EP.150
翌日、いよいよテレーゼ嬢の叙爵と、サンス達の断罪が決まった。
各方面、もうこれ以上は待たせられないので、取り急ぎその事をノワールに通信魔道具で知らせ、王宮にテレーゼ嬢を連れて来るように頼んだ。
全ては午後に予定されているから、私達は前もって王宮に集まり、テレーゼ嬢にフラれたノワールをどうするかの作戦会議を開く事にする。
あの後、結局エリオットにははぐらかされてしまい、真相は分からずじまいのままなのだ。
「とにかく、このままじゃ王都の三分の一が吹っ飛ぶわよ」
私の言葉に、レオネル、ミゲル、ジャンが神妙な顔で頷く。
失恋如きで王都に八つ当たりされては堪ったもんじゃないが、あの初恋盛大に拗らせ男ならやりかねん。
とにかく矢面に立ってノワールを抑える役目は私になりそうだったから、レオネルとジャンには補佐を、ミゲルに治癒を頼み、綿密に打ち合わせをしていると、ガチャッと部屋の扉が開き、そこからキティとクラウスが姿を現した。
たがしかし、その二人の妙な空気に、私達は作戦会議を一時中断せざるを得なかった。
頬を染め、モジモジしているキティの横で、クラウスは顔を横に向け、必死に自分の口元を手で覆っている。
……そして、もう明らかに笑っているのが丸わかりだった………。
この王都全域に対しての一大事に、随分楽しそうだなぁ、お前は。
何がそんなに愉快なのか、ちょっくら教えてほしいもんだわ。
肩をクックッと振るわせるクラウスをジト目で見つめていると、キティが遠慮がちに、いや、言いにくそうにその口を開いた。
「あ、あの……お兄様とテレーゼお姉様、その……あの……えっと、う、うまくいきました」
そう言って無理やりにニヘラと笑うキティを、あ゛っ?と座ったまま見上げると、ビクゥッと体を跳び上がらせ、その勢いでペコペコと頭を下げ続ける。
「ご心配をおかけして、申し訳ありませんっ!
お兄様のお気持ちをお姉様が受け入れて下さって、お二人は気持ちを通じ合わせましたので、もう、大丈夫なんですっ!」
キティの話に目を見開いていた私達は、その内容を理解すると、はぁぁぁっと安堵に胸をほっと撫で下ろした。
な、なんだよぉっ。
本当にうまくいったのか。
まぁ、ノワールの大逆転的な事かな?
あの状態からどう口説き落としたのかは知らないが、うまくいったなら良かった良かった。
何はともあれ良かったなぁ、と皆と顔を見合わせ笑い合っていると、少々むっとしたようにクラウスが声を上げた。
「何故不甲斐ないアイツの為にキティが頭を下げなければいけないんだ?
単にアイツがテレーゼ嬢に、女と間違われていただけの事だと言うのに」
ムッとするノワールの隣で、キティがピャッと飛び上がり、慌ててクラウスの口を塞ごうと、必死で背伸びをしてバタバタと両手を振っている。
その動きが気に入ったらしいクラウスに、ギュッと抱きしめられながら、焦った顔でコチラを振り返ってきた。
「ち、違うのよ。い、今のはほら、だから、お、お兄様の名誉の為にも、えっと……あっ、そうそう、テレーゼお姉様は小さい頃、お兄様の事を女の子だと思い込んでいて、だから、だからね……」
あたふたと言い訳をするキティを、私達はポカンと口を開け、呆然と見つめるしかなかった。
ややして、ボソッとジャンが口を開く。
「ノワールを、女だと思っていたのか?
テレーゼ嬢が、ずっと………?」
そのジャンの言葉に、クラウスがプッと吹き出し、クックッと肩を揺らして笑い出した。
えっ?
ノワール、テレーゼ嬢に女性だと思われてたの?
あんなに必死に口説いてたのに?
ずっと女性だと思われてたの………?
………ぷっ、ぷふっ。
ひ、必死に口説いてたのにっ⁉︎
そ、それじゃ、最初から全く相手にされてなかったんじゃないかっ!
うひゃっひゃっひゃっひゃっ!
あ、アイツ……面白すぎるんだけどっ!
こんな事ってありっ⁉︎
ついに我慢出来なくなった私は、クラウス同様プッと吹き出すと、大口を開けて笑い出してしまった。
「アーハッハッハッハッ!
あ、アイツッ!ちょっ、ちょ待って、それマジッ!
女性だと思われてんのに必死に口説いてたのっ!
ちょっ、無理っ!キツいっ!お腹が捩れて死んじゃうってっ!」
アヒャヒャヒャヒャヒャッ!と涙を流しながら笑い転げる私に、他3人も我慢の限界だったようで、ほぼ同時に笑い出した。
「ばっ、おまっ、やめろっ!
ふっ、ぶふっ!笑い過ぎだってっ!
フヒャヒャヒャヒャッ!
お、女だと思われてたとか、可哀想過ぎだろっ!」
ヒーヒーと腹を抱えて笑うジャンの隣で、レオネルが口元を手で覆い、肩を揺らしている。
「お前達、笑うんじゃない。
テレーゼ嬢も悪気があった訳じゃないんだから。
ただちょっと、ノワールが……ふっ、ふふっ……。
み、見た目が女性的過ぎるだけで……」
その後の言葉は繋げないようで、レオネルはクルッと後ろを向き、クックッと背中で笑っている。
「ふふっ、あははっ、ノワールらしいですよね。
騎士団でも女性に間違われて、たまに男性に口説かれているじゃないですか」
にこやかに笑うミゲルに、私とジャンは堪えきれずにブーーッと吹き出した。
「アッハッハッハッ、そう言えばそうそうっ!
たまにガチ目に口説かれてるよね、男にっ!」
アッヒャッヒャッヒャッと笑う私につられて、ジャンも笑い転げている。
「そうそうっ、あれマジウケるんだよな〜〜〜っ!
まぁだいたい、キレたノワールに氷漬けにされてるんだけどさぁ………」
そこまで言って、ジャンはハッとして周りをキョロキョロ見回した。
もちろん私も、同じようにキョロキョロとする。
い、いないよな?ノワール。
氷漬けなんか御免だかんなっ!
どこにもノワールがいない事を確認してから、私とジャンは同時に息を吐いた。
……しかし、テレーゼ嬢が急に婿を望んだのは、そういう理由だったのか。
ノワールを女性だと勘違いしていたなら、確かにその選択になるだろう。
貴族にとって何より重大な事は、後継ぎ問題だ。
ノワールを女性だと思い込んでいたなら、いくら想いあっていても結ばれる事などない。
この王国では同性婚が認められていないという事もあるが、そもそも後継ぎを望めない相手との婚姻はハードルが高過ぎる。
ボロボロに地に落ちたエクルース家を立て直すのには、やはりテレーゼ嬢の叙爵だけでは足りない。
後継ぎがあってこそ、真に立て直ったと言えるだろう。
それをテレーゼ嬢は十分に理解していたという事だ。
エクルース家の為、惚れているノワールではなく、婿を貰い、その男の子供を産む。
一家門の当主として、それは正しい選択ではあるが、一女性としては誰でも出来る事ではない。
確かに貴族は政略結婚が主ではあるが、近しい位の人間はお茶会などで幼い頃から交流を育み、その中から少しでも自分の希望に合った相手との縁組をするのが常だ。
つまり、全く知らない相手と急に縁談を組まれるのは稀と言える。
それをテレーゼ嬢は、家の為、自分の叙爵に合わせて見知らぬ相手で構わないから縁組を進めて欲しいとローズ侯爵夫人に頼んだのだ。
その決意と決断力には本当に頭が下がる。
テレーゼ嬢は既に、エクルース家当主としての自覚をしっかりと持っているのだろう。
それでも、これ程の決断を迫られたのは、やはりサンス達のせいに違いない。
奴らが好き勝手したその尻拭いの為、テレーゼ嬢は早急に婿を貰い、後継ぎを作らなければならないという決断を迫られたのだから。
好きな相手がいるにも関わらず、他の相手との婚姻を決意するまで、随分苦しい思いをしたに違いない……。
それでもテレーゼ嬢は家門にとって最善の道を選んだ。
自分を犠牲にする事も厭わずに。
その家門に対しての責任感たるや、やはり流石と言わざる得ない。
あの女傑、セレンスティア・エクルース女伯爵の娘なだけある。
本当に潔い、高潔な決断力だ。
………まぁ、ノワール、男なんだけどねっ!
実はテレーゼ嬢との婚姻にまっっっっったく問題の無い相手なんだけどねっ!
これはあれだな。
女顔のノワールが全て悪い。
ギルティ、アイツがギルティ。
いやしかし、こんなに笑ったのは本当に久しぶりな気がする。
腹が捩れてまだ若干痛いもん。
気を抜くと笑いが込み上げてきて、私は慌てて口元を手で押さえるが、私と全く同じ状況の皆と目が合ってしまい、結局同時に盛大に吹き出してしまった。
クラウスも珍しく声を出して笑う中、ただ一人キティだけが、涙目で困ったように皆を見渡していた。
これに笑わないキティの心臓が強過ぎて凄い。
午後になり、いよいよやっとテレーゼ嬢に会える時がきた。
何だかんだと私は、直接顔を合わせるのは今日が初めてになる。
キティも9年ぶりにやっと再会出来る。
我が家に匿っていた、テレーゼ嬢の専属侍女であるルジーも呼び寄せ、私達はその時を今か今かと待ち侘びていた。
やがて、私達の待つ扉をノワールがゆっくりと開き、やっとその時が来た。
テレーゼ嬢は室内に入ると、まずルジーの顔を見つめ、驚きに口元を手で覆う。
「テレーゼお嬢様っ!」
ルジーが脇目も振らずテレーゼ嬢に駆け寄る。
「ルジーッ!」
テレーゼ嬢もルジーに駆け寄り、2人はお互いの存在を確認し合うように抱き合った。
「ああ、テレーゼお嬢様っ!
よくぞご無事でっ!
あの邸を追い出されてから、ずっとお嬢様の事が心配で仕方なかったのです。
お救いするのが遅くなり、本当に申し訳ありませんでした」
ボロボロと涙を流すルジーに、テレーゼ嬢も同じように涙を流しながら首を振った。
「ノワールに聞いたわ。貴女がお父様に恐ろしい呪をかけられていたって。
自分の身を顧みず、私を助けてくれるように言ってくれたのでしょう?
ありがとう、ルジー。
本当に貴女が無事で良かった」
目の前の傷一つないルジーに、テレーゼ嬢は心から安堵したようにポロポロと涙を流した。
目の前の感動的な光景に、目頭が熱くなると同時に、私はテレーゼ嬢の姿にゴクリと唾を飲み込んだ。
や、や、や、や、やったーーーーっ!
おっとり系お隣さん属性お姉さん、キターーーッ!
これあれだっ!
年下男子にご飯食べさせて、意図せず餌付けしちゃう系お姉さんだっ!
全男子の憧れオブザイヤーお姉さんだっ!
されてーーーーっ!
餌付けされてーーーーっ!
お姉さんの手料理をガツガツ食って、ふふふって微笑ましく見つめられてーーーーっ!
気を抜くと鼻血を噴きながらハァハァとテレーゼ嬢に迫りそうだったので、私は慌てて公爵令嬢の仮面を被る事にした。
息苦しくて苦手なんだけど、初対面でガッついた奴だと思われたく無いし、ここは致し方ない。
「お2人とも、どうぞこちらにお掛けになって。
積もる話もあるでしょうし」
そう声をかけると、テレーゼは私に向かって振り向く。
私は公爵令嬢然として、優雅にテレーゼ嬢に微笑んだ。
「初めまして、テレーゼ・エクルース女伯爵。
私はシシリア・フォン・アロンテン。
アロンテン公爵の娘です」
そう言うと、テレーゼ嬢はハッとして、私に向かって優雅にカーテシーで礼を取った。
腐り切っていても私は、宰相閣下の娘で公爵家のご令嬢。
王太子殿下や王子殿下の又従兄妹にあたる人間。
現在、王妃様に次いで高貴な女性の1人でもある。
女伯爵とはいえ、カーテシーで礼を取るのは、まぁ、仕方の無い事だった。
「シシリア・フォン・アロンテン公爵令嬢様。
お初にお目にかかります。
テレーゼ・エクルースと申します」
カーテシーを深くするテレーゼ嬢に、私は肩に手を置いて、優雅に微笑んだ。
「テレーゼさん、どうか楽になさって下さい。
私の事はシシリアとお呼び下さいね。
さぁ、あちらでお茶を頂きながらお話致しましょう」
ニコニコと笑いながら、テレーゼ嬢とルジーをソファーに案内した。
ルジーは恐れ多いと断ろうとしていたが、私にまぁまぁと促され、恐縮しながらテレーゼ嬢の隣に座った。
「ルジー、テレーゼさんに今までの事を話して差し上げて」
私にそう言われたルジーは頷くと、テレーゼ嬢に向き直った。
「テレーゼお嬢様、私があの邸を追い出されたのは、お嬢様を社交界デビューの場に何とか連れ出そうとしていたからです。
社交界デビューの場にさえ連れ出せれば、お嬢様の正当な権利を取り戻せた筈でした。
ですが、あの卑劣な男はそれに気付き、私に忌まわしい呪をかけ、邸から追い出しました。
何度もお嬢様の事を周りに訴えようとしましたが、呪のせいでお嬢様の事だけうまく言葉が出ず、文字も書けませんでした……。
それでも無理に伝えようとすれば、その箇所が爆ぜて欠損すると言われていたので……。
私にもっと勇気があれば、もっと早くお救い出来ましたものを……。
お嬢様、お許し下さい……」
そう言って嗚咽を漏らすルジーをテレーゼ嬢は抱きしめて、何度も首を振った。
「いいえ、ルジー、そんな事ないわ。
貴女はずっと、あの過酷な状況で私の側にいて守ってくれた。
それだけで十分だったのに。
自分の身を犠牲にノワールに私の事を伝えてくれた。
貴女のお陰で今の私がこうしていられるのよ。
本当に、本当にありがとう、ルジー」
涙を流しながらテレーゼ嬢がルジーの顔を覗き込むと、ルジーもまた涙を流し、2人は静かに見つめ合った。
……ちなみに、意識が混濁する悪魔法もかけられていた事は、テレーゼ嬢には黙っていて欲しいとルジーから頼まれていた。
そのせいで2年もルジーが廃人同然であったと知れば、テレーゼ嬢は更に心を痛めてしまうだろう。
私達はその事はテレーゼ嬢には決して話さないとルジーに誓った。
「お2人共無事でこうして再会出来て、本当に良かったわ」
私が優しく微笑みそう言うと、2人は共に深く頭を下げた。
「皆さま、お嬢様をお救い頂き本当にありがとうございました」
ルジーが周りを見渡してから、また深く頭を下げる。
テレーゼ嬢はレオネル、ジャンにそれぞれ頭を下げ、ミゲルと目が合うと微かに首を傾げた。
「テレーゼ、彼はまだ初対面だよね。
彼はミゲル・ロペス・アンヘル。
大司教様のご子息だよ」
ノワールがそうミゲルを紹介する。
コイツ……眠っているテレーゼ嬢に治癒を施させたミゲルを、平気で初対面として紹介しやがった……。
「初めまして、テレーゼ様」
ノワールの紹介に、微かに唇の端をひくつかせながら、ミゲルはテレーゼ嬢に向かってフワッと微笑んだ。
その微笑みは神の使徒らしく慈愛に溢れている。
ノワールに合わせて初対面のフリをしてやるとか、本当に寛大だな、神の使徒さんは。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。
ミゲル様がルジーを救ってくれたとノワールに聞きました。
心より感謝致します」
涙の滲む瞳でミゲルを見つめるテレーゼ嬢に、ミゲルは緩く首を振った。
「彼女を救ったのは彼女自身の勇気ある行いですよ。
神は全てを見ておられます。
彼女を救うとお決めになったのは、神のお心ですから」
謙虚なミゲルに、テレーゼ嬢とルジーは改めて深く頭を下げた。
「さぁ、それでテレーゼさん、これからの事なのだけど…」
私がそう喋り始めると同時に、廊下の方からパタパタとした足音が聞こえ、部屋の扉が開かれた。
「テレーゼお嬢様っ!」
一旦クラウスの宮に戻っていたキティが姿を現し、それを見たテレーゼ嬢がハッと息を呑んだ。
「まぁっ、テティッ!」
テレーゼ嬢が立ち上がると、キティはテレーゼ嬢に向かって駆け寄る。
そのキティにテレーゼ嬢が両手を広げると、キティは迷いなくその胸に飛び込んだ。
「テレーゼお姉様っ!ご無事で良かったですっ!
ずっとずっとお会いしたかったっ!」
そう言って泣き出すキティのふわふわの髪を撫でながら、テレーゼ嬢も涙をはらはらと流した。
幸せな再会を喜び合う2人を、ノワールが優しい眼差しでずっと見つめていた……。
うんうん、良かった良かった……。
ノワールが邸に囲ったりしなければ、もっと早くに再会出来たんだけどな?
そんで、ノワールを女だと思い込んでいたテレーゼ嬢の誤解も、もっと早く訂正出来てた筈なんだけどな?
まぁ………言うまい。
そこはもう………。
監禁初恋拗らせ男に、何を言っても無駄な事と、私はそろそろ学習してきたらしい。
そんな自分が心から怖い……。
いやぁっ!慣れって恐ろしいねっ!




