EP.143
テレーゼ嬢がローズ侯爵家で静養している間、社交界では彼女の話で持ちきりだった。
とはいえ、大っぴらに話す人間は1人も居なかった。
皆この話題を極めて慎重に扱ったからだ。
お陰で、下位貴族では知らない者もいるくらいだった。
市井にまで話が伝わるのを恐れ、使用人の前では絶対に口にせず、あからさまな単語を避け、テレーゼ嬢の話題は慎重に慎重を重ねて取り扱われていた。
それもそうだ、高位貴族である伯爵家の次期当主が平民によって売買されそうになったのだから。
貴族達のプライドをズタズタにしたサンス達は、今や憎悪の対象として大いに憎まれている。
一方、テレーゼ嬢は完全なる被害者として、その名誉と権利をいち早く彼女の手に取り戻すべきと、宮廷に陳情書が続々と届いていた。
貴族達が完全にテレーゼ嬢の擁護に回ったといえるこの状況は、エリオットがノワールに殴り倒されながらも作ったものだ。
本当にエリオットの言った通りになるとは。
いや、なってもらわなきゃ、わざわざテレーゼ嬢にあんな辛い思いをさせてしまった意味が無くなるのだが。
それにしてもこの状況を、まるでエリオットが作り上げたかのようで、正直ゾッとするものもある。
アイツを敵にしたら、どんな目に遭わされるか分かったもんじゃないな……。
おぉう、くわばらくわばら。
思わずブルルッと身震いする私の隣で、エリオットがいつものようにヘラヘラと笑っていた。
いつものエリオットの執務室で、いつメンが集まっている訳なのだが。
さっきからノワールがソワソワとして落ち着きがない……。
「何なの、あれ?」
思わず呆れて指差すと、その指をエリオットにそっと掴まれお膝にナイナイされてしまった。
「リア、人を指差してはいけません。
それから、今ノワール君はテレーゼ嬢から離れるとソワソワ落ち着かなくなる病を患っているんだよ。
愛情と庇護欲と独占欲に初恋拗らせまでトッピングされた、それはそれは重い病なんだ……。
優しく見守ってあげなきゃ駄目だよ」
メッと注意されてしまったが、いやその病怖いなっ!
重いっ!
重過ぎるっ!
そんな病気持ちでテレーゼ嬢に迫ってんの、コイツ。
そのうち捕まるんじゃないの、流石に………。
ドン引きしているのは私だけではなく、レオネル、ジャン、ミゲルも真っ青な顔で小刻みに震えていた。
「人を愛するとは、そんな恐ろしい面もあるのですね………」
ボソッと呟くミゲルに、レオネルとジャンはもう涙目で耐えられないといった様子だった。
初恋もまだの殻付きひよっこ共にノワールも言われたくはないだろうが、私もこの三人に賛同するね。
あのさぁ、もっと楽しくライトに相手に重度の負荷を与えない恋愛が出来ないもんかなぁ、ノワールさんよぉ。
テレーゼ嬢のあのか細い体がバキバキになったらどうすんだよ、バカやろーーーー。
そんなノワールを、うんうん、分かる分かるぅって感じで暖かく見守れているのは、例の変態兄弟くらいのものだ。
……あっ、若干一名、もう、お兄様ったら、お幸せそう、とかって呑気なのが混じってはいるけど。
「ノワールの拗らせは一先ずおいといて、問題はサンス達がまだ見つからない事ね」
スススッと色ボケノワールから目を逸らし、私は不満げにそう漏らした。
「確かに、奴らはどうやって我々から身を隠しているのか。
捕らえるのにこんなに時間がかかるとは……」
同じくノワールからスススッと視線を逸らし、レオネルが眉間に皺を寄せてそう言うと、エリオットが自分の顎に手をやり、難しそうな顔で答えた。
「恐らく、奴らを匿っている人間がいるんだろうけど。
僕はそれはゴルタールだと睨んでいたんだけどね。
ゴルタールにつけている監視からは、そんな動きは報告されてこないんだよ。
一体、どうやって僕らの包囲網から抜け出したのか。
神隠しにでもあったとしか言いようがないんだよね」
こんな風に焦っている様子のエリオットは珍しい。
それを見て、事は思っているより重大なのだと実感した。
王都中に張り巡らされたエリオットの包囲網は、それこそ鼠一匹通れないくらいに完璧なものだった。
王宮の兵士や警備兵のみならず、市井の隅々まで、エリオットが以前作り上げていた【銀月の牙】が捜索している。
今は解体され、エリオット隠密行動専属部隊になっているが、市井を知り尽くした彼らがよもやサンス達を見逃す筈がない。
そもそも、あのオークションの夜。
金を受け取り邸に帰る途中のサンス達を捕縛する手筈だったのに、エリオットの言う通り、まるで神隠しにでもあったかのように、サンス達は煙のように消えてしまったのだ。
兵達が馬車を取り囲んだ時、そこに残されていたのは怯える馭者と空の馬車だけだった。
兵達の報告では、馬車の座席がまだ暖かかったという事なので、直前までサンス達はそこにいた筈なのだが、しかしその姿はどこにも無かった。
予期せぬ事態に私達は慌ててサンス達の捜索を始めた。
それも迅速に。
エリオットが逃げ出す隙も無いほどの速さで包囲網を敷いたが、それでも今だに奴らを見つけられずにいた。
「魔法を使ったのでしょうか?
それとも例の古代魔具を別に隠し持っていて、それを使ったのでしょうか?」
ミゲルの問いに、エリオットは首を捻って答えた。
「ゴルタールがそんな貴重なものをホイホイとサンスに与える気はしないけどね。
しかも、煙のように姿を消してしまえる古代魔具など、正にゴルタールにうってつけのような道具なら尚更ね。
魔法だったとしても、サンス1人ならいざ知らず、愛人と娘まで隠してしまえる程の魔法を、サンスが使えたとは思えないし……。
ゴルタールが関わっていたとしても、魔術師や魔道士を動かせる程の権限は奴にはないから、考えられる事と言えば、帝国からフリーの魔術師を雇ってサンス達を救出し、自分の手の内に囲ったか。
僕はその線を怪しんでいたんだけど、それにしてもこうも見つからないのは流石におかしいね」
難しい顔で首を捻るエリオット。
しかし私はそもそもその話自体がどうだろうと思っていた。
「ねぇ、本当にゴルタールがサンスにそこまですると思う?
古代魔具の魔力充電器にしても、探せば同じような条件の人間はいる筈だし、自分の資金源であるオークション会場に出入りしていた人間を匿うなんてリスキーな事、あのゴルタールがするかしら?
ゴルタールが絡んでいるなら、サンス達はもうとっくに始末された後だと思うわよ?」
そう、それを警戒してサンス達を早々に捕縛する計画だったのに。
まんまと何者かに先手を打たれてしまった訳だ。
なんせサンスは、ゴルタールが秘密裏に北から入手した古代魔具の魔力充電器であり、更にフリードの子を産ませようとガーフィールドに落札を命じた、テレーゼ嬢を出品した人間。
生かしておく理由より、始末する理由の方が多い。
私達を出し抜いて、先にサンス達を手に入れたなら、モタモタなどしない筈だ。
間違いなくあの夜にそのまま殺している。
「そうなんだけどね、実は僕のスキルでサンスの生死を感知出来るようにしておいたんだけど、生命反応がまだあるんだよね」
エリオットの言葉に、私ははぁ〜っとふっかい溜息を吐いた。
本当に便利だなぁっ!お前はっ!
時計型の最新技術にそんな機能あったわっ!
前世の最新テクノロジーをやすやすと使いこなしやがってっ!
そういうのは俺tueeeさんに与えられるべきもので、お前じゃないと思うんだわ。
私は断じて認めないっ!
こんな恵まれすぎな俺tueee。
ギヌロッとエリオットを睨みつつ、私は呆れたような声を出した。
「それじゃついでに追跡スキルもつけときゃ良かったじゃない」
私の指摘にエリオットは申し訳無さそうに眉を下げた。
「ごめんね。サンス達がオークション会場を出て直ぐに捕らえる算段だったから、ついそれを失念してしまっていたんだ。
完全に僕の落ち度だよ……」
そう言ってシュンと頭を下げるエリオットに、しかし私はふと疑問を抱いた。
「それで何で生命反応を感知するスキルは付与してあった訳?」
私の疑問にエリオットはんっ?と首を傾げた。
「それは、捕縛の際にアクシデントが起きてサンスが大怪我したり、命の危険に迫られたらいけないからね。
そうなったら直ぐにミゲル君に行ってもらおうと念の為付けておいたんだ」
いや、手厚いなっ!
重犯罪人に破格の気遣いっ!
まぁサンスは、テレーゼ嬢に無事に叙爵してもらう為にも、生きて捕縛して公衆の面前で糾弾するのがもっとも理想的ではあるけど。
それにゴルタールの尻尾を掴めるかもしれない大事な駒だし。
とはいえ、そっちの方は希望が薄くなってしまったんだよなぁ。
ガーフィールドの邸宅から押収した証拠の中に、ゴルタールがオークションの黒幕だという確固たる証拠になりそうなものは発見出来なかった。
周到なゴルタールは、確かにオークションに出資はしていたが、それはあくまで真っ当なオークションへのものであり、リターン額も巧妙に細工され、正当な数字のものしか出てこなかった。
つまりゴルタールはオークションが不当なものとは知らず、また自分は出資者の1人でしか無い、と言った風に小細工したものしかガーフィールドに持たせていなかった。
右腕と言われるガーフィールドにさえ、一切の弱みを握らせない辺り、古狸然としたゴルタールらしいといえばらしい。
やはりいつもの如く、ガーフィールドがトカゲの尻尾切りされてお終い。
とはいえ、今回の尻尾はかなりぶっとい奴だ。
ゴルタールといえど、かなりの痛手を被っている筈。
今回はその辺を落とし所として溜飲を下げるしか無さそうだった。
そんな訳で、ゴルタールはサンスと結び付いている痕跡など微塵も残していないだろうと、そっちは半ば諦めている。
まぁ、まだゴルタールに始末されていないだけ重畳と言えるだろう。
「それにしても、王都中を捜索しても、この1ヶ月見つからないんだから、サンス達はもうとっくにどこかに逃げちゃった後かしら?」
ピキピキと青筋を立てる私に、エリオットが慌てて首を振る。
「サンス達が姿を消して直ぐに、王都への出入り口は全て塞いだから、それは無いよ。
奴らは間違いなくどこかにいる筈なんだけどね」
エリオットはそう言うが、それではこれ程にサンス達が見つからない説明が出来ない。
例えば姿を消したと同時に転移魔法で王都の外に移動したなら?
馬車に転移魔法の痕跡は見当たらなかったらしいから、まずサンス達を馬車から移動させ、それから転移魔法で王都の外に?
いやそもそも、馬車から何の魔法の痕跡も見つからなかったのだから、どうやって馬車から移動させたのか。
魔法で無ければスキル?
スキルを扱えるような人間をどうやって、誰がサンス達の為に用意したのか。
雇うとしても、希少なスキル持ちなど破格の値段になってしまう。
それなら帝国の魔術師を雇った方がまだなんぼかマシってもんだ。
だがそうなると、事前に馬車に転移魔法なりの魔法陣を引く事になる。
つまり、それを利用する事になる危険な目に遭うと、サンス達は事前に知っていた事になるのだ。
しかし、あの夜のサンス達からはそういった緊張感などは感じなかった。
それに、慎重にテレーゼ嬢を邸に隠し続けてきたサンスの事だ。
そんな事になるなら、あの日オークション会場には最初から訪れなかっただろう。
ではやはりスキル持ちの人間が関わっているのだろうか?
何故そんな人間を用意出来るような者がサンスの為に?
考えが堂々巡りをするばかりで、まるで頭に靄がかかったみたいでスッキリしない。
まるで出口の無い迷路みたいだな……。
そこまで考えて、私はハタとある可能性を思い付いた。
霧のかかった出口の無い迷路……。
それって、まるで………。
「………迷いの森……」
私の呟きに、皆がハッとした顔でこちらを振り向いた。
「……そうよ、迷いの森よ。
あそこなら捜索の手も及ばない。
私達に捕まる事も無い」
単なる思い付きなのに、私は妙に確信を持ってそう言った。
「なるほど、あそこか………。
確かにあそこなら、いくら僕の部下達でも手が出せない……。
サンス達が今まで見つからなかった理由を説明出来るね」
エリオットが目から鱗が落ちたような顔で、納得するようにそう言うと、レオネルが額に汗を浮かべて口を開いた。
「ですがあそこは、魔族が住み着いていて、普通の人間では近付くことすら出来ない場所です。
そこにどうやってサンス達が?」
レオネルの問いはご尤もだが、私達は既にその答え、つまり迷いの森の奥深くに侵入する方法を知っている。
「いるじゃないか、魔族に人を仲介して準魔族に仕立て上げた人間が。
更に魔族の瘴気の中を他の人間まで連れて歩ける者………」
ニヤリと笑うエリオットに、レオネルが頭痛を抑えるようにこめかみに手をやる。
「……なるほど、ニーナ・マイヤーですね」
深刻な声でそう言うレオネルに、エリオットは静かに頷いた。
「なぁ、じゃあニーナなんとかは、ゴルタールの味方って事か?」
ジャンが不思議そうに首を捻ると、レオネルが難しい顔で眉根を寄せる。
「確かに状況的にそうも見える。
ニーナ・マイヤーはフリードと懇意にしている女性であるし、ゴルタールとの繋がりが無いとも言えない。
男爵令嬢である彼女がフリードに近付いた事に、ゴルタールが何も言わない、何も手を打たない事に前々から疑問はあった。
何事かの関係性を既に築いてあるのかもしれないな。
しかし、今回の事はゴルタール側からしたら、ニーナ・マイヤーにしてやられた形になる。
ゴルタールからの依頼でサンス達を我々より先に捕らえたとして、その後今まで生かしてあるのはゴルタールの意志だとは思えない。
ニーナ・マイヤーの独断である可能性が高い」
レオネルの言葉に、ますますジャンが首を捻った。
「じゃあ何でそんな事をニーナはやってんだ?」
素朴なジャンの疑問に、私はボソッと呟いた。
「……面白いから、でしょうね」
私の答えにジャンがハァッ?という顔で私を見た。
「その方が面白くなりそうだと、アイツが判断したからそうした。
それだけよ、理由なんて」
確信のこもった私の言葉に、キティが目だけで強く同意している。
なるほどなぁ。
シャカシャカが絡んでいるなら、全ての合点がいく。
サンス達を逃し匿っているのも、ゴルタールの指示とかは関係ない。
アイツがただ面白がってやっているだけだ。
相変わらず嫌な絡み方をしてくる奴だ。
コチラが躍起になればなるだけ、奴を楽しませるだけだと思うと、腹の底から怒りが湧いてくる。
「エリオット、今すぐ王都中に敷いた包囲網を解いて、捜索を打ち切って」
このままではそろそろ奴が飽きて、サンス達を始末してしまう恐れがある。
そうさせない為には、こちらも大きく動くしかない。
あのヤロウ、今度は何をするつもりだよ。
私はシャカシャカのあの楽しそうな笑い顔を思い浮かべて、奥歯をギリギリと噛み締めた。




