EP.141
しかし、フランシーヌのテレーゼ嬢への敵意に近いあの感情。
あれは妬みと劣等感からくるのだろうか?
愛人とフランシーヌは、王都の平民街にサンスから家を与えられそこに住んでいたようだが、当時から派手な生活をしていたようだ。
貴族の父を持ち、平民にしては豪華な暮らしの中で、まるで貴族の令嬢にでもなったつもりで、蝶よ花よと育ってきたのだろう。
しかしそれも本物の蝶であり花であるテレーゼ嬢の前で、脆くも崩れ去ったに違いない。
本物との格の差を見せ付けられたのだろう。
事実今でさえ、あんな見窄らしい姿をしているテレーゼ嬢の方が品位に溢れている。
生まれ持った格式の違い、それはどれだけ己を着飾ろうと、いや、着飾れば着飾るだけ、覆しようも無いものとして如実に表に現れる。
フランシーヌが着ているものや身につけている物は、どれも本物の貴族令嬢では選ばないようなゴテゴテとした下品な物ばかりだった。
中にはイミテーションまで混じっている。
本物を見抜く力さえ無いのだろう。
見目はそれなりに美しいが、本物の品位を纏ったテレーゼ嬢での前では、それさえ霞んでしまっている。
立ち居振る舞いだけでも、本物と偽物だと一目瞭然だった。
だからこそ、執拗にテレーゼ嬢を穢し貶めようとしているのだろうが、フランシーヌ、お前の思う通りにはさせない。
自分の醜い妬みと、低劣な劣等感の為にテレーゼ嬢を虐げてきた報いは、必ず受けてもらう。
ヒッヒッヒとドス黒く笑う私に、やはりジャンがガタガタ震えているが、そんな事より水晶に集中しようと私は更に目を見開いた。
エリオットを怒鳴り付けるフランシーヌを押し退けて、サンスがエリオットに詰め寄る。
『それで、この娘は幾らになりそうなんだっ!』
サンスの問いかけに、エリオットは顎を掴み思案すると、ニヤリとその口の端を吊り上げた。
『そうですね、エクルース伯爵家のご令嬢の乙女を散らす権利ですから……3千万ギルはいくでしょうね』
エリオットの提示した金額に、サンス達は驚愕に目を見開き、直ぐに取り繕うように誤魔化し笑いを浮かべた。
『な、なんだ…そ、そんなものか。
やはりこの娘では大した事ないな』
『そうね、大した事ないわよね、たった、さ、3千万ぽっち…』
『わ、我がエクルース家なら、そんなもの1日で使い切る金額だわ』
口々にそう言いながら、皆ニヤけて頬を緩ましている。
何が我がエクルース家だ。
尻に火がついた状態のお前らにとっては、3千万は喉から手が出るほど欲しい金額だろうに。
その時、テレーゼ嬢が微かに微笑んで胸を撫で下ろしていた。
まさか、コイツらに金が入ってくる事に安堵しているのか………?
テレーゼ嬢はこんな奴らでも家族だと、まさかそう思っているのだろうか………?
だとしたら、ますますサンス達を許せない。
コイツらはそんなテレーゼ嬢の気持ちを踏み躙り続けてきたのだから……。
『では、こちらの商品を出品致しますか?』
エリオットの問いに、3人は躊躇無く頷いた。
『では、こちらは大切にお預かり致します』
エリオットはそう言ってテレーゼ嬢の手を取り、奥の部屋に連れて行く。
テレーゼ嬢が連れて行かれる寸前、フランシーヌがニヤニヤと笑って小声で耳打ちをした。
私は咄嗟に読唇術を使って、それを読み取り、皆に聞こえるように訳した。
「せいぜい気持ちの悪い変態にでも落札されて、忘れられない処女喪失を味わいなさい。
それがアンタにはお似合いよ」
私が訳したフランシーヌの言葉を聞いた瞬間、ノワールが目の前の水晶を拳で叩き割った。
……あっ、うん。
それはもう、要らないからいいけどね。
目の前でそんな事されたら、流石の私もビクッとするからね、ビクッと。
一言、せめて、セイッ!とか言ってからにしてくれない?
無言はやめて、無言は。
叩き割られた水晶を、クラウスがお得意の生活魔法で素早く片付けてくれたので、私達は次の水晶を覗き込む。
そこはオークションの舞台横にある、商品を保管する部屋だった。
テレーゼ嬢は胡乱な表情で、次々に様々な物が取引されていく様子を見つめていた。
そして人が奴隷として取引されていくのを見て、震える両手を組んで、祈り始めた。
その祈りは自分の為ではなく、目の前で取引されていく人間の為のものだと、その清廉な姿から伝わってくる。
『おや?何に祈ってらっしゃるのですか?』
その時、無粋な質問と共に、エリオットが首を傾げながら部屋に入ってきた。
『……いえ、何も……』
テレーゼ嬢は力無くそうエリオットに答えると、下を向く。
『そうですか、ではエクルース伯爵令嬢様、参りましょう。
いよいよ、貴女の番ですよ』
ニッコリ微笑み差し出されたエリオットの手に、テレーゼ嬢は震える手を重ねる。
そして、テレーゼ嬢はエリオットにエスコートされ、いよいよオークション会場のステージに上がった。
テレーゼ嬢がスポットライトの中央に立たされた瞬間、オークショニアがよく通る声を張り上げた。
『さぁっ!レディースエンドジェントルマンッ!
いよいよ本日の目玉商品っ!
あの、エクルース伯爵家のご令嬢っ!
テレーゼ・エクルース嬢の登場ですっ!
このテレーゼ嬢を一晩自由に出来る権利を得られるチャンスですよっ!
しかもこのテレーゼ嬢っ!
………まだ男を知らない身体!
そう、まっさらの新品なのですっ!
これを聞いて落札しないなど、紳士とはいえませんよっ!
さぁっ、リザーブ価格は500万ギルから、スタートですっ!』
その声を皮切りに、参加者達によってどんどんとテレーゼ嬢の値段が上がってゆく。
あっという間に1千万ギルを超え、まだまだ上がっていくようだ。
その様子を私達は固唾を飲んで見守っていた。
異様な会場の熱と、スポットライトの暑さに、テレーゼ嬢は目眩を起こしたのか、フラフラと体を揺らす。
あんな弱り切った体では立っているだけでも精一杯だろうに。
獣のようにギラついた視線が、自分を品定めするかのように舐め回しているのだから、耐えられなくて当然だ。
吐き気をもよおしたのか、テレーゼ嬢は片手で口を押さえ、とうとうその場に座り込んでしまった。
価格が3千万を超えた頃、値段は少しずつ吊り上がっていくようになった。
そろそろ頃合いになってきたようだ。
テレーゼ嬢も自分の運命を受け入れるかのように、ゆっくり目を閉じる。
その時、野太い声で5千万のコールが上がった。
ザワッと会場が一瞬ざわつき、やがてシンッと静まり返った。
「エリオットの言う通り、やっぱりアイツが出てきたわね」
ボソリと呟いた私の言葉に、皆が静かに頷いた。
その野太い声の主は、ガスパル・ガーフィールド。
ガーフィールド伯爵家の当主にして、貴族派の幹部。
ゴルタールの右腕と言われている男だ。
つまり、ここにきてやっと、大物が釣り上がったという訳なのだ。
エリオットは事前にガーフィールドが落札するだろうと予見していた。
奴はテレーゼ嬢を落札し、後に更に金を積んでサンスからテレーゼ嬢を譲り受ける算段でいるらしい。
何の為かというと、それはフリードに献上する為だ。
能無しフリードには魔力がほぼ無い。
それを補う為に、魔力量の高いテレーゼ嬢にフリードの子供を産ませるつもりでいるらしい。
胸糞悪い話だが、これもゴルタールが指示したらしく、つまり最初からテレーゼ嬢はガーフィールドが落札する手筈になっていたのだ。
その辺の段取りはオークションの管理人である(と奴らが思い込んでいる)エリオットともとっくに打ち合わせ済みだった。
サンス達がテレーゼ嬢をオークションにかける事を思い付いたのは昨夜の事だったと言うのに、随分と手際が良い事だ。
そこに少し違和感を感じた。
その違和感を忘れないようしようと、私は心に誓っていた。
もう2度と、大事な事を見落とす訳にはいかない。
ガーフィールドの邸は既にエリオットの手の者達で囲われている。
テレーゼ嬢の売買の書類にサインした瞬間、エクルース伯爵家次期当主を売買した罪で邸に踏み込む算段になっているからだ。
全く、エリオットの抜かりの無さと行動の素早さには呆れる程だが、これが上手くいけば、ゴルタールに大打撃を与えられるのだ。
ゴルタールは今回もガーフィールドを即座に切って捨てるだろうが、我が身を切り捨てる程のぶっとい尻尾である事は間違いない。
更に、ガーフィールドに時間を与えず邸に踏み込むのだから、どんな不正を犯した証拠が出てくるか、そしてそれにゴルタールがどう絡んでいるのか、丸裸にする事が出来る。
チャンスを最大限に活かすエリオットらしい戦法だ。
会場では、誰ももうコールを上げない。
誰もが息を呑んで、オークションの成り行きを見守っていた。
『5千っ!5千万が出ましたっ!
さぁっ、他にはいらっしゃいませんか?
いらっしゃいませんね?
テレーゼ・エクルース伯爵令嬢を一晩自由に出来る権利、5千万ギルにてハンマープライスッ!
では、テレーゼ・エクルース嬢の乙女は貴方の物ですっ!
おめでとうございますっ!』
わぁぁぁぁっ!
会場中が胸糞悪い歓声と拍手に包まれた。
でっぷりと腹の突き出たガーフィールドが、ゆっくりとステージに上がっていく。
蹲るテレーゼ嬢の手を無理やり引っ張り、会場に向かってにこやかに手を振っている。
その瞬間、ピクリとノワールの体が震え、皆の間に静かに緊張が走った。
ガーフィールドは舌舐めずりしながらテレーゼ嬢を見下ろし、淫猥な目で舐るように眺め回している。
ボソリとガーフィールドが呟いた言葉を、今度はレオネルが読唇術を使って訳した。
「5千万ギル分、たっぷり楽しませてもらおう………」
そこでレオネルは焦ったように大きな手で私の目を塞いだ。
私に読唇術でガーフィールドの唇を読ませない為だろう。
それ程に下劣な台詞を、ガーフィールドがテレーゼ嬢に吐いたという事だ。
ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべるガーフィールドに、テレーゼ嬢はその視線から逃げるように目を逸らした。
テレーゼ嬢は今、どれ程の恐怖を感じているのだろうか、それを思うと居ても立っても居られない気持ちになる。
真っ青な顔で顔を俯かせるテレーゼ嬢に、ガーフィールドの付き人らしき男が、後ろからテレーゼ嬢にあろう事か猿轡を噛ませたっ!
『んんーーーっ!』
突然の事に、顔を上げるテレーゼ嬢をガーフィールドが意地の悪い笑みを浮かべ見下ろしていた。
『私は煩い女が嫌いでね。
それに、5千万ギルも払ったのに舌でも噛み切られてはかなわんからな』
ニヤ〜ッと笑うその顔に、初めてテレーゼ嬢の頬に涙が伝った。
その瞬間。
ガターンッとノワールが席を立ち、一直線に扉に向かって行く。
慌ててレオネルとジャンが扉の前に立った。
「………………退け」
地を這うようなノワールの低い声に、私達はゾクリと身を震わせた。
………ああ、これはもう無理だ。
こんなのをまだ耐えろとノワールに強いるなんて………。
「待て、ノワール、落ち着け。
もう少しだ、あと少しでガーフィールドが売買契約書にサインをする筈だ、そうしたら後は………」
「レオネル、ジャン、行かせてやれ」
レオネルが必死にノワールを止めようとしていると、クラウスが静かにそう言った。
「なっ、クラウス、だが……」
戸惑うレオネルに、クラウスは諦めるように首を振った。
「いいから、行かせてやれ」
有無を言わせないクラウスの声に、レオネルとジャンは扉の前から静かに離れた。
2人が動いた瞬間、ノワールは弾かれたように部屋を飛び出していった。
「エリク、エリー」
その後ろ姿を見送りながら、私は2人を呼ぶ。
エリクエリーは音も無く私の側に傅いた。
「エリク、何が何でもガーフィールドに売買契約書にサインをさせてきて。
それからエリー、これをテレーゼ嬢に」
そう言って、私は自分が着てきた毛皮のコートをエリーに託した。
「イエス、マイロード」
現れた時と同じく2人は音も無く姿を消した。
「………良かったのか?クラウス」
ややしてそう問いかけるレオネルに、クラウスはクイッと顎で水晶を示した。
「こんな胸糞悪い事を、これ以上ノワールに耐えろと言うのか?」
ギラリと睨み付けられて、レオネルとジャンは辛そうに俯いた。
水晶に映っているのは、ポロポロと涙を流し、ガーフィールドに腕を掴まれているテレーゼ嬢の姿だった。
『ほらっ!さっさっと来いっ!』
ガーフィールドにグイッと腕を引っ張られ、痛みにテレーゼ嬢が顔を歪めた、その瞬間ーーーーー。
バキィッ!とオークション会場の扉を蹴破って、仮面を付けたノワールが会場に入ってきた。
ノワールは物凄い速さでステージまで駆け上がると、テレーゼ嬢の腕を掴むガーフィールドを突き飛ばし、その背の後ろにテレーゼ嬢を庇う。
そして、オークショニアに向かって叫んだ。
『5億ギルだっ!私が5億ギルで彼女を貰い受けるっ!』
ノワールの言葉に会場が再び水を打った様に静まり返る……。
オークショニアはどうすればいいのか分からず、オロオロと辺りを見回していた。
その時、いつの間にかステージに上がってきていたエリオットが、オークショニアの耳元で何事か囁き、オークショニアは小さく頷くと、象牙のハンマーを打ち叩いた。
静まり返った会場に、ハンマーの音だけが鳴り響く。
『そちらの紳士が、テレーゼ・エクルース嬢を5億ギルで落札なさいましたっ!
これにて、ハンマープライスッ!』
オークショニアの叩くハンマーの音に、我に返ったように会場が一気に沸き立った。
熱気をはらんだ歓声が上がり、会場中から割れんばかりの拍手が巻き起こる。
高額取引に、観客は興奮してその場に立ち上がっている。
テレーゼ嬢を背に庇っていたノワールは、ホッとしたように肩を落とすと、テレーゼ嬢に振り返り、テレーゼ嬢の口にキツく噛まされた猿轡を外した。
そして、テレーゼ嬢を気遣うように優しく声をかける。
『テレーゼ嬢、失礼』
そう言って、ノワールはふわりとテレーゼ嬢を抱き上げた。
『こんな所にいつまでも貴女を居させたくない。
失礼ですが、このまま移動しても?』
ノワールの気遣うような声色に、テレーゼ嬢はコクッと小さく頷いた。
長い時間をかけて、やっとテレーゼ嬢をその腕の中に取り戻したノワールに、何だか胸がいっぱいになって、私はいつまでもその2人の姿を眺めていたい気持ちになった。
『待てっ!その女は私が先に落札したんだっ!
後からどんな値を付けようと、絶対に渡さんぞっ!』
だがその時、ガーフィールドが荒々しい怒鳴り声を上げ、2人に水を差す。
テレーゼ嬢を抱いたまま、ノワールがガーフィールドを一瞥した。
テレーゼ嬢からは見えないだろうが、その顔は一瞬で全てを凍らせる程に冷たく、冷酷なものだった。
ガーフィールドはそのノワールの気迫にヒュッと息を飲み込み、直ぐに静かになった。
そのノワールのせいで、急に空気が冷たくなったのだろう、薄いドレス一枚のテレーゼ嬢は、ブルッと体を震わせた。
『申し訳ありません、そんなドレス一枚では寒かったでしょう』
ノワールが直ぐにそれに気付いてそう言うと同時に、エリーがそこに音もなく現れ、テレーゼ嬢に私の毛皮をかけた。
『あ……あの、このような…私などに…』
カラカラに乾いた喉からやっと声を絞り出すテレーゼ嬢だが、エリーは無表情のまま下がっていった。
そして、テレーゼ嬢を抱いたまま、舞台裏に入っていくノワール。
ノワールは目の前のエリオットに気付くと、スタスタとエリオットに近付き、優しくテレーゼ嬢を肩に担ぎ直して、無言のままエリオットを拳で殴り飛ばした。
派手な音を立ててエリオットが吹っ飛ぶと、すぐにテレーゼ嬢を両手で抱き直して、壊れ物のように優しく抱きしめる。
『あんな物を口に噛まさせられる前に連絡下さればいいものをっ!
どんな思いで待っていたと思うんですかっ!』
低く険しい声色でノワールがエリオットを怒鳴りつけると、エリオットは殴られた頬をさすりながら、情けない声を出す。
『確実に取引された証拠が必要だって言っておいたじゃないか〜。
君だって、取引後に5億ギルの交渉をする筈だったのに、ステージに上がっちゃうしさぁ。
この後どうすんのよ?まぁ、何とかするけどぉ』
エリオットは口の端が切れたようで、唇から血を流し、恨みがましそうにそう言い返した。
ノワールはエリオットを凍てつくような目で睨み、無言で踵を返す。
『先程は失礼致しました。さぁ、行きましょう』
優しくテレーゼ嬢にそう語りかけると、ノワールは長い足で颯爽と会場を後にした………。
………もちろん、後始末とかお構い無しに………。




