EP.156
「それで、イエレ。テレーゼに何か用かい?」
未だギラギラした目で睨み付けられているノワールは、冷や汗をかきながら、イエレの気を逸らすかのようにそう聞いた。
イエレはハッとしてテレーゼに向き直る。
「エクルース伯爵、私は子爵家の人間で跡継ぎでも無いので、私の事は今後イエレとお呼び下さい。
このように不躾にお声かけした事、誠に申し訳ありません。
ただ、急をようしておりまして……」
イエレがそこまで言った時、その後ろから穏やかな声が聞こえた。
「フォッフォッフォッ、若い方は流石行動がお早いですな」
その声に私達が振り向くのと、イエレが舌打ちをするのが同時だった。
「エクルース伯爵、先日はご挨拶も出来ず失礼致しました。
私はチェスラフ・カイネンと申します。
魔道士長を任されておる者です。
私の事も是非お見知りおきを。
そうそう、私もチェスラフとお呼び下さい」
チェスラフはあの叙爵式の時に、陛下に問われてサンスの魔力量を答えていたあの老紳士だ。
チェスラフはどこから聞いていたのか、イエレと同じようにテレーゼに名前で呼ぶようにと言ってきた。
テレーゼとの親密度を上げようとしたイエレに、早速釘を刺してくるあたり、チェスラフの古狸っぷりが伺えるってもんだ。
「あの時はお力添え頂きありがとうございました。
チェスラフ魔道士長様」
テレーゼが頭を下げると、チェスラフはいやいやとそのテレーゼを手で制した。
「あんな事で貴女様のお力になれたなら幸いでした。
さて、エクルース伯爵。
実はこの私も、ここにいるイエレと貴女様への要望は同じでして……」
チェスラフがそこまで言った時、イエレがグイッと彼の前に出て、必死の形相で先に口を開いた。
「どうかエクルース伯爵様っ!
我が魔術師庁に着任して頂けませんかっ⁈」
鼻息荒くそう言われて、テレーゼは目を丸くしている。
「フォッフォッフォッ、先を越されてしまいましたな。
私の要件も同じです。
エクルース伯爵、貴女を魔道士庁にスカウトに参りました」
チェスラフはそう言うと、ニコニコと穏やかに笑った。
テレーゼは二人の誘いに面食らったようで、焦った声を上げる。
「そんなっ!私はまだ魔法をちゃんと習得してもいないのです。
そのような者が魔道士や魔術師にだなんて……」
そう言うテレーゼの手を、私が横からギュッと握ってキラキラした目で見つめた。
「それなら私が私達の師匠に紹介するわっ!」
私の言葉に、チェスラフ魔道士長が楽しそうに笑う。
「赤髪の魔女殿ならエクルース伯爵が学ぶに相応しい相手ですな。
貴女のお母上、セレンスティア様も赤髪の魔女殿の弟子だったのですよ」
チェスラフ魔道士長の言葉にテレーゼは目を見開いた。
いくら世間から隔離されていたテレーゼでも、師匠の名前くらいは知っていたようだ。
帝国の赤髪の魔女。
帝国のみならず、その名は遠い国々にまで響いている、偉大な魔法使い。
それが我らが師匠なのだっ!
「ノワールも他の皆も、師匠の弟子なの。
テレーゼ様なら直ぐに師匠からお墨付きを頂けるわよ」
ニコニコと笑う私に、ノワールが少しムッとした顔で、テレーゼの反対の手を取った。
「テレーゼはエクルース家を復興するのに忙しいからね、師匠の所にも、当然、魔道士庁にも魔術師庁にも顔を出す時間なんてないよ」
ニッコリ黒薔薇を背負うノワールに、勿論私も一歩も引かず、2人でテレーゼを挟んで激しく睨み合った。
出たな、初恋拗らせ粘着独り占めマンめっ!
この後に及んでまだテレーゼを自分1人で囲おうとするなど、片腹が痛いわっ!
なんなら臍で茶を沸かしてやろうか?
あ゛あ゛っ!!
バチバチと睨み合う私達をオロオロと見ていたテレーゼが、か細い声を出す。
「あの……」
おずおずと声を上げ、私とノワールを交互に見つめるそのテレーゼの困りきった表情に、私達は渋々とテレーゼの手を離した。
「実は私、お母様の研究の後を継ぎたいと思っていたのですが……」
テレーゼがそこまで言った時、イエレが歓喜の声を上げた。
「セレンスティア様が研究されていた空想魔法ですねっ!
もちろん、全ての資料は魔術師庁で保管してあります。
それにセレンスティア様専用の部屋もそのままの状態で保全してありますので、いつでもお使い頂けますよっ!」
勝ち誇ったようなイエレに、テレーゼは申し訳無さそうに再び口を開いた。
「いえ、あの……エクルース家は代々魔道士を務めてきた家柄ですので、私も魔道士としてこの国を外からの脅威から守る任に就きたいと思います」
続いたテレーゼの言葉に、イエレがガクリと肩を落とした。
魔術師は国内の魔法に関しての事柄の任に就く部署で、主に研究職の色が濃い。
対して魔道士は国外からの脅威に備えた場所で、他国と戦争になれば魔道士団を編成して魔法を武器に戦いに参戦する。
エクルース家は魔道士として数々の戦いに参戦し、戦果を上げてきた。
確かに、エクルース家当主として魔道士になる事はテレーゼの責務とも言える。
しかし、セレン様の研究の後を継ぎたい気持ちも理解出来る。
確かにこれは悩ましい問題ではあるが………。
「なら、どちらにも籍を置けば良かろう。
セレンもそうしていたが、何か問題でもあるのか?」
後ろから声が聞こえて、振り返るとそこにニコニコと笑う陛下が立っていた。
皆が頭を下げると、陛下はそれを手で制し、チェスラフとイエレを見た。
「チェスラフ、テレーゼはセレンと違って攻撃魔法に才はないかもしれん。
アレは特別だったからな。
どちらかと言えば研究者向きかもしれんが、テレーゼの言う通り、エクルース家は代々魔道士の家系。
魔道士として扱えば良い。
しかし、セレンの未完の研究をあのままにしておくのも非常に惜しい。
イエレ、魔術師庁にもテレーゼの籍をおくゆえ、彼女の研究を皆で協力するように」
陛下の言葉にチェスラフとイエレは深く頭を下げた。
「御意に」
「陛下のお心のままに」
2人がそれぞれそう応えると、陛下は満足したように一度頷き、テレーゼに向き直った。
「テレーゼよ、そなたはシシリアの言う通りに赤髪の魔女に師事しておいで。
あの婆様も、セレンの娘ともあれば喜ぶであろう。
セレンが戦死した知らせを聞いた時にはあの婆様、暴れ回って大変だったからのぉ。
セレンはあの婆様にとって、今でも可愛い弟子の1人に変わりない。
そなたがいってやれば慰めにもなろう」
陛下の温かい眼差しに、テレーゼは深く頭を下げた。
「陛下のお心のままに。
私、テレーゼ・エクルース、赤髪の魔女様にご師事を頂きに行って参ります」
テレーゼの返事に陛下は満足そうに頷いた。
陛下の後ろで王妃様とローズ夫人が、扇で口元を隠し、コソコソと話し合っていた。
「のうソニアよ、見てみよ、そなたの息子のあのブスっくれた顔を」
「本当ですわね、情けない事ですわ」
「今まで散々テレーゼを独り占めにしておきながら、まだ足りないらしいの。
状況が状況だっただけに、テレーゼの健康を優先して好きにさせておいたが。
あのような狭量な者がセレンの娘を相手に出来るものかの?」
「いつまでも囚われた籠の鳥ではいられないはずですわ。
テレーゼはセレンの娘なのですから。
ノワールもすぐに思い知る事になるでしょう」
ヒソヒソ声ながらも、会話の内容を本当に隠す気は無いらしく、むしろノワールに聞かせるような2人に、ノワールは顔を赤くして握った拳をブルブル震わせていた。
そーだそーだっ!
言ってやれ言ってやれっ!
もっと言ってやって下さいよっ、姐さん方っ!
私は内心ケケケッと小気味よく笑った。
「いこう、テレーゼッ!ダンスが始まる」
とうとう耐えられなくなったのか、ノワールはテレーゼの手を引いてホールに引っ張っていった。
「あっ、待って、ノワールッ!
陛下、王妃様、失礼致します」
慌てて陛下と王妃様に短い挨拶をするテレーゼに、二人とも気にするなとばかりに手を振った。
ローズ夫人は扇越しにノワールを呆れた目で見つめている。
「ふふふ、可愛いよね、ノワール君」
いつの間にやら現れたエリオットが、やはりいつもの如く私の隣で微笑ましそうにノワールとテレーゼを眺めていた。
「幸せそうに踊ってる。本当に良かったよね」
ホールで見つめ合い、楽しそうに踊る2人を、目を細めて見つめるエリオットの横顔から、本当に心の底から2人の幸せだけを望んできたのだと伝わってきた。
それなのに、嫌われ役を買って出たエリオットはテレーゼから許してもらえない可能性もある。
私達は仲間だから、勿論、ノワールのパートナーになるであろうテレーゼも、もう仲間だと思っている。
だけど、そのテレーゼとエリオットの間にはわだかまりが残り続けるかも知れないのだ……。
辛い事だが、仕方の無い事。
それはエリオットが一番理解しているのだろう。
いつも私達から一歩離れた所にいるのは、必要な時にいつでも自分が憎まれ役になれるように、と考えているからだ。
いつか為政者として、私達に厳しい命令を下す時が来るかも知れない。
その時に、全ての責任と皆からの責めを1人で受け止める為に。
今回、テレーゼは酷い目に遭ってしまったけれど、それと同時にあり得ないくらいスムーズに叙爵を済ませ、何の問題も無く貴族達に迎えられた。
それは間違い無く、エリオットの描いた計略のお陰だった。
自分がテレーゼに憎まれる事も計画の内だったのだろう。
隣で目を細めて、踊るノワールとテレーゼを見つめるエリオットの手を、無意識にギュッと握っていた。
目を見開いて驚いた顔でコチラを振り返るエリオットを見て、自分でも驚いたくらいだが、今更引っ込める事も出来ず、私はその手を照れ隠し紛れにギュウーーッと握った。
「いだだだだだだっ!リアッ、力加減間違ってるよ、これっ」
大袈裟に騒ぐエリオットをハッと鼻で笑って、私は口を開いた。
「ナニしんみりしてんのよっ!
さっさとテレーゼに誠心誠意謝って玉砕してきなさいよね。
そんで落ち込んでたら、またヘラヘラ笑えるように、私が元気付けてあげるから」
ふふんっと胸を逸らしドヤ顔する私に、エリオットは目をキラキラとさせ、涎を垂らさんばかりにグイッとこちらに身を寄せてきた。
ち、近い近いっ!
何だよ、この謎の圧はっ!
「元気付けるって、ど、ど、どんな風にっ⁉︎」
なんか凄い食い付いてきたエリオットに、私は冷や汗を流しながら、若干自信なさげに答えた。
「か、肩たたき、とか?」
そう言って自信なさげにエリオットを伺うと、エリオットは更に目をキラキラさせて、幸せそうな溜息を吐いた。
「はぁ、リアに肩を叩いてもらえるなんて……なにそれっ!身悶えるっ!
もうそれは、長年連れ添った夫婦のコミニュケーションだよねっ⁉︎
それ以外に考えられないっ!」
キャッキャッはしゃぐエリオットの手を、ギリギリギリィッと握り潰してやると、やはり大袈裟に痛がって床を転げ回っている。
「て、手がぁっ!手がぁっ!」
ギャーギャー騒ぐエリオットを、ハッと鼻で笑い飛ばしていると、ダンスの曲が終わった。
テレーゼの所に行こうと目をやると、ノワールから体を離そうとするテレーゼの腰を、ノワールがグッと掴んで引き寄せている。
そうこうしている間に、次の曲が流れ始め、テレーゼは慌ててノワールを見上げた。
ダンスを続けて踊るのは、社交界ではルール違反に当たる。
許されているのは家族か夫婦、または婚約者だけ。
ノワールのこの行為に、周りがザワザワと騒めき出し、テレーゼは居た堪れない様子でノワールを見上げているが、ノワールは何も気にならないようにニコニコと笑っている。
ハイハイ、出た出た。
粘着野郎お得意のやつね。
私の思った通り、皆が注目する中、テレーゼと2曲目のダンスを踊り切ったノワールは、テレーゼの前に跪き、その手を恭しくとった。
そしてテレーゼを熱っぽく見上げるノワール。
……なるほど、ここで勝負に出るか。
テレーゼが魔道士庁と魔術師庁に籍を置けば、我先にと求婚する者が現れるだろう。
どの貴族家でも、魔力量の高い後継を望んでいる。
エクルース伯爵の夫君となり、魔力量の高い子供を実家に養子に貰いたいと望む輩が湧く筈だ。
だからこそ、尤も注目度の高いこの場で、ノワールは皆に牽制パンチを喰らわすつもりだな?
よしっ!いいぞっ!イケイケっ!
やっちまいなぁっ!
ややして、ノワールは優雅に微笑むと、その唇をゆっくりと開いた。
「テレーゼ・エクルース女伯爵。
どうか貴女を永遠に愛する事を許して下さい。
僕の求婚を受けてくれませんか、テレーゼ」
まるで乞うようにそう言われて、テレーゼは顔を真っ赤に染めた。
テレーゼを見つめ甘く揺らめくノワールの瞳を真っ直ぐに見つめ返し、テレーゼはゆっくりと口を開いた。
「ええ、もちろん喜んでお受け致します」
そう言って、テレーゼは涙をポロポロと流した。
ノワールは破顔して立ち上がり、テレーゼをその胸にギュウッと抱きしめる。
「ああっ、テレーゼ、ありがとう。
必ず幸せにすると誓うよ」
心から幸せそうなノワールの言葉に、私達は自然笑顔になってその2人を見守った。
「私も、貴方を幸せにすると誓うわ、ノワール」
テレーゼが涙声でそう応えると、周りから自然に拍手が起こり、2人を優しく包み込んだ。
祝福の拍手に包まれながら、2人はお互いを確かめ合うように、きつく抱きしめあっていた……。
よ、よがっだなぁっ!ノワールッ!
あまりの初恋拗らせっぷりに、若干どころか大いに引きまくってきたが、実る事もあるだなぁっ!
粘着なのにっ!
あんなに粘着なのにっ!
粘着なのに初恋成就とかっ!
ミーラークールーッ!
エグエグと涙を流す私の隣で、エリオットも同じようにエグエグと泣いていた。
お互い酷い絵面のまま、顔を見合わせうんうんと頷き合う。
良かった………本当に、本当に良かった……。
幸せになれよ、ノワール。
そして、テレーゼ。
で、エリオット、何だよその手。
三倍くらいに腫れ上がってる上に、人の手の形をしていないけど、どうしたっ!
何があったっ⁉︎




