EP.160
一気に氷点下まで温度の下がった倉庫内で、私はガタガタと歯を鳴らしながら、慌ててノワールに近付いてその肩に手を置いた。
「ちょっとノワール、タンマタンマッ!」
そう声をかけた瞬間、その肩に置いた手がみるみるうちに凍りついていく。
「ちょっ!嘘でしょっ!
………テメーッ!ノワールゥゥゥっ!」
ドゴォッ!
氷によってこん棒のようになった拳で、私は躊躇なくノワールを思い切りぶん殴る。
私にぶん殴られたノワールは数メートルぶっ飛んでいき、倉庫の壁に思い切り体を打ち付けると小さな呻き声を上げた。
「ノワールッ!アンタねっ!
私を氷漬けにするなんてっ、どういう了見よっ!」
グワっと両目を見開きノワールに向かって吠えるように怒鳴り付けると、ノワールは苦しそうな吐息を吐き、弱々しい声を上げた。
「そう言うなら、エリオット様のスキルで姿を隠したまま後ろから肩を掴まないでもらいたかったな……」
その言葉に私はハッとして、ヤベーっと冷や汗をかいた。
やっ、すまんすまん。
そうだった。
エリオットのスキルで姿を隠したままだったんだった。
いやぁ、うっかり。
エリオットをチラリと見ると、エリオットは気の毒そうにノワールを見つめながらパチンと指を鳴らした。
私達にかけられたスキルが解けて姿を現すと、シャカシャカは別に驚きもせずにクスクスと笑っている。
「本当、楽しそうね、アンタ。
前いた場所よりイキイキしてるとか、マジで鬱陶しい」
ハッと鼻で笑うシャカシャカを見上げ、私はギリッと奥歯を噛み締めた。
「アンタも随分イキイキしてんじゃない。
前の時みたいに目が死んでてくれた方が良かったけどね、私は」
負けじと鼻で笑ってそう言うと、シャカシャカはキャラメルブロンドの髪を片手でかき上げながら、やはり楽しそうに笑っていた。
「ノワール、コイツを1人で相手にしないように皆で話し合った筈よ?
何でこんなとこにノコノコ来てんのよ」
シャカシャカからは目を逸らさず、ノワールに背を向けたままそう問うと、後ろからノワールの申し訳なさそうな声が聞こえた。
「……ごめん。1人で来れば、テレーゼの身に起きた事の真相を話すと言われて……。
どうしても気になって抑えきれなかったんだ」
正しい行動では無いと承知の上での判断だったのだろう。
ノワールの気持ちは分かる。
シャカシャカがテレーゼの事に関わっている可能性を最初に言い出したのは私だ。
その真相をノワールが知りたいと思うのも無理はない。
そして、もう二度とテレーゼに手出しできないように、事と次第によっては自分1人で処理しようと思っていたのだろう。
それに私達を巻き込みたくないという、ノワールの気持ちも分かる、分かるが……。
「アンタ1人で手に負える相手じゃない。
か弱い男爵令嬢に見えても、中身は底が知れない相手よ」
厳しいようだが、そう言うより他に無かった。
王国騎士団一番隊隊長であるノワールに、か弱く華奢な男爵令嬢1人を相手に、アンタじゃ手に負えないと言うのは流石に気が引ける。
実際、シャカシャカにどんな能力があるのか、それが本当にノワールに通用するのか、本当のところは分からない。
それでも、念には念を、慎重に相対すべき相手なのだと、改めてノワールに理解して欲しかった。
……そもそも、師匠が必要だって言ってる人間を、こんな所で消されても困るんだが……。
師匠の今までの苦労とか、説明されたよね?
その辺すっ飛ばして、テレーゼの事しか考えてない辺り、かなりの新婚ボケだよね?
2人の幸せを脅かす可能性のあるものは何であれ関係なく滅しにきてんじゃね〜〜かっ!
そんな事してないで、新婚なんだからお花畑で2人でキャッキャッうふふしてろよっ!
あっ、テレーゼが忙し過ぎて放置プレイ中だったっけ?
プークスクス。
頭の中でノワールに同調したり、申し訳なく思ったり、最終的には小馬鹿にしていると、私の表情で全てを悟ったらしいノワールは、チベスナ顔でスンッと私を見つめた。
「……ありがとう、何かシシリアを見ていたら頭が冷えてきたよ……」
あっ、そう?
いや、理解が早くて助かるわ。
脳筋とはいえ、頭の回転は早いもんな、お前。
うんうんと納得しながら頷いて、私は改めてシャカシャカに向き直った。
ノワールが正気に戻って氷化が停止したとはいえこのままじゃ寒いので、火魔法でじわじわと氷を溶かしていく。
常時複数のスキルを展開しているエリオットに魔法が効かないのは理解出来るとして、胸元の開いたドレスでこの氷点下の中平気な顔をしているシャカシャカに、私はフッと笑った。
「アンタも何かスキルを使ってるって訳ね」
私の言葉に、シャカシャカはくだらなそうにハッと笑った。
「スキルとか、魔法とか、本当にアンタ好きだよね?
そんなもの、私にはどうでもいいけど、スキルってのならあるわよ、色々とね。
まぁ、そこにいる化け物程じゃないけど。
便利なペット飼ってんじゃん。
私に譲る気になったら、いつでも遠慮なく言ってよ」
片手で頬杖を突きながら、反対の手でエリオットを指差すシャカシャカ。
思わずエリオットの前に出て、奴から隠したい衝動に駆られたが、グッと堪えて微動だにせず、そのシャカシャカを無表情で見つめ返した。
「リ、リアのペットって認識されてるっ!
僕、頑張ってきて良かったっ!」
頑張るベクトルが明後日を向いているエリオットの足を密かに踏み付けグリグリしながら、私はシャカシャカに向かって口を開いた。
「アンタ、文句があるなら私に直接言いなさいよ。
何でノワールの大事な女性に手を出したの。
そんな遠回りせず、私に直接向かってくればいいじゃない」
ギリギリと睨み付ける私に、シャカシャカは嬉しそうに目を輝かせた。
狂気に踊るその瞳の奥を覗き込んだ瞬間、ズキンッと頭の端に痛みが走った。
チカヅクナ。
ハナスナ。
ミルナ。
トラワレルナ。
まるで警鐘を鳴らすように頭の奥で誰かの声が聞こえて、脳を中から揺さぶられるような不快感が全身を走り抜ける。
思わず後ろにフラついた私の体をエリオットが支えてくれたので、シャカシャカの前で無様に倒れずに済んだ。
………一体、何なんだ?
ズキズキと痛む頭に顔を顰め、私は言いようの無い不安に駆られる。
まるで心臓を鷲掴みにされるような、頭に響いたあの声は……。
くぐもった低い声は男の声に聞こえたような気がした……。
聞き覚えの無い不気味な男の声が、脳内に直接語りかけてきたとしか説明のしようがない。
その声はまるで逆らう事を許さないような力強い、強制力を含んでいた。
……が、言う通りになる気は無い。
いや、出来ない。
シャカシャカがこうして直接私の仲間に接触してきた以上、以前のように我関せずを通す訳にはいかない。
シャカシャカを無視し続けた事で招いた悲劇を、繰り返す気は無い。
例え誰に何を言われようと、私はもうシャカシャカから逃げない。
真っ向から立ち向かい、今度こそ、大事な人達を守る。
もうあんな思いは二度とごめんだっ!
まだ痛む頭を気合いで持ち上げて、ギッとシャカシャカを睨み付けると、シャカシャカは気味の悪い笑いを浮かべ、その瞳をギラつかせていた。
「悪いんだけど、僕との話がまだ途中だよね?」
背後から落ち着いたノワールの声が聞こえ、暖かい手が肩に置かれた。
エリオットと同じように、私を支えるその手に振り向くと、ノワールの優雅な微笑みと目が合う。
すっかり自分を取り戻したらしいノワールに、小さく安堵の息を吐いた。
その唇の端が切れて、血が滲んでいる事にも気が付いたが、まぁ、私がぶん殴ったお陰で気つけになったのだから、気にしない気にしない。
オールオッケーッ!
「あ〜〜?………何の話だったっけ?」
邪魔くさそうにチラッとノワールを見るシャカシャカに、ノワールはニッコリと花を背負い微笑んだ。
「テレーゼの事だよ。君がテレーゼにした事を話してくれないかな?」
そのノワールの言葉に、シャカシャカはとうに興味を失ったかのように、面倒くさそうに淡々と答える。
「だから、シシリアの周りにいる人間を調べて、アンタのテレーゼの存在に気付いた訳よ。
面白い境遇になってたから、サンス達に近付いて、もっと面白くなるように精神に関与してやったの。
元々の欲深さと嗜虐性を増幅してやったら、どんどんと増長していって、テレーゼにあそこまでの事をやってのけたって訳。
最初は、サンスはテレーゼを上手く手玉に取って、伯爵家を裏で好きにするつもりだったし、パトリシアもそれで甘い汁が吸えれば十分と思っていたみたいだけど、少し操ってやったら2人ともアッサリ伯爵家を自分達の物にしようと欲を剥き出しにしてきたわよ?
フランシーヌは当時まだ子供だったから、より欲に従順だったっけ?
貴族の娘として自由気ままに振る舞っていたけど、本物の貴族であるテレーゼを目の前にして、悪意を全開にしちゃって。
馬鹿しかいないの?って途中でつまんなくなったから、そのまま放置してたんだけど……」
腰掛けている高い木箱から足を投げ出し、プラプラとさせながら、シャカシャカはやはりつまらなそうに言葉を続けた。
「やっぱり身を滅ぼしていったよね、勝手に。
私も流石にテレーゼが可哀想になっちゃって、だから助けようとしたのよ?
サンスと仲良くしていたゴルタールにテレーゼの事を話したら、フリードの妾にしてやろうって言うから、それじゃあって事で、フランシーヌの元にあのオークションの会員証が届くようにした訳よ。
そうしたら案の定、テレーゼをオークションにかけようとしてきたから、ゴルタールの手の者に落札させて、テレーゼをあの邸から助ける手筈だったんだけどなぁ。
アンタらが邪魔さえしなければ、テレーゼは今頃第三王子の妾って立場を手に入れてたのに」
そう言って、急にクスクス笑い出すシャカシャカに、隣のノワールから殺気と冷気が漏れるが、ノワールは手から血が滴るほどに強く拳を握りしめ、それを必死に堪えていた。
「何がテレーゼを助けるよ、どの口が言ってんの………。
アンタが余計な事したから、テレーゼはあそこまで酷い目に遭ったのよ?
オークションだって、本当に助けるつもりなら、まず初めにノワールに情報を寄越した筈。
それなのにゴルタールに情報を流して、ガーフィールドに落札させようとした。
アンタ、ガーフィールドがテレーゼに何をしたか、何をしようとしたか、知らない訳じゃないでしょっ!」
必死に耐えるノワールの代わりに、私がそう声を荒げると、シャカシャカは弾かれたように大声で笑い出した。
「アハッ、アハハハハハッ!
あ〜〜本当に残念っ!
あのままあの醜いブヨブヨの体で、ガーフィールドがテレーゼを欲望のままに蹂躙してたら、最高に楽しかったと思わない?
そうなったら、ねぇ、ノワール?
アンタ、誰を殺してた?
テレーゼをオークションにかけたサンス?フランシーヌ?
それともテレーゼを穢したガーフィールド?
まさか、穢されたテレーゼ⁉︎
アハハハハハ、あ〜〜、それだったら最高にヤバいっ!面白すぎっ!
アンタら本当にセンス無いよね?
そんな面白い事を邪魔しちゃうんだもん」
腹を抱えて足をバタつかせるシャカシャカに、ノワールがカッとなって一歩踏み出そうとするのを、エリオットがその肩を掴んで押し留めた。
ノワールはエリオットのいつになく真剣な眼差しにハッとしたように息を呑み、唇を噛むと悔しそうに後ろに下がった。
「それで?君はそんな話をして、ノワール君に殺されでもする気だったのかな?」
穏やかなエリオットの声が、倉庫に響く。
シャカシャカはピクリと眉を震わせると、不機嫌そうにエリオットを見下ろした。
「そのつもりだったんだろう?
ここにノワール君を呼び出して、テレーゼちゃんについてあれこれ言って激怒させ、自分を殺させるつもりだった、ね?」
にこやかなエリオットの笑顔に、シャカシャカは不愉快そうに眉を顰める。
「もちろん、本当に死んだりはしない。
だがそう擬態する事は出来る。
要は、ノワール君に人を殺したと思い込ませる事が出来ればいいんだからね。
例えどんな理由があろうと、私情で人を殺めて平気な人間は滅多にいない。
ノワール君は心を病むだろうね。
それこそが君の狙いだ。
後は弱ったノワール君をゆっくり堕としていくつもりだった、違うかな?」
エリオットの言葉に、私はハッとした。
それはニアニアがシャカシャカに使われた手と似ている。
シャカシャカに唆され、ニアニアは人を殺めた。
その事で、生まれ変わっても尚、その魂はシャカシャカに囚われたままだった。
つまりシャカシャカは、ノワールをそんなニアニアと同じ道に堕とそうとしていたって事か?
その為にノワールについて調べ上げ、テレーゼに辿り着き、サンス達に近付いた。
その為だけに、テレーゼをあの地獄に閉じ込めたのか?
腹の底からフツフツと湧き上がる怒りに目の前が真っ赤に染まる。
その私の目の前で、シャカシャカはつまらなそうに大袈裟な溜息を吐いた。
「あ〜〜あ、マジシラける。
アンタつまんな過ぎ。
なにドヤ顔で全部バラしちゃってんのよ。
せっかく、アンタらが加わった事でもっと面白い事になる筈だったのに。
ねぇ、シシリア?アンタも見たかったよね?
ノワールが目の前で人を殺すところ。
何だかんだ言って、アンタら人を殺した事まだ無いでしょ?
人が目の前で死ぬところも、見た事無いよね?
あっ、シシリアはあるか、私がプレゼントしたもんね?
ふふっ、あん時のアンタ、最高だったよね、ウケる。
また見れると思ったんだけどな〜〜。
絶望したアンタのあの顔……本当に最高なんだもん。
ねぇ、目の前で人を殺したノワールと、それでも今までと変わりなく付き合える?
どんな気持ちで接するつもり?
わだかまりが生まれないって言える?
まだ仲間だって、本当に言える?」
私をジッと見つめ、口元だけニヤニヤと歪めるシャカシャカに、抑え切れない怒りが溢れ出した。
「シャカシャカー、テメェっ!」
瞬間的に身体強化した私の肩を、ノワールがグイッと掴み、そのままエリオットの方にトンッと押した。
エリオットに受け止められてポカンとする私に、ノワールは微笑みながら片目を瞑る。
「申し訳ないけど、僕は騎士だからね。
戦いになれば躊躇無く人を殺めると思うし、テレーゼを苦しめた元凶である君を殺す事にも、微塵の罪悪感も感じないと思うよ。
君はそれだけの事をした人間だし、王国の騎士として、内乱陰謀罪を犯した君を放置する事も出来ないな。
僕が君を斬って捨てるとしても、それはただの私情だけじゃ無い事を、シシリアだって理解しているよ」
そのノワールの言葉に、私は内心ハッとした。
そうだ、シャカシャカのした事は立派な内乱陰謀罪じゃないか。
エクルース伯爵家という、王家と国にとって重要な名家門をあそこまでの目に合わせたのだから。
それを利用して国をもっと混乱させる事だって出来た筈だ。
国家転覆を狙った内乱陰謀罪と言えるじゃないかっ!
なら、その首謀者を斬ったノワールを、何で私が気に病まなきゃならない?
そんな事で仲間じゃないと?
わだかまりに苦しむと?
そんな事、無いっ!
絶対にあり得ないっ!
一気に正気に戻った私の目を、ノワールが覗き込むように見つめて、強く頷いた。
私もそれに応えるように、強く頷き返した。




