EP.139
「さて、明日には違法オークションにかけられてしまうテレーゼ嬢を、どうやって助けだすかなんだけどね」
事の重大さを本当に分かっているのか、エリオットが力の抜けた声でそう言って、私は流石にシンプルな殺意を抱いた。
「アンタ、何でそんな平気な顔してんのよ」
ギロリと私に睨み付けられて、エリオットは慌てたように顔の前で両手を振った。
「いや、違うよ。平気な訳じゃなく、これはチャンスなんだよ」
エリオットのその言葉に、ノワールの目の前に置かれたティーカップが瞬時に凍り付き、バキンッと真っ二つに割れた。
「いやいやいや、ノワール君も、落ち着いて。
あのね、9年間も邸から外に出さなかったテレーゼ嬢を、明日サンスは自らが外に連れ出すって事だよ?」
そこまで言われて、やっとハッとしてエリオットを見つめる脳筋2人(私とノワール)。
エリオットは私達の反応に満足したのか、ニッコリと微笑む。
「つまり、あの問題だった古代魔具を何とかしなくても、サンスが自らテレーゼ嬢を連れ出してくれるんだ。
ねっ?チャンスでしょ?」
ニコニコ笑うエリオットに、ノワールが食い気味に口を開いた。
「では邸を出たところで捕らえて、テレーゼを救出すればいいんですね?」
パァッと顔を輝かせるノワールに、エリオットは申し訳なさそうに眉を下げた。
「それが1番手っ取り早いんだけどね、それでは本当の意味でテレーゼ嬢を救い出す事にはならないね」
残念そうに肩を上げるエリオットに、ノワールが不思議そうな顔をした。
「それは、どういう事ですか?」
納得のいかない様子のノワールに、エリオットは小さく首を振った。
「テレーゼ嬢を助け出すには、彼女にオークションに出品されて貰い、売買されて貰わなきゃいけないんだ」
その瞬間、ノワールがエリオットに飛び付くようにその胸倉を掴むのと、ニースさんがノワールの首筋に刀の刃を当てるのがほぼ同時だった。
瞬きする間に起きた出来事に、皆が固まり動けずにいる。
「不敬罪でこの場で斬って捨てる事も出来ますが、どうしますか?」
ギラリと眼鏡の奥の瞳を光らせるニースさん。
その迫力にも一切引かず、ノワールは掴んだエリオットの胸倉をギリッと更に締め付けた。
「短絡的な方ですね、やはり貴方を1番隊隊長に推挙したのは間違いだったようだ」
緊迫した場面だというのにニースさんは呆れた様子でそう言うと小さく溜息を吐いた。
ノワールを本気で相手にしていない感じが伝わってきて、余計にニースさんに恐怖を感じる。
「まぁまぁ、落ち着いて、と言っても無理そうだけど。
あのね、ノワール君、理由があるんだよ。
君にもテレーゼ嬢にも酷な話だけど、仕方の無い理由があるんだ」
ノワールの気迫にも、目の前のニースさんの刀にも全く動揺を見せず、エリオットはやはり申し訳無さそうにそう言った。
ノワールは真っ白な顔で依然エリオットの胸倉を掴んだまま離さない。
ノワールとニースさんの間合いが近過ぎて下手に手出しも出来ないし、どうしたものかと冷や汗をかいていた時、クラウスがなんて事ない風に口を開いた。
「ノワール、兄上の話を聞いてみろ。
悪いようにはしないだろう。
それでも納得出来ないなら、お前の好きにすれば良い」
感情の篭らないクラウスの声が、逆にノワールを冷静にしたのか、ノワールはゆっくりとエリオットから手を離し、自分の座っていたソファーに戻っていった。
何かとキティを取り合って反目し合っているように見える2人だが、実はお互いがお互いを1番理解し合っているという、不思議な関係なのがクラウスとノワールだ。
直ぐ力技で何とかしようとするところもソックリだしな。
「さて、それじゃ、今言った理由を説明しなくちゃね。
後出しは良くないから先に言っておくけど、今回テレーゼ嬢が商品として出品される場所は、ゴルタールの資金源になっている場所だよ」
顔は笑ったままその瞳の奥をキラリと冷たく光らせるエリオットに、皆が息を呑んだ。
「そこでは不法な品物が取引されている。
そして人身売買もね。
主に扱われているのは奴隷として売買される人間、テレーゼ嬢のようなケースも少なくないけどね。
ゴルタールの資金源は、学園を奴から取り戻した際に三分の一は潰した事になるけど、このオークション会場を潰せばまた残った三分の一を潰せる事になる。
他の小さな資金源はニースが秘密裏に潰していってくれているから、ここを確実に潰せばゴルタールに大打撃を与えられる事は確かだ」
ニッコリ笑うエリオットを、ノワールが鋭い目で睨み付けている。
それもそうだ、これではゴルタールの資金源を潰す為にテレーゼ嬢を生贄に捧げろと言っているようなものなのだから。
そんなノワールの憤りを見抜いている様子のエリオットは、ノワールを優しい眼差しで見つめていた。
「けど、そんな事は今回はどうでもいいんだ。
そこを潰す算段はニースととっくに立ててある。
テレーゼ嬢の事とは関係無く、そんな場所は僕達が必ず捻り潰してあげるよ」
ふふふっと黒い笑顔を浮かべるエリオットとニースさんに、異様な恐怖を感じて、私はカタカタと小さく震えた。
……この2人、組ませると本当に黒い。
今はストッパー役のルパートさんがローズ侯爵領に在住しているからなぁ。
多分、私達の知らない所でやりたい放題なんだろうなぁ、この2人………。
標的になっているゴルタールの資金源の関係各所の皆様には悪いが、金の為に絡んだ相手が悪かったと成仏して頂きたい……乙です。
「それでは何故、そんな事がテレーゼ嬢に必要なのかと言うと、サンスの罪状を確固たる揺るぎないものにして、エクルース家を確実にテレーゼ嬢の手に取り戻す為なんだ」
先程までの黒い笑顔がまるでなかったかのように、エリオットは瞬時にその表情を穏やかなものに変えた。
「今更そんなものは必要ないでしょう。
奴の罪はもう十分に証明出来る程にある。
テレーゼをそんな危険な目に遭わせる必要なんて………」
ムッとした様子のノワールに、エリオットは残念そうに首をゆるく振った。
「確かに、サンスは数々の罪を犯してきているけれど、どれも個人的なもので、直接テレーゼ嬢に不利益を与えたとは証明し切れない。
エクルース伯爵を騙っての不正融資受給、公文書偽造、奴隷の売買、不正薬物の使用………。
どれもエクルース家の名を穢す許されない行為だけど、それを次期当主であるテレーゼ嬢を貶めた罪とするなら、どれも決定打にかける。
下手をすれば、家門の人間に対しての監督不行き届きだったと、テレーゼ嬢が当主としての資質を問われかねない」
エリオットの言葉に私達はハッとした。
そうだ、社交界とはそういった場所だった。
皆面白おかしく人の噂話を広めるが、特に一家門の当主たる人間にはとことん厳しい。
それは高位貴族であればある程尚更だ。
家門の人間が犯した罪は当主の責任として重くのし掛かる。
だからこそ、当主たる人間は幼い頃から感情を表に出さず、物事に私情を挟まないよう徹底的に厳しく教育されるのだ。
レオネルが始終仏頂面なのも、一応そんな理由があっての事だった。
公爵家の次期当主として、徹底的に感情を表に出さないように教え込まれてきたからだ。
同じく次期当主であるノワールだって、いつもは穏やかな笑顔の下に一切の感情を隠して生きている。
表に出している顔がレオネルとは真逆ではあるが、根にあるものは全く一緒なのだ。
まぁ、ノワールはローズ侯爵があんなだし、何かあれば全て力技で解決すれば良いやという脳筋なので、レオネルとは苦労の土台が違うのだが………。
話は逸れたが、これが子爵家や男爵家であれば、嘲笑の的になるくらいで済むが、伯爵家ではそうはいかない。
当主の資質を問われ、下手すればその権利を剥奪されかねないのだ。
つまりはこのままでは、テレーゼ嬢がそういった状況に追い込まれる可能性があると、エリオットは暗にそう言っている事になる。
「だからね、テレーゼ嬢が完全なる被害者であったという証拠が必要になるのさ。
自分ではどうする事も出来ない状況下で、誇りと名誉を傷付けられかけた、そんな確固たる証拠がね」
続くエリオットの言葉に、ノワールがカッとしたように荒げた声を上げた。
「そんな事をしなくとも、テレーゼは完全なる被害者でしょうっ⁉︎
邸に閉じ込められ、満足に食事も与えられず、使用人以下の生活を9年も強いられてきたんです。
その状態で当主の資質だなんだのと、そんな事を言う人間は僕が許さないっ!」
ギラギラとその瞳に怒りを露わにするノワールを落ち着かせるように、エリオットが両手でまーまーとジェスチャーをした。
「確かに、テレーゼ嬢はもう十分酷い目に遭ってきた。
9年間もあの邸に閉じ込められてね。
だけど、そこが今回の話の一番の問題点なんだ。
サンスはテレーゼ嬢を邸に閉じ込め、全ての虐待を邸内で行ってきた。
つまり、徹底した内での犯行なんだよ。
それでは有象無象の貴族達を黙らせる決定打にはならない。
なんせ、サンスがいくらでも言い訳が出来るからさ。
例えば、痩せ細ったあの体、あれは彼女自身の過剰な減量のせいだと言い訳が出来る。
実際無茶な減量で命さえ落とす令嬢や貴婦人もいるからね。
更に体の傷は、行き過ぎた当主教育だとでも言えば良い。
虐待に近い当主教育を受けてきた人間は少なくない。
それに、フランシーヌのやってきた悪事を全て、テレーゼ嬢がやってきた事とすり替えられる危険性だってある。
調べればテレーゼ嬢の無実は証明されるが、問題は、一度でもそんな淫らな醜聞に名前が上がってしまうという事だ。
例え後に身の潔白が証明されても、それでは終わらないのが社交界という場さ。
根拠無く彼女を疑い続け、嘲りの対象にする事は目に見えている。
彼女のエクルース伯爵としての人生に、そんなつまらない汚点はつけたくないと僕は思うんだけど、ノワール君、君はどうかな?」
スラスラとエリオットが話す内容はどれも全てその通りで、流石のノワールもグッと息を詰まらせている。
「それにね、テレーゼ嬢のように、次期当主であるにも関わらず不当に扱われていた前例は実際に他にもあるんだ。
後継である兄が、弟とその母親によって長い間邸の地下牢に閉じ込められていた事例がある。
父親が急死した事で、継母とその息子が要らない欲を出してしまったようだね。
使用人に助け出され、後に彼は自身の地位を取り戻すが、名誉までは取り戻せなかった。
彼は生涯、当主であるべき人間のくせに、継母と弟に好きなようにされていた、当主として力量の劣る人間だというレッテルを貼られ、ついぞそれを払拭する事が叶わなかった。
彼の場合も、その彼を助けた使用人が、彼の受けていた酷い惨状を証言したが、それでも貴族達の考えを改める事は出来なかったんだよ」
エリオットの話は、つまり私達が保護しているルジーの証言、それにエリクエリーが集めてくれた証拠を持ってしても、テレーゼ嬢の女伯爵としての道は茨の道だとそう示していた。
これに私は憤懣やる方なく奥歯をギリギリと噛み締めるしか出来なかった。
サンス達さえ居なければ、テレーゼ嬢の女伯爵としての道には何の問題も無かった筈なのに。
虐げ続けられ、それでも尚、自分を傷付けてきた奴等のために、これからの道さえ泥道になってしまうなんて………。
そんなのあんまりじゃねーかっ!!
全く納得のいかない私のブスっ面をエリオットはチラリと見て、小さくクスッと笑った。
「勿論、そんな結果はここにいる誰も望んではいないよね?
だからこそ、テレーゼ嬢があの邸の外で、サンス達に虐げられたという決定的な証拠が必要なんだ。
オークションで売買されそうになったなんて、これ以上の証拠はなかなか無いよ。
これはね、最大のチャンスとして活用するべきだと僕は思うんだけどなぁ」
そう言っていつものようにヘラヘラ笑うエリオットに、しかし私は首を捻りすかさず反論した。
「ちょっと待ってよ、オークションで売買されるなんて、それこそ不名誉極まりないし、醜聞になるじゃない。
そっちの方がよっぽど有る事無い事言われ放題じゃないの」
私の反論に、エリオットは楽しそうにニヤリと笑う。
「いや、僕はそうはならないと思うよ。
ねぇ、リア、貴族の成分は何で出来ていると思う?」
急に問い返されて、私はむ〜んと首を捻った。
「家の格式、品位、伝統、それにプライド?」
私の言葉にエリオットはパチパチと拍手しながら、ニコニコ笑っている。
「そう、誇り。貴族としての誇りが彼らの主成分さ。
だからこそ、サンスがこれからテレーゼ嬢にしようとしている事は、彼らの面白おかしい噂話の範疇を超えている。
高位貴族の、しかも次期当主をオークションにかけるんだから。
その事実を知った貴族連中は、サンス達を憎悪の対象として見るだろうね。
邸の中で行われている事なら、蔑みや嘲笑の対象にして残酷な噂話を流すが、外で貴族がオークションにかけられるなんて事態を知ろうものなら、全力でテレーゼ嬢を擁護する筈だよ。
彼らの誇りが許さないだろうからね。
伯爵家の次期当主が、父君に過ぎない男と平民によってオークションで売買されたなんて話は、ね。
まず間違いなく、貴族達はテレーゼ嬢を完全なる被害者として認め、彼女を擁護する為に躍起になると思うんだ、僕」
ニッコニッコ笑うエリオットに、私はウヘァっと嫌な顔を返しておいた。
良くもまぁ、短い時間にそれだけ企めるもんだ。
しかもこーゆー時ほどイキイキとしているから、尚の事狂気を感じる。
相変わらず、お近付きになりたくないNo. 1なんだよなぁ、コイツは。
もはやその不動っぷりに、呆れを通り越して感動さえ覚えるわ。
私とエリオットが全く真逆の表情で見つめ合っていると、顔を俯かせたままのノワールがボソリと呟いた。
「では、そこまでして爵位を叙爵しなければいい。
テレーゼは恐らく、自分がエクルース伯爵家の次期当主だとは知らない。
サンスはそれを隠している筈だ。
ならそのまま、何も知らないまま、ただのテレーゼとして、僕の………」
「ノワール君」
ノワールがそこまで言った時、エリオットが珍しく厳しい声を上げた。
「それはテレーゼ嬢が決める事だよ。
彼女が叙爵を拒めば、それはそれで良い。
だけど彼女が、エクルース女伯爵として立つと決意したなら、その時に無駄なものが残らないように、今排除しておくべきなんだ」
諭すようなエリオットの言葉に、ノワールは顔を伏せたまま、微かに頷いた。
そりゃ、惚れた女がオークションに出品されると知っていて、今すぐどうにかしてやれないのは胸が潰れる程に辛いだろう。
私でさえ、もうどうでもいいんだよっ!て感じで、明日エクルース家の邸の門前でテレーゼ嬢を掻っ攫いたくて仕方ない。
だが、たぶん。
エリオットの言っている事が、この先のテレーゼ嬢の人生にとって正解なんだ。
それは分かっている。
分かってはいるんだけど………。
顔を俯かせ、自分の感情と必死に戦っているノワールに、キティがそっと寄り添いその背中を撫でている。
いつもなら、例え兄妹であれキティが他の男に触れる事に良い顔をしないクラウスでさえ、その兄妹の姿を憐憫のこもった表情で見つめていた。
その後、テレーゼ嬢をオークション会場から助け出す為の綿密な作戦が立てられた。
そうして、私達の長い夜が更けていったのだ。




