷いた。
「それじゃ、もう一度確認しておくわよ?
私はグラシアット子爵令嬢。
目立つのが好きで、散財家で我儘。常に人とは違う物を探している。
リゼとは大して親しくは無いけれど、貴女がグェンナ商会の息子と婚約した事をどこからか聞き付けて、まだ誰も持っていないような物を見せて欲しいとしつこく迫った。
困り果てた貴女は、グェンナ商会の息子に相談して、今日という日をセッティングした。
どう?大丈夫そう?」
丁寧に確認していくと、徐々にリゼの顔から緊張が解けていく。
やる事が明確であればある程、リゼは冷静に淡々と対処出来る人間だ。
もうこれなら大丈夫だろう。
ホッと胸を撫で下ろしながら、私達はうちの用意した馬車に乗り込んだ。
馬車は子爵家らしい、普段よりグレードを落とした物をちゃんと用意しておいた。
「シシリア様、グェンナ商会のご子息について、事前に話しておきたいのですが」
馬車に乗り込むと、リゼは遠慮がちに口を開く。
私は一度頷き、それに答えた。
「時間がないから、気遣い無用で説明してちょうだい」
いくらリゼが常日頃から合理的な話し方をしているとはいえ、そこは高位貴族のご令嬢。
正淑で慎ましやかな話し方までは省略出来ない。
が、今は時間が惜しい。
二人きりだし、その辺も簡略化してお願い、という私の意図を瞬時に読み取ったリゼは、コクリと頷くと遠慮無くその口を開いた。
「はい、ではそのようにご報告致します。
これから面会するグェンナ商会のご子息は、一言で言って、度し難い馬鹿です。
礼儀もなっていない上に、どうやら頭の中がスカスカになっているようで、信じられないくらい物覚えが悪く、商会の1人息子であるにも関わらず、人の名前や顔を覚える事が不得手です。
更に、女性関係が派手で下品。
本来なら、シシリア様のような高貴な方とは、会わせる事など憚られるような人間なのですが」
大変簡潔で分かりやすいリゼの説明に、私はズキズキと頭痛を感じた。
「本来なら、リゼ、貴女もそんな男とは関わる事も無かったのよ。
もう、そんな男と貴女を婚姻など絶対にさせないから。
貴女もしっかりとそのつもりでいてね」
頭を抱えながら頼むように口にすると、リゼは申し訳無さそうに深く頷いた。
「申し訳ありません……私が無用な関わりを持ったばかりに」
悔しそうな色を滲ませるリゼの口調に、私はいやいやと手を振りながら、体を起こした。
「もうそこは仕方ないわ。
ゴルタールの目論見はいつも巧妙で、やられた後に気付くなんてザラよ」
それも本当は、複数スキル持ちのシャカシャカが手を貸しているからなのだが。
そこまではまだリゼには話せない。
信頼はしているが、シャカシャカについては説明しづらい事が多いからだ。
まだ正体も掴みきれていない者を、リゼに話しても混乱するだけだろう。
「それにしても、家門の為とはいえ、よく平民と、しかもそんな禄でもない男との婚約を了承したわね」
ハァ〜っと深い溜息を吐く私から、一瞬リゼが目を逸らした。
……いや、目が泳いだというべきか。
よく見ていなければ分からない程の僅かな動きだったので、見逃さなくて本当に良かった。
やがてリゼはいつもの落ち着いた調子で淡々と口を開く。
「我が家の悲願であるエリクサー生成に必要な材料が手に入らないとなれば、まず間違いなく私の父は廃人と化します。
他の親族なども同様に、廃人となる者が出てくるでしょう。
そうなれば、ポーションさえもまともに生成出来なくなってしまいます。
我が国の、主に軍部に必要不可欠となるポーションを、我が家の事情で用意出来ないなど許されません。
ですから、私がグェンナ商会からの提案を受ける事にしたのです」
スラスラと淀みなく答えるリゼを、私は必要以上にジーッと見つめた。
それはもう、穴が空くほどジーーーーーッと。
その私の視線を真正面から受け止めていたリゼだが、やがで耐えられなくなったのか、ほんの一瞬、またその目を泳がせた。
………こりゃ、何かあるなぁ。
さっきリゼの言った事に、嘘偽りはないだろう。
スカイヴォード家が錬金術に没頭するあまり、世間を知らず、あっさりゴルタールにつけいられたような家門である事は、既に私にも理解出来ている。
確かにそんな家門から研究材料を奪えば、廃人の1人や2人……では済まない数の人間が失望に暮れる事になるだろう。
が、他にも何かある。
妙に確信めいたものを、私はその一瞬泳いだリゼの目から感じた。
と同時に、嫌な予感がしてならない。
また、何か遅れを取っているような………。
リゼの婚約話に気付けず、婚約宣誓書を提出してから事に気付くなど、遅れをとるどころか間抜け過ぎて自分に吐き気がするくらいなのに、まだ何かを見落としているんじゃないかという予感がしてならなかった。
無言のままリゼをジッと見つめる私と、その私の視線に少し目を泳がせるリゼ。
馬車内は妙な静寂が漂い、他に何かあんだろ?素直にゲロっちゃいなよ、という私の眼光に徐々に怯え出し、早く諦めて頂けないだろうか、と視線を漂わせるリゼの静かな攻防戦が繰り広げられていた。
その時、馬車が止まり馭者が私達に声を掛けた。
「到着致しました」
その馭者の声に、内心舌打ちしつつ、私はゆっくりとリゼに声を掛ける。
「行きましょうか」
リゼは助かったとばかりに、コクコクと頷きながら、冷や汗をハンカチで拭いていた。
いや、これで助かっただなどと、私はそんなに甘くないぞ?
君は直ぐに緊急取調室行きだから、覚悟しておくように。
馬車から降りる際、一瞬振り返ってリゼに向かってニヤリと不穏な笑みを浮かべると、リゼはピャッとその場で数センチ飛び上がって震え出した。
逃げられない………。
その顔に絶望の色を見て、私は満足げに頷いた。
聡いリゼならこれで覚悟して腹を括るだろう。
円滑に取調べに応じてくれそうで、私はニコニコと手を差し出している馭者の手を取った。
私に続いてリゼも馭者の手を取り馬車から降りる。
ちなみにこの馭者、エリオットに変装させてもらったゲオルグである。
見た目40代くらいになっているが、ゲオルグである。
その内くっ付けようと思っている2人なので、こうやって理由をつけてはちょこちょこと交流させようと目論んでいる最中なのだ。
魔獣討伐だけが交流の場では、いざ婚約となった時に会話がそればっかりになってしまう恐れがある。
これからは、ごく身内のささやかなパーティやお茶会などで2人を交流させていくつもりだ。
「シシリア様、お気を付けて」
馭者らしく頭を下げながら小声でそう言うゲオルグに、私は小さく頷く。
「リゼ嬢も、気を付けて行ってきてくれ」
続けてそうリゼに声を掛けるゲオルグに、リゼも小声で答えた。
「はい、ゲオルグ先輩、ありがとうございます」
流石に何度も一緒に討伐依頼をこなしてきた2人だ。
それなりの気やすさは既に生まれているらしい。
もしかしたら、それなりに仲良く出来るじゃないか?
一抹の期待を込めて、私は2人の姿を見つめた。
本当なら、レオネルと何とかしてやりたいと、今でも思っている。
諦めが悪いのも十分承知の上で、例の、公爵という立場でありながら平民を娶ったという御仁に手紙も送った。
何か抜け穴が無いのかと、しつこく食い下がる自分がいると同時に、そんな希望は薄い事を理解している自分もいた。
どんな形であれ、リゼを幸せにしてやりたい。
その想いは、きっとレオネルも同じだろう。
血を吐くように、リゼの幸せを私に託したレオネルの想いを、無駄にしたくは無い。
皆が皆、ただ幸せでいられるように、そんなささやかな願いさえ踏み躙ったシャカシャカを、もう何があっても許す気などサラサラ無い。
いつか奴と本格的に対峙する時には、一分の容赦もかけるつもりは無い。
アイツのくだらない楽しみの為に、涙を流した人達の為にも。
「では参りましょう、リゼ様」
グラシアット子爵令嬢らしく、貧乏伯爵令嬢であるリゼを小馬鹿にするような笑みを浮かべると、リゼも瞬時に私の意を汲み、そんな人間を軽蔑するような表情を浮かべた。
「どうぞ、グラシアット子爵令嬢。
こちらがグェンナ商会、王都本店になります」
そう言ってリゼが差し示した建物に、私は内心ウヘァッと顔を顰めた。
金銀ギラギラとしたその成金趣味全開の建物に、これから足を踏み入れなければいけないのかと思うと、憂鬱な気持ちにもなる。
「やぁ〜〜〜っ!リゼッ!
それからそのご友人もっ!よく来てくれたねっ!」
その時、中からビラビラした悪趣味な服装の男が、小躍りするように飛び出してきた。
「僕の愛しのリゼ〜〜〜〜ッ!
今日も輝くばかりの美しさだねっ。
やぁ、君がグラシアット子爵令嬢?
僕はリゼの婚約者で、この大商会っ!グェンナ商会の跡取りである、エドワルド・グェンナさっ!
遠慮せず、エドと呼んでくれたまえっ!」
いや、お前が遠慮しろっ!
こちとら、伯爵令嬢と子爵令嬢ぞ?
貴族なんだわ、伯爵家なんかその中でも高位貴族ぞ?
呼び捨てしてんじゃね〜〜よっ!
早速そのグェンナ商会の息子、エドワルドを斬って捨てたくなる衝動を何とか抑え込み、私はグラシアット子爵令嬢の設定通りに軽薄で傲慢な笑みを浮かべた。
扇で口元を隠すと、エドワルドを侮蔑するように見下した視線を送る。
「まぁ、ご歓迎頂きありがとうございます。
でも申し訳ありませんが、貴方を敬称でお呼びする理由が私にはありませんので、ご遠慮致しますわね。
それにしても、リゼ様ったらご婚約者様と仲が大変およろしいのね〜〜。
既に名を呼び捨てにする仲だなんて、随分と深い仲のようですわね?羨ましいですわ〜〜」
(意訳:おい、身分差って知ってる?
そもそも初対面で馴れ馴れしいぞ、ゴルァッ!
リゼもリゼで、何呼び捨てにさせてんだ。
貴族間でも婚約の段階なら、人前じゃ呼び捨てになんかしねーよ?
既に深い仲にまで発展しているとかあらぬ噂が立つ前に、やめさせろっ!)
嫌味ったらしくオーホッホッホッと笑う私に、リゼはくだらないとばかりに(演技)溜息を吐いて、エドワルドを蔑むような目で見つめた。
「エドワルド様、何度も言っておりますが、私の事はスカイヴォード伯爵令嬢とお呼び下さい。
そのうち名前で呼べる時がきても、人前ではリゼ嬢とお呼び下さい。
ゆくゆくは伯爵となられる方が、そのようなお振舞いでは困ります」
ピシャリと取りつく島も無いリゼに、しかしエドワルドはニヘェッと嬉しそうに笑った。
どうやら、ゆくゆくは伯爵ってとこが奴の琴線に触れたらしい。
そんな未来は絶対に来ないけどなぁっ!
ウヘウヘとだらし無く笑っていたエドワルドは、急にキリッと表情を引き締めると、胸に手を当て軽く頭を下げた。
「いや、すまない、リゼ嬢。
もちろん、貴族達の社交パーティーではその辺しっかりとするから、心配しないでくれ」
尚も名前で呼んでくるエドワルドに、リゼがピシャリと更に畳み掛けた。
「スカイヴォード伯爵令嬢ですわ、エドワルド様」
その名を呼ぶのも嫌そうなリゼには気付かず、エドワルドは少しムッとしてその顔を歪めた。
「……分かったよ、スカイヴォード伯爵令嬢様。
これでいいんだろ?」
エドワルドのその物言いに、うっかり空間魔法からカゲミツを取り出したい衝動に駆られるが、ハッ、いかんいかん。
ごく一般的な子爵令嬢は、刀で斬り捨て御免とか多分やらない。
危ない危ない。
「ねぇ、私そんな事よりも、早くグェンナ商会の取り扱う珍しいお品を見たいのだけど?」
よし、ここは、グラシアット子爵令嬢の設定をフルに活用して、秘技空気読まない自分本位発言で乗り切ろうっ!
リゼに対するエドワルドの無礼の数々を見ていたら、もう何もかも忘れて奴を切り刻みそうで非常に危ないっ!
「ああっ、もちろんだよ、グラシアット子爵令嬢。
さぁ、我が商会にようこそ。
心ゆくまで堪能して、気に入ったものはいくらでも購入してくれっ!」
商人としてもあり得ないその口ぶりに、私はグラシアット子爵令嬢の設定を忠実に守り、リゼを小馬鹿にしたようにフッと笑った。
その私にリゼは鉄壁の無表情であるが、しかし内心は私がいつエドワルドを斬り捨てるかとヒヤヒヤしているのだろう。
こめかみに微かに汗が浮かんでいる。
やだな〜〜、リゼったら。
私はこれでも、生まれ変わってから丸くなった方だぜ?
そんな、問答無用で斬り捨てたりしないって。
ちゃんと『斬り捨て御免っ!』て言ってから斬るから。
例え台詞と共に既に斬りかかっていてもね。
一応、ちゃんと断ってから斬るからね?
安心して。
エドワルドの背中を見つめながら、私の瞳の奥が仄暗く鈍く燻っている事に気付いたリゼは、表には出さないように、指先だけを細かく震わせていた。




