EP.148
陛下と父上との打ち合わせも終わり、エリオットの執務室に戻ると、丁度ノワールとジャンが揃っていた。
「どうだったの?」
片眉を上げて問い掛けると、ジャンはニッと笑って答える。
「もちろん、フランシーヌを捕らえてきたぜ」
まっ、当然だけどな。
とりあえずジャンとパァンッ!とハイタッチしておく。
「それよりもさ〜〜っ、カッコよかったんだぜっ!テレーゼ嬢っ!」
興奮気味のジャンの言葉に、何だとっ!とまんまと食いついた私に、ジャンは得意げにニンマリ頷いた。
「詳しく聞こうか?」
ジャンをドサッとソファーに座らせ、さっさと話せと促す。
ノワールが何か鼻高々なきみ悪い顔でウフフッと笑っているが、どうした?大丈夫か?
変なもんでも食ったか?
「俺らが、テレーゼ嬢の日課の庭園の散歩をしていた時だよ。
門のほうが騒がしくなったのは………」
ジャンが楽しそうに語った話は、こんな話だった。
『門の方が騒がしいな……』
ジャンは険しい声で振り向き、耳を澄ませる。
確かに、門の方から人の叫び声のようなものが聞こえてきた。
風に乗って、テレーゼ、とテレーゼ嬢の名を呼ぶ声が聞こえてきたような気がした。
『俺ちょっと見てくるから、マリサ、テレーゼ嬢を頼む』
そう言うジャンの腕をテレーゼ嬢が掴んだ。
『お待ち下さい、私を呼ぶ声が聞こえた気がするのです。
どうか私も一緒に連れて行って下さい』
ジッと真剣な目で見つめるテレーゼ嬢に、ジャンは困ったように頭をガシガシ掻いた。
『俺にはアンタは十分強いように思えるけどな。
アンタがまだ弱っているから、なんて、ノワールのただの独占欲だよなぁ、やっぱ。
分かった、アンタの言う通り、多分あの騒ぎはアンタ絡みだ。
いつまでも蚊帳の外じゃ納得いかないだろう。
自分の目で、ちゃんと確かめてこい』
ジャンの独断でテレーゼ嬢を向かわせる事に決めたらしい。
ノワールがいたらそんな事絶対に許さなかっただろうが………。
だが、ジャンを責める気にはなれない。
ジャンの言っている事も尤もだからだ。
私でも同じ判断をしたかもしれない。
テレーゼ嬢はそのジャンに深く頷き、ジャンの後をついていった。
門の外で1人の女が門兵相手に暴れ回っていた。
髪を振り乱し、豪華なドレスに土がつくのも気にならない様子で、門兵の制止を振り切り何度も体ごと門に体当たりをしていたらしい。
『だからっ!あの女をさっさっと出しなさいよっ!
テレーゼッ!アンタがここにいる事は分かってんのよっ!
とっとと出てきなっ!このうすのろっ!
不細工でトロくさいくせにっ!
私をこんな所で待たせるなんてっ!何様のつもりよっ!
テレーゼッ!私の言う事が聞けないのっ!』
怒声を張り上げていたのは、私達が必死に探していたフランシーヌご本人だった。
化粧が酷く剥げ落ちていて、髪もボロボロ、着ているドレスも酷い有様で、ジャンは一瞬誰だか分からなかったらしい。
だがテレーゼ嬢へのその酷い言いようで、ジャンはそれがフランシーヌだと直ぐに気付いた。
『あ〜〜百聞は一見に如かずとはこの事だな。
アンタ本当に苦労してきたんだな。
ありゃ、酷いわ』
ジャンが呆れたようにフランシーヌを親指で指差すと、テレーゼ嬢は申し訳無さそうに眉を下げ、口を開いた。
『私、とにかくお姉様とお話ししてきます』
フランシーヌのところに走り出そうとするテレーゼ嬢の腕を、ジャンが掴んで止める。
『ちょい待ち。アンタ、どんな立場であの女と話す気だ?
腹違いの非後継者の分際で正統な後継者を虐げてきた姉と、虐げられてきた妹か?
それとも、次期エクルース伯爵としてか?』
咄嗟にジャンは、テレーゼ嬢を試したのだ。
テレーゼ嬢の中でそこをハッキリとさせてからでは無いと、フランシーヌとは話にもならないと判断したのだろう。
確かに、フランシーヌは完全にテレーゼ嬢を格下に見ている態度だった。
そのフランシーヌと対峙するには、テレーゼ嬢本人の意識がどこにあるのか。
それは最も重要な事だった。
咄嗟の事とは言え、ジャンにしてはやるじゃないか、ジャンにしては。
テレーゼ嬢は一瞬息を呑み、ハッとした顔で思案にくれたらしい。
やがてテレーゼ嬢はギュッと目を瞑り、気持ちを落ち着かせると、決意をしたようにゆっくりと目を開いた。
そして、真っ直ぐジャンを見つめ返す。
『エクルースの正統なる後継者として、あの者と話をしてきます』
テレーゼ嬢が、エクルース女伯爵として立つと、自分の意思で決めた、その瞬間だった。
「ちょっ、ちょっとっ!そんな大事な場面を何でよりにもよってジャンしか見てないのよっ!」
ウギ〜〜ッとハンカチを噛み、悔しげにギリギリと歯を食いしばると、ジャンは得意げにニヤニヤニヤニヤと笑った。
「ま〜ま〜、こっからが良いところなんだからさぁ。
黙って聞けって」
楽しげなジャンの背後で、ノワールがクスクスと笑いながら、頬を染めて何か照れている。
だからお前は大丈夫かって。
変なもん食ったんなら救護室で整腸剤でも貰ってこいって。
そこからまた、ジャンは今日あった事を語り始めた。
エクルース女伯爵として決意を決めたテレーゼ嬢は、ジャンが差し出した手に、そっと自分の手を重ね、ゆっくりとフランシーヌの所に向かった。
門兵に向かって喚き散らしていたフランシーヌは、騎士を伴って優雅に現れたテレーゼ嬢を、信じられない物を見る目で見つめた。
口をポカンと開けて、先程まで喚き散らしていた口汚い言葉が止んだ。
『人様の邸の門前で騒がしくなさるのはおやめなさい』
毅然としたテレーゼ嬢の態度に、フランシーヌは震える指でテレーゼ嬢を指差した。
『あ、あ、アンタ……本当にあのテレーゼなの……?
なっ?どうしてそんなに綺麗に……。
それにそのドレスに毛皮に宝石っ!
王宮の騎士様までっ!
お前っ、一体何をやったのっ!
どうしてお前がそんなに恵まれてるのよっ!
これは何かの間違いよっ!
ふざけんなっ!寄越しなさいよっ!
今すぐ私にそのドレスも毛皮も宝石もっ!
そこにいる騎士もっ!全部私のものよっ!』
その顔を怒りに醜く歪め、門に体当たりをするフランシーヌを、テレーゼ嬢は一切表情を崩さず静かに見つめていた。
ジャンの手を離し、門の向こう側にいるフランシーヌに数歩近付く。
『いいえ、これらは全て、ローズ侯爵家から私に贈られた、私の物です。
貴女の物ではありません。
それに、騎士様は物ではありませんし、彼はギクソット伯爵子息様です。
そのような失礼な物言いは、私が許しませんよ』
変わらず毅然としたテレーゼ嬢の態度に、フランシーヌはその顔をドス黒く染め、額に血管を浮かび上がらせた。
『ふざけんなぁっ!!!
アンタ、誰にものを言ってんのよっ!
テレーゼ如きが私に生意気言ってんじゃないわよっ!
いいか?よく聞きなっ!
私はエクルース伯爵令嬢なんだよっ!
お前みたいな出来損ないとは違うっ!
私こそが伯爵令嬢なんだっ!
お前みたいな貧相で不細工な役立たずは、私に搾取され続けて死ねっ!
テレーゼッ!アンタは一生私の奴隷なんだよっ!』
あまりのフランシーヌの罵詈雑言に、ジャンが剣の柄に手を置いた瞬間、テレーゼ嬢がそれを静かに手で制して、真っ直ぐにフランシーヌに向き合った。
『貴女がエクルース家に来てから、10年近くになりますが、生まれはどうであれ、その年月の中で貴女が伯爵令嬢として身につけた物など、何一つないのだと、今、ハッキリと分かりました。
貴女は貴族たり得ません。
エクルース家の一員として、貴女を認める事は今後ないでしょう。
貴女がエクルースを名乗る事は私が認めませんから、その事しっかりと胸に留め置き、忘れる事のないように』
キッパリとそう言い捨てるテレーゼ嬢に、フランシーヌはますますその顔をどす黒くした。
『だからっ!アンタどの立場でもの言ってんだよっ!
生意気言ってんじゃないわよっ!
お前なんか絶対に!汚い不潔で気持ちの悪い年取った男の所に奴隷として売り払ってやるからねっ!
そこでこの世の地獄をとことん味わいなっ!』
その顔を醜く歪めて声を上げて笑うフランシーヌ………。
現実が見えていないのにも程がある。
健康を取り戻し、その品位と高貴さを完全に復活させたテレーゼ嬢を前にして、まだそんな虚言を口に出来るとは。
………いや、自分が剥ぎ取ったと思い込んでいたものが、その実何もテレーゼ嬢から失われていなかったのを目の前にして、憐れな現実逃避に走ったとも考えられるか。
何にせよ、最後の足掻きには違いない。
その時、王宮の騎士達が駆けつけ、フランシーヌを取り囲んだ。
『遅いっ!』
ジャンの怒号に騎士達は背をピシッと伸ばし、ジャンに向かって礼を取る。
『申し訳ありませんっ!』
声を揃えてそう言うと、フランシーヌに向き直った。
『逃亡犯、フランシーヌ!
貴様を連行する!』
そう言ってフランシーヌの手に縄をかけ、ズルズルと引き摺っていった。
『なっ?えっ?ちょっと、嘘でしょ……!
待ちなさいよっ!私はエクルース伯爵令嬢よっ!
アンタ達、私は貴族よっ!
貴族に縄をかけるなんて、全員打首にしてやるからっ!』
そう喚き散らすフランシーヌを親指で指し、ジャンがニヤリとテレーゼ嬢に向かって笑った。
『だ、そうだが?』
テレーゼ嬢は困惑している騎士達に真っ直ぐ向き直り、毅然と言い切った。
『その者は既にエクルース家とは関係ありません。
貴族でもございません。
罪を犯し逃亡していたと言うなら、それ相応の対応をなさって下さい』
騎士達は胸を撫で下ろすと、テレーゼ嬢に一礼をしてフランシーヌを連行していく。
『テレーゼッ!覚えてなさいよっ!
このままじゃ、済まさないからっ!
ローズ侯爵家に囲われていい気になってるかも知れないけど、ここの奴はね、重度のシスコンで妹にしか勃たないんだよっ!
ザマーミロッ!お前は絶対に愛されないっ!
お前なんか妹の代わりの玩具なんだよっ!』
狂ったような高笑いを残して、フランシーヌは騎士達に連行されて行った……。
………うわぁ………下劣……。
最後までひっでぇ……。
恐る恐るノワールを見ると、その顔を氷彫刻のように凍らせている。
「その話は聞いてなかったな」
ニコリともせずジャンを上から見下ろすノワールに、ジャンはガタガタと身震いしながらガマ油を流している。
「いやだってお前、テレーゼ嬢が気付いてないのに、目の前で蒸し返して本当の意味を知ったら気まずいだろ?」
ジャンの言葉に私は首を捻り、どういう事なのか分からなかった。
「テレーゼ嬢が気付いてないって、どういう事?」
私の問いに、ジャンは何故かやれやれと首を振った。
「テレーゼ嬢がさ、『お姉様の言っていた事はどういう意味かしら?
ノワールがキティ様にしか立たないって。
そんな事、あり得るのかしら?』
って俺に聞くから、俺はちゃんと『あれは、口さがない低俗な唯の噂話で完全に嘘八百だ。
ノワールはそんな奴じゃねーよっ!』
って否定しといたんだよ。
そしたらさ、テレーゼ嬢が『そうですわよね?キティ様以外に立たないだなんて、ではどうやって他の方をお迎えするのかしら?って思ってしまいました。
ノワールはそんな失礼な事、致しませんわよね?』
って言ったんだわ……」
ん?えっ?なになに?
どういう事だってばよ?
頭の周りに???を飛ばす私に、ジャンはうんうんと頷いた。
「だろ?俺も最初は分かんなかったんだけどさ。
つまり、テレーゼ嬢の言っている事は……」
そう言ってジャンはソファーから立ち上がると、その場に屈み、すぐに立ち上がった。
「こういう事だ」
………あっ(察し)。
あ〜あ〜あ〜っ!
そういう事かっ!
つまりアレね、立ち上がる、の立つね。
テレーゼ嬢の中では、ノワールがキティ以外に立ち上がらない、って言われた事になってたのね。
はいはいはい……。
純粋培養かよっ!
いや、純粋培養なのか………。
なんせ10歳の頃からあの邸に閉じ込められ、完全に外界との繋がりをシャットアウトされてきたんだもんな〜〜。
可愛すぎて泣けるっ!
「って事で、あの女の捨て台詞は1ミリもテレーゼ嬢にダメージを与えていないから安心しろよ」
ドサッとソファーに座り、ジャンは自分の背後に立つノワールを見上げ、ニヤリと笑った。
「分かった……ふふっ、テレーゼったら。
教えなければいけない事が多過ぎて困るな」
と言う割に、頬を染めて嬉しそうに笑うノワールに、私はウヘァっと嫌な顔をした。
そっとしておくって選択肢は無いの?
もういっそこのまま、そんなテレーゼ嬢でいてもらっても良いんじゃないの?
教えるって、お前、何を教えるつもりだよ。
嫌だよ、そんな薄い本な展開。
勘弁しろ下さい。
純粋培養なテレーゼ嬢に、コイツは何を教えるつもりなんだよぉーーーーっ!
しかも教える気満々だよぉーーーーっ!
不憫なテレーゼ嬢を想い、うっうっと咽び泣く私を尻目に、ノワールはうっとりとした表情で、何かよからぬ事に想いを馳せている様子だった…………。
今更だけどっ!
逃げてっ!テレーゼ嬢っ!




